映画嫌い (205)
2007年10月7日本日は1999年にTBSが制作した邦画「秘密」だ。東野圭吾の同名小説の映画化である。
夜の雪山を走るスキーバスが、運転手の居眠り運転で、崖の下へ転落する事故を起こす。そのバスには杉田平介の妻・直子と高校生の娘・藻奈美が乗っていた。事故を知った平介は、乗客が運ばれた病院に駆けつける。救急処置室に並んだベッドの上で、直子と藻奈美は意識不明の状態だった。そして、平介が見守る中、直子は死んでしまう。それと同時に、藻奈美の意識が戻ったのだが、藻奈美の体には直子の人格が宿っていたのだった。
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娘の体に妻の人格があるその状況に平介は戸惑いながら、平介はその事実をふたりだけの秘密にして、藻奈美の退院後は世間的には父と娘としての暮らしを始めた。
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高校生の体になった直子は高校に通って若さを満喫する一方、平凡な中年サラリーマンの平介は疎外感に陥る。平介は娘の体をしている直子と性交するわけにもいかないのだ。医大に入学した藻奈美はヨット・サークルに入り、恋の噂もあって、平介は心労を重ねる。そして、次第にふたりの気持ちにスレ違いが起こってしまうのだった。直子が藻奈美としての人生を楽しむ事が彼女にとっての幸せではないか・・・と平介は思うようになる。
そんな時、藻奈美の人格が現れてきた。藻奈美の人格はどこへ行ってしまったのか心配していた平介は、戻ってきた娘に喜ぶが、それは直子の人格が消えていく事を意味する。次第に直子の人格の出現が減ってきたのだ。そして平介と直子は、かつてふたりが初デートをした岬で、永遠の別れをする。
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完全に元の藻奈美に戻った藻奈美は、母のぶんまで精一杯生きていくことを誓うのであった。
え〜っと、これでこの映画は終わりじゃなかった。その後に、取って付けたような7分弱の続きがあったのだ。
それから数年後、ある小さな教会で藻奈美の結婚式が行なわれた。娘を嫁に出す平介は複雑な気持ちだ。
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控室に戻ってきた藻奈美は、平介の顎を触って髭の剃り残しを確かめた。その行為は直子がよくやっていたクセだったのだ。それによって彼女は藻奈美ではなくて直子のままであった事に平介は気がつく。しかし、彼女の幸せを考えて、平介は彼女を娘として送り出すのだった。
おしまい。
面白くない。だから何なんだ?ってな感じだ。ストーリーがナンセンスなんだから、それを映画化してもしょうがないじゃないか。監督は「お受験」の滝田洋二郎、脚色は「SF サムライ・フィクション」の斉藤ひろし、撮影は「お受験」の栢野直樹、・・・と、過去にろくな映画を作っていない面々が集まると、こ〜いうトホホな映画になっちゃうというわけだ。直子の心境を説明できていない最後の7分弱の続きのストーリーなんか付けないほうがよかっただろう。唐突にあの男を藻奈美の婿に持ってくるってのもなんだかなぁ・・・と思うのは私だけであるまい。
東野圭吾の小説の映画化ものとしては、以前に「変身」を取り上げたけれど、この小説もそれと同じような雰囲気なのである。この人の書いた他の小説にもそれは見られるんだけど、「ありえねえ!」ってな状況を創作し、その我田引水的な状況の中で、人間の葛藤とヒューマニズムを描くという、そ〜いった作風って言うか、そ〜いう癖がこの人にはあるんだよなぁ。だから、それをどう評価するかだろう。私としては、こ〜いうバカバカしいのはもういぃよぉ。この人、普段からそのようなネタを考えながら毎日の生活をしているのかなぁ?
それにしても、このような映画でもCGを使っちゃうのが情けないし、そのCGの悲惨なほどの低レベルさにも興醒めだ。特に、冒頭のシーンでの、山道を走るバスはしょうもないCGだ。誰にでもCGだとわかっちゃうだろ。
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CGの専門学校の課題で学生が作ったやつみたいのをプロが使うなよなぁ。まるでプレステ・1で作ったようチャチなそれには失笑である。(この映画が制作されていた1999年には、まだプレステ・2は出ていなかったけれど、プロ用のCG制作ソフトとワークステーションをちゃんと使えば、それなりのCGができたはずだぞ)
邦画「秘密」
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31621/