Gコード嫌い (4)
2006年12月30日映画嫌い (124)
2006年12月28日本日のデス映画は2006年の英国映画「ストームブレイカー (Stormbreaker)」である。
舞台はロンドン。主人公は14才のアレックス。彼は幼い頃に両親を亡くし、銀行員の叔父・イアンに育てられていた。ある日、イアンは交通事故で死んでしまう。その死に不信を持ったアレックスは、実はイアンは銀行員ではなく、MI6の特殊工作員だったという事を突きとめる。イアンは交通事故ではなく、工作活動中に敵に撃たれて死んだのだった。幼い頃から武道や語学をイアンから知らずのうちに学んで育ったアレックスを、MI6はイアンの後任としてスカウトする。そんばバカなぁ〜!だ。そして、特殊部隊訓練施設での特訓を経て、さっそく工作活動を開始だ。
ストームブレイカーという名の世界最高のスーパー・コンピューターを開発したダリウス・セイルという男が怪しげな計画をしているとMI6は目をつけていた。生前の叔父のイアンはダリウスの研究所に警備員として潜入して活動していたのだった。そこで、アレックスは、ダリウスの研究所に招待されていたコンピューター・オタク少年の身替わりとなって潜入を行なう。007が使用するような特殊な小物の数々を持って。
さて、ダリウスの計画、ストームブレイカーの真実とは・・・?
いやぁ、つまらん映画だねぇ。以前にここに書いた「ミッション・X」と同様に、子供を主演に置いた子供向けの映画ってなところだ。子供用「007」だな。「スパイ・キッズ」の二番煎じってな感じだ。でも主人公は14才なんかに見えないって。もっとフケてるだろ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/stormbreaker1.jpg
この俳優の実年齢は16歳らしいが。
それにストーリーもかなりヘンテコだ。ラストでアレックスがある男に助けられるんだけれど、なんでお前に助けられなきゃならんのだぁ?と思ってしまう。殺す理由はあるけれど、助ける理由なんか何もないじゃんか。かなりアホくさいよなぁ。
ストームブレイカーってのが、ゴーグルをかけて見るバーチャル・リアリティ体験マシーンでしかないってのもマヌケだ。それ以上に、ダリウスの陰謀のセコさ、その動機のセコさもかなりマヌケだ。
その上、この映画にもヘンテコな日本文化が出てくる。たとえば、アレックスは叔父から習って日本語も話せるという設定でになっていて、学校から帰ったアレックスが、寿司を作ろうとしていた家政婦と日本語で会話するシーンがあって、
「ガッコ、ドウダタ?」(学校どうだった?)
「ドウシテェニホンゴナノ?」(どうして日本語なの?)
「コンバントクベツゥ、ニホンショクナノ、スシヨ」(今晩、特別。日本食なの。寿司よ)
とヘンテコな発音・アクセントなのが噴飯ものだ。
そして、出てきた寿司がこんなやつ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/stormbreaker2.jpg
おいおい、そのトゲトゲの魚って、ハリセンボンっていうやつだろ。そんなの寿司で食べないってばぁ。
合掌しておじぎをして「アリガト」と言って食べているんだけど、英国の皆さん、日本では食べる前には「アリガト」じゃなくて「イタダキマス」って言うんだよ。それに、箸ってのは寿司にグサって突き刺して使うものなんかじゃないんだよ。
で、作戦に成功したアレックスは、殺人許可証をMI6からもらって、彼はダブル・オー要員になる・・・ってなストーリーではないのが残念だったな。
映画「ストームブレイカー」
http://us.imdb.com/title/tt0457495/
http://www.asahi-net.or.jp/~WF9R-TNGC/stormbreaker.html
http://air.ap.teacup.com/yuu1/476.html
映画嫌い (123)
2006年12月27日本日のデス映画は2006年の英国映画「トゥモロー・ワールド (Children of Men)」である。これも近未来・ディストピアものだ。
2009年、人類は突如として生殖能力を失ってしまった。女性が子供を産めなくなってしまったのだった。舞台はそれから18年後の2027年の英国である。世界は荒廃し、殺伐としていた。英国には大量の不法移民が溢れ、当局が移民を厳しく取り締まっていた。英国人身分証明書を所持していないと逮捕されて収容所に送られるのだ。移民の人権を守るという口実で反政府運動をしている組織らが英国の各地でテロを行ない、政府転覆のための蜂起の機会を狙っていた。その日もロンドン市街で爆弾テロがあったのだった。18年間、人類には子供が誕生していない。最後に生まれた子供は18才になっていたが、その子供がつまらないイザコザで刺殺されてしまったというニュースがテレビ放映され、ロンドン市民は悲しみに暮れる。
主人公は公務員のセオである。彼はある日、反政府地下組織「フィッシュ (FISH)」に拉致されてしまう。その組織の幹部はセオの元妻のジュリアンだった。ジュリアンはセオに英国人身分許可証を1枚だけ発行してほしいと言う。セオの従兄弟が大臣をやっているので手を回して発行をしてほしいと言うのだ。あるひとりの移民の少女を国内移動させて、人類救済組織「ヒューマン・プロジェクト」の救済船・トゥモロー号に乗せるのが目的だと言う。金を払うとも言う。その少女は黒人で名前はキーといい、なんとその少女が妊娠していて、出産が近いのだった。
結局、セオはキーを連れてフィッシュを脱走し、ふたりはフィッシュに追われる。フィッシュは生まれてくる子供を反政府運動に利用したいのだった。
ふたりはトゥモロウ号にたどり着いて乗船できるのか・・・?
子供は無事に生まれるのか・・・?
これもくだらないよぉ。近未来ディストピアものは、もういいよぉ。
それに、よくある、逃亡の旅でしょ。ったくも〜、こ〜いうのありすぎ!
