2009年も7月になっちゃったぞ。今年も半分が過ぎちゃったぞ。
予言されていた「1999年の7の月」から10年も過ぎたのに、いまだに人類は滅亡していない。あれで誰もがノストラダムスなんか信用しなくなり、1990年代にノストラダムス関連の本を出版していた輩もそのほとんどがノストラダムスから撤退しちゃったようであるが、なぜかその後もノストラダムスの予言を信仰しちゃっている奴がいるものだから困ったものだ。キリストが誕生した年と西暦に4年のズレがあるというのをこじつけて、「あれは1999年ではなく、4年後の2003年だ」なんて書いていた奴もいたけれど、2003年にしても何も起こらなかったじゃないか。そいつはまた理由をこじつけて、予言の年を延期しちゃったようだ。
数年前からブラジル人のジュセリーノっていう男が大予言者ってことでかつぎ出されているけれど、あれも全くのナンセンスだねぇ。彼のインチキ手法はすでにバレちゃっているが、それでも信じちゃっている人が多いらしい。2007年の彼の著書に書かれていた2008年の予言の部分なんかハズレまくっているのに、なんで信じちゃうんだろうねぇ? 2007年の年末に日本のテレビ番組に出演して、2008年の予言をやっちゃって、それもハズレまくってるじゃないか。「2008年に、ある植物からエイズとデング熱のワクチンが開発される」だなんて、2008年が終わり、2009年も半分が過ぎてるのに、そんなワクチンなんかできちゃいないってば。バカバカしいよなぁ。ねぇねぇ、彼の信者の皆さん、何ひとつ当たらずハズレまくった予言をどう総括するのぉ?
最近、もっとバカバカしいハチャメチャな予言を公開しているブログを発見した。読んでいると頭がクラクラしてくるぞ。それがコレだ。
http://eien333.meblog.biz/
イエス・キリスト、聖母マリア、高貴な宇宙人(金星人)、賢者(これも金星人らしい)からのメッセージという形で予言と警告を書いているのである。どうやら、これを書いている人、アダムスキー(UFOに乗ってやってきた金星人と遭遇して教えを受けたと言い張っていた米国人)を信じちゃっていて、それを元に持論を書きなぐっているみたいだ。随分と稚拙な文章で、日本語の誤りも多いし、矛盾も多い。科学的にも誤りだらけである。もしかしてコレを書いているのはオカルト雑誌「ムー」でも愛読している中学生か?と思っていたら、なんと63才のじぃさんらしいのだ。分別あるべきオトナとして、成人式を3回もやっている年齢なのにコレはないだろぅ!と爆笑しちゃった。実際に、参考文献に「ムー」をあげているのを見かけて、再度爆笑である。いまどき、あの雑誌の内容を信じたり、「参考文献」にしちゃう人っているんだ。還暦すぎてもうすぐ年金なのになぁ。アダムスキーのインチキなんか50年前の当時からバレてるのに、なんであんなの信じちゃうのかなぁ? 金星には人間そっくりの高貴な金星人が住んでいるだなんてバカバカしいよなぁ。でも、このじぃさん、なぜかそれを信じちゃっている。人生いろいろ、老後もいろいろである。
それで、頭がクラクラしながらも、その予言の内容を読み取ってみて、それをダイジェストすると次のようになる。
(1) 2009年6月、マリアナ海域が海底大爆発。
(2) 2009年7月、富士山の小噴火。
(3) 2009年9月17日、東海大地震で250万人死亡。
(4) 2009年の夏~秋、2個の台風が西日本と再上陸した青森、北海道を襲い、230万人死亡。
(5) 2010年の冬~春、食料不足により日本人の5000万人が餓死。
(6) 2010年5月~6月、極地の移動。世界的な食料不足。
(7) 2010年7月、「最後の審判」により人類滅亡。人類は流刑星へ。
2009年6月も終わり、さっそく (1) がハズレちゃっているのが虚しい。
最も笑えるのは、(5) の餓死者を救う為に、今、金星で金星人たちがジャガイモ、サツマイモの作付けを懸命で行っているって事だ。それを高貴な金星人が分け与えてくれるらしいのだ。ほら、頭がクラクラしてくるでしょ? 昼間の気温が摂氏400度近くなり、硫酸の雨が降る金星で農耕なんだと。それも、ジャガイモとサツマイモを! イエス・キリストも、聖母マリアも、(アフリカで毎年約5000万人が餓死しているのを無視して)日本人の飢餓のためだけに金星で農耕を指導しているそうだ。ありがたいねぇ(笑)
で、このじぃさん・・・ぢゃなかった金星の賢者さん、「です」「ます」調の敬語で話していると、突然と「・・・なんじゃが」とか「・・・じゃろう」ってな感じの「アニメの中の老人」口調になったりして、かなりキャラ設定がブレちゃっているのも笑えるなぁ。今どき、「・・・じゃ」って口調でしゃべる老人なんていねぇよ!
追記です。
上の文章を書いてから1年後にこれを書いています。現在、2010年7月。
結局、上記の予言、すべてがハズレていますね。(当たり前だ)
書いている爺さん、いったいどんな言い訳をしてんのかな?と思って、あのブログを見てみたんだけど、言い訳できないとあきらめたのか、完全無視してやんの。(爆笑)
こ~いう老後だけはイヤだね、皆さん。
更なる追記です。
現在、2011年4月です。相変わらず、あの爺さんは妄言を書きなぐっているようです。
読むのも非常に疲れるから、私はしばらく読んでいませんでした。あれを読んでもバカバカしいだけで、何の役にも立たないのは当たり前ですもの。
で、最近、ふと、覗いてみたら、あの爺さん、2011年3月の東日本大震災については何にも予言しておらん。っていうか、それは当たり前か。あれだけの大惨事について何も予言できない神とか賢者って何やねん!っとツッコミを入れたくなりますね、皆さん。で、なんでその、神とか賢者、聖母って、福島の原発を無事に冷却して日本を助けてくれないんでしょうねぇ?
