映画嫌い (181)
2007年6月3日本日のクソ映画は1989年のイタリア映画「パプリカ (Paprika)」である。日本では未公開の映画だ。
パプリカは売春の館で働き始めた。
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同僚の売春婦たち、館のオーナー、客との、どうでもいいようなクソ・ストーリーが・・・。
前述の邦画「さくらん」で思い出したのがこの映画なのである。江戸時代の遊廓という舞台を、現代のイタリアの売春宿にすり替えたような映画なのだ。ろくストーリーなんかありゃしないのも同じ。わけがわからない映画なのだ。主人公に全く魅力がないのも同じだ。1989年の映画なのに、まるで1960年代のような映像で、その当時のエロ・グロ、デカダンスな風潮を模倣したかのような雰囲気がプンプンしてくる。1960年代から70年代には、この手のわけのわからない退廃した映画ってよくあったよねぇ、イタリアにも日本にも。ろくなストーリーがなくて、意味もなくおねえちゃんの裸体が出てくるサイケなアレだよ。
前述の「さくらん」では主人公は乳首すら見せていない(あの女優のは見たくねぇよ)のに、こっちの主人公はやたらと脱いでスッポンポンになる。乳房がタレぎみでデカい。意味なく、ほかの女性の裸体もやたらと出てくる。ポルノ映画なみだ。みんな、乳房がタレぎみで、お尻がデカい裸体なのだ。これって監督の趣味なんだろうかねぇ? キレイな裸体とは言えないよなぁ。全くエロスを感じなくて、デカダンスを感じてしまうなぁ。
で、私が見たのは無修正版で、日本では見られない、あんなものやこんなものまでもボカシもモザイクもなくノーカットの丸見えなんだけれど、美しくないなぁ。汚いなぁ。そ〜いうのって見たくないよなぁ。便所臭いんだよなぁ。せっかく脱ぐのなら、キレイなのを見せてよぉ、お願いだから。
映画「パプリカ」
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tymv/id161142/
映画嫌い (180)
2007年6月2日本日のクソ映画は2007年の邦画「さくらん」である。
舞台は江戸時代。売春宿の遊廓「玉菊屋」に売られてきた少女は「きよは」の名前でナンバー1の女郎になるが・・・。
くだらない。まさに「クソ」映画である。売春宿での女郎同士の確執とか、客とのあれこれを見せているんだけれど、その中にはロクなストーリーがない。これ、何の意味がある映画なんだぁ?
まず、主人公の「きよは」(後半では「ひぐらし」に改名)に魅力が全然ない。それどころか、逆に気味が悪いのだ。あの顔であの声なんだもの、下品で見ていると不快になるだけだ。演技もめちゃくちゃ下手で、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。とんでもないキャスティングのミスだぞ。別のそれなりの女優に主人公をやらせるべきだったろうに。
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その他の出演者も見事なまでにキャスティング・ミスで、そんなものだから、この映画がスカスカに見えてくるのだ。その上に、音楽が全くのミス・マッチ。こんな音楽を使うなんて、これ、プロの仕事じゃないな。シロウトの自己満足の域を出ていないのである。
ロクなストーリーもないスカスカ映画だから、この映画に何度も何度も出てくる「赤」色だけが妙に印象に残る。勿論、良い印象としてではなく、悪い印象としてである。何度も何度もすっごく悪趣味な「赤」色の物が出てくるから、鬱陶しいのなんの。まるで色キチガイ風なのだ。疲れるよ、ったくもぉ。
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監督は「赤」をこの映画のイメージ・カラーにでもしたかったんだろう。随分と幼稚な監督だな。色でしか映画を印象づけられない未熟さが丸出しだ。
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意味のないシーンでの時間稼ぎもイヤというほど多い。っていうか、この映画全体が意味のない時間稼ぎでしかない。結末も、そのラストリーンも容易に想像がついてしまい、本当にその通りで終わってしまった。情けない映画だなぁ。で、結局、この映画、何を言いたかったの? 何を見せたかったの?
ちなみに、この映画にも、その時代を無視したオーパーツなものがいくつも出てくる。風習も衣装もメイクも時代を無視しているし、言葉遣いも当時にはそんなのがあるわけがない言い回しをしていたりで、時代考証が全くなっておらん。何も勉強せずにこの映画を作ったな。バカ丸出しだ。あまりにも幼稚すぎる。不勉強であることを恥だと思わない人が映画をつくちゃうと、こんな恥ずかしい映画になっちゃうんだという格好のサンプルである。ウソくさくて、リアルさが全くないぞ。
この映画の監督の名前は蜷川実花、脚本家はタナダユキだ。みんな、このバカたちの名前をよ〜く覚えておくように。こいつらの関わった映画は今後も見る価値がないだろうから。
加えて言うと、シーンの構図も酷く悪いし、カメラワークも悪いし、ライティングも悪い。良いところが何ひとつ見つからない。あのクソ映画「デビルマン」なみの稚拙さなのだ。まるで中学生の映画研究会が制作したシロウト映画なんだよなぁ、これ。バカらしいったらありゃしない。
ってことで、こんなクソ映画は見る価値、全くナシだ。 恥を知れ!
邦画「さくらん」
http://www.sakuran-themovie.com/
で、「さくらん」ってタイトルは、監督の頭の中が「錯乱」してたってことかね?
映画嫌い (179)
2007年5月19日本日のデス映画は2007年の米国映画「ホリデイ (The Holiday)」である。
恋に破れたふたりの女性。一方は英国のロンドンの郊外に住むアイリス。もう一方は米国のロスに住んでいるアマンダ。この傷心のふたりが2週間の休暇中だけ互いの家を交換することになった。
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しょ〜もない映画だなぁ。どちらの女性にも全く魅力ってものがない上に、その住居交換生活はロクなストーリーもないまま終わってしまう。なんだったのぉ、これ〜ぇ?なのだ。とてつもなく退屈だ。退屈すぎて暇つぶしにもならない映画だ。
英国にやってきたアマンダはアイリスの兄と早々とファックしちゃうんだもの、アホらしいったらありゃしない。そんな腐った肉体系恋愛ごっこの男女の姿を見せられるのは不快なだけだ。その後もその男女の意味もない会話を長々と見せられちゃって、いや〜な気分でいっぱいになる。こ〜いう時に殺意ってのが芽生えるよなぁ。
ロスに来たアイリスのほうは、近所の老人と交流したりのまったりとして生活がメインで、非常に眠気がしてくる。マイルズ(アマンダの仕事仲間の男で、映画音楽の仕事をしている)との恋愛ごっこにも生アクビが出てきた。このようなストーリーにいったい何の意味があるんだろうねぇ?
ところで、気になったのだが、以前は映画の中のシーンで使われるパソコンって、ほとんどがアップル(Apple Computer)のマック(Macintosh)だったわけ。パワーブック(PowerBook)シリーズや、iMacシリーズや、アップルの大型の液晶ディスプレイなんかが映画の中で使われているシーンを何度も見かけた。パソコンのディスプレイに表示されているのはマックのOSのそれではなくて、架空のGUIである事もあったけれど、マックが映画の中のパソコンをほぼ独占してきたようなものだった。
ところが、最近は映画の中でソニーのパソコンを見かけることが多くなってきた。
この映画の中でも、アイリスが使っているノートパソコンがソニーのVAIOだもの。
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その他にもソニー製品が映画の中に登場している。
例えば、アイリスの自宅にあるステレオがソニーだ。
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マイルズの自宅にある2台の液晶ディスプレイがどちらもソニーだ。
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そうだよなぁ、この映画って「コロンビア(Columbia Pictures)」が配給している映画だものなぁ。現在、コロンビアはソニー系の「ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント(Sony Pictures Entertainment)」社が権利を所有している、ソニーの傘下の映画会社だものなぁ。
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おぉっと、アマンダの自宅の電話はパナソニックだな。
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ソニーって家庭用電話は作ってなかったか。
でも、携帯電話がソニー・エリクソンではないのは・・・?