ストーリーがつまらないし、暗いし、セオにもキーにも魅力がない。それに、人がバタバタと死んで行くのはいくら映画といってもあまり良い気がしない。ジュリアンも早々と殺されちゃうし、セオの親友のジャスパーの一家も死んじゃうし、なんだかなぁ。
ただ、中途半端に近未来になっているロンドンの街中のシーンはよくできているよなぁ。そこで爆弾テロでドッカーン!というシーンが冒頭にあるんだけど、あのシーンだけは妙にリアルだった。
で、おかしかったのが、映画が始まって16分くらいのところで流れてきた音楽が、キング・クリムゾン(King Crimson)の「クリムゾン・キングの宮殿 (In the Court of the Crimson King)」だった。いい曲なんだけど、この映画のそのシーンには全く合っていない。その曲にのって、セオがロンドン市内を車で移動して、エネルギー省に入っていくのである。そのエネルギー省の建物って、デカい煙突があって、空にはデカいピンク色の豚の人形が・・・って、これって、ピンク・フロイド(Pink Floyd)の「アニマルズ (Animals)」のLPジャケットのパロディかよぉ?
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/tomorrowworld.jpg
プログレのファンがこの映画に関わっているのかねぇ?
映画「トゥモロー・ワールド」
http://www.tomorrow-world.com/
ピンク・フロイド「アニマルズ」
http://www.pinkfloydonline.com/pictures/gallery1/animals.jpg
ピンク・フロイドといえば、空飛ぶピンクの豚である。ピンク・フロイドの数あるシンボルの中でも特に有名なシンボルだ。
私は1988年3月の東京・代々木でピンク・フロイドのライブを見たんだけれど、あの時のライブにもピンクの豚が登場してきた。「吹けよ風、呼べよ嵐 (One of These Days)」という曲の半ばで、客席の天井の高い所に巨大なピンクの豚の人形が登場したのだった。私が見ていた席の真上に登場だ。デカいのなんの。あれって、バスよりデカいんぢゃないかなぁ?
で、その豚はオスだった。デカいナニが付いていたんだもの。
http://www.pinkfloyd-co.com/band/pigss/html/pig13.html
ちなみに、ピンク・フロイドの「アニマルズ」のジャケットの写真は、ロンドンにあるバターシー発電所である。
http://pinkpig.noblog.net/blog/p/10225060.html
http://guippo.seesaa.net/article/21896035.html
そっくりさん嫌い (81)
2006年12月14日
英国・米国以外にもロックはあった。オランダにもあった。ってことで、オランダを代表するロック・バンド、フォーカス(Focus)とアース&ファイア(Earth and Fire)については前述の通りである。
同様に、イタリアにも、フランスにもロックはある。ブラジルにもアルゼンチンにもチリにもウルグァイにもある。日本にも韓国にもある。じゃ、東欧の共産圏(当時)の国々ではどうだったのか?・・・というのが本日の話題である。
1960年代から、1980年代末の共産主義体制崩壊に至るまで、東欧の共産圏の国々では原則としてロックは禁止されていた。聴くことも、演奏することも禁止だったのだ。国によって若干の認識が違っていたが、その禁止政策の基本は東欧では共通していた。ロックは「西側自由主義体制の退廃の象徴」とされていたのだ。反社会的な歌詞や悪魔崇拝の歌詞、暴力的な音、それに煽られて熱狂する群集の暴動まがいのオルグなどが、共産主義の体制・思想に反するもの、治安を乱すものだったからだ。ビートルズ(The Beatles)もローリング・ストーンズ(Rolling Stones)もそのほかのバンドの音が入ってくるのも国家権力が禁止していたし、ロック・バンドの結成や演奏の自由もなかった。
当時のソ連においてはほぼ全面的にロック禁止だった。ダーウィンの進化論が共産主義の思想に反するとして排除されていた(ラマルクの進化論に思想統一されていた)のと同様である。英国や北欧の放送局のラジオ番組でロックを隠れて聴いている国民も多くいた為に、ソ連では強力な妨害電波を発信して聴けなくしてた事もあった。ロックを聴くとKGBに連行されてシベリアの強制収容所に送られるにされる場合もあったらしい。ロックを聴くのは命がけのことだったのである。
東欧の共産圏の他の国、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニアなどでも基本的にはソ連と同様だった。音楽においても「鉄のカーテン」でヨーロッパは東西分断されていたのだった。
一方では、ソ連やポーランドの船員が国外から密かに持ち込んだロックのレコードが闇市で売られたりして、実は裏では多くの人々がロックを楽しんでいたという。1970年代の当時、東欧で人気の高いバンドは、キング・クリムソン(King Crimson)、ジェスロ・タル(Jethro Tull)、ユーライア・ヒープ(Uriah Heep)、そしてビートルズだったらしい。ロックのマニアは医療用レントゲン写真のフィルムに溝を彫ったソノシートを自主制作し、密かにソノシート観賞会を開催していた。当局が踏み込んで来ても、レントゲン写真だと言い逃れる作戦だ。
ロック禁止の体制下で、ただひとつ、表向きの抜け道があった。それは、「ダンス音楽としての軽音楽」は認められていたって事だ。だから、国内でダンス音楽の名目でのレコードは出ていたし、ダンス音楽のコンサートもあった。そんなコンサートには秘密警察のエージェントが来ていて、厳しい監視をしているのである。ちょっとでもロックっぽいフレーズを演奏すると逮捕なのだ。
最もロック禁止に厳しかったのはチェコ・スロバキアだ。1970年代に秘密裏に活動していたロック・バンド、プラスチック・ピープル(The Plastic People of the Universe)のテープが英国に渡り、その後にそれがレコードとなって発売されるに至るが、そのバンドのメンバーは逮捕され、投獄されてしまった。
ポーランドでは比較的、規制は甘かった。キーボードを弾きながら歌うニーメン(Niemen)はポーランドにおける国民的歌手で、ポーランドの音楽界のゴッドファーザーである。日本でいえば北島三郎だ。彼の音楽はポーランドの土俗の音楽をベースにその音楽性を拡張していったパターンだった。西側のプログレ・バンドが使っていた電気楽器を彼は導入し、シンセサイザーやメロトロンを弾きながら歌うに至る。それがかなりロックに近い。ニーメンのバック・バンドから独立してデビューしたSBBというバンドは完全にプログレッシヴ・ロックであり、その音楽性の高さには世界のプログレ・マニアが驚愕した。
ポーランドのニーメンの曲はこれを見よう。
http://www.youtube.com/watch?v=H1bdMhrvh20
これがポーランド人の心にしみる歌なのだ。曲名は「Dziwny jest ten swiat」。最初の単語は何って発音するのだろうか?