映画嫌い (442)
2009年7月4日 映画本日のクソ映画は2004年の米国映画「アダム 神の使い 悪魔の子 (Godsend)」である。
夫・ポール・ダンカンとその妻・ジェシー、そして8才の誕生日を迎えた息子のアダム。一家3人は平和な暮らしをしていた。ところが、アダムは交通事故で死んでしまう。激しく落ち込んでいるポールとジェシーの所へ、遺伝子研究で著名な医師・リチャード・ウェルズが現われて、アダムのクローンを作らないかと誘ってきた。リチャードが独自に研究開発したクローン技術によって、アダムの遺伝子を入れた卵細胞をジェシーの体内で着床させ、アダムと同じ遺伝子を持った子供を出産できると言うのだ。ポールはそんな違法な事に加担できないと始めは拒否していたが、ジェシーのアダムへの思いは深く、結局は同意をする。そして、ジェシーは無事にクローンの赤子を出産し、赤子に同じアダムの名前を付けるのだった。
リチャードは自分の技術によって誕生したクローンの様子を観察する目的もあって、親身になってポールの一家の面倒をみる。新しい住居を提供し、ポールの新たな職場の世話をして、その他の生活の相談にも乗るのだった。アダムは勿論、死んだアダムうりふたつ。両親に可愛がられ、何ら問題もなくアダムは成長した。
しかし、アダムが8才の誕生日を迎えた頃から、その様子がおかしくなったのだ。アダムは不可解な行動を取るようになり、ザッカリーという名前の少年が出てくる悪夢と幻覚がアダムを襲うのだ。死んだアダムの年齢に今のアダムが到達した事が影響しているのではないか?とポールは思い込むに至るが、リチャードはその説を認めようとしない。ポールはザッカリーという名前の少年のことを調査し・・・。
くだらないぞぉ。ザッカリーって何者で、なぜにアダムが?っていう謎解きになり、その一方で、怪しげなアダムによってジェシー危うし・・・ってなことになっちゃうんだが、そのザッカリーの正体にしてもバカらしいし、その影響がアダムに現われたこじつけの理由もバカらしいのだ。詳しくはここで述べないが、簡単に言っちゃえば、ザッカリーはリチャードの息子。それで、リチャードはアダムのクローン卵細胞を作る時にある細工をしていたというのが真相。それでもちゃんとストーリーがつながっていないよなぁ。いくら遺伝情報を操作しようが、記憶というものは遺伝情報として受け継がれないのは生物学の基礎じゃないか。その点、このストーリーはチープなオカルトにしかなっていないんだもの。インテリジェンスがないねぇ。それで、アダムがザッカリーの呪縛から解放されるわけでもなく、解決もなく中途半端に終わっちゃっているのもダメだなぁ。クローンものファンの皆さんも、こんなくだらない映画は無視しようぜ。
映画「アダム 神の使い 悪魔の子」
http://www.adam-movie.com/
映画嫌い (443)
2009年7月5日 映画本日のクソ映画は2006年の米国映画「ワズ WΔZ (WAZ)」である。こ~いう映画は見たくないなぁ。私は男同士の同性愛の映画はイヤだ。チン●まる見えの映画もイヤだ。ってことで、私はこの映画をボイコットする。
ニューヨークの港に感電死した妊婦の死体が捨てられているのが発見された。死体には「WAZ=」と読めそうな意味不明の傷が付けられていた。殺された女性はギャングのウェズレーの彼女だ。ベテラン刑事のエディと新米の女性刑事・ヘレンはその事件を担当し、捜査を始める。ふたりがウェズレーの所へ行ってみたところ、ウェズレーも惨殺されていた。敵対するギャングの仕業か? 更にウェズレーの仲間が2人惨殺され、ひとりの死体には「WAZ=Co」らしき文字が彫られていた。
エディはウェズレーの運転手をしていた男・ダニーのアパートを密かに訪問する。ダニーは警察への協力者? タレ込み屋なのか?
エディは犯人がジーン・ラ-ナーという女性だと直感していた。以前に、ウェズレーらギャング一味がジーンの家に押し入って、ジーンを集団レイプし、ジーンの母親が殺されてしまった事件があり、それを担当していた刑事がエディだった。裁判で証拠不十分として無罪になったギャングたちに対して、ジーンが復讐をしているのだ。あの事件の現場で運転手として見張りをしていたのはダニーだ。エディはダニーを警察でかくまう事にした。そして、あの事件の現場にいた薬中毒の女・エリーを探し出して保護しようとするが、エリーも、その幼い息子もジーンによって殺されてしまう。そして、遂にはダニーがジーンに捕まり、その上にエディまでもが捕まってしまう。一方のヘレンは少しづつ真実に近づいていくが・・・。
ストーリーとしてはぜんぜん面白くない。そのオチも不快だ。
早々と犯人がジーンだとわかっちゃうってのがつまらない。謎の「WAS=」の文字もそんなに意味のあるものじゃなくて、その意味がちゃんとストーリーにからまっていないのもダメだ。暗号の謎解き映画になっていないじゃないか。その上、「WAS=」の意味の説明すらちゃんとできていないのもダメだ。この「WAS=」ってのは、2文字目はギリシャ文字の「デルタ」で、
wΔz = cov(w,z) = βwzVz
という、利己的遺伝子の証明に使われている「プライス方程式」というものなのだ。しかし、このストーリー、利己的遺伝子に全然関係ない。何の象徴にもなっておらず、単に犯人・ジーンがその方程式にのめり込んでいたという、それだけのものでしかない。なんでそんな方程式を持ち出して、それをタイトルにまで使っちゃうのかなぁ? 復讐に燃えるジーンのアブノーマルさの表現も物足りないしなぁ。
それで、不快なオチなんだけど、こ~いうものなのだ。以前からエディとダニーは男同士で恋愛関係かつ肉体関係にある間柄。レイプ事件で捕まっちゃったダニーを救う為に、エディは事件の証拠隠滅に加担していた。エディはそ~いう悪徳刑事だったわけだ。それで、復讐としてエディもジーンに拘束されちゃって、エディはチン●まる出しの全裸にされて(無修正のを見ちゃった)、チン●を切られて、首も切られて処刑されちゃうのだ。そ~いう中年おっさんの裸体は見たくないなぁ。その上、同性愛野郎なんだしなぁ。私は同性愛者を差別する気はないんだけど、男同士の同性愛ってのは見ていて生理的にダメだ。キモチ悪いよ。いくら映画の中のストーリーだとしても、そ~いうのは見ていて不快だ。かなり後味の悪い映画だぞぉ。
映画「ワズ WΔZ」
http://suzu0227.blog105.fc2.com/blog-entry-28.html
追記:
その後に判明したのだが、この映画は「パーフェクトゲーム 究極の選択」というアホな邦題で日本でDVDが発売されたようだ。その発売元がお馴染みのアホ映画販売会社「アルバトロス・フィルム」だ。それを知って笑っちゃったぞ。
「パーフェクトゲーム 究極の選択」
http://www.albatros-film.com/title.phtml?route=&titleid=680
映画嫌い (444)
2009年7月10日 映画本日のクソ映画は2009年の米国映画「トランスフォーマー リベンジ (Transformers - Revenge of the Fallen)」である。2年前の映画「トランスフォーマー (Transformers)」の続編である。現在、日本で劇場公開中のようだ。本編が2時間20分くらいもある長い映画だ。
くだらないので、ストリーの詳細は略。前作の時に書いた、「未整理な脚本を元に、勢いだけで作っちゃいました、あはは」映画ってのが今回もモロにあてはまっている。脚本を整理すると60分以下の映画になっちゃうのでは?