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映画「ホリデイ」
http://www.holiday-movie.jp/top.html
ロスでアイリスとマイルズがDVDショップに行くシーンがあって、マイルズは「炎のランナー (Chariots of Fire)」のDVDのパッケージを手に取って、そのテーマ曲を口ずさみ、こんな事を言う。
「ヴァンゲリスの音楽だよ。彼は電子音楽を取り入れた草分け的な存在なんだ。」
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いや、ちがう。確かに「炎のランナー」の音楽はヴァンゲリス(Vangelis)だが、ヴァンゲリスを「電子音楽の草分け」と言うのは誤りだ。ヴァンゲリスが電子音楽をやり始めたのは1972年頃で、電子音楽としては後発にあたるのだ。
では、電子音楽の歴史を簡単に振り返ってみよう。1960年代の初頭から現代音楽・前衛音楽の分野では電子発振器として既にシンセサイザーは使われていた。1960年代の半ばにロバート・モーグ博士(Dr. Robert A. Moog)が鍵盤付きのモーグ・シンセサイザー(Moog Synthesizer)を開発した後にそれが現代音楽以外のジャンルで徐々に使われるようになり、1969年にウォルター・カルロス(Walter Carlos、後に女性に性転換してウェンディ・カルロス Wendy Carlos に改名)が「スィッチト・オン・バッハ (Switched on Bach)」を発表し、それが一世風靡している。映画音楽としては、ウォルター・カルロスは1971年に映画「時計じかけのオレンジ (Clockwork Orange)」の音楽も担当している。「電子音楽の草分け」とは彼(彼女)のような人物を言うのだ。
また、1969年にはドイツで電子音楽グループの「タンジェリン・ドリーム (Tangerine Dream)」が結成されて、「エレクトリック・メディテーション (Electric Meditation)」という電子音楽作品を出しているし、同じ頃のドイツにはその他にもクラスター(Kluster, Cluster)、ポポル・ヴー(Popol Vuh)などの電子音楽グループが誕生している。
同じく1969年にはビートルズ(The Beatles)がLP「アビー・ロード(Abbey Road)」の中の数曲でシンセサイザーを使用し、ジョージ・ハリスン(George Harrison)は電子音楽のソロ・アルバムをも発表してる。続いて、1970年にキース・エマーソン(Keith Emerson)がグレッグ・レイク(Greg Lake)と結成したバンド「エマーソン・レイク&パーマ (Emerson, Lake and Palmer)」でシンセサイザーが本格的に導入されて、それで一気にシンセサイザーが認知されるようになった。
その1960年代末から70年代初頭の時期、ヴァンゲリスはまだシンセサイザーを使用していない。その時期、ヴァンゲリスはフランスで「アフロディテス・チャイルド (Aphrodite’s Child)」というレトロなポップスを演奏するバンドを結成して、「雨と涙 (Rain and Tears)」というヒット曲を出してるのだ。ピアノとハモンド・オルガンを使った古めかしい音楽で、全然、電子音楽なんかじゃないんだもの。
ヴァンゲリスが「電子音楽の草分」だなんてウソを、映画音楽のプロの役の人物が言うなよなぁ! 自宅にミニ・ムーグ(Mini-Moog)すら置いていない映画音楽の奴ってウソくさいよなぁ。
ヴァンゲリスが在籍していたバンド「アフロディテス・チャイルド」の1970年の音を聴いてみたいかたは、こちらから勝手にダウンロードをどうぞ。
http://www.megaupload.com/?d=FSDSFR3X
ちなみに、ヴァンゲリスの動画はこちらで見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=zoEkyBX7qsg
http://www.youtube.com/watch?v=Y0D3x4WkxuM
http://www.youtube.com/watch?v=u_jsMPiTaqE
映画嫌い (178)
2007年5月17日本日のデス映画は2006年の欧州映画「パフューム ある人殺しの物語 (Perfume: The Story of a Murderer)」である。ベストセラー小説の映画化だ。
舞台は18世紀半ばのパリ。主人公は孤児のジャン・バティスト・グルヌイユ。彼は生まれながらに犬なみの超人的な嗅覚を持っていた。13才まで醜悪な環境の孤児院で暮らし、その後に奴隷として売られ、過酷な肉体労働をさせられていたのだった。
ある時、重荷の配達の作業で親方に連れられて街へ出たグルヌイユは、街の中にあふれる様々な香り魅了される。その場を通行した果物売りの女性の香りに惹かれ、グルヌイユはその女性を尾行する。悲鳴をあげそうになった女性の口を手でふさいだところ、その女性は死んでしまった。グルヌイユは彼女を全裸にして、全身の匂いを嗅ぎまくる。ニオイ・フェチの変態男だ。
ある時、グルヌイユは配達の用事で香水店を訪問した。その香水店の経営者・バルディーニはかつて香水の調合師として大ヒット商品を出して富を得ていたが、その後はヒット商品もなく、客が来ない店はさびれていた。
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グルヌイユはその超人的な嗅覚で、バルディーニがその時に研究していた製品の成分を言い当てる。驚くバルディーニ。その上、グルヌイユは自己流の調合でそれと全く同じ香りの香水をその場で作ってみせた。驚愕するバルディーニ。
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それが縁で、バルディーニはグルヌイユを弟子として迎え、グルヌイユは本格的に香水の調合法、花からの原液の抽出法などを学ぶ。グルヌイユの調合により新たなヒット商品が生まれ、店も繁盛するのだった。
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そして、グルヌイユは究極の香水を求めて旅に出た。旅先の街の香水製造工場で下働きをしながら、彼が密かに研究して製造した香水とは、女体を原料としてそのカラダから原液を抽出するものだったのだ。グルヌイユは原料を求めて次々に女性を殺していく。次々に見つかる女性の全裸死体。連続殺人に街は騒然となる。
グルヌイユが狙っていたのは、街の有力者の娘・ローラだ。危険を察知したローラの父親はローラと一緒に避難して街を出るが、
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犬なみの嗅覚でグルヌイユはローラを追う。
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そして、グルヌイユはローラを襲い、原液を抽出するのだったが、その後に彼は警察に捕らえられる。グルヌイユは公開処刑されることになった。
公開処刑の日、街の住人たちは憎き連続殺人犯の処刑を見るために処刑場に集まっていた。そこへ連行されたグルヌイユは、隠し持っていた香水を自分の体に塗る。その匂いに群集は魅了される。その匂いを嗅いた処刑執行人は「この人は無実だ」と言い、教会の司祭は「天使だ」と言う。群集はひざまずき、熱狂的にグルヌイユを支持する。グルヌイユはカリスマになった。スーパースターだ。
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そして、その匂いでトリップした住人たちは、次々に服を脱ぎ捨て、男女入り乱れてまわりの人と愛し合い、その場は大乱交会場と化す。
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ローラの父は「俺は騙されないぞ」と剣を持ってグルヌイユの前に立ちはだかるのだが、結局は匂いに負けてひざまずく。
皆がトリップして乱交しちゃっているスキにグルヌイユは逃亡し、彼はパリに帰るのだった・・・。
おぃおぃ、女体から抽出した究極の香水って麻薬だったんかい?