その後、ゴルバチョフ政権となったソ連では、ペレストロイカ、グラスノスチの解放・改革の政策によって、ロックが解禁となり、それまでアンダーグラウンドで活動していたバンドが一気に表で活動し始める。マシーナ・ブレメニ、スタス・ナミン、アルセナル、ゾディアック、ゴーリキ・パーク、・・・など、多くのバンドが表に出現する。また、西側のミュージシャンの多くがモスクワでライブを行なうようになるのだった。そして、ベルリンの壁の崩壊を経て冷戦が終結。東側諸国が共産主義を捨てると同時に、ロックも解禁されるのだった。
ロック禁止時代の東欧の国々の中で、最も規制が甘かったのはハンガリーだった。数々のロック・バンドが出ている。共産主義体制においては、労働者は全員が国家公務員であるから、プロのロック・ミュージシャンも国家公務員に該当する。だから、国家による統制下で活動しなければならなく、それなりの規制があるものだ。ところが、ハンガリー政府はロックを国営産業化し、国内での貴重な収入源とし、更には海外進出させて外貨獲得の手段とするようになる。
1970年代から活動しているオメガ(Omega)というバンドはハンガリーの国民的なバンドである。ハンガリーのダントツのナンバー・ワンのロック・バンドで、プログレ・ハードな曲っていうか、歌謡曲ロックとでも言いたくなる曲をやっている。ハンガリーではオメガのレコードが売れまくり、国内ツアーも常に満員御礼、まさにハンガリーの国家が運営するロック産業だった。西ドイツでライブを行なうなどして、西側に進出していた数少ない共産圏バンドのひとつである。オメガは今でも現役で活動している。
ハンガリーではその他には、ハード・ロックのスコルピオ(Skorpio)、ロコモーティヴGT(Locomotiv GT)、プログレのイースト(East)なども出ている。日本では1980年の「ドン・キホーテ」の一発屋として知られるニュートン・ファミリー(Neoton Familia)もハンガリーのバンドである。
で、今回のそっくりさんは、ハンガリーのオメガである。
前述のように、共産圏ではロックに関する情報も少ないし、機材の面でもハンディがあるから、レベル的に低いバンドが多すぎるのが現実だ。ほとんどが論外な三流バンドである。西欧ロックの低レベルなモノマネの域を出ていないものが多い。しかし、中には例外もあり、堂々と西側でも通用するバンドがいくつかある。東ドイツのシュテルン・コンボ・マイセン、ロシアのエデュアルド・アルテミエフ、そして、前述のポーランドのSBB、ハンガリーのイーストだ。彼らの音楽性は充分に高い。
ハンガリーのオメガもなかなかのものである。ただ、このバンドの曲には個性があまりないのだ。どこかで聴いたことのあるフレーズが堂々と登場している。それは西側のロックのパクリなのだ。日本の歌謡曲が米国のヒット曲をパクっているような感覚である。韓国では日本のヒット曲の数々をパクってるしなぁ。
私が初めてオメガの曲を聴いたのは高校生の頃で、モロにキング・クリムゾンやユーライア・ヒープのパクリのような曲があるので驚いた。キング・クリムゾンとかユーライア・ヒープって共産圏で人気があるから、このように影響を与えているんだなぁ・・・と私はすっごく興味を持っちゃったのだった。それがキッカケとなり、それ以降、私は共産圏のレコードを収集するようになった。結果的には9割以上がクズだったけど。
では、オメガの代表曲のこれを聴いてみよう。ハンガリー語のタイトルは忘れてしまった。英語のタイトルは「Help To Find Me」である。
http://www.youtube.com/watch?v=C1fnYNnjY4s
この曲のノリ、ある曲にそっくりである。
その曲とは、これだ。
http://www.youtube.com/watch?v=hbebNYF7uIk
ユーライア・ヒープのヒット曲「安息の日々 (Easy Livin’)」だ。画質が悪いな。
ハンガリーのオメガ、恐るべし!
オメガ
http://www.omega.hu/
ソ連のロックの状況については「ゴルバチョフはロックがお好き?」という本がとても参考になるのでおすすめ。本屋では見かけないので、もう絶版になっているのだろう。札幌の中央図書館に置いてあるのを私は読んだ。
「ゴルバチョフはロックがお好き?」(アルテーミー・トロイツキー 著、菅野彰子 訳)
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4794950802/
ロシアおよび旧ソ連の各国のレコード、CDは、日本では東京の神田の古書センターの4階にある「新世界レコード」という店が輸入しており、その店舗で代表的なものを買うことができる。私もこの店には時々行く。エデュアルド・アルテミエフの作品を見かけたら絶対に買いである。
新世界レコード
http://www.shinsekai-trading.com/
日本でも電波が良く入ってくる短波放送の「モスクワ放送」というラジオ局がある。その放送局の名の通り、モスクワから放送しているのである。その局がかつて、ソ連(当時)の最新のヒット・チャートを放送していたことがあって、それを毎週、私は興味深く聴いていた。マシーナ・ブレメニっていうバンドがやたらとヒットを出していたのをよく覚えている。その番組名が、「ベスト・ヒット・USA」ならぬ「ベスト・ヒット・USSR」だった。
マシーナ・ブレメニは一度だけ来日したことがあって、第2回目の「ジャパン・エイド」にロシア代表として出演していた。その模様はテレビでも放送されていた。面白いバンドなんだけど、つまらない曲しか演奏しなかったのが残念だった。マシーナ・ブレメニとは、ロシア語でタイム・マシーンの意味で、あの時はバンド名が「タイム・マシーン」と紹介されていた。ダサぃ名前だ。
