平凡パンチ嫌い
2006年4月20日先日、「平凡パンチ」のことを書いたけど、その後の調査でわかったことを補足しておくことにしよう。
1963年4月に創刊された「平凡パンチ」は、廃刊は1988年11月となった。
出版していた平凡出版社は、その後、社名変更して、マガジンハウス社となった。
映画「エイリアン」で使われている「平凡パンチ」の表紙は山口百恵。
あのシーンには「こんなクズな雑誌は食わせてしまえ!」という意味があるとの噂があるが、それはリドリー・スコット監督が言ったジョークが元になっており、本当はそのような意味はないらしい。
「平凡パンチ」で思い出すのは、私が高校生の時の事だ。
あの頃、「平凡パンチ」と言えば、裸のオネェチャンがいっぱい掲載されているエロ雑誌の代名詞のような存在だった。ヌードの他の記事にしても、車、アメリカの流行、・・・などの、どうでもいいような低俗なことしか書いていないので、友人の間では、「平凡パンチ」を見るということは軽蔑される卑しい行為であるという暗黙の了解があった。
その頃に私が通っていた高校のS先生がトボけた感じの面白い英語教師で、授業で英文法を教える時に、急にヘンテコな日本語から英作文する問題を出すのだ。
その代表的なやつが、
「私はいままでに平凡パンチを見たことがありません」
だった。never を使った I have never ・・・の過去完了形の勉強として、そのような例題を出すのである。その例題、一年間に10回くらい出題されたよなぁ。何かと「平凡パンチ」にこだわる教師だった。
その他にも、
「おばあちゃんが早く死んでくれたらなぁと私は思いました。」
というようなブラックな英作文もかなりやらされたっけなぁ。
あのブラック英作文の数々、今となっては高校の時の想い出だなぁ・・・。
それにしても、私の高校の時の教師って個性的な人物がなんて多かったことか。
共産主義に傾倒していた世界史のT先生は、学校祭のたびに「学校祭を中止しよう、学校祭の習慣をやめよう」というビラを配っていた。その思想に共感しちゃって、一緒になってビラを配っていた生徒もいたっけなぁ。
そうそう、世界史で、フランス革命のあたりの授業の時、そのT先生は、フランス革命の時に民衆が歌った歌だとか言って、「ラ・マルセエーズ」の楽譜をプリントしたやつを皆に配り、合唱させられたっけ。世界史の授業で、なんで歌わされなきゃならんのだぁ? T先生はフランス革命に何か特別の思い入れがあったのだろうか?
国語のM先生もかなり個性的で印象深い存在だった。そのM先生は古文の授業で、教科書を読みながら、ラ行変格活用の動詞が出てくると、必ず、
「ラ変の動詞は、あり、おり、はべり、いまそかり の4つしかないからね。」
と言うのである。それを、ラ変の動詞が出てくるたびに、毎度毎度、言うのでだ。だから、「あり、おり、はべり、いまそかり」をくどいくらい何度も聞かされて我々は育った。クラスのみんなの間では、一時間の授業中に「あり、おり、はべり、いまそかり」ってM先生が何度言うか?って話題になり、みんなで「正」の字をノートに書きながらカウントしたものだ。最高記録が一時間に11回。だから、イヤでも「あり、おり、はべり、いまそかり」のフレーズが全員の脳細胞に記憶され、卒業して何年も経過しているのに、いまだに「あり、おり、はべり、いまそかり」を忘れられないのである。勿論、そのM先生のニックネームとキャッチフレーズの両方が「あり、おり、はべり、いまそかり」だった。ニックネームとしては長過ぎるので、「いまそかり」で通じることもあったなぁ・・・。
コメント