なんで臭覚異常過敏特異体質のグルヌイユ自身はその匂いでトリップしないんだ? 通常の臭覚の群集でさえあのようになるんだから、グルヌイユの臭覚だったらその匂いで彼はショック死するんじゃないのかぁ?
それに、なんでグルヌイユの前に立ちはだかったローラの父は、服を脱いでグルヌイユとファックしないんだ?(あまり見たくないシーンだが)
それにさぁ、なんでグルヌイユは警察に捕まるんだぁ? なんで警察が近付いて来ていることを匂いで察知できなかったんだぁ? 匂いで人や物体の動きをも関知できるグルヌイユなのに、なんか矛盾しているんだよなあ。
最も気になるのは、臭覚が凄い体質と、凄い香水を作れるってのは別のハナシじゃねえのぉ? ってことだ。
たとえば、凄い味覚を持った人がいたとしても、その人が必ずしも名料理人になれるわけじゃないし、凄い音感を持った人が凄い作曲家になれるわけでもない。大活躍したプロ野球の名選手が必ずしも名監督になれるわけでもないでしょ。だから、素直にこのストーリーを認められないんだよなぁ。
で、パリに戻ってからのグルヌイユのシーンが、まるでオマケのように最後に付いているんだけれど、それが実にくだらない。そんなラストにするなよなぁ。それで終わりかよ?って思ってしまうのは私だけであるまい。
それにさぁ、毎度毎度の素朴な疑問なんだけれど、なんで18世紀のフランス人たちが全て英語で会話しちゃっているのだろうか?
映画「パフューム」
http://perfume.gyao.jp/
http://www.imdb.com/title/tt0396171/
舞台となっているのは1760年代の半ばだろうから、フランス革命よりやや前の、マリー・アントワネットのあの時代だ。ってことで見ていると、この映画の中にも、その時代にはありえないオーパーツなものがいくつか出てくる事に気がつく。
この映画を見た人はいくつ気がついたかな?
映画嫌い (177)
2007年5月15日本日のデス映画は2007年の米国映画「スパイダーマン 3 (Spider-Man 3)」である。
大雑把な映画を作りやがるなぁ、ったくもぉ〜。
今回のピーター(スパイダーマン)の敵は、
(1) 隕石に乗って宇宙からやってきた謎の黒い粘性液状生命体。
(2) ピーターの叔父を殺した真犯人の男。
(3) 父親の仇としてピーターへの復讐に燃える元親友・ハリー。
(4) ピーターへの復讐に燃えるもうひとりの男・エディ。
なんだけれど、その4つを詰め込みすぎちゃって、すっごく散漫なのだ。
(1)の生命体がピーターに寄生して、ピーターが邪悪な心を持ったり、(2)の男が刑務所から脱獄して逃亡中に素粒子物理実験施設に侵入してしまい、素粒子実験に巻き込まれて砂の怪物になっちゃったり、その後に(1)が(4)に寄生してパワーアップして、その上で(2)と手を結んでスパイダーマンと戦ったり・・・と、ハチャメチャになっている。更にはピーターと彼女・MJとのスレ違いなんかも出てくるわけで、こんな散漫すぎる映画ってめったにありゃしない。
特に、(1)に寄生されたピーターの表現が貧弱で腰砕けものだ。単に色が黒いスパイダーマンになるだけじゃんか。あっさりと寄生状態から元に戻っちゃうのも、果てしなくマヌケである。
それで、(1)+(4)と(2)によってスパイダーマンが抹殺されそうになったところで、出てくるなぁ・・・と思っていたら、案の定、(3)がスパイダーマンを助けにやってきた。こんな、誰にでも思いつくことをやるなよなぁ。最後には(2)が善人ってことになっちゃうし、バカバカしいったらありゃしない。
それにさぁ、相変わらず、ピーターには人間としてもヒーローとしても魅力がないし、それ以上に、MJに魅力が全然ないじゃないか。
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こんな女性をなんでヒロインにしちゃうんだろうか? 「スター・ウォーズ」のレイヤ姫と並んで、映画界では最も魅力のないヒロインだ。 ピーターよ、こんな娘に惚れるなよなぁ、お前、マニア系かぁ?
ピーターのアパートの大家の娘・ウルスラのほうが可愛いじゃんか。
ったくもぉ〜、こ〜いう映画を作るなよなぁ・・・。
映画「スパイダーマン 3」
http://www.sonypictures.jp/movies/spider-man3/index.html
そっくりさん嫌い (84)
2007年5月14日久々にそっくりさんシリーズである。
1910・フルーツガム・カンパニーというバンドの「バブルガム・ワールド」って曲が「サザエさん」のエンディング曲にそっくり!
・・・であることを私は数年前にここで指摘したことがある。その後にフジテレビの某・人気テレビ番組でもその曲のことがネタになって、その直後には「バブルガム・ワールド」の曲名で検索してここへのアクセスしてきた人が非常に多かったわけだが、実は「サザエさん」のエンディング曲にそっくりな曲がもう1曲あるのだ。
イタリアのパンク系のロック・バンド「デシペル (Decibel)」の1978年の曲で、タイトルは「Col Dito... Col Dito」である。
このページ
http://www.clubpeterpan.it/images/discografia/Promo.htm
の一番上に掲載されているCDの7曲目がそれだ。
では、実際に聴いてみよう。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/coldito.mp3
ちなみに、メキシコに同名の「デシベル」ってバンドがあるけれど(RIO系のプログレ・バンドだ)、それとは無関係のバンドである。
追記:
ここでも聴くことができる。
http://www.youtube.com/watch?v=YzZzopW-INw
Gコード嫌い (7)
2007年5月12日Gコードの最小の数を見つけるこのコーナー、最終回なのだ。
なぜに最終回なのかって?