前作にも出ていた主人公のサムも、その両親も、サムの彼女のミカエラも、このストーリーから外したほうが良いだろうになぁ。特に母親は邪魔でしかないし、ミカエラとの色恋ごとなんか見せられてもしょうがないじゃないか。そ~いう、ど~でもいいような無駄なシーンも多いし、メインであるべきロボットたちの戦闘シーンもマンネリすぎてあまりにも退屈だ。退屈で、退屈で、もう退屈すぎて、トランスフォームして戦闘する金属音のカシャカシャする音を子守唄に、遂に私は居眠りしちゃったじゃないか。サムら4人がエジプトに飛んだあたりから20分くらい寝ちゃったもの、その部分は見ていないぞ。しかし、見なくても何ら問題のないクソ・ストーリーなのである。最後にはエジプトのピラミッドで戦闘し、ピラミッドもボロボロ。オプティマって名前の死んだ善玉ロボットをサムが生き返らせて、それで敵をやっつけて、それでめでたし、めでたし。単にそれだけ。しょせん子供向けだな、こりゃ。
映画「トランスフォーマー リベンジ」
http://www.tf-revenge.jp/
映画嫌い (445)
2009年7月11日 映画本日のクソ映画は2007年の米国映画「トランスモーファー 人類最終戦争 (Transmorphers)」である。「トランスモーファー」だなんて、まぎらわしいタイトルだ。そ~いうタイトルでロボット変身もの映画を作っちゃったのは、始めっからパチもの狙いだったんだろうなぁ。これがまた、滅茶苦茶チープなパチものでねぇ・・・。
あまりにもバカバカしいので、ストーリーの詳細は略。宇宙からやってきたロボット生命体が変身しながら戦闘して地球を占領した・・・ってのがストーリーの前提で、ロボットと戦う軍隊ってのを見せているわけだ。本編が80分強の長さで、その前半の40分間、軍とロボットの戦闘シーンなんかありゃしない。それで、何を見せているのかと言うと、軍の基地の中での人々の対立ってものをメインにしちゃっているんだからわけがわからない。どうでもいい人間同士の対立構造をひたすら40分間も見せられてしまうのだ。不快な罵倒やケンカのシーンもあったり、敵が攻撃してきているのにのんびりと飲み会やっているシーンもあったり、緊迫感もリアリティもあったもんじゃない。後半の戦闘シーンでも、軍の隊員同士の会話のシーンが多すぎだ。なるべくロボットを見せるシーンは減らそうな・・・っていう制作方針が見え見えである。セコいなぁ。
肝心のロボットのシーンもすっごくヘタクソなCGで、それをヘタクソに実写と合成しちゃっているから、見た目がメチャクチャにチープ。いかにもオモチャ!ってな模型との合成もあり、これ、アマチュアが作ってるんじゃないのぉ?ってな感じなのだ。いくら低予算でも、これはないだろ。
それで、ほぼ全編が、なぜか手ブレが満載のハンディ・カメラで撮影されちゃっている。なんでそ~いう撮影方法にするのかねぇ? カメラを固定して撮影しない理由って何? 手ブレに何もメリットないだろ。カメラを移動させるレールなんか一切使ってないだろうなぁ。このカメラマン、じっとカメラを構えることができないのは、アル中か脳神経系の障害か何かが原因で、常に手が震えているんじゃないのぉ? 無意味にあまりにも手ブレしちゃっているものだから、前半の軍の基地でのシーンが、まるで、波の荒れている海の上を航行する船の中に基地があるように見えてしまうんだよなぁ。 構図も悪いし、このカメラマン、シロウトじゃないのぉ? それをNGとしない監督って何なんだぁ?
手ブレしている街中の画像にCGで作ったロボットを合成しているシーンもあり、ちゃんとロボットの動きを手ブレにシンクロさせていないものだから、ロボットの動きで空間が歪んでしまっているように見える部分もあるんだよなぁ。CGの光源の設定方向と実写部の光源の向きが違っていたりして、CGの基本中の基本である光源ってのを全く考えられていないのはバカみたいだぞ。やるべき工夫も努力もせず、単にCGをシールのように貼っただけだ。
雨の夜の街中での戦闘シーンでは、雷が鳴っているわけでもなく、敵の攻撃を受けていわけでもないのに、なぜかシーン全体にチカチカとフラッシュが光りまくり。これは非常に目が疲れる。そのフラッシュっていったい何の光のつもりなんだろうか? で、そ~いうフラッシュを見せられちゃ、カラダに悪いんじゃないのぉ? ってことで、この映画は部屋を明るくして、画面から離れて見ような。
映画「トランスモーファー 人類最終戦争」
http://www.theasylum.cc/product.php?id=128
映画嫌い (446)
2009年7月13日 映画本日のクソ映画は2004年の米国映画「ドア・イン・ザ・フロアー (The Door in the Floor)」である。
テッド・コールは有名な絵本作家。妻のマリオン、4歳の娘・ルースの3人で海沿いの大きな屋敷に住んでいる。17歳と15歳の2人の息子を交通事故で亡くして以来、マリオンは魂の抜けたような日々を送り、夫婦関係もギクシャクしてきたので、別居を始めたところだ。街に部屋を借りて、1日おきに交代してテッドの屋敷に寝泊まりするという、ちょっと変わった別居である。
そんな時、テッドは知人の息子である青年・エディを住み込みのアシスタント 兼 運転手として夏の期間だけのアルバイトに雇う事にした。エディは作家志望なので、その期間にテッドから作家としてのノウハウを得ようとしていたのだ。テッドもそれに協力的である。さっそくエディはテッドの家でアシスタントの仕事をしながら、自分の作品をテッドに添削してもらう。ところが、エディはマリオンと肉体関係になってしまい・・・。
何を見せたい映画なのかさっぱりわからなかった。無駄なシーンも多過ぎるし、ストーリーがスカスカ。結局、マリオンは出て行ってしまい、エディも解雇されて去る、それだけの映画なのだ。こんなストーリー、意味ないぢゃん。テッド、マリオン、エディの3人の誰にも人間味とか深みがなく、微妙な心理とかそ~いうものの表現すらない。なんなんだこりゃ?ってなカスな映画なのである。
で、タイトルになっている「ドア・イン・ザ・フロアー」ってのは、テッドの作の絵本「床にあるドア」のタイトルのことで、そのタイトルと内容を見せるシーンはあるものの、この映画のストーリーとは何も関係ない。この映画を途中まで見ていると、もしかしてこの映画って、ラストシーンで、テッドかエディが床にあるドアに入って、それでプッツリと映画が終わっているんぢゃないのぉ?と予想がついてしまったぞ。そしたら、本当にテッドが床にあるドアに入って映画が終わっていたものだから、おもいっきりスベってしまった。私でも思いつくようなそ~いうシーンで終わるなよなぁ・・・。
映画「ドア・イン・ザ・フロアー」
http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/door/
映画嫌い (447)
2009年7月14日 映画本日のクソ映画は2008年の米国映画「ある公爵夫人の生涯 (The Duchess)」である。実話の映画化である。日本での劇場公開は終了している。
1774年のイギリス、ロンドン。スペンサー卿の17歳の娘・ジョージアナは、ロンドンで最も裕福な貴族・デヴォンシャー公爵に嫁いだ。しかし、夫のウィリアムはジョージアナに愛情を持たず、世継ぎの男の子の出産だけをジョージアナに要求する。そして、生まれた2人の娘にウィリアムは無関心の上、浮気を繰り返し、遂にはジョージアナの親友であるベスともウィリアムは関係を持ってしまう。ジョージアナはウィリアムとベスに激怒するが、ジョージアナにはベスを屋敷から追い出す権限がなく、結局は屋敷での3人の同居生活になる。一方では、ジョージアナは若き政治家・チャールズ・グレイと恋仲になり・・・。
ひと昔まえの昼のメロドラマ番組みたいなバカ・ストーリーだ。ジョージアナも、ウィリアムも、ベスも、みんな、ど~しょ~もないバカ。そんなバカな奴らの恋ごとなんか見せられてもしょ~もないぞ。勝手にファックしてりゃいいぢゃん。その上、そ~いうコテコテな貴族の社交界を見せられてもなぁ。
この映画のオチは、映画の中では語られていないんだけど、故・ダイアナ妃はスペンサー卿の子孫で、つまり、ジョージアナは故・ダイアナ妃の先祖であり、一部に似たような人生を・・・って事なのだ。
更にもう1つのオチがあって、この映画を制作をしている英国BBCは、ジョージアナを演じる女優にキーラ・ナイトレィを起用しちゃったって事である。彼女は故・ダイアナ妃の息子であるウィリアム王子との恋仲説もあった人物だ。そのようなアイロニーをやっちゃっている。そんなゴシップ感でしかこの映画は語られないだろう。
ちなみに、政治家のチャールズ・グレイは後に英国の首相となる人物だ。これもオチかな。
キーラ・ナイトレィの主演の時代劇だから、彼女の以前の主演作「プライドと偏見」における彼女の姿を想像していたんだけど、こっちの映画での彼女は、まるで別人のようなオッペケペー状態だ。濱田マリみたいな顔して出て来るなよぉ。あぁ、「プライドと偏見」では美しかったのにぃ・・・。
映画「ある公爵夫人の生涯」
http://www.koushakufujin-movie.jp/
映画嫌い (448)
2009年7月15日 映画本日のクソ映画は2008年のフランス映画「トランスポーター 3 アンリミテッド (Transporter 3)」である。シリーズ3作目だ。私は1作目も2作目も見たはずなんだけど、どんな映画だったのか、すでにそれを記憶した脳細胞が死滅している(宇宙人に記憶を消されたのか?)ようで、全く記憶にないぞ。今回のこれも、記憶からすぐに消えてなくなるだろか?
