映画嫌い (476)

2009年8月29日 映画
本日のクソ映画は2006年のカナダ映画「ホワイト・ノイズ・2 (White Noise 2 - The Light)」である。映画「ホワイト・ノイズ (White Noise)」の続編として「2」のタイトルが付けられているけれど、前作とは全くの無関係な映画になっている。登場人物もストーリーも全くの別ものだ。
前作については3年前に書いたので、こちらをどうぞ。
http://blueberries.diarynote.jp/200609301454370000/
 
主人公のエイブ・デールは妻と小学生の息子の3人でファミレスにて食事をしていたところ、見知らぬ男が銃を持って入ってきて、妻と息子を射殺し、その上、その男は銃口を自分に向けて自殺してしまった。突然の出来事にエイブは混乱し、深く悲しむ。
それから3ヶ月後。なぜに妻子が殺されなければならなかったのか、どうして自分は妻子を助けられなかったのか・・・と悩み続けているエイブは薬物依存になってしまい、危篤状態となったところを救急病院に搬送された。危うく死にそうになったところを医師の懸命の治療によって救われたエイブは、臨死体験(NDEs - Near Death Experiences)をして、あの世の入口の光を見て、こちらの世界に生還したのだった。
退院したエイブは街中で不思議な光を見るようになる。体から白い光、あの世の入口で見たのと同じ光を出している人がたまにいるのだ。その光を出している人は死期が近い人である事をエイブは知ることになる。なんとか光を出している人を救えないものか?とエイブは考えた。そして、光を出している男が交通事故にまきこまれそうになったのを、とっさにエイブが救うと、その男からの光は消えてしまったのだ。そうか、救えるのか!死の運命は変えられる!と思ったエイブは、街中で光を出している人を見かけて、チンピラにからまれている男を救ったり、看護婦を襲いかかる暴漢から救ったり・・・。
一方、なぜに妻子が殺されてしまったのか、殺した犯人の動機は何かをエイブは調査していた。犯人の家にあったメモやノートを見て、エイブは驚愕の事実を知ることになる。犯人も臨死体験をして、エイブと同じように光を見る能力を持っていたのである。そして、同じように光を出している人を救っていたのだ。エイブの妻子も交通事故にあう直前に彼によって救われていたのだった。ところが、光を出している人を救ってはダメなのである・・・と犯人は気が付いていた。救われた人は、それからちょうど3日後に複数の死者を出す事件・事故を必ず起こすのだ。救ってしまった人を3日後になる前に殺してしまわなければばらない・・・という結論に至ったあの犯人は、エイブの妻子の元にやってきて、2人を射殺したのである。
エイブが最初に救った男は3日後に車でバスに突っ込んで死亡事故を起こしてしまった。救った2人目の男も銃を持って暴れ、その結果、数名の死者が出てしまった。救った3人目の看護婦・・・、まだ3日たっていない。エイブは看護婦を殺そうと銃を持って・・・。エイブ自身の体からも光が・・・。
 
ね、前作と何も関係ないでしょ。
前作では、「EVP (Electronics Voice Phenomena)」(死者からの声のメッセージを電気的に捕らえてテレビやラジオで受信する)というものがテーマだったわけであるが、こっちの「2」では「EVP」なんか何の関係もない。ちょっとだけセリフの中に「EVP」の名前を出したり、「EVP」のシーンもわずかにあるけれど、ストーリー上は全く関連なし。続編なんだから・・・と無理矢理と強引に「EVP」を見せてやんの。だから、テレビのホワイト・ノイズ(以前に書いたようにホワイト・ノイズと言うのは誤りで、テレビのノイズはピンク・ノイズだ)とは無関係なんだから、「ホワイト・ノイズ」ってタイトルは内容とマッチしてないぞ・・・と思うのは私だけであるまい。
 
で、今回のテーマは「NDEs (ニア・デス)」(臨死体験、あの世からの生還)である。日本でも、三途の川の向こうでキレイなおネェちゃんが手招きしていたとか、お花畑があって、死んだ祖父に出会って、「お前がこっちへ来るのはまだ早い」と言われたとか、そ~いうのを体験して生還した人の話はたまにある。欧米のキリスト教系の皆さんの場合は、光の中に聖母マリアが現れるそうだ。死後の世界はその人の宗教観によって違っているだなんて、そ~いうバカな話もある。いや、ニア・デスの体験は最新の脳科学によってある程度の解明がなされていて、瀕死な状態になったときに脳のある部分が活性化し、その結果、そのような夢を見るという事が判明しているのだ。生きている人の脳のその部分に電気的に刺激を与えて活性化させると、同じような夢や幻覚を見るのである。だから、ニア・デスだなんてのはトンデモ・オカルトなのであるが、欧米でもこの手のオカルトが好きな人が多くてねぇ。(但し、瀕死な状態になると、なぜに脳のその部分が活性化するのか、なぜにその部分が活性化するとそのような夢や幻覚を見るのかなど、解明されていない点もある)
 
それで、この映画、ニア・デスしちゃって、それで未知の能力を得てしまったというストーリーであるが、その能力、ニア・デスと関係ないんぢゃないのぉ? なんだかこじつけ臭くて素直に納得できないんだよなぁ。「3日ルール」にしても、堕天使ルシファーだの、悪魔の数字「666」だの、キリストは3日後に復活しただの、そ~いうキリスト教思想でこじつけてるんだもの、これは見苦しいぞ。死ぬ運命の人を救うとか、救っちゃダメだとか、そのへんのベースとなっているアイディアは良いものだから、ニア・デスとか「EVP」の件なんかを切り離しちゃって、もうちょっとストーリーをひねって、それなりの脚本ができたとしたら、結構、面白い映画になったかも知れないなぁ・・・と思えてしまうなぁ。残念賞だね、こりゃ。
 
ニア・デスをテーマにした映画では、医師たちが自ら実験台になってニア・デスを経験するという「フラット・ライナーズ」っていうやつが20年くらい前にあったけれど、あれも全然おもしろくなかったねぇ。リチャード・ギアが脇役で出ていたっけ。
 
映画「ホワイト・ノイズ・2」
http://ameblo.jp/pata-kichi/entry-10192611352.html
http://curse.jp/horror-movie/20071127002142.html
 
 

 
川の向こうでキレイなおネェちゃんが手招きしていたら、私、とりあえず行っちゃうかもなぁ。日頃から、キレイなおネェちゃんが手招きしても行かない!というイメージ・トレーニングをしておかなければならんだろうなぁ。
 
父方の祖父に会ったとしても、祖父は私が生まれる前に亡くなっていて、面識がないものだから、「どちらさんですか?」と言ってしまいそうだなぁ。
 
母方の祖父は、私の19歳の誕生日の前日に亡くなっている。私はその3日前に母と一緒に、祖父の入院している病室に見舞いに行ったのだが、あの時には祖父は私が誰なのかわからなくて、病室の壁のところにつっ立っている私を指差して、私の母に「誰?」ときいていたっけ。そうだろうなぁ、5年以上も祖父とは会っていなかったもの。中学生だった孫がもうすぐ19歳のひょろっとした長髪の男になっていちゃ、誰だかわからんだろうなぁ。母は祖父に私の名前を告げて、それで納得したようだが、あの時、祖父は意識朦朧とした状態だったから、手を握る私のことをちゃんと認識できていたのか不明だ。そんなわけで、あの世で祖父に会ったとしても、「誰?」と言われてしまいそうだなぁ。
 

 
 

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