ちなみに第1回目の「ジャパン・エイド」にロシア代表として出演していたのがスタス・ナミンだった。このバンドは全然面白くない。
ユーライア・ヒープはまぁまぁ好きなバンドだったなぁ。ゲイリー・セインってベース奏者の弾く個性的なフレーズが素晴らしかった。それがあのバンドの魅力だったんだけれど、死んぢゃった。
デビッド・バイロンのボーカルもまあまあ良かったんだけど、バンドをクビにされちゃって、その後に死んぢゃった。
キーボードのケン・ヘンズレーの弾く歪んだオルガンの音が汚くて私は大嫌いだった。彼のシンセサイザーの音もポルタメントをかけすぎて非常にだらしない音になっていて、それも大嫌いだった。だから私はユーライア・ヒープには深入りしなかった。
その後、ユーライア・ヒープは何度もメンバー・チェンジを行ない、現在でもギタリストのミック・ボックスによって率いられてユーライア・ヒープは活動しているそうだが、全く興味のないバンドだ。レコードはLP6枚持っているけれど、CDでは1枚も持っていない。かつての「安息の日々」、「セブン・スターズ」、「魔法使い」、「サンライズ」などのシングル曲は良かったんだけどねぇ。
ユーライア・ヒープ
http://plc-rock.hp.infoseek.co.jp/hard-rock/heep.htm
同様に、イタリアにも、フランスにもロックはある。ブラジルにもアルゼンチンにもチリにもウルグァイにもある。日本にも韓国にもある。じゃ、東欧の共産圏(当時)の国々ではどうだったのか?・・・というのが本日の話題である。
1960年代から、1980年代末の共産主義体制崩壊に至るまで、東欧の共産圏の国々では原則としてロックは禁止されていた。聴くことも、演奏することも禁止だったのだ。国によって若干の認識が違っていたが、その禁止政策の基本は東欧では共通していた。ロックは「西側自由主義体制の退廃の象徴」とされていたのだ。反社会的な歌詞や悪魔崇拝の歌詞、暴力的な音、それに煽られて熱狂する群集の暴動まがいのオルグなどが、共産主義の体制・思想に反するもの、治安を乱すものだったからだ。ビートルズ(The Beatles)もローリング・ストーンズ(Rolling Stones)もそのほかのバンドの音が入ってくるのも国家権力が禁止していたし、ロック・バンドの結成や演奏の自由もなかった。
当時のソ連においてはほぼ全面的にロック禁止だった。ダーウィンの進化論が共産主義の思想に反するとして排除されていた(ラマルクの進化論に思想統一されていた)のと同様である。英国や北欧の放送局のラジオ番組でロックを隠れて聴いている国民も多くいた為に、ソ連では強力な妨害電波を発信して聴けなくしてた事もあった。ロックを聴くとKGBに連行されてシベリアの強制収容所に送られるにされる場合もあったらしい。ロックを聴くのは命がけのことだったのである。
東欧の共産圏の他の国、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニアなどでも基本的にはソ連と同様だった。音楽においても「鉄のカーテン」でヨーロッパは東西分断されていたのだった。
一方では、ソ連やポーランドの船員が国外から密かに持ち込んだロックのレコードが闇市で売られたりして、実は裏では多くの人々がロックを楽しんでいたという。1970年代の当時、東欧で人気の高いバンドは、キング・クリムソン(King Crimson)、ジェスロ・タル(Jethro Tull)、ユーライア・ヒープ(Uriah Heep)、そしてビートルズだったらしい。ロックのマニアは医療用レントゲン写真のフィルムに溝を彫ったソノシートを自主制作し、密かにソノシート観賞会を開催していた。当局が踏み込んで来ても、レントゲン写真だと言い逃れる作戦だ。
ロック禁止の体制下で、ただひとつ、表向きの抜け道があった。それは、「ダンス音楽としての軽音楽」は認められていたって事だ。だから、国内でダンス音楽の名目でのレコードは出ていたし、ダンス音楽のコンサートもあった。そんなコンサートには秘密警察のエージェントが来ていて、厳しい監視をしているのである。ちょっとでもロックっぽいフレーズを演奏すると逮捕なのだ。
最もロック禁止に厳しかったのはチェコ・スロバキアだ。1970年代に秘密裏に活動していたロック・バンド、プラスチック・ピープル(The Plastic People of the Universe)のテープが英国に渡り、その後にそれがレコードとなって発売されるに至るが、そのバンドのメンバーは逮捕され、投獄されてしまった。
ポーランドでは比較的、規制は甘かった。キーボードを弾きながら歌うニーメン(Niemen)はポーランドにおける国民的歌手で、ポーランドの音楽界のゴッドファーザーである。日本でいえば北島三郎だ。彼の音楽はポーランドの土俗の音楽をベースにその音楽性を拡張していったパターンだった。西側のプログレ・バンドが使っていた電気楽器を彼は導入し、シンセサイザーやメロトロンを弾きながら歌うに至る。それがかなりロックに近い。ニーメンのバック・バンドから独立してデビューしたSBBというバンドは完全にプログレッシヴ・ロックであり、その音楽性の高さには世界のプログレ・マニアが驚愕した。
ポーランドのニーメンの曲はこれを見よう。
http://www.youtube.com/watch?v=H1bdMhrvh20
これがポーランド人の心にしみる歌なのだ。曲名は「Dziwny jest ten swiat」。最初の単語は何って発音するのだろうか?