だって、最小数「1」を見つけてしまっちゃったんだもの。今月の1日の20時からの某局の番組が「1」だった。
Gコード「0」ってのが存在しうるのかどうか知らないけれど、これにてGコード最小値探査委員会は解散。
映画嫌い (176)
2007年5月2日本日のデス映画は2006年の米国映画「主人公は僕だった (Stranger Than Fiction)」である。来週の週末から日本でも劇場公開されるようだ。
今後、この映画を見ようと思っている方は、以下を読まないように。
主人公は独身の税務署員のハロルド・クリック。ハロルドは毎日、同じ時刻に起床し、同じ回数の歯ミガキのブラッシングをして、同じ歩数でバス停まで歩き、いつもと同じ時刻のバスに乗って職場へ通う。そんな彼の規則正しい日常を解説するナレーションの声が映画の中で続く。
ある日、ハロルドは税金を滞納しているパスカルさんのパン屋を訪問する。
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パスカルさんに未納分の納税を求めるが、彼女は支払いを拒否する。なぜかハロルドはそんな彼女に恋をしてしまうのだった。次第にふたりはラブラブな関係になる。ハロルドのそんな行動を解説するナレーションの声が更に映画の中で続く。
ところが、そのナレーションの声がハロルドには聞こえはじめたのだった。まるで誰かが自分の行動を監視してそれを解説しているような・・・。
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今までに聞いた事もない女性の声だ。その声はハロルド本人にしか聞こえず、まわりの人には聞こえないのだった。
そのナレーションの中に、こんな言葉があった。
「彼のこの無意味に見える行動が、彼を死という運命へ導いていることを、彼自身は知るよしもありませんでした。」
ハロルドは自分がもうすぐ死ぬ運命にあるのではないかと心配になり、彼は精神カウンセラーに相談すると、精神障害の疑いがあると言われ、大学のヒルバート教授を紹介される。ヒルバート教授によるカウンセリングが始まる。クセのあるヒルバート教授を演じているのがお馴染みのダスティン・ホフマンである。
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一方、カレン・アイフルという名前の女流作家がいた。新しい小説の出筆中だ。なかなか彼女の出筆作業が進まないので、シビレを切らした出版社は彼女の元に助手を派遣してきたところだった。カレンはその新作小説の中で最後に主人公が死んでしまってそれで終わりにしようと考えているのだが、主人公にどのような死に方をさせたら良いのか悩んでいた。飛び下り自殺が良いのか、交通事故死が良いのか・・・。
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大学のヒルバート教授の部屋を訪問したハロルドは、その部屋のテレビに映し出されているカレンの姿を偶然と見かけ、ナレーションの声がカレンの声と同じである事にハロルドは驚く。ヒルバート教授によると、そのテレビの映像は何年も前のテレビ番組をビデオに録画したもので、最近は彼女は小説を出しておらず、今どこで何をしているのか知る人もいないらしい。ハロルドはカレンと会ってみようと思い、現在の彼女の居場所を探し出し、訪問してみると・・・。
カレンはハロルドの姿を見て愕然とする。自分が小説の中で描写していた主人公そのものの姿・格好だったのだ。カレンが小説の続きをタイプライターで打ち込むと、その内容と同じことがハロルドの身に起こる。ハロルドはこれまでカレンが書いてきたその小説のコピーを受取り、その小説の主人公が自分自身であることを知る。なぜに小説の中と現実がリンクしちゃっているのか、カレンにもハロルドにもわけがわからない。このまま、カレンが小説の中で主人公が死んでしまう続きを書くと、ハロルドも死んでしまうのか・・・?
この映画、つまらないなぁ。映画のナレーションの声が主人公に聞こえてくるってなアイディア、それだけで押し切った映画に見えてしまうから、とてつもなく面白くない。米国の短編ミステリー・シリーズの「世にも不思議なアメージング・ストリー」シリーズ、「トワイライト・ゾーン」シリーズ、「フロム・ザ・ダーク・サイド」シリーズの中にでも出てきそうな物語である。日本のテレビ番組で言えば「世にも不思議な物語」だな。
映画の途中までの見せ方は、ハロルドの件が「劇中劇」のようになっていて、それがカレンの書いている小説の中の出来事のような感じに見せている。ところが、カレンとハロルドが面会することによって、ハロルドの件が「劇中劇」ではなくて、ハロルドもカレンも同じ次元の世界にいるという、一種のサプライズになっているのだ。驚くカレンの姿は、いい演技しとるなぁ・・・ってな感じに見えるけれど、見ているこっちとしては全然サプライズしないんだもの。単に「なんでやねん」である。
で、結局、ハロルドは死んでしまうのか?ってなことになってしまい、それを回避させる方法ってのは、誰でも想像する通り、カレンが小説の中で主人公を死なせなきゃいいぢゃん、それだけである。まさか、単にそれだけかよ?ってな感じで映画の続き見ていたら、本当に単にそれだけだったのだ、アホらしい。あまりにもくだらなくて、下痢しているんじゃないんだけれど再度の便意をもよおしてきた。
原題は「フィクションより不思議な」ってな意味だけれど、なんでその不思議なことが起こっているのかは、一切、説明も解明もされていない。邦題を「主人公は僕だった」だなんてのにすり替えるのはいかがなものか?
映画「主人公は僕だった」
http://www.sonypictures.jp/movies/strangerthanfiction/index.html
バックの音楽に、一瞬、ヴァンゲリス(Vangelis)の曲が使われていた・・・と気付いたのは私だけであるまい。主人公にはバックの音楽は聞こえてこないのだろうかぁ?
ヴァンゲリスと言えば、映画「炎のランナー」、「南極物語」、「ブレードランナー」なんかのテーマ曲でお馴染みなんだけれど、テレビのワイドショー番組でよく使われているこの曲
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/spiral.mp3
もヴァンゲリスである。「Spiral」というタイトルの曲だ。
映画嫌い (175)
2007年4月29日本日のカス映画は2006年のアニメ「時をかける少女」である。
女子高生の紺野真琴は時間移動ができるようになり、過去に戻って事故を回避し、友人の恋愛の成功を取り持つが・・・。
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原作をかなりアレンジしてあって、原作の影も形もほとんどない。時間移動できる女子高生というそのアイディアだけを原作から持ってきたようなものだ。それにしても、なんでアニメなんだか、その意義がわからんぞ。
積乱雲が浮かぶ青空の下の、真夏の高校生活の青春のヒトコマ。そんな雰囲気は良く出ているんだけれど、肝心なその改変されたストーリーが全然面白くないのが困ったものだ。軽過ぎだ。タイムパラドックスだらけだ。なんでこうなっちゃうのかなぁ?
筒井康隆の原作本は遥か昔に読んだことがある。あの原作は好きだったなぁ。でも、1980年代の半ばに原田知世の主演で映画化されたのは見ていない。あの映画もこんな感じだったの?
その昔、NHKで「タイムトラベラー」のタイトルでテレビドラマ化されたのは見ていた。(年齢がバレちゃうなぁ) あのドラマは面白かった。主人公の芳山和子を演じていた女優さんがキレイだったしなぁ。(その後、民放のドラマの中で会社の事務員という地味な脇役を演じているのを見かけたことがあるんだけれど、女優としては成功しなかったんだねぇ)
で、今回のアニメ版にも芳山和子の名前の登場人物がいる。主人公ではなくて、主人公の叔母なのである。主人公の紺野真琴のアドバイザーってな役どころだ。原作の主人公の名前を持ってきているのに、主人公の名前にしなかったのはナゼ? これは推測なんだけれど、主人公の名前を芳山和子にしなかったのは、和子ってな昭和なニオイの名前が今どきのミニスカ女子高生の名前には馴染まないからではないかな。それで、原作へのオマージュの意味も込めて、叔母の名前に拝借しちゃったのではないだろうか。
今の高校生って、一部の例外を除いて、ほぼ全員が「平成生まれ」だものなぁ。昭和生まれの肩身がますます狭くなっていくねぇ。女の子の名前も、エリカだの、レイナだの、ラ行の音が入っているバタ臭い名前に無理矢理と漢字を当てはめちゃっているパターンが多いもの。
私の知人が経営している店舗で、今月から高卒(今春卒業)の18才の女性が店員として働いている。その女性の名前はレイラだものなぁ。
欧米かぁ?
って言うより、
デレク・アンド・ドミノスかぁ?
