オーパーツ嫌い

2008年6月8日
 
「オーパーツ (OOPARTS)」と呼ばれているものがある。オーパーツとは「Out-Of-Place Artifacts」の略語で、その時代にはありえない技術で作られた不思議な物の事である。
たとえば、トルコで16世紀に作られた「ピリ・レイスの地図」には、当時にはまだ発見されていなかった南極大陸が描かれているという。
http://www.nazotoki.com/map_img/syousai1.jpg
イラクのバクダットに近くにある2000年前の遺跡からは数多くの小型の壷が出土しており、酸を入れると化学反応で電流が発生する「電池」だという。
http://panasonic.co.jp/mbi/forest/01/img/oldest_img.gif
1961年に米国カリフォルニアで発見された通称「コソ加工物」は50万年前に作られた点火プラグだという。
http://2.csx.jp/~smx/x-89.gif
インドのデリーにある「クトゥブ・ミナール」と呼ばれている鉄柱は、千年以上も前からそこにあるのに全く錆びていないのだ。現代の最先端の技術をもってしてもそのような錆びない鉄は作れないという。
http://chaichai.campur.com/image904/delhi01/ironpillar001.jpg
それらのオーパーツを元に「古代には今より進んだ超科学技術をもった文明が存在していたのだ」と言う「超古代文明」説を唱える人が多い。アトランティスやムーなどの失われた大陸に進んだ科学があったと言う人もいる。また、科学的に進んだ宇宙人が太古の地球にやってきていて、宇宙人らから教えてもらった技術によって作られたと主張する「宇宙考古学」なる説を唱える人までもいる。ピラミッドやナスカの地上絵も宇宙人の技術で作られたとか、このようなオーパーツの存在をきっかけにして、オカルト話にのめり込んでいる人が実に多いのだ。
 
ところが、そのようなオーパーツは、後世にデッチあげられたニセもの、強引な誤った解釈で勘違いされているものばかりなのである。
「ピリ・レイスの地図」はベスト・セラーになったグラハム・ハンコック著「神々の指紋」でも冒頭で大々的に取り上げられているネタであるが、南極大陸だと言われている海岸線は、実は縮尺を誤って描かれた為に大幅に歪んでしまった南アメリカ大陸の海岸線なのである。
バクダットの2000年前の「電池」とされる物は、あのようにアスファルトで密閉された壷ならば空気中からの酸素が供給されないので、化学反応がすぐに止まってしまい、電池としての実用性が全くない。電池だとする解釈が間違っているのである。
「コソ加工物」は1920年代に作られた米国製の点火プラグを使ってデッチあげられた捏造品で、その点火プラグの製作会社まで判明している。
インドの錆びない鉄柱は「練鉄」と呼ばれる種類の鉄で、これは錆びにくいのは当たり前で、その製作技術は昔から知られている。製作されてから何百年も経過しているのに全く錆びない日本刀だって世の中にたくさんあるじゃないか。日本刀も宇宙人の技術で作られたって言うのかよ? (ちなみに、インドのそれは、良く見ると錆びてやんの。錆びていないだなんて嘘さ)
 
オーパーツの代表的な物が「水晶ドクロ」と呼ばれているやつだ。
http://www.nazotoki.com/crystal_skull_img/hedges_skull1.jpg
水晶を研摩加工して頭蓋骨の形に作られた物である。これのように水晶の塊を研摩して頭蓋骨の形にする事は現代の先端の加工技術でも不可能だと言う。未知の高度な技術で太古にこのような物が作られた・・・と言われているが、これも実にあやしい品なのである。