その後、ゴルバチョフ政権となったソ連では、ペレストロイカ、グラスノスチの解放・改革の政策によって、ロックが解禁となり、それまでアンダーグラウンドで活動していたバンドが一気に表で活動し始める。マシーナ・ブレメニ、スタス・ナミン、アルセナル、ゾディアック、ゴーリキ・パーク、・・・など、多くのバンドが表に出現する。また、西側のミュージシャンの多くがモスクワでライブを行なうようになるのだった。そして、ベルリンの壁の崩壊を経て冷戦が終結。東側諸国が共産主義を捨てると同時に、ロックも解禁されるのだった。
ロック禁止時代の東欧の国々の中で、最も規制が甘かったのはハンガリーだった。数々のロック・バンドが出ている。共産主義体制においては、労働者は全員が国家公務員であるから、プロのロック・ミュージシャンも国家公務員に該当する。だから、国家による統制下で活動しなければならなく、それなりの規制があるものだ。ところが、ハンガリー政府はロックを国営産業化し、国内での貴重な収入源とし、更には海外進出させて外貨獲得の手段とするようになる。
1970年代から活動しているオメガ(Omega)というバンドはハンガリーの国民的なバンドである。ハンガリーのダントツのナンバー・ワンのロック・バンドで、プログレ・ハードな曲っていうか、歌謡曲ロックとでも言いたくなる曲をやっている。ハンガリーではオメガのレコードが売れまくり、国内ツアーも常に満員御礼、まさにハンガリーの国家が運営するロック産業だった。西ドイツでライブを行なうなどして、西側に進出していた数少ない共産圏バンドのひとつである。オメガは今でも現役で活動している。
ハンガリーではその他には、ハード・ロックのスコルピオ(Skorpio)、ロコモーティヴGT(Locomotiv GT)、プログレのイースト(East)なども出ている。日本では1980年の「ドン・キホーテ」の一発屋として知られるニュートン・ファミリー(Neoton Familia)もハンガリーのバンドである。
で、今回のそっくりさんは、ハンガリーのオメガである。
前述のように、共産圏ではロックに関する情報も少ないし、機材の面でもハンディがあるから、レベル的に低いバンドが多すぎるのが現実だ。ほとんどが論外な三流バンドである。西欧ロックの低レベルなモノマネの域を出ていないものが多い。しかし、中には例外もあり、堂々と西側でも通用するバンドがいくつかある。東ドイツのシュテルン・コンボ・マイセン、ロシアのエデュアルド・アルテミエフ、そして、前述のポーランドのSBB、ハンガリーのイーストだ。彼らの音楽性は充分に高い。
ハンガリーのオメガもなかなかのものである。ただ、このバンドの曲には個性があまりないのだ。どこかで聴いたことのあるフレーズが堂々と登場している。それは西側のロックのパクリなのだ。日本の歌謡曲が米国のヒット曲をパクっているような感覚である。韓国では日本のヒット曲の数々をパクってるしなぁ。
私が初めてオメガの曲を聴いたのは高校生の頃で、モロにキング・クリムゾンやユーライア・ヒープのパクリのような曲があるので驚いた。キング・クリムゾンとかユーライア・ヒープって共産圏で人気があるから、このように影響を与えているんだなぁ・・・と私はすっごく興味を持っちゃったのだった。それがキッカケとなり、それ以降、私は共産圏のレコードを収集するようになった。結果的には9割以上がクズだったけど。
では、オメガの代表曲のこれを聴いてみよう。ハンガリー語のタイトルは忘れてしまった。英語のタイトルは「Help To Find Me」である。
http://www.youtube.com/watch?v=C1fnYNnjY4s
この曲のノリ、ある曲にそっくりである。
その曲とは、これだ。
http://www.youtube.com/watch?v=hbebNYF7uIk
ユーライア・ヒープのヒット曲「安息の日々 (Easy Livin’)」だ。画質が悪いな。
ハンガリーのオメガ、恐るべし!
オメガ
http://www.omega.hu/
ソ連のロックの状況については「ゴルバチョフはロックがお好き?」という本がとても参考になるのでおすすめ。本屋では見かけないので、もう絶版になっているのだろう。札幌の中央図書館に置いてあるのを私は読んだ。
「ゴルバチョフはロックがお好き?」(アルテーミー・トロイツキー 著、菅野彰子 訳)
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4794950802/
ロシアおよび旧ソ連の各国のレコード、CDは、日本では東京の神田の古書センターの4階にある「新世界レコード」という店が輸入しており、その店舗で代表的なものを買うことができる。私もこの店には時々行く。エデュアルド・アルテミエフの作品を見かけたら絶対に買いである。
新世界レコード
http://www.shinsekai-trading.com/
日本でも電波が良く入ってくる短波放送の「モスクワ放送」というラジオ局がある。その放送局の名の通り、モスクワから放送しているのである。その局がかつて、ソ連(当時)の最新のヒット・チャートを放送していたことがあって、それを毎週、私は興味深く聴いていた。マシーナ・ブレメニっていうバンドがやたらとヒットを出していたのをよく覚えている。その番組名が、「ベスト・ヒット・USA」ならぬ「ベスト・ヒット・USSR」だった。
マシーナ・ブレメニは一度だけ来日したことがあって、第2回目の「ジャパン・エイド」にロシア代表として出演していた。その模様はテレビでも放送されていた。面白いバンドなんだけど、つまらない曲しか演奏しなかったのが残念だった。マシーナ・ブレメニとは、ロシア語でタイム・マシーンの意味で、あの時はバンド名が「タイム・マシーン」と紹介されていた。ダサぃ名前だ。
ちなみに第1回目の「ジャパン・エイド」にロシア代表として出演していたのがスタス・ナミンだった。このバンドは全然面白くない。
ユーライア・ヒープはまぁまぁ好きなバンドだったなぁ。ゲイリー・セインってベース奏者の弾く個性的なフレーズが素晴らしかった。それがあのバンドの魅力だったんだけれど、死んぢゃった。
デビッド・バイロンのボーカルもまあまあ良かったんだけど、バンドをクビにされちゃって、その後に死んぢゃった。
キーボードのケン・ヘンズレーの弾く歪んだオルガンの音が汚くて私は大嫌いだった。彼のシンセサイザーの音もポルタメントをかけすぎて非常にだらしない音になっていて、それも大嫌いだった。だから私はユーライア・ヒープには深入りしなかった。
その後、ユーライア・ヒープは何度もメンバー・チェンジを行ない、現在でもギタリストのミック・ボックスによって率いられてユーライア・ヒープは活動しているそうだが、全く興味のないバンドだ。レコードはLP6枚持っているけれど、CDでは1枚も持っていない。かつての「安息の日々」、「セブン・スターズ」、「魔法使い」、「サンライズ」などのシングル曲は良かったんだけどねぇ。
ユーライア・ヒープ
http://plc-rock.hp.infoseek.co.jp/hard-rock/heep.htm
カラオケ嫌い
