映画嫌い (60)
2006年5月25日本日の映画は「ダ・ビンチ・コード (The DaVinci Code)」である。
パリのルーブル美術館の館長が殺された。死体の回りには館長が自ら書いた謎の暗号か残されており、その中に「ロバート・ラングルドンを探せ!」と名前があった為に、ちょうどその時にパリに滞在していたハーバード大学教授ロバート・ラングルドンが容疑者として警察に追われる。ラングルドンは館長の孫娘であるソフィーに助けられ、2人で逃亡しながら暗号の謎を解明していく・・・。
ラングルドンを演じるのがトム・ハンクス、彼を追うファーシュ警部を演じるのがジャン・レノである。
ひとことで言っちゃえば、めちゃくちゃ面白くない!
私はかなり以前に、海外出張時の飛行機の中での暇つぶし用に、原作本「ダ・ビンチ・コード」の英語版を買って読んだのだけど、あの原作本もめちゃくちゃ面白くなくて、途中で一度、サジを投げてしまった。頭がくらくらしてきたんだもの。裏キリスト教の暗黒面にどっぷりとつかった安っぽいオカルト陰謀本にしか思えなかった。イエス・キリストが娼婦のマグダラのマリアとの間に子供をもうけていたことを、レオナルド・ダ・ビンチが「最後の晩餐」の絵の中で示していたとする説、これなんかは、こじつけもいいところで、あまりのアホらしさに涙が出てきちゃう。手塚治虫の漫画「鉄腕アトム」は予言書で、ウランちゃんの長い靴はルーズソックスの女子高生の出現を予言していたのだ!っていうアホらしい説と同じような低レベルだ。
映画にはほとんど出てこなかったけれど、原作本の中には、キリスト教に関するウンチクが、それも都市伝説のようなデタラメなウンチクや、データ偽造・捏造がかなり混在されていて、それを根拠にブッ飛んだキリスト教解釈をやっちまっているものだから、その点では笑る部分があったのだが、映画にはそのエッセンスがなくてつまらないものになっていた。たとえば、ルーブル美術館のガラスのピラミッドに使われているガラスの数が666枚で、これは新約聖書の「ヨハネの黙示録」に出てくる獣の数字「666」と一致する!って原作本でやっちゃっているんだが、それは映画には出てこない。映画「オーメン」なんかでもお馴染みの数字「666」なんだけれど、実はルーブルのピラミッドのガラスは666枚ではない。673枚が正解なのだ。原作者のダン・ブラウンは、そのように事実をこじ曲げて、自説に都合の良いデータに偽造しまくっているのである。いくらフィクションとはいえ、データ偽造はやめてほしいよなぁ。こんなデタラメの数々を信じちゃっている人たちが多いってのは悲劇だよ。バチカンやカトリック系の教会と信者がこの映画に対してボイコットを呼び掛けているそうだが、キリスト教徒ではい無神論者の私にもボイコットしたくなる気持ちは理解できるなぁ。
ちなみに、ダ・ビンチの「最後の晩餐」で、イエスの隣(向かって左)にいる人物は女性で、それがマグダラのマリアだとこの映画・小説では主張しているけれど、それは誤り。ダ・ビンチは「最後の晩餐」のデッサンをノートにいっぱい書いており、それらが今でも残っていて貴重な資料となっている。それらを解析して、あれは女性ではなくてヨハネであることが判明している。最後の晩餐の時、ヨハネは10代半ばの少年だったのをダ・ビンチは童顔で表現しているのだ。
また、映画・小説では「最後の晩餐」の絵の中に聖杯がないという事も指摘しているけど、ないのが当然。ダ・ビンチの「最後の晩餐」はパンとワインが用意される前のシーンで、イエスが弟子たちの足を洗った後に、「この中に裏切者がいる」と言い、弟子たちが互いに顔を見合わせて「誰なんだ?」と驚いているシーンなのである。新約聖書を読めばそれくらいわかるだろうに、ダン・ブラウンは聖書も読まず、ダ・ビンチのデッサン資料も知らなかったのだろうか?
で、ストーリーの半ばから、ダ・ビンチなんかどうでもよくなってしまい、聖杯だ、シオン修道会だ、王家の血族だ、テンプル騎士団だ、ロスリンだ、・・・と、ダ・ビンチの話題なんか全く出てこなくなる。これは原作本も映画も同じ。だから、原作本を読み終わった後にも、映画を見終えた後にも、なんで「ダ・ビンチ・コード」ってタイトルなんだろう?と疑問に思えてしょうがない。「モナリザ」があるルーブル美術館とダ・ビンチの「最後の晩餐」の都合の良い解釈をツカミに引用しているだけじゃん!って思うのは私だけであるまい。例えば、タイトルを「イエスの子孫」とか、「マグダラのマリアを追え」にしちゃったら、原作本はあまり話題にならなかっただろうけど。
この作品も、結末が途中で想像できちゃって、その通りになって終わっちゃったものなぁ・・・。やはり、あの人物が、あ〜なんだ・・・と。あぁ、アホらしい。
映画「ダ・ビンチ・コード」
http://www.sonypictures.jp/movies/thedavincicode/
クリスマスで騒ぐくらいしかキリスト教に関係がない大多数の日本人にとっては、この映画って面白いものではないだろうし、ちゃんと理解・判断できるのか心配だ。とは言っても、キリスト教国のアメリカにおいても、ろくにキリスト教を知らない自称キリスト教徒のアメリカ人が多くてねぇ。たとえば、アメリカでは占星術が一般的で、日本のワイドショー番組や雑誌に星占いコーナーがあるように、アメリカでもテレビ・雑誌では盛んに占星術が取り上げられているんだけれど、実は、旧約聖書の中(レビ記だったかな?)で「占い」行為は禁止されており、キリスト教徒は占いをやっちゃダメなのである。占いをやっているキリスト教徒を見かけたら、指をさして笑ってあげよう。(私のアメリカ人の知人にもいるんだよなぁ、日曜の朝には教会に通って、日曜の午後にはタロット占いのアルバイトをやっているカトリックの奴が)
ところで、「ダ・ビンチ・コード」の原作本の中では、主人公のラングルドン教授のことが、
「ツィードを着たハリソン・フォード」
と描写されているんだけれど、映画化にあたって、ハリソン・フォードに主演を依頼しなかったのだろうか? 監督のロン・ハワードは、トム・ハンクスとは「アポロ13」、「スプラッシュ」で一緒にやっていたから、トム・ハンクスとはやりやすかっただろうけど。
今、ハリソン・フォードは「インディ・ジョーンズ・4」の製作に取りかかっているそうだが、ジョーンズ博士役とラングルドン教授役はキャラが違うから、ラングルドン教授役をハリソン・フォードが演じるのも面白かったのでは?
警部役のジャン・レノを見ていると、ちょっと前に公開された「ピンク・パンサー」での刑事役を思い出してしまい、あのおバカなクルーゾー警部が「ダ・ビンチ・コード」の中にも登場してくるような錯覚に陥るのは私だけであるまい。
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