この映画は日本では来月の15日から劇場公開されるようだ。
プロの運び屋、フランク・マーティンはその腕を買われて、ある人物から仕事の依頼を受けたが、その依頼を断わった。すると、後日、フランクはその依頼人の手下によって拉致されてしまい、鍵付きで爆弾付きのブレスレットを装着されて、強制的に仕事を請負わされることになっちゃった。使用するフランクの車から75フィート(何メートルに相当するか各自で計算してちょ)離れると、ブレスレットの中に充填されている2種類の薬品が混じって爆発するのである。車の助手席には同じ爆弾ブレスレットを付けられている謎の女性が。その女性はヴァレンティーナという名前のウクライナ人だ。車はGPSからの指示によって、まずフランスからドイツへ向かう。始めは不愛想だったヴァレンティナであるが、フランクと次第に愛し合う仲に。やがてフランクはその仕事の裏にある陰謀に気が付き・・・。
ストーリーとしては面白くない。ウクライナに猛毒の産業廃棄物に投棄しようとする裏組織は、ウクライナの担当大臣にその契約を迫り、大臣の娘を人質にした。その娘ってのがヴァレンティーナだったわけである。フランクが依頼された運搬物とは、トランクに入った荷物ではなく、拉致されたヴァレンティナ本人だった・・・という、それだけでしかない。サプライズもなく、坦々とストーリーが進行しちゃっているのがつまらないな。
ヒロインとして登場しているヴァレンティーナが私は生理的にイヤだ。赤毛のオカッパ頭で、顔全体がシミ・ソバカスだらけ。目のメイクがデビューした頃のデーモン小暮閣下。首の後ろには漢字で「安」というタトゥが入っているぞ。めちゃくちゃ気味悪いよぉ。こ~いう女性と愛し合うフランク、お前はマニア系か? 私にはこの手の超オッペケペーは絶対に無理だなぁ。そんなものだから、ヴァレンティーナの気味悪さばかり目についてしまい、私にはストーリーがかなりボケて見えちゃったぞ。ところで、その「安」ってのは「チープ」という意味で書いてあるのかな?
車でジャンプして列車の上に着地するとか、そのようなありえないシーンも多くて、リアリティが全くないのもダメだな。そんな上手くいくかぁ、ボケ!とツッコミを入れる気にもならなかったぞ、ヴァレンティーナがキモチ悪くて。
最もありえないシーンは、フランクの車が湖に沈んでしまうシーンだ。車から離れるとブレスレットが爆発しちゃうから、車から離れられない。そこでフランクがどうしたかと言うと、水中で車外に出て、トランクの中からビニル製のボートを取り出して広げ、それにタイヤの中の空気を抜いて入れるのだ。呼吸ができない状態なので、タイヤの空気を時々吸う。そして、ボートの中に貯まった空気の浮力を利用して、車ごと湖の上に浮いてくるというものなのだ。気が付いたかな? これって物理学的にありえないでしょ。空気はボートの中に貯まろうが、元のタイヤの中にあろうが、その空気の持つ浮力には変化がないのに、空気をボートの中に貯めると浮力が出るってのは物理法則を無視しているぞ。空気にそんな浮力があったとしたら、車が湖に落ちた時点で沈まずに、タイヤを上にしてプカプカと車は浮いているだろ。ったくもぉ、バカらしいったらありゃしない。
それで、ラストは誰にでも想像つく通り、フランクがブレスレットの鍵を手にして、自らブレスレットを外し、そのブレスレットを悪徳な依頼人に付けて、そして爆発、ドッカーン!だ。しょぉ~もねぇなぁ~。
映画「トランスポーター 3 アンリミテッド」
http://tp3.asmik-ace.co.jp/
映画嫌い (449)
2009年7月16日 映画本日のクソ映画は2008年の米国映画「アンボーン (The Unborn)」である。日本未公開らしい。
女子大生のケィシーが主人公だ。最近になって急に、ケィシーは悪夢と幻覚に激しく悩まされるようになった。悪夢と幻覚には必ず幼い男の子が現われ、「ジョンビーは今すぐ生まれたい」とメッセージしてくるのである。実は、ケィシーは双子で、兄は生まれる前に死んでいた・・・という事実を父から知らされる。父はその子にジョンビーという名前を付ける予定だったと言うのだ・・・。
よくある「実は双子だった」という双子オチで終わっちゃうのかと思って見ていると、その後、ストーリーはトンデモない方向へ暴走しちゃっているのだ。ナチスによる戦時中の双子実験の話になったかと思えば、悪霊が双子のカラダに取り憑いてこっちの世界にやってこようとしているという話になり、この映画の後半は、その悪霊を祓おうとする「悪霊祓いの儀式」になっちゃうのである。なんでそ~なるのぉ?ってな、いきなりの「悪霊祓い」に失笑である。悪霊祓いを行なうユダヤ教のラビ(司祭)を演じているのは、あのゲイリー・オールドマンじゃないか。今までに超ヘンテコで個性的な役をいろいろと映画で演じてきた怪優の彼が、今度は悪霊祓いするラビかよぉ。随分と笑わせてくれるぢゃん。それで、双子の件なんか全くの無視になっちゃって、結局は、この映画って「悪霊祓い」のオカルト映画だったんだねぇ。あぁつまらない・・・。
映画「アンボーン」
http://heartattack507.blog84.fc2.com/blog-entry-1526.html
http://curse.jp/horror-movie/20090604222025.html
映画嫌い (450)
2009年7月17日 映画本日のクソ映画は2006年の米国映画「デッド・サイレンス (Dead Silence)」である。邪悪な腹話術人形が人間を襲うという、トホホなありきたりのオカルト映画である。副題を付けるとしたら、「お前も腹話術人形にしてやろうかぁ!」ってなところかな。
ジェイミーとリサの若夫婦の元へ、差出人の書かれていない荷物が届いた。その中身は腹話術の人形だったのだ。ジェイミーが外出している間に、その人形が妻のリサを襲い、そしてリサは惨殺されてしまう。その死体はまるで腹話術人形のような形に加工されていた。ジェイミーは謎の腹話術人形の事を警察に告げるが、警察はジェイミーが殺人犯ではないかと疑うのである。人形の箱の内張りの奥にメアリー・ショウという名前が印刷されているのをジェイミーは見つけ、その人物がこの人形を製作したのではないかと思い、ジェイミーは調査を始める。彼はメアリー・ショウと自分の家系に関する因縁を知り・・・。
無気味な腹話術人形が襲ってくる・・・って、そんなありきたりなオカルトを見せるなよなぁ。結局は、メアリー・ショウはジェイミーの先祖にイジメを受けていて、その復讐という怨念を人形の起動力にしちゃっているという、つまらないストーリーなのだ。途中でジェイミーが調査の為に実家に帰って、父親に面会するシーンがあるんだけど、最後のオチでは、すでに父親もあの時には殺されていて、そのカラダは腹話術人形にされて操られていたってことになっているのだが、それってサプライズとしては弱すぎるのでは?