本人はデレク・アンド・ドミノスもエリック・クラプトンも知らないらしいが。
映画「時をかける少女」
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/
NHK「タイムトラベラー」
http://www.h2.dion.ne.jp/~tinei/nhk.html
http://www2.plala.or.jp/ARGONAUTS/time/index.html
デレク・アンド・ドミノス
http://rock.princess.cc/rock-2/derek.html
やはりNHKの「タイムトラベラー」のファンは多くて、NHKでには再放送を望む声がたくさん寄せられているらしいが、NHKにはビデオもフィルムも残っていないそうだ。非常識にも廃棄しちゃったらしい。あぁ、もう一度、あれを見たかったのになぁ。
映画嫌い (174)
2007年4月28日本日のカス映画は2007年の邦画「蟲師」である。これもマンガの実写版映画化だな。
人間に寄生する悪い蟲を退治してまわる蟲師のギンコの旅・・・。
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腐ったエセ・ファンタジーだ。実にくだらない。「ゲゲゲの鬼太郎」における妖怪を不思議な生態の寄生虫に置き換えて、鬼太郎を蟲師に置き換えただけじゃんか。ギンコの見た感じも実写版・鬼太郎に似ているぞ。
盛り上がりもなく、ストーリーに矛盾も多い。これだけ矛盾していると、矛盾とは呼ばずに「破綻」と言ってしまって良いだろう。各シーンがブツ切れ状態で、そこでCMが入るような感じになっている箇所がいくつもあるのが気になる。そんな箇所では、うまく前後関係すらつながっていないのだ。かなりの手抜きだな。つなぎの部分は見ている側で勝手に想像してくれとでも言うのか? それに、「これで終わりかよ?」ってな感じの尻切れトンボ状態で終わっているのもアホらしい。結局、「なんなんだよこれぇ〜!」ってな印象しか残らないのだ。
原作マンガを私は読んだことがないんだけれど、もしかしてこの映画も、長ったらしい原作マンガのダイジェスト版をやらかしてるんじゃないだろうか? 映画でダイジェストなんかやってどうすんだよぉ、タコ!
唯一、山間部の風景は綺麗に映っていると思う。それだけは良い。それは認める。だけれども、それに蟲を表現する幼稚なCGが合成されているんだもの、せっかくの風景がダイナシじゃないか。シロウトが作ったようなそんなCGを使うなよなぁ。ちゃんと作れよ、ちゃんと。お前ら、それでもプロか?
ってことで、こ〜いう映画は作っちゃいけないし、見てもいけない。そ〜いう映画ってことさ。
映画「蟲師」
http://www.mushishi-movie.jp/
札幌空爆嫌い (2)
2007年4月26日映画「最終兵器彼女」の中で空爆される札幌のシーン、次はこれ。
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JR札幌駅の上部にあるショッピングモール「ステラ・プレイス」から南側を撮影したものだ。中央にある青い突起の建物はCG合成で、このような建物は実際にはここにはない。
撮影場所に行ってみた。撮影位置はすぐに判明。ステラ・プレイスの西側の、大丸デパートと連結している部分の吹き抜けの、三階からの撮影である。
その位置から私が撮影したのがこれ。札幌の駅前通りだ。
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左の1/3だけが明るくて、右が暗いのは、右側のそこに薄い布のカーテンがあるからだ。その南向きの大きなガラス窓から入る込む直射日光を遮る目的のカーテンだと思われる。現状ではこのカーテンが邪魔になり、映画のシーンと全く同じ位置から撮影は無理になっている。
だから、ちょっとだけ左に移動して撮影してみた。それがこれ。
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並べて比較すると、こうなる。
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空爆シーンにはなかった大きなビルが背後と右側に新たにできているなぁ。
変貌する札幌、恐るべし・・・。
札幌空爆嫌い (1)
2007年4月25日前述の映画「最終兵器彼女」の中での空爆される札幌のシーンを見て、現状と違うような気がしたので、実際に撮影されたその場所まで行ってみて、現状と比較をしてみた。
まず、復習であるが、これが映画の中の空爆シーン。
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大通公園の西三丁目あたりから見た大通西2丁目だ。
このシーンの中では、
A:紀伊国屋書店の看板のビル(このビルの1階、2階に紀伊国屋書店がある)
B:マルサ(寄り合いデパート)
C:丸井今井デパート 大通館
D:オッペン化粧品の青い看板のビル(都心ビル)
E:アースの赤い看板のビル(陶管ビル)
F:CGで合成されたビル(実際にはそこにこのビルは存在しない)
と、F以外はお馴染みの札幌の街並だ。
この撮影は2年くらい前ではないだろうか?
それで、現地に行ってみて、同じ撮影位置を特定した。大通公園西三丁目にある噴水の東側に立ち、東南東方向を撮影してみたのがこれ。
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映画の空爆シーンでは写っていないけれど、札幌テレビ塔がすぐ左側にあり、その右側に丸井今井デパートを中心としたビルの並びがある。映画の空爆シーンとほぼ同じ撮影位置である。
この写真よりちょっとだけ右にパンして撮影してみるとこうなる。
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上記のFのビルの場所には、実際には背が低い「北陸銀行」のビルがあるのがわかる。低くてビルの街並に向いていないから、CGで架空のビルをこの位置に合成しちゃったのだろう。
空爆シーンと、現状の街並の写真を並べて比較すると、こうなる。
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かなり現状とは違っているのがわかる。
A:紀伊国屋書店の看板は撤去されて、今はない。紀伊国屋書店は昨年にJR札幌駅近くのビルに移転しちゃっているのだ。
B:マルサの看板もなくなっている。昨年にマルサは閉鎖・改装され、丸井今井デパートの新館としてリニューアルしているのだ。
C:丸井今井デパート、これだけがそのまんま。
D:オッペン化粧品の青い看板には緑色の網がかけられている。撤去されるのか、ほかの看板に改装中なのかは不明だ。
E:アースの赤い看板は真っ白に塗られて消えている。
次々と変貌していく札幌、恐るべし・・・。
ちなみに、紀伊国屋書店が入っていたビル(名前は有楽ビルだったっけ?)の地下1階、地下2階は食堂街になっていて、ソバ屋、とんかつ屋や喫茶店など、小さな店がいくつか入っている。「味の名店街」って名前になっていたはずだけど、名店なんてひとつもないのだ。どこも場末のさびれたしょーもない店で、喫茶店のコーヒーはめちゃくちゃまずいし、とんかつ食べて下痢したこともある。
今はもうそこにはないんだけれど、以前はカレー屋があって、あの店はひどかったなぁ。ビーフ・カレーを注文したら、ビーフなんかな〜んにも入っていない。小さな肉のカケラも入っていないし、筋さえも入っていないのだ。その上、野菜も入っていない。煮込んで溶けてしまった様子もない。市販のカレー・ルーを単にお湯で溶かしただけのようなようなやつだったのだ。あんなまずいカレーを食べたことがなかったなぁ。
「味の名店街」は現在は約半分が空店舗になっている。
二番目にまずいカレーは、東京の「明大前」駅の改札を出たすぐの場所にあったカレー屋。20年くらい前にそこで食べたんだけど、あれもひどかったなぁ。まさか、もうあの店、そこにはないよね?
明大前には「モダンミュージック」っていうレコード店があって、その店によく買いに行ったなぁ。あの店、まだあるのかなぁ?
