映画嫌い (176)
2007年5月2日本日のデス映画は2006年の米国映画「主人公は僕だった (Stranger Than Fiction)」である。来週の週末から日本でも劇場公開されるようだ。
今後、この映画を見ようと思っている方は、以下を読まないように。
主人公は独身の税務署員のハロルド・クリック。ハロルドは毎日、同じ時刻に起床し、同じ回数の歯ミガキのブラッシングをして、同じ歩数でバス停まで歩き、いつもと同じ時刻のバスに乗って職場へ通う。そんな彼の規則正しい日常を解説するナレーションの声が映画の中で続く。
ある日、ハロルドは税金を滞納しているパスカルさんのパン屋を訪問する。
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パスカルさんに未納分の納税を求めるが、彼女は支払いを拒否する。なぜかハロルドはそんな彼女に恋をしてしまうのだった。次第にふたりはラブラブな関係になる。ハロルドのそんな行動を解説するナレーションの声が更に映画の中で続く。
ところが、そのナレーションの声がハロルドには聞こえはじめたのだった。まるで誰かが自分の行動を監視してそれを解説しているような・・・。
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今までに聞いた事もない女性の声だ。その声はハロルド本人にしか聞こえず、まわりの人には聞こえないのだった。
そのナレーションの中に、こんな言葉があった。
「彼のこの無意味に見える行動が、彼を死という運命へ導いていることを、彼自身は知るよしもありませんでした。」
ハロルドは自分がもうすぐ死ぬ運命にあるのではないかと心配になり、彼は精神カウンセラーに相談すると、精神障害の疑いがあると言われ、大学のヒルバート教授を紹介される。ヒルバート教授によるカウンセリングが始まる。クセのあるヒルバート教授を演じているのがお馴染みのダスティン・ホフマンである。
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一方、カレン・アイフルという名前の女流作家がいた。新しい小説の出筆中だ。なかなか彼女の出筆作業が進まないので、シビレを切らした出版社は彼女の元に助手を派遣してきたところだった。カレンはその新作小説の中で最後に主人公が死んでしまってそれで終わりにしようと考えているのだが、主人公にどのような死に方をさせたら良いのか悩んでいた。飛び下り自殺が良いのか、交通事故死が良いのか・・・。
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大学のヒルバート教授の部屋を訪問したハロルドは、その部屋のテレビに映し出されているカレンの姿を偶然と見かけ、ナレーションの声がカレンの声と同じである事にハロルドは驚く。ヒルバート教授によると、そのテレビの映像は何年も前のテレビ番組をビデオに録画したもので、最近は彼女は小説を出しておらず、今どこで何をしているのか知る人もいないらしい。ハロルドはカレンと会ってみようと思い、現在の彼女の居場所を探し出し、訪問してみると・・・。
カレンはハロルドの姿を見て愕然とする。自分が小説の中で描写していた主人公そのものの姿・格好だったのだ。カレンが小説の続きをタイプライターで打ち込むと、その内容と同じことがハロルドの身に起こる。ハロルドはこれまでカレンが書いてきたその小説のコピーを受取り、その小説の主人公が自分自身であることを知る。なぜに小説の中と現実がリンクしちゃっているのか、カレンにもハロルドにもわけがわからない。このまま、カレンが小説の中で主人公が死んでしまう続きを書くと、ハロルドも死んでしまうのか・・・?
この映画、つまらないなぁ。映画のナレーションの声が主人公に聞こえてくるってなアイディア、それだけで押し切った映画に見えてしまうから、とてつもなく面白くない。米国の短編ミステリー・シリーズの「世にも不思議なアメージング・ストリー」シリーズ、「トワイライト・ゾーン」シリーズ、「フロム・ザ・ダーク・サイド」シリーズの中にでも出てきそうな物語である。日本のテレビ番組で言えば「世にも不思議な物語」だな。
映画の途中までの見せ方は、ハロルドの件が「劇中劇」のようになっていて、それがカレンの書いている小説の中の出来事のような感じに見せている。ところが、カレンとハロルドが面会することによって、ハロルドの件が「劇中劇」ではなくて、ハロルドもカレンも同じ次元の世界にいるという、一種のサプライズになっているのだ。驚くカレンの姿は、いい演技しとるなぁ・・・ってな感じに見えるけれど、見ているこっちとしては全然サプライズしないんだもの。単に「なんでやねん」である。
で、結局、ハロルドは死んでしまうのか?ってなことになってしまい、それを回避させる方法ってのは、誰でも想像する通り、カレンが小説の中で主人公を死なせなきゃいいぢゃん、それだけである。まさか、単にそれだけかよ?ってな感じで映画の続き見ていたら、本当に単にそれだけだったのだ、アホらしい。あまりにもくだらなくて、下痢しているんじゃないんだけれど再度の便意をもよおしてきた。
原題は「フィクションより不思議な」ってな意味だけれど、なんでその不思議なことが起こっているのかは、一切、説明も解明もされていない。邦題を「主人公は僕だった」だなんてのにすり替えるのはいかがなものか?
映画「主人公は僕だった」
http://www.sonypictures.jp/movies/strangerthanfiction/index.html
バックの音楽に、一瞬、ヴァンゲリス(Vangelis)の曲が使われていた・・・と気付いたのは私だけであるまい。主人公にはバックの音楽は聞こえてこないのだろうかぁ?
ヴァンゲリスと言えば、映画「炎のランナー」、「南極物語」、「ブレードランナー」なんかのテーマ曲でお馴染みなんだけれど、テレビのワイドショー番組でよく使われているこの曲
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もヴァンゲリスである。「Spiral」というタイトルの曲だ。
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