どぉ~でもいいけど、父親の後妻の役の女性、美人だねぇ。
映画「デッド・サイレンス」
http://www.universalpictures.jp/sp/deadsilence/
映画嫌い (451)
2009年7月18日 映画本日のクソ映画は2008年の米国映画「テラー・トレイン (Train)」である。日本では公開済みのようだ。こんな映画、いつの間に?
アメリカの大学のレスリング部の5人の選手(男3人、女2人)とそのコーチはリトアニアでの海外遠征にやってきた。試合を終えて、彼ら6人はウクライナでの次の試合の為に、寝台列車に乗って移動をする。ところが、列車内で1人、2人、・・・と彼らの中に失踪者が出る。失踪した思われた者は、解剖室のある車両に拉致されて、生きながら解剖されていたのだ。謎の乗客、謎の車掌、奴らの目的は・・・?
列車に解剖室? なんでやねん? ・・・である。
不条理型の血まみれスプラッター映画か?と思って見ていたところ、悪霊とか邪悪な地底人が悪さをやっているというようなオカルト系ストーリーではなく、奴らの目的は拉致した人を無理矢理と移植ドナーにしちうという、そ~いうありきたりのしょ~もないストーリーなのだ。解剖を列車の中でやらなきゃならんという必然性なんかありゃしない。それで、最後に1人だけ生き残った女性が列車に放火して、奴らをやっつけて、それでおしまいなのである。レスリングで海外遠征に行っちゃうほどの強靱な肉体を持っているはずの学生とそのコーチのくせして、みんな弱っちぃのがバカバカしいぞ。
その古めかしいストーリー、それにレトロな撮影手法や画質、編集もあって、この映画って1980年前後に制作された映画?と思って見ていたところ、何とこれ、昨年の映画らしいのだ。21世紀にもなって、こりゃないだろ。
ってことで、こんな映画は見る価値なし。
映画「テラー・トレイン」
http://www.terror-train.jp/
映画嫌い (452)
2009年7月19日 映画本日のクソ映画は2008年の邦画「The Masked Girl 女子高生は改造人間」である。
主人公は星野愛。運動神経も悪くて、ちょっとドジな女子高生(あのなぁ・・・)。運動神経抜群のクラスメイトである片桐由美と間違われて、星野は世界征服を企む悪の秘密組織「ジョーカー」に拉致されてしまい、改造人間にされてしまったのだ。洗脳される前に組織のアジトを脱出した星野は、裏切り者としてジョーカーの戦闘員に追われる。改造人間となり、超人的な身体能力を持った星野は・・・。
オートバイを通学用ママチャリに替えた女子高生版のオトボケ仮面ライダーってな内容だ。オリジナリティなんかあったもんぢゃない。パロディとしての笑いもないし、ストーリーに矛盾もある。その上に醜悪な事に、主人公が全然可愛くない! これは致命的だな。なんでこんな役者をつかうんだろう? その上、みんなの演技が見ちゃいられないほどダイコンなのだ。高校の演劇部以下である。戦闘シーンで、タータンチェックのミニスカの制服で回し蹴りをしても、ミニスカの中はグンジョウ色の単パンだ。最近の女子高生のミニスカの下ってどうなっているのか知らない私なんだけど、今どきの女子高生ってグンジョウ色の単パンを履いているってのがリアルなのぉ?
で、この映画、本編が45分弱しかなくて、その中に無駄なシーンも多いものだから、滅茶苦茶ストーリーが浅くて薄いのである。更にバカバカしいことに、このDVDにはその本編とほぼ同じ長さのメイキング・シーンのオマケがついているのである。そ~いうセコい商売して恥ずかしくないのかねぇ? そのメイキング・シーンに、この映画の監督が恥ずかし気もなく出演してきて、制作の熱意を語っているのである。そんなに熱意を込めて制作した結果がこれかよ? この監督、今までにどんな映画の制作に関わってきたのか私は知らないし、今後も映像の仕事をしていくのかも知らないが、こんなの作って恥ずかしくないのだろうか? 私は人間としてこのような人物は絶対に信用できないなぁ。この監督、メイキング・シーンに出てきて、人生における最大の恥をこれでかいてしまったような気がするのは私だけであるまい。いくら子供の頃に見た仮面ライダーとか、その手の変身ものが好きで忘れられないとしても、女子高生を利用しちゃって、こ~いうどぉ~しょ~もない映画を作るというオトナに成れなかった幼稚な性格の奴には私は吐き気がしてくるんだよなぁ。こ~いう奴がカネを貸してくれと言ってきても、絶対に貸さないほうが良いだろう。監督の実名はここでは述べないので、各自で調べような。なぁ~にが「女子高生は改造人間」なんだか。バッカぢゃねぇのぉ?
