映画嫌い (160)
2007年3月12日本日のデス映画は2006年の米国映画「幸せのちから (The Pursuit of Happyness)」である。これも既に日本でも劇場公開済みだ。
1981年のサンフランシスコ。主人公のクリス・ガードナーは医療装置のセールスマンだ。病院をまわって医師たちに医療用スキャナーを薦めているが、なかなか営業成績が上がらない。彼には妻と5歳の息子がいて、息子のクリストファーを保育所に預けて、妻のリンダは共働きをしている。彼の収入が少ない為に、イラついた妻は何かと小言を言い、遂には妻は家を出て行ってしまった。
クリスは高収入の証券マンを目指して、証券会社に転職しようと考えた。そして、証券会社「ディーン・ウィッター」の面接試験にパスし、同社の研修に参加する。半年間の研修中は無給だ。彼は医療用スキャナーのセールを続け、息子を育てながら、研修に参加する。20人の研修員の中のひとりだけが合格して正社員になれるという狭き門だ。顧客獲得実習でクリスは大忙し。
そんな時に、税金未納の為に銀行預金が全て差し押さえられて、彼は一文無しになってしまう。その上に、家賃未納で住んでいる所も追い出されてしまうのだった。クリスは息子を連れてあちこちの病院をまわり、医療用スキャナーのセールスを行なうが、さっぱり売れず、収入も途絶えてしまう。寝る所もなくなった親子はホームレス状態となり、不幸のどん底に。そして・・・。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/pursuit.jpg
後に証券会社「ガードナー・リッチ」を設立して大成功を手にすることになるクリス・ガードナーの、「ディーン・ウィッター」社に入社するまでの苦難の時代の実話を映画化したものだ。
かなり地味な映画である。感動の映画と言われているが、それは違うだろ。不幸な子供の姿を見せて、それがイコールで感動なんかではない。米国でも日本でも韓国なんかでも、その両者の区別がついていないことが往々にしてある。他人の不幸で感動するってのは随分と悪趣味じゃないか。そんなのに子供をダシに利用するんじゃない!
その不幸から這い上がろうと努力する姿に感動するか、あるいは、成功して幸福になった姿に感動をする場合もあるだろうが、この映画では、ディーン・ウィッター社に入社する為のクリスの努力に関しての描写がとても貧弱であるし、入社できた事に対しての本人の喜びに関しての描写もかなり貧弱である。つまり、感動というものがさっぱり伝わってこない映画なのだ。
このように映画になっちゃっているってことで、その不幸のどん底の果てには幸せな人生が待っているって誰でも想像ついてしまうだろう。だから、その不幸も人生においての一時的な問題でしかないという、軽いものに見えてしまう。つまり、このような不幸の後のサクセス・ストーリーは映画化するには向いていないのだ。先が見えるプチ・アメリカン・ドリームって、見ている側はかなりシラケるぞ。デスな映画の香ばしささえない。高収入になることがイコールで幸福だという考えにも私は賛同しない。
ってことで、私はこの映画にはおもいっきり「No!」である。
それにしても、「幸せのちから」とは、これまた怪しげな邦題に改変されちまっているなぁ。このストーリーにそんな邦題は全くマッチしてない。原題は「幸せの探求」ってな意味で、それをわざわざ「幸せのちから」に改題しなきゃならない合理的な理由って何もないじゃないか。こ〜いうバカな邦題を付けた奴はその仕事に向いていないから、すぐに解雇したほうが良いだろう。自分の能力に適した仕事に転職するのが本人の為でもある。
で、原題の中にある「Happyness」は、英語では正しくは「Happiness」と書くんだけれど、ワザと「Happyness」にしている。英語を勉強している人は間違えないように。なぜに「Happyness」なのかは映画を見ればわかるけど、どうでもいいような理由なのでここでは説明しない。
ちなみに、クリス・ガードナーを演じているウィル・スミスと、その息子のクリストファーを演じている子供は実の親子らしい。頑張れ、世襲俳優!
映画「幸せのちから」
http://www.sonypictures.jp/movies/thepursuitofhappyness/
http://www.imdb.com/title/tt0454921/
「The Pursuit of Happiness」ってのはトーマス・ジェファーソンによる1776年の米国の独立宣言の中に出てくるフレーズである。ちょっと学のあるアメリカ人なら知っている有名な言葉である。念のため。