映画嫌い (345)
2008年11月26日 映画本日のクソ映画は2007年の米国映画「ラースと、その彼女 (Lars and the Real Girl)」である。この映画は日本では来月の20日から劇場公開されるようだ。
米国のイナカ町で暮らしている27歳の男、ラーズ・リンドストームが主人公だ。兄夫婦の住む家の、それに隣接するガレージを改造した家でラーズはひとり暮らしをしていた。彼は真面目かつ純粋で、極端にシャイな性格だ。とても優しい男なのに、女性と話すのが苦手なので、いまだに彼女がいない。
ある時、ラーズは兄夫婦に自分の彼女を紹介したいと言って、彼女を兄の家に連れてきた。その彼女とは、なんと、等身大のラブ・ドール(いわゆるダッチ・ワイフ)だったのである。名前はビアンカだ。兄はラーズの頭がおかしくなったと困惑し、医師に相談する。ラーズはビアンカを車椅子に乗せで街や湖にデートに出かけ、友人の家でのパーティにもビアンカを同伴してやってきた。教会の礼拝にも車椅子を押してやってくる。まわりの人々は最初は奇異な目で見るが、ラースを傷つけまいと、ビアンカの存在を受け入れようとし、生きている人間としてビアンカに接するようになる。そして、ビアンカのことを本当に愛しているラーズの姿にみんなは胸を打たれるのだった。
とことが、ラーズはビアンカにプロポーズを断わられてしまったと言って落ち込み、また、ある朝、起きてみるとビアンカが重体になっているとラーズは大あわてして、そしてビアンカは救急車で病院に運ばれる。
(中略)
教会でビアンカの葬儀が行なわれ、彼女は墓地に埋葬されるのだった。おしまい。
ナンセンス・コメディか?と思ったが、コメディってなほど笑いもなく、彼女がダッチワイフってなだけのアイディアでストーリーも膨らむわけもなく、事態のシリアスさもなく、盛り上がりもないままにあっけなく終わってしまっている。まさに掴みどころのない映画なのだ。
なぜにラーズがビアンカを彼女としちゃったのか、その状況やキッカケを見せていないのがダメだな。ラーズはダッチワイフをネット通販で購入しているのに、購入する心境のようなものを全く見せていないんだもの。箱から出したダッチワイフをなぜにラーズは彼女だと思い込んでしまうに至ったのか、それをちゃんと見せるべきだろ。そんなラーズの精神状態を医師が「妄想」のひとことでかたずけちゃっているのもダメだ。ラーズのことを精神がイカレちゃっているとしている割にはビアンカの件以外にはヘンテコな言動がラーズにないのにも納得いかない。それに、ラーズに共鳴しちゃう街の人々の心境の表現も不足しているなぁ。兄夫婦の困惑ぶりの描写もいまひとつだ。
で、ラーズの職場での同僚のマーゴという女性との件があって、ラーズの心の奥では無意識にビアンカの事を消し去る方面に向かっていたために、ラーズの深層心理によってビアンカは死んでしまったのかぁ?と想像するしかない結末になっているのがつまらない。それに、「極端にシャイ」で「女性と話すのが苦手」なラーズが、なぜにマーゴとああなっちゃうの?と疑問に思えるのは私だけであるまい。だから、ちゃんとストーリーが成立しているように思えないのだ。
映画にダッチワイフを出すのであれば、あのようなラブ・ドール系のやつではなく、空気で膨らませるビニール製の安っぽいやつで、ギョロ目で、口を大きく開いているやつを使ってほしかったなぁ・・・と思うのは私だけ?
映画「ラースと、その彼女」
http://lars-movie.com/
ちなみに、この映画の音楽担当はデヴィッド・トーン(David Torn)だ。この人の音楽は私は結構好きだった。その昔、彼のソロ・アルバムの「Cloud About Mercury」は私の愛聴盤だったなぁ。同僚のマーク・アイシャムも今ではすっかり映画音楽がメインの活動になっちゃっているねぇ。
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