映画「The Masked Girl 女子高生は改造人間」
http://neo-action.com/maskedgirl/
ちなみに、これはアダルトものではないが、日本のアダルト・ビデオ業界では、ビデオ倫理協会(通称・ビデ倫)という審査監視団体が作られていて、その団体の自主規則により、タイトルの中に「女子高生」ってのを付けるのが禁止されている。「女子高生」ってのは未成年の「女子高校生」を連想させるからだ。その代わりとして「女子校生」ってのは認められている。どっちを使おうが関係ないぢゃん・・・と思うのは私だけであるまい。
ビデ倫のそのほかの自主規制には、「襟にラインの入ったセーラー服を女優に着せてはならない」といった、なんだかよくわからないものもある。
ちなみに、全てのビデオ制作会社がビデ倫に参加している訳ではないので、ビデ倫の規制に従っていないビデオ作品もある。(念のため)
私の通学していた中学の女子生徒の制服は、当時、「襟にラインの入ったセーラー服」だっなぁ。懐かしぃ。私の通学していた高校は私服の学校だったから、毎日同じ服を着ているわけにもいかず、女子生徒も大変だっただろうになぁ。最近に知ったのであるが、あの中学の制服が何年も前にセーラー服からブレザーに替わっていたらしいのだ。昭和の香りがするあのセーラー服のデザイン、もったいないねぇ。私は自分で着たいとは思わないけど。
映画嫌い (453)
2009年7月21日 映画本日のクソ映画は2002年の英国映画「ワイヤー・イン・ザ・ブラッド (Wire in the Blood)」である。テレビ・シリーズ化され、「米・欧州で放映禁止になったサイコ・ミステリー」なんだそうだが、これまた、ど~しょ~もない内容なんだよなぁ・・・。
大学で心理学を研究しているトニー・ヒル教授が主人公だ。警察の女性捜査官、キャロル・ジョーダンが彼に助言を求めてきた。最近に発生した2件の拷問殺人死体遺棄事件が同一犯によるものか、また、どんな犯人像であるかを心理学によってプロファイリングしてほしいと言うのだ。警察内ではヒル教授からの協力を得る事に賛否の対立がある中、発見された次の被害者は捜査班に所属している警官だった。変態的な拷問を受けた痕跡のある遺体。犯人は性的倒錯者のゲイ男か? 次に犯人が拉致したのはヒル教授だった。ヒル教授は全裸にされて拷問を受け・・・。
数あるプロファイリングもの映画の中で、私が今までに見た最低な映画がこれである。これ、全然、心理学的ではないぢゃないか。プロファイリングに何の説得力もない。その上、途中で容疑者としてスポーツ・ジムの経営者が警察にマークされたり、ヒル教授とキャロルの間に恋のかけひきがあったり、捜査状況をリークしようとする女性記者、犯人をデッチあげようとする暴走刑事、警察内での対立・・・など、無関係な枝葉が多すぎで、メインのストーリーがボケボケなのだ。それで、真犯人は、それまでのストーリーとは何の関係もなく、何の伏線にもなっていない奴(性転換して女性になった変態野郎)なんだもの、バカバカしいぞ。それに、ヒル教授が拉致されて拷問を受けるだなんて、そんなオッサンの全裸とか拷問を受ける変態なシーンなんか見たくないぞ。男顔のままの性転換女のキモチ悪いボンデージ姿なんか見せるなよなぁ。
ってことで、こんな中身のない変態映画なんか見る価値なし。絶対に無視しようぜ。
映画「ワイヤー・イン・ザ・ブラッド」
http://www.geocities.jp/movhorror/story.html
映画嫌い (454)
2009年7月22日 映画本日のクソ映画は2009年のフランス映画「テイクン (Taken)」である。
主人公はロス・アンジェルス在住のブライアン。以前は米国の国家組織で働くエージェントだったが、今は有名歌手の警備の仕事をしている。彼は離婚をして、元妻のレノラは富豪と再婚し、17歳の娘・キムもレノラと一緒に富豪の家で暮らしている。ブライアンは別れて暮らしている娘の事を今でも愛してやまない。
そんな娘が旅先のパリでアルバニア系の人身売買組織に拉致されてしまった。娘は薬漬けにされて売られようとしているのだ。それを知ったブライアンの怒りがメラメラと燃えあがり、娘を救出しに単身でパリに渡る。手がかりを得て、ブライアンは組織のアジトに乗り込み、娘のためなら何でもやるぜ!のオヤジ・パワーが炸裂。次々に組織の奴らを始末する。人身売買オークションに出品させられた娘は・・・。
これ、リュック・ベッソンが関係している映画だよねぇ。いかにも彼らしいストーリー、カメラワーク、演出、編集なんだもの、知らないで見ていても、彼の名前がピンと来たじゃないか。
それで、家族の為に戦うオヤジってのは、20年前ならシュワルツェネガーとかスタローンが演じそうな役で、武道系にしちゃってスティーヴン・セガールに演じさせても違和感のないような内容なんだけど、それをマッチョでも何でもないフツーのオヤジ系の役者に演じさせちゃって、それをどう評価するかだろうなぁ。私は悪くはないと思うが、ちょっと線が細く感じてしまった。娘のためにオヤジがターミネーターと化すってのは、わからんわけじゃないけど、銃で撃ちまくり、殺しまくり、自作の電気イスで悪党を拷問したり、車も平気で盗む・・・という違法行為の繰り返しに、いくらなんでも、あんた、やりすぎでしょぅ・・・と思うのは私だけであるまい。
私が最も気になったのは、ストーリーと何も関係ないシーンなんだけど、始まって5分くらいの部分の、ブライアンのオヤジ仲間3人がブライアンを元気付けようと一人暮らしのブライアンの家にやってきて、深夜にバーベキューをやっているシーンだ。そのオヤジの中のハゲ頭の1人が着ている白いアロハ、私の持っているやつと全く同じガラなのだ。確か、私はそれをロスのショッピング・モールで買ったはずなんだけど、この映画のスタイリストさんも同じ店で買ったのだろうか? どうでもいいことだけど、私って、そ~いうのって気になっちゃう年頃なんだよなぁ。
映画「テイクン」
http://americatvfilmnotes.web.fc2.com/Taken.html
この映画をスティーヴン・セガールに演じさせたとしたら、邦題は「沈黙の人身売買」か? 最近のスティーヴン・セガール映画の邦題は漢字2文字にするのが慣例になっているようだが、適している漢字2文字が浮かばないなぁ。
追記:
この映画は日本では2009年8月22日から「96時間」という邦題で劇場公開される予定があるようだ。「96時間」ってのはセリフの中に出てくるんだけど、人身売買組織に拉致された場合、大抵の場合は96時間で売り飛ばされるという、救出のタイムリミットのことである。だからといって、こんな邦題にするのには無理があるぞ。
映画「96時間」
http://movies.foxjapan.com/96hours/
札幌ラーメン嫌い 「ぴうからーめん」
2009年7月23日 グルメ最近、私が札幌市内で食べてみたラーメンを評価してみた。
味の好みは人それぞれってことで、評価はあくまでも私の個人的な好みで決めている。
毎度、私は書いているけど、また書いておこう。
観光客のみなさん、「ラーメン横丁」や「札幌らーめん共和国」に行くのはやめようね。トンデモないラーメン屋ばかりで、絶対においしいラーメンなんか食べられないから。我々、札幌の地元の人間は絶対に「ラーメン横丁」に食べに行きません。
