映画嫌い (182)
2007年6月4日本日のクズ映画は2006年の日本のアニメ映画「パプリカ」である。前述のイタリア映画と同じタイトルだが、何の関連もない。こっちの「パプリカ」は筒井康隆の原作をアニメ化したものだ。
精神医療総合研究所の巨漢男・時田医師は「DC ミニ」という精神治療用の器機を開発した。
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「DC ミニ」は他人と夢を共有できる画期的なマシーンだ。ところがそれが盗まれてしまったのだ。「DC ミニ」を悪用すると、他人の夢に強制的に介入し、悪夢を見せて当人の精神を崩壊させる事も可能だ。悪夢を通して覚醒時の意識にも幻覚を見せることができてしまう。テロリストの手にでも渡ったら大変だ。
「DC ミニ」によって意識に介入された研究所の関係者が次々に幻覚によって異常行動をとるようになる。研究所の理事長は「DC ミニ」の開発の中止を命じ、盗まれた「DC ミニ」の回収を指示する。
時田医師は、同僚の千葉敦子と一緒に盗まれた「DC ミニ」を回収しようと調査を始める。
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千葉は「DC ミニ」を使って別人格の女性「パプリカ」となり、夢の中から捜査をするが・・・。
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案の定、夢の中と現実とが区別できなくなるゴチャゴチャしたシーンのテンコ盛り、洪水、垂れ流し状態、マッチポンプだ。そ〜いうのが整理されていないので、見苦しいだけなのだ。オモチャ箱をひっくり返した状態で、収集がついていないのが疲れる。整理・整頓ができない監督の性格が反影されちゃっているのだろうか? このような幼稚なエセ・ファンタジー・アニメには吐き気がする。
この映画の半分は夢の中の出来事だから、夢の中では「何でもあり」であるし、そのような「何でもあり」を表現するのにはアニメのメタモルフォーゼの手法は有効なんだけれど、そのメタモのイマジネーションがとてつもなく貧弱なのである。実写では不可能な、アニメじゃなきゃできない「あっと驚く」シーンを期待して見ていても、ありきたりのイマジナリーな世界しか描写されていないのである。だから、このアニメを見て最も強く感じたのは、「何でアニメである必要があるのぉ?」ってことだ。実写風の背景や、実写モドキな人の動きをわざわざアニメでやるのではなく、夢の中のシーンをもっと整理して、実写でやるべきだったのでは? だから、このアニメはものすごくトンチンカンに見えてしまうのだ。アニメにしたのは、単にアニメ・オタクの気を引く為だけの目的のようにしか思えないぞ。
アニメ・オタクの連中の間では、実際に、このアニメの評価は高いらしい。でもそれは、アニメだという表現手法だから評価しているだけにすぎないであろう。もしもこれが実写版だったら、そのようなアニメ・オタクたちは評価しなかっただろう。そ〜いう、目的と手段をはき違えている幼稚なアニメ・オタクが私は大嫌いなのだ。次の内閣で憲法改正して、「アニメ・オタクには基本的人権なんかねぇぞ」という一文を憲法に入れてほしい。
で、この登場人物、
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何の意味があったのぉ?
時間稼ぎ用の無駄なシーンの為の要員か?
アニメ「パプリカ」
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声優もいただけないなぁ。
私はあまり声優には詳しくないのだけれど、時田の声を聴くとその声は星飛行馬であるし、粉川警部の声はモロにブラック・ジャックだ。理事長の声は江守徹で、小山内の声は山寺宏一だな。聴いたらすぐにわかっちゃうぞ。
その上、原作者の筒井康隆まで声で出演している。この人、自分の作品が映画化されると、何らかの形で出演しなきゃ気がすまないんだろうか?
ちなみに、この映画の音楽担当は平沢進である。1970年代にはプログレ・バンド「マンドレイク」をやっていて、1980年代には大変身してテクノ・バンド「P-Model」をやっていた人だ。その後、ソロ活動をして、このように映像系の音楽も担当したりしているんだけれど、この人も目的と手段をはき違えているように思えてしまうのだ。音楽表現手段の面白さを追求しても、結果として聞こえてくる音楽がさっぱり面白くないんだもの。この人のソロ・ライブを見たことがあるんだが、私は途中で退席したもなぁ。このアニメでの音楽も全くのデキソコナイの域なのだ。聴いていてつらいよぉ。