その水晶ドクロは、英国人の探検家・ヘッジスが1927年にユカタン半島にある英国領ホンジュラス(現・ベリーズ)のルアバンタン遺跡を発掘調査していた時に、ヘッジスに同行していた養女のアンナが祭壇の近くで発見したものだとされている。マヤ文明の驚異の技術力!ってなことにされちゃっているのである。
ヘッジスがルアバンタン遺跡の発掘に参加していたのは本当のことで、それを裏付ける記録も残っている。ところが、記録によると、ヘッジスはドクロが発見されたとされている1927年の前年の1926年に英国に帰国しちゃっているのだ。また、発掘に養女のアンナが同行していたという記録が何もない。当時にヘッジスと一緒に発掘を行なっていたブラウン女史は、数多くの発掘時の写真を残しているけれど、その中にはドクロの写真もなければ、アンナの写真も一枚もないのだ。地道に発掘するオヤジたちの写真ばかりで、世紀の大発見であるドクロの写真も、それを発見したアンナの写真も一枚もないのは不自然である。だから、アンナもドクロもそこには存在していなかったという解釈が最も適しているだろう。また、発掘に同行していたガン博士が1931年に「マヤの歴史」という本を出版して、発掘の成果やエピソードを記述しているのだが、その著書の中にもアンナの事もドクロの事も一切書かれていない。アンナがルアバンタン遺跡で発掘したという第三者の証言がひとつもないのである。
ヘッジス自身も英国に帰国した後に本を出版したり、新聞に連載を書いているが、その中にもドクロの事は全く書かれていないのだ。1954年になって出版されたヘッジスの自伝書(これってホラ吹き大会のような内容なんだよな)の中では、ドクロの出所は「わけあって言えない」としか書かれていない。
また、マヤ文明の研究の第一人者として有名なハモンド博士は、自分の著書の中でこんな事を書いている。
「なぜ私がこの本の中で水晶ドクロの事に触れないのかというと、あれはマヤ文明とは何ら関係のないものだからだ。(中略)アンナがルアバンタンにいたという証拠は何もない。」
 
調査の結果、実はそのドクロはルアバンタン遺跡におけるアンナの発見ではない事が判明している。1944年にロンドンの美術商・バーニィから400ポンドでヘッジスが買ったものなのである。その売買記録がロンドンの美術館に今でも残っているのだ。このドクロが初めて文献に登場したのが1936年の人類学雑誌で、その記事の中にはヘッジスの名前もアンナのの名前も無く、所有者はバーニィになっている。バーニィの話によると、バーニィがそれを手に入れる前の持ち主は英国の美術品コレクターであって、ヘッジスでもアンナでもない。それ以前の持ち主はバーニィにもわからないそうだ。
バーニィからヘッジスが買ったという事を、アンナ自身も否定しなかった。「借金のカタにドクロを貸していたら、売られそうになったので買い戻した」と、苦し紛れの言い訳をしている。勿論、アンナのその言葉を裏付ける証拠は何もない。
以上から、水晶ドクロはアンナがルアバンタン遺跡で発見したものではないと考えられるのである。
 
水晶を研摩してドクロを作るというのは、確かに高度な技術が必要とされるらしい。しかし、現在の先端技術でも無理だという物ではないのだ。古代の超技術だとかいう怪しげな説も無用である。今から100年前の技術でも十分に製作可能なのである。同様な水晶ドクロは世界中に十数個が存在しているのが確認されていて、大英博物館やパリの人類学博物館にも置いてある。面白いことに、米国のワシントンにある水晶専門店にも同様の品が置いてあって、その品については製作者も製作時期もちゃんと判明しているのだ。ブラジルのある家族が1995年に半年かけて磨いて作ったものだと。
 
その後、コレクター向けのレプリカとして、ある程度の量の水晶ドクロが製作され、インターネット通販で買えるようにさえなった。勿論、本物の水晶を研摩して作られたものだ。私は東京の某デパートの展示即売会で売られている水晶ドクロの現物を見たことがあるぞ。価格が4万円弱で、高すぎるので私は買わなかったが。
インターネット通販やデパートで買えるオーパーツ! かなり情けないマヌケなオーパーツだな。
 
ってことで、オーパーツと聞けばインチキだと思え。
 
 
 

 
ここでも売ってます。
http://www.rakuten.co.jp/arch/429541/521649/447396/
 

 
 
 

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