そんな事を自ら書いておきながら、悪趣味な私は久々に「札幌らーめん共和国」に寄ってみた。どんな新たなトンデモ店がこの場に出店しているのだろう?という悪趣味な好奇心からである。しかし、新たな出店はなく、以前に来た時と同じ8店舗だけだったのだ。夕食時なのに、どの店も閑古鳥状態である。各店舗の前で店員が呼び込みをやっているのが鬱陶しい。その中で、私がまだその味を体験したことのない「ぴうからーめん」に入ってみた。本店は美深町にあるようだ。
毎度のように味噌ラーメンを注文してみた。750円である。この店では「味噌ラーメン」を「味噌らーめん」と言うようだ。何の意味があってなのか、「ラーメン」を「らーめん」とか「ら~めん」書いたり、「らぁめん」と書いたり、「拉麺」と書いたり、そのような事をやっている店が多いよなぁ・・・と思いながら、出されたコップの水を飲んでみると、いつものように「札幌らーめん共和国」の飲料水はひどくまずい。こんなまずい水で麺を茹でて、こんなまずい水でラーメンのスープを作っているのが「札幌らーめん共和国」の各店がまずい原因の1つなんだろうねぇ。まともな水で作ったらおいしくなる店がいくつかあるんだろうなぁ。
それで、出てきた「味噌らーめん」、オーソドックスすぎ。具の内容とその盛り方、スープの味に「昭和の匂い」がするぞ。小学生の時の日曜日の昼、父親に連れられて食べに行った近所の場末のラーメン屋。そ~いうラーメンなのだ。何でもメニューにある場末の観光地の食堂のラーメンってな味もするよなぁ。ソフトクリームをおかずにして食べるラーメン、あれである。昭和のあの頃のラーメン屋って、創意工夫もなく、どの店に行ってもこんな味をしてたよなぁ・・・ってな感じなのだ。これだけラーメンが多様化している今の時代にこれはないだろ。何か今までと違った新たな味、新たな発想のラーメンを求めている私のプログレッシュヴな価値観と完全に逆行している。私はこのような味を求めていないぞ。そのような価値観・イデオロギーの相違があるだけでなく、その古さが中途半端な復刻版的な味なので、私は少しもおいしいとは思えなかった。懐かしさすら感じえず、悪い意味での「レトロ」でしかない。麺とスープの調和とか、食材のおいしさとか、具の歯ざわりのバラエティさとか、そ~いう概念を感じないのだ。私はこ~いう味は嫌いだ。私はこ~いう味は求めていない。これで750円ってのは高過ぎ。
ってことで、評価は100点満点中、15点。失格。
ぴうからーめん
http://www.sapporo-esta.jp/ramen/shop/piuka.html
札幌ラーメン嫌い 「らあめん 新」
2009年7月24日 グルメ最近、私が札幌市内で食べてみたラーメンを評価してみた。
味の好みは人それぞれってことで、評価はあくまでも私の個人的な好みで決めている。
今回のラーメン店は「らあめん 新」である。「新」と書いて「あらた」と読むそうである。余計なお世話である。住所は札幌市中央区南6西7だ。電車通りに面している。以前にはここの場所には焼肉店「トトリ」の姉妹店の「トトリ麺」があったはずだ。しばらくこっち方面に来る機会がなかったのだが、いつの間にか「トトリ麺」は潰れてしまっていたんだ。
店内に入って、写真付きのメニューを見ても、どれもおいしそうには見えなかったけど、毎度のように味噌ラーメンを注文だ。ここの店では「味噌ラーメン」ではなくて「味噌らあめん」のようだ。余計なお世話である。
出てきたラーメン、塩っぱい! 味噌の風味が死んでいる。麺も具もスープも、全然おいしくないぞ。半分まで食べてギブ・アップ。このような店でこそ、「おいしくなかったら返金します」をやってほしいよなぁ。
ってことで、評価は100点満点中、2点。失格。論外。
もう2度とこの店には行かない。ちょっと西に行くと「五丈原」があり、ちょっと南に行くと「さんぱち」があるんだから、そっちで食べたほうがいいぞ。余計なお世話か。
らあめん 新
http://www5.plala.or.jp/raamen-arata/menue.htm
「らあめん 新」のカード
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/arata.jpg
ススキノのはずれのこの近くに、かつて「がじろう」、漢字で書くと「蛾次郎」だったっけ? そ~いう名前のラーメン店があって、それなりの人気があったのに、その店も今はないねぇ。店主引退説、店主死亡説などいろいろとあるのだが、どれが真実なのか私は知らない。
今はない札幌市内のラーメン店で、私がもう一度あの味を食べたいと思うのは、狸小路にあった「火の鳥」の鉄火ラーメンと、南1条の現在は「らーめん 逍遥亭」になっている場所に2年くらい前にあった「番長」の味噌ラーメンだなぁ。あの味は好きだった・・・。
映画嫌い (455)
2009年7月25日 映画
私が某国立大学の工学部の学生だった時、「熱力学」という分野の単位があって、「熱力学 I」、「熱力学 II」というのが必修科目だった。その「熱力学 II」の講議では、原発の原理から、エネルギー効率、核分裂制御などの工学的な内容の他、原発の問題点や社会的影響などについても徹底的に勉強させられたのだ。講議を担当していたK助教授(当時)は、東大卒で某有名企業(H社)に就職して原発の開発をしていたという、日本の原発の先端におけるブレイン的な存在だった人で、私の通っていた大学のT教授に引き抜かれて助教授として就任してきたのだった。そのような原発の開発関係者に言わせると、莫大なエネルギーを高効率で発生する事ができる原発は「超・画期的」な「エネルギー革命」であり、こんな素敵な物はない!ってな、まるで原発を神格化した宗教みたくなっちゃっているのである。そのような信仰における問題点は、放射性物質を扱う上での安全性だ。反原発派の人たちのツッコミどころのほとんどは安全性に関するもので、原発推進派の人たちも安全性のツッコミをされた場合の言い訳を用意しているのである。その、「いかに原発は安全な物なのか?」というのは「熱力学 II」の講議の中でも扱われていて、勿論、「原発は安全だ」という結論しか用意されていないのであるが、私はあの講議を受けて頭がクラクラしてきたものなぁ。どのような理論で「原発は安全だ」と結論されるのかと言うと、人が交通事故で死ぬ確率は●●パーセント(数値は覚えていない)、人が航空機事故で死ぬ確率はそれより低い●●パーセント(これも数値は覚えていない)、これに対して、人が原発の事故で死ぬ確率は更に低い●●パーセント(これも覚えていない)、ほ~ら、桁違いに原発で死ぬ確率が低い。だから「原発は安全だ」と教えられるのだ。そ~いう確率の比較によって「原発は安全だ」と結論するのは詭弁、暴論だろ。正論で安全を宣言できないのである。交通事故で死ぬ確率と比較してどうなる? 人が原発の事故で死ぬ確率の算出方法についても疑問が残るしなぁ。そんな事もあって、私は原発に対して著しい不信感を持っている。クラスメイトのほとんどは、あの宗教に洗脳されちゃったようだが。
ところで、反原発派の人たちが皮肉を込めてツッコミを入れる言葉の1つにこんなものがある。「そんなに安全な物だったら、なんで原発を東京都内に作らんのだ?」とか「安全なら、東京電力の本社の地下に原発を作ってみぃ」ってなやつだ。なかなか良いツッコミである。
前置きが長過ぎたが、その「東京に原発を作る」論を題材にしちゃったのが、本日の映画だ。2002年の邦画「東京原発」である。
東京都の天馬知事(役所光司)は緊急会議を召集した。都庁の会議室に集められたのは副知事(段田安則)と財務局長(岸部一徳)、都市計画局長(菅原大吉)、環境局長(吉田日出子)、産業労働局長(平田満)、そして政策報道室長(田山涼成)ら幹部だった。その会議で知事が発表したのは「東京に原発を誘致する」というものだ。