2006年12月13日オランダの話の続きでも。
オランダのバンドといえば、何ってったって、フォーカス(Focus)だろう。1970年代にオランダ国内でも大成功し、海外でも売れまくった。オランダの音楽史上、これほど国外でも成功したバンドはない。
英国において、T・レックス(T.Rex)、デヴッド・ボウィ(David Bowie)らのグラム・ロックが全盛で、エマーソン・レイク&パーマ(Emerson,Lake & Palmer)やイエス(Yes)、ピンク・フロイド(Pink Floyd)のプログレ勢、レッド・ツェペリン(Led Zeppelin)、ディープ・パープル(Deep Purple)、ユーライア・ヒープ(Uriah Heep)などのハード・ロック勢が大人気だった1970年代初頭、突如としてヒット・チャートにフォーカスが登場して話題騒然。その現象が米国や日本、ヨーロッパ各国にも伝播して、フォーカスのブームになったのだ。伝統的なクラシック音楽と革新的なジャズの両方のスタイルをロックに持ち込んだのが、ナウなヤングにバカウケ!・・・だったのだ。
フォーカスのリーダーはキーボードとフルートを演奏するタイス・ファン・レア(Thijs van Leer)で、彼がほぼ全曲を作曲している。そして、ギターが超人的演奏力を持ったヤン・アッカーマン(Jan Akkerman)だ。他にベースとドラムの2人がいるが、何度かのメンバー・チェンジをしており、実質的にはフォーカスはタイスとヤンの双頭バンドである。基本的にはフォーカスはインストルメンタル・バンドだ。時々、タイスがボーカルもとっていたけれど、歌の入っている曲はLPに1曲だけという暗黙の了解があった。タイスもヤンも共にクラシック音楽、特にルネッサンス期の音楽にルーツがあり、そこから産み出された美しいメロディが支持されていたのである。更にはヤンの超絶ギターに人気が大爆発だった。英国の音楽誌の人気投票では、それまで10年間トップにいたエリック・クラプトン(Eric Clapton)からヤンはトップの座を奪い、その事件は新しい時代の到来の象徴のようなものだった。フォーカスの音楽は、まだフュージョンとかクロスオーバーと呼ばれるジャンルがない時代における革新的な音楽だったのだ。
では、フォーカスの曲を2曲。
http://www.youtube.com/watch?v=0s8qT29x9Pw
http://www.youtube.com/watch?v=SI2tITOZgs0
今、改めて聴いてみると、ヤン・アッカーマンのギターって、サンタナからラテン風味を抜いたような感じ、あるいはクラシカルにしたラリー・カールトンに聴こえるのは私だけであるまい。
さて、フォーカスの代表曲であるが、1972年にシングル・レコードとして大ヒットした「ホーカス・ポーカス (Hocus Pocus)」だと言って良いだろう。日本でも「悪魔の呪文」というタイトルでヒットしている。彼らの最大のヒット曲である。
で、この曲が実はヘンなのである。フォーカスの音楽性を象徴するような曲調ではないのだ。この曲だけを聴いて、フォーカスってこういう曲をやるバンドだと勘違いした人も多いらしい。ヘンな曲だけれどもヒットしちゃったんだからしょうがない。
似たようなパターンは他のバンドにも時々ある。そのバンドの本来の音とはかけはなれた曲が思わぬヒットしちゃって誤解されるパターンである。イエスの「ロンリー・ハート (Owner of a Lonely Heart)」、ジェネシス(Genesis)の「アイ・ノウ・ホワット・アイ・ライク (I Know What I Like)」なんかがそれだろう。ア・ハー(a-ha)の「テイク・オン・ミー (Take on me)」、レインボー(Rainbow)の「シンス・ユー・ビーン・ゴーン (Since You been Gone)」、エアロスミス(Aerosmith)の「ドリーム・オン (Dream On)」もそのパターンにあてはまるか。ブラス・ロックのシカゴ(Chicago)やハード系のフォリナー(Foreigner)がバラードばかりしかヒットしないってなパターンもちょっとだけ似ているかな。
では、実際に、フォーカスのそのへんな曲「ホーカス・ポーカス」を聴いてみよう。
http://www.youtube.com/watch?v=7v_9A420_-U
印象的な歌だよなぁ。一度聴いたら忘れられない曲だ。演奏が終わると、客が総立ちで拍手喝采であるのも凄い!
ヨーロレイヒ〜!
って歌う「ヨーデル」という民族音楽の歌唱法を導入しちゃったのであった。ヨーデルとロックの融合。これはいくらなんでも悪趣味だよなぁ。歌っているタイスの目も完全にイっちゃってるしなぁ。こ〜いうオジサンを街中で見かけても絶対に視線を合わせたくないなぁ。まず、その髪型からしてヘンだろ。
で、15年くらい前のことなんだけど、なんと、この曲がカラオケになっていた!
ススキノにある某カラオケ店に、この曲のカラオケがあったのだ。まさかこんな曲がカラオケになっているなんて!と驚愕だった。
悪趣味な私なので歌ってみたのだった。ヨーデルなんか歌った経験がないものだから、勿論、ろくな声がでずに私は玉砕状態だった。その時のモニタ画面に表示される歌詞がイキだったのだ。こんな歌でもちゃんと歌詞が出るってのがイキだよなぁ。その歌詞ってのが、ひらがなで、
よろれひ・よろれい・ぼん・ぽん・ぽーん!
なんだもの、イキでしょ?
ところが、その後、この曲がカラオケになっているのを二度と見ることはなかった。幻のカラオケ曲である。
フォーカス
http://rock.princess.cc/rock/focus.html
http://www.ne.jp/asahi/matsuwa70/home/focus.html
http://www.focustheband.nl/
この手のパターンで、カラオケにあったらいいなぁと思う曲は、ピンク・フロイドの「ユージン、斧に気をつけろ (Careful with That Axe Eugene)」である。
どんな曲なのか知らない人は、こちらをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=UX93wNMhDFI
カラオケで歌う場面は、3分5秒のあたりからの「ギャー!」っていう絶叫の部分と、その前後の囁きの部分のみってことで。
是非、誰かに、これの「ギャー!」の絶叫のコンテストを企画してもらいたいな。審査員にピンク・フロイドを呼んで。
ちなみに、元・キング・クリムゾン(King Crimson)、エイジア(Asia)のボーカルのジョン・ウェットン(John Wetton)は、カラオケ大好きオッサンらしく、来日した時は必ず日本の関係者にカラオケに連れて行ってもらうらしい。そして、ビートルズなんかを歌うらしいのだ。自分の持ち歌の「21世紀の精神異常者 (21st Century Schizoid Man)」がカラオケにあったら、それも歌うというのだ。でも、その曲って、最初と最後にちょっとだけボーカル部分があるだけでしょ。長い長い間奏の部分って、いったい何をやって過ごせばいいのだろうか?
