映画嫌い (304)
2008年8月31日本日のクソ映画は2008年の中国映画「レッド・クリフ (赤壁 - Red Cliff)」である。監督は呉宇森(ジョン・ウー)だ。中国の「三国志」の中の西暦208年の「赤壁の戦い」の部分を描いた映画である。この映画は日本では今年の11月に劇場公開される予定があるようだ。今後、この映画を見る予定の人は以下を読んではならぬ。
西暦208年の中国は魏・呉・蜀の3つの国が覇権を争う三国時代だった。北部を支配している魏の曹操は80万人の兵の大軍を率いて南下し、蜀の劉備を圧迫し、呉の孫権には降伏を迫ってきた。
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そこで、劉備は軍師の諸葛亮(諸葛孔明)を呉に派遣して、蜀と呉の同盟を孫権に求める。
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諸葛亮は呉の軍の実権を握っている周瑜を説得し、孫権も蜀との同盟に同意する。そして、連合軍にて魏を迎え撃つ作戦を開始した。
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曹操が送り込んできた騎馬軍を連合軍は「亀作戦」にて破ると、次に曹操は水軍に出撃を命じ、大量の船団が長江を下ってきた。
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そして、曹操の水軍と、蜀と呉の連合軍の水軍が長江に面した「赤壁」にて衝突するのが時間の問題となった。
2時間20分弱も見せておいて、ここで映画がブッツリと終わってしまっている。「続く」だとさ。
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この映画、続編に続くやつだなんて知らずに見ていたんだもの、おもいっきりコケてしまったじゃないか。最近、前編・後編に分けている映画も多いし、3部作にしちゃっている映画も多いよねぇ。この映画もその手の手法かよ、イヤな時代になってきたなぁ。私はこれの続編のストーリーを見たいとは思わないなぁ。続きは横山光輝のマンガ版で読んだほうが楽しいと思うぞ。
それにしてもわかりにくい映画だ。時代背景やそれまでの歴史の流れのようなものをほとんど見せていないし、解説もない。登場人物たちの所属や地位などの解説もないままに、たんたんとストーリーが進行しているから、一度見ただけではチンプンカンプンなのだ。登場人物たちの名前も覚えにくいし、同じような顔をしているから判別しにくいしなぁ。「三国志」に関する若干の知識のある私でも、この映画は2度見なければストーリーを追えなかったもの、東洋人の顔が全部同じに見えてしまう西洋人がこれを見てもさっぱり理解できないだろうね。そ〜いう意味では人物の描き方がすごくヘタなんだよ。もっと登場人物もストーリーも整理して見せるべきだな。ストーリーに関係が浅い馬の逆子の出産シーン、琴の合奏のシーン、虎狩りのシーンなどを長々と見せて時間稼ぎしているのもイヤだな。周瑜の妻とのファック・シーンまでもあるんだけど、そんなシーンを見せて嬉しいのか?
ところで、この映画の原作は「三国志」ではなくて、「三国志」を元に後世に創作されたフィクション「三国志演義」のほうだね。「三国志」には書かれていないが「三国志演義」に書かれている捏造されたエピソードが映画の中で描かれているのでそれは明白だ。その点では「三国志」ファンからはヒンシュクものだろう。
ちなみに、日本人の俳優が2人、この映画に出演している。重要な役割をはたしている諸葛亮を演じているのは金城武で、あまり出番のない甘興という名前の武士を演じているのが中村獅童だ。
映画「レッド・クリフ」
http://redcliff.jp/index.html
「赤壁の戦い」の舞台となっている「赤壁」というのはどこなのか諸説があって、こここそ古戦場・赤壁だと主張している場所が中国には数カ所ある。その中で最有力とされているのが現在の湖北省蒲圻市(1998年に赤壁市に改名)の西南の長江南岸にある赤壁山だ。私はそこに一度だけ観光で行ってみたことがある。何もない辺鄙な所で、あまり記憶に残る物がなかった。道が悪くて、乗っていたバスがめちゃくちゃ揺れて、あの時、私は完全に激酔い状態になっていたもの。
「赤壁の戦い」の後、呉と蜀との同盟が領土争いによって解消されて全面戦争になりかけたり、再度の同盟が実現したり・・・と、三国時代は荒れた時代だったようだねぇ。それ以前に6000万人あった人口が三国時代には700万人にまで減少したってのは凄いよなぁ。(人口に関しても諸説あり)
私は大学は理系だったけれど、大学1年生の時の教養過程の選択講議の中では「中国文学概論 I」というものを選択して、「三国志」に関する講議を受けたことがある。講議をしていたのは、「三国志」と「西遊記」の研究では日本での第一人者である中野美代子教授(北海道大学文学部)だった。中野教授は多数の著書を出していて、読んでみると結構おもしろいんだけど、講議はめちゃくちゃ退屈で、大先生の前で大変失礼な事ではあるが、私は何度となく睡魔に負けてしまったことがある。
あの当時、学生の間では「鬼仏表(オニ・ホトケ・ひょう)」という一覧表のコピーが上級生から渡されて出回っていた。単位を簡単にくれる先生(単位認定の試験がないとか、簡単なレポート提出だけで単位をくれるとか、出席さえしていればよいとか、出席さえも取らないとか)が「ホトケ」と呼ばれ、簡単に単位をくれない先生(3回欠席したらアウトとか、かなり勉強しないと試験に合格しないとか、成績のつけかたが厳しいとか)は「オニ」と呼ばれて、それがランクづけされていたのが「鬼仏表」なのだ。その一覧表を見て、学生はどの選択講議を取るのか決めていた。勿論、皆、「ホトケ」の講議を狙うのである。その一覧表の中では、統計学の山元教授、西洋社会思想史の八木橋教授と並んで、中野教授の名前は「ホトケ」の筆頭にあったのだ。だから、中野教授の講議を選択する学生の数がめちゃくちゃ多くてねぇ。
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