知事が説明する原発誘致の理由は、
(1) 「原子力施設等立地地域振興特別措置法」によって国が原発誘致地域にばらまく莫大な補助金を得て、更には原発から多額の固定資産税を徴収できる。これによって東京都の財政赤字の改善ができる。
(2) 莫大な経済効果が見込まれ、民間企業の景気も上昇する。
(3) 新潟や福島の原発は冷却水の廃熱を海に捨てているが、東京都は廃熱のエネルギーを都市の冷暖房に有効利用できる。
の3点だ。知事の考えている建設予定地は、都庁の目の前の新宿中央公園である。幹部らは突然の知事の原発誘致の爆弾発言に困惑する。ドイツが原発の完全廃止を宣言し、日本では東海村での臨界事故で2人が死亡したという状況もあり、マスコミや世論が騒いで数万人規模の反対デモが起こるのは必至だ。会議室では原発の是非の熱い論議が行なわれる。
そして、専門家の意見を聞こうという事になり、知事は原子力安全委員会の松岡を呼ぼうとするが、その時、松岡は、密かにフランスから船で運ばれてきたプルトニウムを反対派の監視の裏をかいて東京湾で陸揚げして、トレーラーで福井の原発に運ぶ作業に関わっており、都庁の会議室に来られない。副知事が呼んだ専門科は東大の榎本教授(綾田俊樹)だ。榎本教授は原発の危険を次々に暴露する。
そんな時、プルトニウムを乗せたトレーラーがひとりの少年によって襲撃され、爆弾が仕掛けられてしまった。核ジャックだ。トレーラーは都庁の前で停止した。プルトニウムで首都壊滅の危機が・・・。
後半で突如と核ジャックの話題になっちゃっているのがバカである。核ジャックなんかこの映画に必要ないだろ。
前半の都庁の会議室のシーンは、妙に説明口調のセリフの応対が続き、幹部たちが顔を見合わせたり、おバカな発言があったり・・・と、舞台の上での演劇っぽく見えるのもいただけない。結局は、榎本教授のセリフを借りて、いかに原発というものが危険な物なのかをプロパガンダするショボい映画にしか見えてこないのである。榎本教授が述べる不安感を煽る原発の危険性についても、使い古しの反原発理論でしかなく、チェルノブイリとかチェレンコフ光、プルサーマルなどのキーワードは出てくるものの、どれもツッコミが浅すぎる。何ら新しいものがない。新鮮味に欠けるのである。「日本の原子力に関する情報公開はロシアにも劣る」の言葉にしても、当時のちょっとした流行語にすぎない。そのトボケたキャラで、もっと強硬な主張をさせてみるべきだったろうにぃ。私も反原発派なのであるが、このような中途半端な反原発映画には逆に反感を持ってしまうものなぁ。
で、結局、「知事は原発誘致を都民に告知して反原発の意識を高め、日本から原発をなくす事を東京都から率先しようとしているのだ」と幹部たちが勝手に思い込み、それでプチ感動しちゃうのもダメだな。知事が本当に原発推進派なのか、幹部たちが想像した通りの反原発派なのか明確にしないで終わっているのもダメだ。せっかくこの手の映画を作るのなら、もしも都庁前に原発ができたら・・・という仮想の元で、もっとツッコんだものにしろよなぁ。都民の混乱とか、反対運動とかも見せるべきだろうにぃ。
ってことで、この映画にはガッカリである。
映画「東京原発」
http://www.bsr.jp/genpatsu/
http://www.bsr.jp/genpatsu/main.htm
ところで、反原発派の人たちが皮肉を込めてツッコミを入れる言葉の1つにこんなものがある。「そんなに安全な物だったら、なんで原発を東京都内に作らんのだ?」とか「安全なら、東京電力の本社の地下に原発を作ってみぃ」ってなやつだ。なかなか良いツッコミである。
前置きが長過ぎたが、その「東京に原発を作る」論を題材にしちゃったのが、本日の映画だ。2002年の邦画「東京原発」である。
東京都の天馬知事(役所光司)は緊急会議を召集した。都庁の会議室に集められたのは副知事(段田安則)と財務局長(岸部一徳)、都市計画局長(菅原大吉)、環境局長(吉田日出子)、産業労働局長(平田満)、そして政策報道室長(田山涼成)ら幹部だった。その会議で知事が発表したのは「東京に原発を誘致する」というものだ。
知事が説明する原発誘致の理由は、
(1) 「原子力施設等立地地域振興特別措置法」によって国が原発誘致地域にばらまく莫大な補助金を得て、更には原発から多額の固定資産税を徴収できる。これによって東京都の財政赤字の改善ができる。
(2) 莫大な経済効果が見込まれ、民間企業の景気も上昇する。
(3) 新潟や福島の原発は冷却水の廃熱を海に捨てているが、東京都は廃熱のエネルギーを都市の冷暖房に有効利用できる。
の3点だ。知事の考えている建設予定地は、都庁の目の前の新宿中央公園である。幹部らは突然の知事の原発誘致の爆弾発言に困惑する。ドイツが原発の完全廃止を宣言し、日本では東海村での臨界事故で2人が死亡したという状況もあり、マスコミや世論が騒いで数万人規模の反対デモが起こるのは必至だ。会議室では原発の是非の熱い論議が行なわれる。
そして、専門家の意見を聞こうという事になり、知事は原子力安全委員会の松岡を呼ぼうとするが、その時、松岡は、密かにフランスから船で運ばれてきたプルトニウムを反対派の監視の裏をかいて東京湾で陸揚げして、トレーラーで福井の原発に運ぶ作業に関わっており、都庁の会議室に来られない。副知事が呼んだ専門科は東大の榎本教授(綾田俊樹)だ。榎本教授は原発の危険を次々に暴露する。
そんな時、プルトニウムを乗せたトレーラーがひとりの少年によって襲撃され、爆弾が仕掛けられてしまった。核ジャックだ。トレーラーは都庁の前で停止した。プルトニウムで首都壊滅の危機が・・・。
後半で突如と核ジャックの話題になっちゃっているのがバカである。核ジャックなんかこの映画に必要ないだろ。
前半の都庁の会議室のシーンは、妙に説明口調のセリフの応対が続き、幹部たちが顔を見合わせたり、おバカな発言があったり・・・と、舞台の上での演劇っぽく見えるのもいただけない。結局は、榎本教授のセリフを借りて、いかに原発というものが危険な物なのかをプロパガンダするショボい映画にしか見えてこないのである。榎本教授が述べる不安感を煽る原発の危険性についても、使い古しの反原発理論でしかなく、チェルノブイリとかチェレンコフ光、プルサーマルなどのキーワードは出てくるものの、どれもツッコミが浅すぎる。何ら新しいものがない。新鮮味に欠けるのである。「日本の原子力に関する情報公開はロシアにも劣る」の言葉にしても、当時のちょっとした流行語にすぎない。そのトボケたキャラで、もっと強硬な主張をさせてみるべきだったろうにぃ。私も反原発派なのであるが、このような中途半端な反原発映画には逆に反感を持ってしまうものなぁ。
で、結局、「知事は原発誘致を都民に告知して反原発の意識を高め、日本から原発をなくす事を東京都から率先しようとしているのだ」と幹部たちが勝手に思い込み、それでプチ感動しちゃうのもダメだな。知事が本当に原発推進派なのか、幹部たちが想像した通りの反原発派なのか明確にしないで終わっているのもダメだ。せっかくこの手の映画を作るのなら、もしも都庁前に原発ができたら・・・という仮想の元で、もっとツッコんだものにしろよなぁ。都民の混乱とか、反対運動とかも見せるべきだろうにぃ。
ってことで、この映画にはガッカリである。
映画「東京原発」
http://www.bsr.jp/genpatsu/
http://www.bsr.jp/genpatsu/main.htm
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