映画嫌い (249)

2008年3月13日
 
本日のカス映画は2007年の米国映画「ブレードランナー 最終版 (Blade Runner - Final Cut)」だ。
映画「ブレードランナー」はフリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を1982年にリドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演で映画化されたものだ。SF映画の金字塔と呼ばれ、熱烈的に支持をするオタク系マニアも多い映画である。その映画の従来のバージョンに未公開シーンを追加して再編集されたものが「最終版」なんだそうだ。
 
天才科学者タイラレル博士が経営するタイラレル社は精巧なアンドロイド「レプリカント」を開発した。レプリカントは人間そっくりで見分けがつかないどころか、体力や敏しょうさなどの身体能力は人間を上回っているのだ。知力も開発者とほぼ同じレベルにある。レプリカントたちは地球外基地での労働や惑星探査などにあてられていたが、ある時に人間に対して反乱を起こし、人間の敵となったのだった。地球に戻って人間社会に紛れ込んでいるレプリカントを摘発して抹殺する特捜班「ブレードランナー」が組織された。
 
2019年11月の米国のロスが舞台である。ブレードランナーの元隊員だったのが主人公のデッカードである。彼はすでにブレードランナーを退職していたが、宇宙船に乗って4名のレプリカントが地球に密航してやってくる事件が起きた為に、元のボスに呼び戻されてレプリカント抹殺の仕事を再開することになる。手がかりを捜査してレプリカントを追うデッカード。レプリカントには1つだけ欠点があった。それは製造されて4年で寿命となって機能停止するのだ。
 
タイラレル社のタイラレル博士を訪問したデッカードは、博士の女性アシスタントであるレイチェルと知り合う。デッカードはレイチェルがレプリカントである事を見破るが、最新型であるレイチェルは自分がレプリカントだった事を知らず、自分が人間だと思い込んでいた。レイチェルが持っている自分の過去の記憶も人工的に作られたものだったのだ。愕然としたレイチェルはタイラレル社から逃亡してしまう。そして、ブレードランナーの抹殺すべきレプリカントのリストにレイチェルも追加されたのだ。
 
デッカードは街中でレプリカントのリオンに襲われ、あやうく殺されそうになる。その時にリオンの頭部を銃で打ち抜いてデッカードを救ったのはレイチェルだった。デッカードとレイチェルは禁断の恋に落ちてしまう・・・。
 
(中略)
 
デッカードは密航レプリカントの最後のひとりを追い詰めた。レプリカントのリーダー格のバディだ。そして戦いが始まるが、バディの狂暴で圧倒的なパワーにデッカードは追い込まれてしまう。デッカードは危うく・・・。その時に、バディが機能停止した。バディの4年の寿命が終わったのだった。
 
そして、デッカードはレイチェルを連れて逃亡の旅に出る。レイチェルの寿命が尽きるのがいつかは誰も知らない。
おしまい。
 
 
レプリカントvsブレードランナーという舞台背景、世界観としては良くできているのだが、デッカードがバディにやられそうになった時、バディに助けられて、バディがレプリカントである自分の苦しみと悲しみをデッカードに聞かせて、その直後にバディが機能停止だなんて、デキすぎてるよなぁ・・・と思うのは私だけであるまい。そのような稚拙な不条理さを最後に持ってきている点が脱力なのだ。そのシーンだけでこの映画はブチ壊しになっている。

私は公開当時にオリジナル版を見たことがあるのだが、あの時には大して面白い映画だとは思わなかったものだから、あまりオリジナル版のシーンの数々を覚えていない。印象に残っているのは、高層ビルの壁をスクリーンにして「強力わかもと」のCMらしき映像が映し出されているシーンくらいのものだ。だから、オリジナル版と最終版の違いが明確にわからなかった。ストーリー自体に違いはないと思うのだが、冒頭のシーンとラストシーンが違っていたような気もする(オリジナル版のラストって空撮だったような・・・)。いや、オリジナル版のシーンの記憶が明確ではないので、気のせいかも知れないが。ってなことで、オリジナル版を見た事がある人は、よほどのマニアさんじゃなければ、こちらの最終版を見てもしょうがないんじゃなかろうか?
 
最終版でも「強力わかもと」が出てくるねぇ。近未来のロスの街中には、その他にも日本語の看板がいろいろと見える。「ゴルフ用品」とか「レストラン」とか「万年筆」とか。「充実の上に」ってな意味不明の看板もあったりする。「日本の料理」の看板はどちらが上なのかわからなかったのか、堂々と上下さかさまだものなぁ。ウドン屋のオヤジは日本語で話しているし、街中の通行人の声の中にも日本語が入り混じっているのがはっきりと聞きとれるぞ。リドリー・スコット監督はこの映画で近未来都市を描くにあたって、モデル都市として東京に取材に来ていたそうだから、それがこ〜なっちゃったわけだ。ちなみに、「強力わかもと」については、リドリー・スコット監督はあれを「人工流産剤」だと勘違いして近未来のロスに登場させていたらしい。思いっきりの勘違い、恐るべし!
街中には「ATARI」のネオンサインも見えるねぇ。「ATARI」ってもう誰も知らないかぁ。かつて一世風靡したゲーム機だったわけだが、すぐに倒産しちゃったものなぁ。この映画の香ばしさってのは、このようなヘンテコな未来感にあるよなぁ。テレビ画面がフラットで薄い液晶じゃなくて、球面タイプの古いブラウン管だったりするし、街の上空をエア・カーが飛んでいるしなぁ。1950年代のSF映画じゃないんだから、エア・カーなんか飛ばすなよなぁ。
 
で、この映画のもっとも痛いのは、レイチェルが全然魅力的じゃないってことだ。だから、なんでこんな女性とデッカードは禁断の恋に落ちちゃうのか実感がしてこないのだ。デッカードとレイチェルのファック・シーンすらないのもイヤだなぁ。
 
 
映画「ブレードランナー 最終版」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00006AFZ6
 
 

 
ちなみに、音楽を担当したのはヴァンゲリスだ。彼の一連の退屈な作風と違ったメリハリのある曲を作って、それをメインテーマに使っているのがヤケにおかしい。
 
ちなみに、「ブレードランナー」のファンの間では、「デッカードはレプリカントだ」説が広がっているらしい。一種の都市伝説だな。
 

 
 

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