映画嫌い (89)
2006年8月26日本日のデス映画は2004年の米国映画「愛についてのキンゼイ・レポート」である。性の研究者、アルフレッド・キンゼイ(1894-1957)の伝記を映画化したものである。
キンゼイは厳格な父の元で息の詰まる少年時代を過ごし、そのストレスが彼を学問への没頭へと向かわせた。そして彼はタマバチの生態を熱心に研究する生真面目な昆虫学者となり、大学では動物学の助教授となった。
ある時、キンゼイは初めての恋人のクララ(後に妻になる)との初体験で失敗してしまう。また、大学の生徒から性の相談を受ける。この2つの件がきっかけになり、キンゼイは「結婚講座」の名目で人間の「性」に関する研究を開始するのだった。キンゼイの知識と経験では答えられないことが多い為、彼は「性」に関するインタビュー調査を開始する。キンゼイ自身がインタビューを行ない、更には研究室の仲間もインタビューを手伝う。キンゼイはインタビューの仕方を厳しく徹底し、何度もインタビューのリハーサルを行なうのだった。そして、インタビューで得られた人々の性行動のデータをファイリングし、それを「キンゼイ・レポート」として1948年に発表する。米国でもその当時はタブー視されていた「性」に関して、「キンゼイ・レポート」は生々しく報告するものであった為に、キンゼイは時の人となり、賛否両論で一世を風靡するのであったが・・・。
この映画も果てしなくデスな映画である。映画化する意味なんか何もないじゃないか。その昔に「キンゼイ・レポート」ってのがあって、それまでタブーとされていた性に関する調査報告ってことで話題になった、単にそれだけの話でしかない。それ以上の何らかの意味を持たない映画なのだ。
これほどに真面目な研究者であるキンゼイが調査したものなんだから、エロや興味本位のレポートではないのだとでも言いたいのだろうか? 動物学の一端である人類の行動学としての「性」をオープンなものにしたことを評価したいのだろうか? ところが、偏向したこの映画でそのようなことを表現しようとしても無理があるのだ。結局、キンゼイの私生活のアブノーマルさしか印象に残らず、「キンゼイ・レポート」の意義についても表現不足で萎んでしまっている。キンゼイの件を映画化しようとしたのがトホホなミスであるし、それに輪をかけて見事なまでの脚本ミスだ。その結果、こんなデス映画になっちゃいましたぁ・・・ってなところだろう。
こんな映画は見る価値なし。見るのは時間の無駄だ。
この映画のデス度は星5個、満点。クズ映画め!
★★★★★
映画「愛についてのキンゼイ・レポート」
http://homepage1.nifty.com/pochie/review/kinseyreport.html
http://www.icn.ne.jp/~akatuki/movie05/Kinsey.htm
http://subterranean.seesaa.net/article/17168558.html
ちなみに、1948年の「キンゼイ・レポート」は日本では「人間における男性の性行為」のタイトルで紹介されて話題となった。その5年後には「人間における女性の性行為」も発表されている。
しかし、学問的にはキンゼイの研究は評価に値しないものなのである。彼らのインタビューには誘導尋問的な部分が多かったし、故意に一部のデータを揉み消していたことも明らかになっており、統計学的には意味がないのだ。インタビュー対象が白人の男女のみという偏向していた点でも、こんなのは科学でも学問でもないと言えよう。エロ業界に学問的な言い訳・言いのがれの機会を与えてしまった・・・という単にそれだけの功績しかなかったのである。
ちなみに、この映画、日本でも性器が無修正で見られるってことで話題となった。実際には、キンゼイが大学で講議するシーンで、キンゼイの背後に性器のアップの写真があるのだが、それを無修正のまま日本で公開されたってな程度である。無修正ってのを期待してこの映画を見た人にとっても、この映画はトホホだったのだ。
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