ジョン・ウェットン先生、ご自身からの模範解答をもらいたいものだ。
エア・ギターかな?
そっくりさん嫌い (80)
2006年12月12日久々のそっくりさんシリーズだ。
YouTube のこの動画を見よう。
http://www.youtube.com/watch?v=Nexe_-A2Y3c
この動画に登場しているのは、オランダのバンドで「アース&ファイア (Earth & Fire)」っていう名前だ。1970年代に活躍していた懐かしいバンドである。米国の黒人のバンド、アース・ウィンド&ファイア(Earth, Wind & Fire)とは無関係である。演奏している曲は代表曲の「メモリーズ (Memories)」だ。1972年の大ヒット曲である。
オランダといえば、1970年代にはショッキング・ブルー(Shocking Blue)というバンドが「ヴィーナス (Venus)」などの曲を英国・米国などで大ヒットさせ、フォーカス(Focus)というバンドがこれまた英国・米国でも売れまくり、日本でもかなり人気があった。フォーカスのギタリストのヤン・アッカーマン(Jan Akkerman)は、当時、エリック・クラプトン(Eric Clapton)以上の人気があったのだ。
それまでは、ロック・バンドってのは米国と英国だけのもののように思われていたが、フォーカスの人気によって、その他の国のロック・シーンも注目されるようになり、イタリアからはPFM、デンマークからサヴェージ・ローズ(Savege Rose)、ハンガリーからはオメガ(Omega)、フランスからはマグマ(Magma)、ドイツはらはタンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)、・・・のように、ヨーロッパの各国のバンドが海外進出を果たし、英国・米国や日本でもレコードを出すようになる。
そんな時に、ショッキング・ブルー、フォーカスに続いて、オランダからの第3のバンドとして海外進出したのがアース&ファイアであった。当初はポップス・バンドで、ポップな曲「シーズンズ (Seasons)」をヒットさせているが、次第に音がプログレ化して、「アトランティス (Atlantis)」、「ゲイト・トゥ・インフィニティ (Gate to Infinity)」、「トゥ・ザ・ワールド・オブ・フューチャー (To the World of Future)」などの素晴らしいLPを発表している。プログレ・コレクターの私もこのバンドの大ファンで、アース&ファイアが出した全ての種類のLP、CDを持っている。特に私は「アトランティス」が大好きで、私の長年の愛聴盤である。
1980年代に入って、アース&ファイアはつまらないポップスをやりだして、人気も衰退し、解散(自然消滅)した。解散後は女性ボーカリストのジャーネィ・カーグマン(Jerney Kaagman)がソロ歌手として一時期活動していたこともあったようだ。
勿論、アース&ファイアは本国のオランダでも大人気のバンドだ。数々のヒット曲を持っている。オランダ人であれば誰でも知っているバンドだ。前述の曲「メモリーズ」も1972年にオランダで大ヒットしている。今となっては、オランダ人の懐メロなのである。
その後、オランダからは、フィンチ(Finch)、エクセプション(Ekseption)、トレース(Trace)、バンザイ(Banzai)、スーパーシスター(Supersister)、カヤック(Kayak)、コーダ(Coda)などのバンドが出てきて、オランダ国外にも進出したバンドもあったが、どれも商業的に満足な成功はできずに終わっている。
では、同じくアース&ファイアの代表曲をもうひとつ。曲名は「メイビー・トゥモロウ (Maybe Tomorrow)」だ。いい曲だねぇ。
http://www.youtube.com/watch?v=nax7rR21E7w
で、そっくりさんの件だなぁ。
よ〜く、以上の2つの動画を見てみると、何がそっくりさんなのかわかるだろう。
向かって右端で黒いギター(ギブソンのレス・ポール)を引いている金髪の長髪で髭のあるムサい男(グレート義太夫みたいな奴)と、左端でキーボードを弾いている男がそっくりだ。ヘア・スタイルから髭の感じまで、全部がそっくりでウリふたつ。全く区別がつなかい。
実はこのふたり、一卵性双生児なのであった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/earthandfire1.jpg
キーボードが兄のジェラール(Gerard Koerts)で、ギターが弟のクリス(Chris Koerts)だったかなぁ、いや、その逆だったかも知れない。大ファンの私でも区別がつかないんだものなぁ。当時の雑誌などに掲載されていたこのバンドのどの写真を見ても、この双子の兄弟はいつも同じ顔、同じ表情、同じヘア・スタイルで、同じような服装をしているんだもの。楽器を弾いている姿でなければ、どっちがどっちなのかさっぱりわからんし、ナイショで楽器のポジションを入れ替えても気が付かないだろうなぁ。一卵性双生児、恐るべし!