映画嫌い (173)
2007年4月22日本日のカス映画は2006年の邦画「最終兵器彼女」である。マンガの実写版映画化だ。
北海道小樽市の高校生、シュウジが主人公。シュウジは同じ高校に通うチセと交際を始めた。ところがそのチセは改造人間で、自衛隊に強力して外敵と戦う人間兵器だったのだ。戦争が始まり、札幌市街が空襲される中、出動したチセは敵の戦闘機を撃ち落とす。
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その後もチセを狙った敵からの攻撃を受ける。
彼女が兵器であることに戸惑い、葛藤するシュウジ。チセも自分が兵器であることを悩みながらも自衛隊に強力して戦闘する。そして・・・。
ハチャメチャ、かつ、なんだかわけのわからん映画だ。なんで女子高生であるチセが改造人間になったのか、その理由とか経緯が全く語られていないし、そのような改造人間が日本にはチセひとりだけなのかもわからない。日本各地にこのような改造人間が何人かいて、チセは北海道地区担当者だったのかなあ。それに、なんで戦争が始まったのかも、敵がどこの国なのかも描写されていないものだから、全然、物語の背景が見えてこないのである。だから、すっごくスカスカなのだ。
ヘンテコなシーンもテンコ盛りだ。
兵器に変身した後のチセその姿、体積がめちゃくちゃ増加しているんだけど、変身前にその金属の体積と重量はどこに隠してあったんだ? すっごく非科学的だな。
札幌の市街地を敵が空爆しているしているシーンでは、
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爆弾が落ちている場所が、南区にある自衛隊基地じゃなくて、地下鉄「中の島」駅の近辺にある民家なのもヘンテコだ。そのような攻撃に何の意味もないだろ。戦法とかの知識もないシロウトがこの映画を作っているのかねえ?
それに、これもヘンだ。
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チセの攻撃を受けて空中分解した敵機の翼が札幌の中心部に落ちるシーンなんだけど、その翼が9階建てビルよりデカい。ボーイング747(ジャンボ機)の翼よりデカい翼の戦闘機かぁ? そんなデカい戦闘機に何の意味があるんだぁ? デカいと地対空ミサイルに狙われやすいし、消費する燃料も膨大になる。その上、整備・メンテナンスも大変である。飛んでも速度は出ないし、小回りがきかない。戦闘機がデカいことには現実には何の利点もないのだ。小型軽量化が求められている戦闘機の開発の苦労がすさまじいのに、なんて能天気で非現実的なデカさであろうか。航空力学とか、流体力学などの工学的知識も、兵器に関する知識もないでこの映画を作ったんだろうねえ。
それにさぁ、チセは自分自身のカラダが最先端の科学で作られているくせに、音楽を聴くのに使っているのが、ひと昔前のカセット・テープの携帯用のデカいやつだ。20年くらい前にディスカウント・ショップで980円とかで売っていたファンシーなやつだな。
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MDでもなく、CDでもなく、MP3のメモリーカード式のやつでもないとは、アホらしいのなんの。自衛隊よ、iPod くらい支給してやれよな。
その他にも、社会学的にも法的にもヘンテコなシーンがめちゃくちゃ多い。かなり幼稚で恥ずかしいバカ映画である。
幸運なことに、私は「最終兵器彼女」の原作マンガは読んだことがないのだ。だから、原作マンガとこの映画の違いは知らない。原作マンガもこの映画のようにスカスカで、非科学的なのかどうかは知らない。私はこの映画を見ても、マンガのほうを読んでみたくなる気分にならなかったけれど、もしも、原作もこの映画と同じような感じで、非科学的であり、幼稚で、政治的にも法的も著しく現実とズレているものであるとすれば、原作者ってかなり勉強不足であると思わざるをえない。いや、原作マンガは読んだことがないので、仮定の上の想像で言っているだけだ。
実際には原作マンガの熱烈なファンは多いらしいけど、この映画は原作マンガのファンからはクソミソに酷評されているようだ。まるで親のカタキのように泡をふきながら罵倒の言葉をあびせているファンもいるとか。今までもマンガを実写版の映画にしたやつは多くあったけれど、原作を超えたためしがないし、「デビルマン」、「キャシャーン」のように空前のバカ映画になった例もいくつもあったじゃないか。マンガの実写版映画化になんか期待しちゃダメだよ。
ところで、札幌在住の筆者としては、札幌が空爆されるシーンは気になるものだ。その部分だけを何度か見直してみた。
まず、前述の、敵機のデカい翼が落ちてきたシーンだけれど、このシーンはCGで作ったな。
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これ、札幌じゃないでしょ。このような街並は札幌にはない。「山本山」の看板のあるビル、「高島屋」デパートなんか札幌にないんだもの。道路に車が一台もないのも不自然だな。
この空爆のシーンは大通公園の三丁目あたりから見た大通西2丁目だな。「丸井今井」デパート大通館がそこにある。
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「丸井今井」の左には「マルサ」っていうデパートの看板があるし、更にその左には「紀伊国屋書店」の看板も見える。「丸井今井」の右には青い「オッペン化粧品」の看板の「都心ビル」があって、その右にはサラ金「アース」の赤い看板の「陶管ビル」もある。札幌市民にはお馴染みの風景だ。以前、これと同じ場所がゴジラ映画に出てきたこともあった。この場所にゴジラが出現したのだ。
で、このシーンの右端の黒いビル、これはCG合成だ。実際にはここにはこのようなビルは存在しない。
爆発も勿論、CG合成だ。この角度から見ると、爆弾が爆発したのは、南一条通りと創成川が交差している橋の上あたりだろうか?
この空襲シーンは、JR札幌駅の上にある「ステラ・プレイス」から南側の駅前通りを撮影したものだな。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/heiki7.jpg
これも札幌市民にとってはお馴染みの街並だ。実際にはそこにない青い頭頂部の建物がCGで合成されていて、空爆によってそれが吹き飛んでいた。実際にそこにない建物だと知らなくても、見た感じ、かなり不自然な建物なので、CG合成だってバレバレである。こ〜いうCGは作ってはいけません!ってなヘタクソなCGだ。専門学校の課題で作ったCGじゃないんだから、ちゃんと作れよ、ちゃんと。
映画「最終兵器彼女」
http://www.saikano-movie.com/
コリン星嫌い
2007年4月19日う〜ん、こ〜いう架空のものを売買取引するのは詐欺のような気もするんだが、月の土地とかも売ってるくらいだから、公正取引委員会も黙認なのだろうか?
http://auction.netprice.co.jp/contents/charity/
現在、27万円を超えているのがすごいよなぁ。
あのコリン星の世界観はくだらねぇ〜としか思えないし、ゆうこりんのあのキャラは人為的に作られたヤラセなのがイヤなんだけれども・・・、
くやしいけれど、ゆうこりんは可愛い。
ちなみに、コリン星は東京の港区にあるって本人が言っている。
映画嫌い (172)
2007年4月16日本日のデス映画は2006年の米国映画「デジャヴ (Deja Vu)」である。日本では先月から劇場公開されていたようだ。
舞台は米国のニュー・オリンズ。海軍の水兵とその家族たちをパーティのために乗せたフェリーが、出航直後に大爆発を起こし、500人以上が死亡した。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/dejavu1.jpg
主人公はATF(註1)の捜査官・ダグ・カーリンだ。ダグは現場を捜査し、この爆発事故は爆薬によるテロだと突き止める。
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その爆発事故の直前に河で発見されていた女性・クレアの死体をダグは調査し、これは爆発に巻き込まれて死んだように見せかけられた殺人であると推理する。
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そして、クレアの殺人が爆破テロと関係があると見て、ダグはクレアの部屋を捜査するのだった。
捜査で判明したことをダグがFBIの捜査本部に報告すると、ダグはその洞察力と土地勘をかわれて捜査本部への協力を依頼される。そして、厳重に警備されている極秘の科学捜査室へと案内されるのだった。ハイテク装備されたその部屋の大きなスクリーンに映し出されている映像は、4日前の市内の映像だった。複数の偵察衛星に蓄積されている地上の様子の観測データをコンピュータで画像処理し、エリア内の任意の位置をあらゆる角度から見ることができる最先端のシステムであると説明された。ダグはクレアの部屋の中を監視することを指示すると、スクリーンには部屋の中にいる4日前の生前のクレアの姿が鮮明に映し出された。音声付きで、まるでその部屋の中で撮影したような鮮明さである。いったいクレアの身に何が起こったのかを見守るダグと科学者たち。
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ところがダグはそのシステムの不審な点に気付き、システムの操作をしている科学者に詰め寄る。科学者はその画像が偵察衛星からのものではない事を認めた。時間の異なる2つの空間がつながる事を研究中に偶然に発見して、それを応用したシステムである事を知らされる。4日前と空間がつながっているのならば、4日前の自分自身へ爆破事故の件とクレアの事を教えることができないかとダグは考えたが、物質や情報を過去へ送る実験に成功していないと科学者は言う。メモ用紙1枚だけでも送れたら・・・と、ダグは4日前の自分自身へ向けてのメモを書き、科学者はそれを送る実験をしてみたところ、その転送に成功。しかし、4日前のダグはそのメモを見ることはなかった。ダグは自分の体を4日前に転送する決心をする。
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ダグは過去に戻ってクレアを救い、事件を解決できるのか・・・?
