映画嫌い (392)

2009年3月11日 映画
本日のクソ映画は2008年の米国映画「ダイアナの選択 (The Life Before Her Eyes)」である。ローラ・カジシュキー著のベストセラー小説「春に葬られた光」の映画化だ。これがわけのわからんインチキ映画なのだ。事件がらみの映画なのに、社会派サスペンス映画やサイコ映画ってな内容にならず、不条理なオチをやっちゃっている。
この映画は今週の週末から日本で劇場公開されるらしい。今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないこと。
 
教師をしながら夫と娘と閑静な住宅街で平和に暮らすダイアナ。15年前、ダイアナが高校生の時、彼女はあの悲惨な事件に巻き込まれたのだった。クラスメイトのマイケルが高校でマシンガンを乱射し、無差別に多くの生徒と教師たちが殺害されてしまった事件だ。その時、ダイアナと親友のモーリーンは高校の女子トイレにいて、そこへマシンガンを持ったマイケルが現われて、「ふたりのうち、どちらかひとりを殺す。どっちにする?」と究極の選択を迫ってきたのだった・・・。
 
32才になっている現在のダイアナの生活と、高校生の時のダイアナとモーリーンの日常、そして乱射事件のシーンの3つをそれぞれにバタバタと交互に見せちゃっている。その芸のない見せ方がダメだ。あちこちで花を見せて、そのカラフルさが印象に残るけれど、そのような手法をこの映画でやっちゃう事にも必要性が感じられない。その色あいがすごくインチキっぽくて、この映画のインチキさを象徴しているような気もする。

高校生の時のダイアナとモーリーンのその学生生活のシーンには、何らトピックスもエピソードもなく、単にどこにでもいる仲良し高校生であるって事、それ以上のものを見せていない。それがダラダラとめちゃくちゃ退屈で、見ているのがつらくなってきちゃう。それらのシーンはすべてバッサリとカットしちゃっても問題ないだろう。それでこの映画の長さは半分以下に短縮できちゃうじゃないか。

一方の、現在のダイアナの生活の見せ方もダメだねぇ。あの事件のトラウマを背負ったままである事を見せるのは良いとしても、事件に無関係などぉ~でもいいような無駄なシーンが多すぎるのだ。夫の浮気疑惑とか、娘のプチ失踪とか、そんなの見せても時間の無駄なだけだ。ってことで、現在のダイアナのシーンも8割はカットできちゃうだろう。すなわち、この映画って、何も中味のないカラッポな映画になっちゃっているってことだ。

で、この映画のラストシーンは、ダイアナとモーリーンのどちらかが殺されてしまうという乱射事件のシーンに戻っている。そして結局、撃たれたのはダイアナだ。マシンガンの弾が数発、ダイアナの胸を貫通しちゃって、ダイアナがその場に倒れる。それでこの映画はプッツリと終わっているのだ。おいおい、殺されたのはダイアナのほうなん? 今まで、あんなにダラダラと現在のダイアナを見せておきながら、実はダイアナは事件で死んでいたんかい? ってことは、現在のダイアナって幽霊なのかねぇ? 映画「シックス・センス」とか、「パッセンジャーズ」のような幽霊オチ映画なのぉ? 現在のモーリーンを一切見せないで、殺されたのはモーリーンだったかのように想像させておいて、それでいて強引にサプライズを仕掛けたんだ。でも、こんなんじゃ、サプライズじゃなくてインチキだろ。こんなカラッポでインチキかつナンセンスな映画は無視しようぜ。

邦題の「ダイアナの選択」ってのもダメだねぇ。ダイアナは何も選択なんかしちゃいないぞ。小説版の邦題「春に葬られた光」ってのもアホらしいんだけど、それをわざわざ「ダイアナの選択」って改題するセンスもヘンだ。そ~いう邦題をひねり出す担当者もバカだが、それを認可しちゃってゴー・サインを出す上司や会社上層部もバカだね。

映画「ダイアナの選択」
http://www.cinemacafe.net/official/diana-sentaku
 
 

 
現在のダイアナを演じているのはユマ・サーマンだ。この人もヘンテコに微妙だなぁ・・・と思うのは私だけであるまい。
 

 
 

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