映画嫌い (274)

2008年5月3日
 
本日の映画は2007年の邦画「夕凪の街 桜の国」である。前半が昭和33年の物語「夕凪の街」、後半が平成19年の物語「桜の国」という2部構成になっている映画である。共に舞台は広島だ。
 
原爆投下から13年目の昭和33年夏の広島市。復興するその街の片隅で26才のOLの平野皆実とその母は暮らしていた。皆実の父と妹は原爆で死亡し、皆実も原爆で心と体に深い傷を持っていたのだった。皆実は生き延びている自分を責め、同じ職場に勤務している打越との間も恋愛に発展しないままだった。そんな時に皆実は体調を崩して病床に。皆実の弟の旭が見舞いに広島にやってきた。旭は戦時中に茨城県水戸の親戚の家に疎開していて、戦後もそのまま水戸で暮らし、親戚の養子になって石川の姓になっていたのだった。そして、打越と旭の前で、皆実は静かに息をひきとる。
 
それから49年後の平成19年夏、28才のOL、石川七波が主人公だ。彼女の父が、平野皆実の弟の石川旭だ。旭と七波、そして七波の弟の3人家族は東京で暮らしていた。
七波は最近の父の不信な行動に気が付く。電話代が数万円にもなっていた。いったいどこに電話をかけているのか? ある日の夜、父は密かに家を抜け出す。それに気が付いた七波は父を尾行する。駅前で七波は偶然にもかつての同級生、利根東子と出会い、一緒に尾行することになった。父は深夜長距離バスに乗って広島へ向かうのだった。七波と東子は同じバスに隠れて乗り込む。父の広島行きの目的とは・・・。
 
 
原爆によって人生を狂わされた人々の悲劇は今さら言うまでもない。あのような悲劇は二度とあってはならない。それは誰でも思うことであろう。平凡な生活の中に深く残っている原爆の傷痕、はかない命、そのような観点では、前半は良くできていると思う。
ところが・・・なのである。後半は、死んだ皆実の弟である旭の秘密の行動を尾行するその娘をストーリーにしているものの、なんでそんなストーリーをわざわざ付加しているのか、さっぱりその理由も目的も理解できないのだ。無理矢理と現在の日本に連動させたかっただけの取って付けたストーリーにしか見えてこないのだ。こりゃ大失敗だな。意味ありげに見せている旭の広島訪問の旅は、結局は、姉の50周忌の墓参りとお世話になった人々への挨拶の旅だったわけで、それは当人にしてみれば重要な事であろうが、旭はそれを家族の目を盗んでナイショにして行なう必然性がないじゃないか。七波の尾行に気付いていながらも、その時に七波に毅然とした態度で説明できないで、事後に説明している旭の姿にも疑問を感じる。そしてそれを桜にこじつける。いったい何を言いたいんだよ?
私には理解できていない悲しみや苦しみが原爆の被害に実際にあわれた人々にあるのだろう。私は原爆がもたらした悲劇は否定しない。しかし、私はこの映画の後半は否定する。桜でごまかすな。原爆の悲劇をエセ・ヒューマニズムな商売に利用するんじゃない!

私の親戚も、広島ではないが、長崎で被爆して亡くなっている。
 
 
映画「夕凪の街 桜の国」
http://www.yunagi-sakura.jp/
  
 

 
後半で石川旭を演じているのは堺正章だ。
石川七波を演じているのが田中麗奈だ。出たな猫娘!と思うのは私だけであるまい。
 

 
 

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