「デジャヴ」ってタイトルだから、デジャヴ(既視感)をテーマにした疑似科学、オカルト系の映画なのかと思って見てみたんだけど、結局はタイム・スリップものなのかよぉ・・・と失笑だ。これのどこがいったいデジャヴなんだ? デジャヴのシーンなんか全然ない。誰もデジャヴなんか体験していないじゃないか。何かを比喩的にデジャヴって言っているわけでもない。デジャヴの意味を知らないのかねぇ?
ダグがクレアの部屋を捜査した時に見たものや電話の会話が伏線となっているのはそれなりに面白い。過去に戻れたとしても、やはり歴史は変えることができない普遍なものである・・・かのように見せているのも良い。ところが、最後の最後で、結局は歴史が変わっちゃうんだもの、おもいっきりズッコケた。すっごい矛盾だらけのタイム・パラドックスだから、アホらしいのなんの。
最初はテキパキと手際良く捜査していたダグなんだけれど、スクリーンに映し出されるクレアの姿を見守るシーンから急にまったりしちゃうのもヘンテコだ。うまく過去へ転送できるかわかっちゃいないのに、自分の体をはってまでしてクレアを救おうとするダグのその心境がどこから湧いてきたのか不思議でたまらない。
ってことで、私はこの映画にガッカリだよぉ!
映画「デジャヴ」
http://www.movies.co.jp/dejavu/
ダグを演じているのはお馴染みのデンゼル・ワシントンなんだけれど、地味だなぁ。この役、モーガン・フリーマンが演じても面白くないだろうし、ウィル・スミスやエディ・マーフィー、サミュエル・L・ジャクソン、ローレンス・フィッシュボーンなんかが演じるとあぁなっちゃうだろうし、誰が演じるのが正解だったかなぁ? 無名の新人を抜擢しても良かったかもねえ。
註1:
ATF とは「Alcohol Tabacco and Firearms」の頭文字を取った名称の政府系機関。正式名称は「Bureau of Alcohol, Tabacco, Firearms & Explosive」。日本語では「連邦アルコール・タバコ・火器・爆発物取締局」とでも言えば良いのだろうか? その名の通り、アルコール、タバコ、武器の取締が業務なんだけれど、実際のところ、何をやっているのかわけのわからない団体でねぇ。日本酒の米国での輸入はここの部署の許可が必要だったりする。
訃報嫌い
2007年4月15日どっひぇ〜! 成毛滋が死んでしもうたぁ!
こんなところにも訃報が掲載されていたりする・・・。
http://www.saigo.tv/index1.html
ちなみに、
←この成毛滋のバンド「フライド・エッグ」のLPのジャケットの絵を描いた人も故人である。名前は景山民夫だ。
EL&P(Emerson, Lake & Palmer)の「タルカス (Tarkus)」のパロディで「オケカス」って曲が入っている。以前、このLPはよく聴いたなぁ。
ちなみに、このLPでドラムを叩いているのは、当時まだ十代だった、つのだ☆ひろである。彼の名曲「メリー・ジェーン」はこのバンドから生まれたのさ。
更には、このLPでベースを弾いているのは、高中正義である。
ゾンビ嫌い
2007年4月12日ゾンビの話の続きである。
ゾンビってのがウェイド・デイヴィスが唱えているような「ゾンビパウダー」に含まれているとされるフグ毒「テトロドトキシン」の作用ではないとしたら、ゾンビって何なのよ?ってな事になる。
その謎を解明する目的でハイチで現地調査したのが英国の人類学者、ローランド・リトルウッド(Roland Littlewood)だ。リトルウッド氏も科学者ではなく人類学者ではあるが、彼の調査方法は科学的であり、調査結果は1997年に医学誌で報告されている。その報告とは、以下のような内容だ。
ハイチでは、生き返った人間を奴隷にしているという事実はなかった。ゾンビの奴隷とは、根拠も何もない伝聞・噂話にすぎなかったのだ。一方では、生き返ったとされる人間をその家族が発見して、自宅に連れ戻したという事例がいくつもある事が判明した。そのゾンビとされている人々が本当に生き返った死人なのかをリトルウッド氏が調査した。
事例1:
18才で死んだ娘が、その13年後に村の市場をふらふらと歩いているのを家族によって発見された。家族は娘を自宅に連れ帰った。
リトルウッド氏の医学的検査の結果、その娘はアルコール性の精神障害を患っていることは判明したものの、死んで生き返ったという証拠は何も見つからなかった。DNA検査を実施したところ、その家族とは血縁関係が全くないことが判明。すなわち、娘ではなく他人のそら似だった精神障害者を無理矢理と自宅に連れ帰って、娘だと言い張っていただけだったのである。
事例2:
26才で死んだ息子が、その1年半後に自宅に近い闘鶏所を徘徊していのを父親によって発見された。父親は息子を自宅に連れ帰った。
リトルウッド氏の検査の結果、その息子はてんかんの症状を持っていることが判明したものの、死んで生き返ったという証拠は何も見つからなかった。てんかんの薬(フェニトイン)を投与してみると、てんかんの症状は緩和された。DNA検査の結果、その父親とは血縁関係が全くないことが判明。すなわち、この事例も、息子ではなく他人のそら似だった精神障害者を無理矢理と自宅に連れ帰って、息子だと言い張っていただけだったのである。
他の事例も、これらのように、単なる他人のそら似でしかなった。精神障害でふらふら歩いている人がいて、それを見かけた人が「死んだ家族に似ている! そっくりだ! 本人が生き返ったんだ!」と思い込んで連れ帰る、そ〜いうパターンでしかなかったのだ。それが伝言ゲームのように誇張されて伝わって、死者が生き返るというゾンビ伝説になったと考えられる。
墓に埋葬されているはずの遺体が消えていたという事件もまれにあるが、これはヴードゥ教の儀式の為に盗まれたり、海外へ遺体を密輸(海外の医大での解剖実習用に売却)する為に盗まれたものであるであることが判明している。死人が生き返って墓から這い出したわけではない。
参考:
http://www.gwup.org/skeptiker/archiv/2000/1/zombie.html
調査中のリトルウッド氏の写真も掲載されている。
私も3年前に父親を亡くしているのだが、一年に一度くらい、街中で父親に背格好が似ている人を見かけて、おゃ・・・と思うことはある。でも、自宅に連れ帰ろうとは思わないぞ。
ハイチのお持ち帰り制度、恐るべし!
映画嫌い (171)
2007年4月11日本日のクズ映画は1988年の米国映画「ゾンビ伝説 (The Serpent and the Rainbow)」である。
南米のハイチでは、墓に埋葬(土葬)されている死者が土俗宗教・ヴードゥ教の秘儀の呪いによって生き返り、蘇って墓から出てきた死者が奴隷として酷使されていると言われている。それがゾンビである。
主人公は科学者のデニス・アラン。ハイチで麻薬捜査の経験がある彼は、再度、ハイチを訪れた。ゾンビの謎を解明するのが目的だ。ヴードゥ教の神官やハイチの秘密警察の妨害を受けながらも、デニスは人間を仮死状態に見せかける秘薬「ゾンビパウダー」の存在を突き止める。そして暴かれたゾンビの真実とは・・・。
しょ〜もない映画だ。ゾンビ、ヴードゥ教という胡散臭いオカルトに、ゾンビの謎解きのサスペンスとアクションを加えちゃったらこ〜なっちゃった。テンポがめちゃくちゃ悪くて、意味もない無駄な幻覚シーンが多過ぎるのがクドい。デニスを演じているのは、後に映画「インデペンデンス・ディ」で米国大統領を演じているビル・プルマンだ。(あの映画も酷かったねぇ、なんで大統領が戦闘機に乗って戦うんだかなぁ?)
ゾンビだなんてぇ、ったくもぉ〜、ナンセンスきわまりないバカ話なのであるが、そんなゾンビの謎を解明しようとした物好きな学者が米国にいた。米国・ハーバード大学の人類学者・ウェイド・デイヴィス(Wade Davis)である。彼は1983年からの2年間、ハイチの秘密結社に潜入して調査し、ゾンビを製造する時に使う「ゾンビパウダー」の事を知り、その入手にも成功した。ゾンビパウダーにはフグを丸焼きした成分が含まれているとの情報を得て、彼はゾンビの謎の正体はフグ毒の「テトロドトキシン」だという仮説を唱えた。奴隷にしようとする生きている人間の肌にゾンビパウダーを塗ると、テトロドトキシンが皮膚から体内に吸収されて神経が麻痺し、仮死状態のようになると言う。死んだと勘違いされて墓地に埋葬された仮死状態の人間を墓から回収して、拉致・監禁。テトロドトキシンの効果が薄れて元の状態に戻ったところを奴隷化していると結論付けたのだった。
デイヴィス氏はこの件を論文にまとめ、ハーバード大学から博士号を授与されている。更には、デイヴィス氏はハイチでのこの件の経験談・冒険談・武勇伝をまとめ、著書「蛇と虹 (The Serpent and the Rainbow)」を1985年に出版している。3年後にこの本は日本でも翻訳されて「蛇と虹 ― ゾンビの謎に挑む」(田中昌太郎 訳、草思社)として出ている。
その著書こそがこの映画の原作本なのである。原作本と映画は原題が同一だな。
原作本を大幅に脚色しちゃっているんだけど、原作本がドキュメンタリー風だったから、映画化するにあたってのこのくらいの脚色は当然かも知れないな。タイトルにある「蛇」と「虹」ってのはヴードゥ教における創造主のことである。映画の主人公のデニスってのが、デイヴィス氏本人のことなのだ。デニスは科学者という設定になっているが、デイヴィス氏は科学者ではなく人類学者だ。
上記のデイヴィス氏の説は一見はもっともらしく見える。ところが、科学者ではないデイヴィス氏によるテトロドトキシン仮説は、実はハチャメチャな説であって、とてもじゃないけど、こんな非科学的な説は認められないのである。デイヴィス氏には科学の素養がないようで、仮説の根拠があいまいであり、その上に仮説の科学的な検証も全く行なっていない。そんなのは机上の空論でしかないのだ。オカルトを解明しようとしたデイヴィス氏が唱えた説がオカルトになっちゃっている。
何故にデイヴィス氏の説が非科学的なのか説明しよう。
まず、バカらしいことに、デイヴィス氏はゾンビパウダーを入手しておきながらも、その成分の科学的な分析を全く行なっていないのだ。テトロドトキシンが含まれているというのは彼の単なる思いつきでしかない。実は、ゾンビパウダーにはテトロドトキシンは含まれていない。ゾンビパウダーの製造に使われているのはハリセンボンというトゲトゲのフグで、ハリセンボンにはフグ毒はない。日本人はフグを食べるので、日本はフグ毒に関する研究では世界最先端にある。ゾンビパウダーが日本に持ち込まれてのフグ毒の研究機関で分析された事もあるのだ。分析の結果、全くテトロドトキシンは検出されなかったのである。
更には、ゾンビパウダーの効果の再現性をデイヴィス氏が検証していないのもマヌケだ。本当にゾンビパウダーで神経が麻痺して仮死状態になるのか、マウスを使った実験すらしていない。
更に言うと、たとえテトロドトキシンが含まれていたとしても、そは皮膚からは吸収されない。テトロドトキシンの作用で仮死状態になることもない。
デイヴィス氏の説は根拠もなく科学に反する全くのデタラメなのだ。いくら科学者じゃないとしても、学術としてのアプローチがこんなに杜撰で良いわけがないぞ。デイヴィス氏は学者失格だな。こんないいかげんな説に対して学位を授与したハーバード大学って何なんだよなぁ?
日本とは違って、欧米ではフグを食べる習慣がなく、その毒性については欧米では正しく知られていない。「未知の不思議な毒物」のように思われているのである。映画化されて昨年に公開された「トリスタンとイゾルデ」でも主人公のトリスタンはフグ毒で仮死状態になったりしていて、フグ毒ってのはそのような伝説上のファンタジー毒物なのだ。デイヴィス氏の仮説はそのような状況から生まれた空想でしかなく、科学的には事実無根のインチキだったってことだ。だから、その著書をベースにしてゾンビパウダーをゾンビの謎の正体としたこの映画もインチキなのである。そんなわけで、この映画はクズなのだ。
映画「ゾンビ伝説」
http://www.universalpictures.jp/serpent/catalog_item_rental.html
http://hobby.gray-japan.com/movie_n/zombie/n_zombie-022.html
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD5362/story.html
「蛇と虹 ― ゾンビの謎に挑む」ウェイド デイヴィス 著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794203136/
参考文献:
「フグ毒のなぞを追って」清水潮 著
http://www.shokabo.co.jp/mybooks/ISBN978-4-7853-8520-0.htm
9年くらい前に、日本テレビの番組「特命リサーチ 200X」でゾンビの謎を解明するやつが放送されていた。あの番組では、デイヴィス氏のゾンビパウダーの件を紹介し、テトロドトキシン仮説を全面的に肯定して、まさにこれがゾンビの秘密の決定版!ってな内容で放送されていた。あの番組も「あるある大辞典」並みにインチキが満載な番組だったよなぁ。「マイナス・イオン」だなんて、ありもしないものを世に広めた功罪は大きいぞ。
それにしても、欧米人って、ヴードゥ教とか、インディアンの呪いとか、おどろおどろしい異文化ものが好きだよなぁ。映画「ハンニバル・ライジング」で日本文化が出てくるってのも、それの一環だな。