日本でいうと「マナカナ」、「ザ・たっち」だな。以前は「リリーズ」ってのもいたなぁ。「ポップコーン」って双子のお笑いコンビもその昔にいたけれど、知っている人は少ないか。
では、オマケに動画をもうひとつ。その30年後の2002年に、アース&ファイアのボーカルのジャーネィ・カーグマンが単独でオランダのテレビ番組の懐メロのコーナーに登場した姿がこれ。前述の「メモリーズ」を歌っている。
http://www.youtube.com/watch?v=rUWvGIvJoQs
あれから30年だから、今となってはデブデブのオバチャンになっているんじゃないかな?と心配に思ってたけれど、かなりマトモな姿なので安心である。顎から首にかけてちょっとだけ脂肪が付いている程度だ。歌い方も動きも、かなりソフトになっちゃってるなぁ。
で、あの双子は今、どんなオッサンになっているのか気になるのは私だけであるまい。
ってことで、今年の10月に撮影された近影がこれ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/earthandfire2.jpg
ふたりとも、すっかりジィさんになっちゃっていた。悲しいものがあるなぁ。時の流れって残酷なものだよなぁ。
で、前述の動画の中で元気にドラムを叩いていた青年は、現在、こんなおっさんになっていた。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/earthandfire3.jpg
なんだか、アムステルダムのヤバい裏通りにあるカフェのマスターみたくなっちゃってるなぁ。
アース&ファイア
http://ftp.castel.nl/~wemmg01/ef.htm
http://www.earth-and-fire.nl/
オランダのプログレ
http://homepage2.nifty.com/gdawn/HTML/Holland.htm
マナカナ
http://www.manakana.jp/
ザ・たっち
http://com.horipro.co.jp/profile/21tacchi.html
リリーズ
http://www.purple.dti.ne.jp/suiren-music/
映画嫌い (122)
2006年12月11日本日の映画は2006年の邦画「日本以外全部沈没」である。
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33年ぶりにリメイクされた邦画「日本沈没」に便乗して制作・公開された映画である。勿論、小松左京が原作の「日本沈没」のパロディだ。
まず、これの原作本「日本以外全部沈没」についての話をしておくことにしよう。
「日本沈没」の小説が発売されてベストセラーになっていた1973年当時に、小松左京、星新一、筒井康隆らのSF作家が集まって飲み会をやっていて、その時にジョークで星新一が「日本以外が全部沈没するっていう話があっても面白いではないか」と言って「日本以外全部沈没」のタイトルを考案し、小松左京本人の了承の上で、そのタイトルで筒井康隆が書き上げた短編小説が元になっている。その短編小説「日本以外全部沈没」は現在は筒井康隆の短編集の文庫本「日本以外全部沈没」で読むことができる。二十数ページの短編なので、本屋で見かけたら立ち読みしよう。
その原作は、文字通り、日本以外が全部沈没する話である。正確には、沈没した後の話だ。生き残った外国の政治家、著名人たちが日本に移住してきて、日本の生活・文化・風習に馴染めなかったり戸惑ったりする姿や、日本人に媚びて生きていかなければならない姿をブラック・ユーモアたっぷりに書いているのである。いかにも筒井康隆らしい内容である。読んでいると、筒井康隆の笑う顔が浮かんでくる。
で、登場する数十名の外国の政治家、著名人たちってのが、この小説が書かれた当時の実在の人物で、中国から毛沢東、周恩来、アメリカからフランク・シナトラなんかが日本に移住してくることになっているんだけれど、今となっては、毛沢東も周恩来もシナトラも故人となっており、今それを読むと時代のギャップが否めない。登場人物のほとんどが故人になっているような気がする。ビートルズも登場しているんだけれど、ビートルズも今となっては死亡率50%である。タイトルを考案した星新一も故人だな。
だから、当然ながら、映画化された「日本以外全部沈没」は、原作の古い短編をかなりアレンジしたものになっていた。筒井康隆の原作本とは無関係なものに思えるほどのアレンジだ。日本以外が沈没し、海外から難民が日本に押し寄せ、日本の人口が5倍になってしまい、食料がなくなり、物価も高騰し、外国人犯罪も増加し、外人たちはホームレスになったり、肩身の狭い生活をするってな内容だ。実在する人物が本人役で出演しているのは、ディブ・スペクター(註1)くらいかな。
出演している俳優もパロディである。日本の総理大臣、安泉純二郎を演じているのは村野武範だ。村野武範は33年前にTBSのテレビ・ドラマとして放送された「日本沈没」で主人公の小野寺を演じていた。防衛庁長官の石山新三郎を演じているのは藤岡弘(註2)である。藤岡弘は33年前の映画のほうの「日本沈没」で主人公の小野寺を演じていた。「日本沈没」に登場していた田所博士もこっちの「日本以外全部沈没」に登場している。これであと草ナギ剛を出演させていれば完璧だったのにねぇ。
その他のパロディでは、某・北の総書記が日本を乗っ取ろうとするシーンや、
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飲み屋で筒井康隆がシュワルツェネガー、ブルース・ウィリスに芸をやらせて小遣いをやるシーンとか、
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テレビ番組に「明日の外人予報」ってのがあって、外人予報士の森田良純という男が出てきて(演じているのは松尾貴史)、明日に外人が出没して治安が悪くなりそうな地域に注意報を出したりするシーンがあったりする。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/chinbotsu3.jpg
でも、この映画、笑いの密度が低いんだよなぁ。パロディにしても、いまひとつツッッコミが浅いし、ユーモアのセンスが良いとは言えないよなぁ。「日本沈没」がリメイクされることになって、あわてて「日本以外全部沈没」を映画化する企画書が出されて、大急ぎで作ったんだろうけど、公開日を半年くらい遅らせても、もっと中味の濃いものにすべきだったろうになぁ。筒井康隆ファン、パロディ・ファンの私としては、こんな安っぽい映画に仕上がっていることに残念でならないのであった。
ってことで、この映画のデス度は星3個。
★★★☆☆
映画「日本以外全部沈没」
http://www.all-chinbotsu.com/
註1:ディブ・スペクター
「ディブ・スペクター日本語学院」ってのを経営して、移住してきた外人たちを相手に日本語を教えてボロもうけしちゃう!ってな設定だ。
註2:藤岡弘
藤岡弘の芸名は正しくは「藤岡弘、」である。名前の最後に「、」が付き、それを含めてが芸名なのである。しかし、文章中に「、」を含めて書くのはややこしいので、上記の文中では「、」を書くのを省略した。
実は「藤岡弘、」に「、」が付くってのは、「モーニング娘。」の「。」より、ずぅ〜っと歴史が古いのだ。ちなみに、本人によると「、」には「いまだ完成せず」の意味を込めているそうなんだけれど、「、」にそ〜いう意味があるのかぁ?
藤岡弘、
http://www.samurai-hiroshi.com/map.html
安泉首相を演じている村野武範は、小泉・前首相っていうよりは、民主党の元・代表の管直人に似ているな。ほんのちょっとだけだが。
映画嫌い (121)
2006年12月10日本日の映画は2002年の米国映画「リベリオン (Equilibrium)」である。これも近未来を描いたディストピアものだ。
第3次世界大戦が終結した。生き残った指導者たちは、戦争の原因は人間の感情によるものだと判断し、人間のあらゆる感情を抑止させるべく、感情抑止薬「プロジウム」を開発し、それを毎日注射することを義務付けた。そして、徹底した管理社会の体制を敷いたのだった。人間の感情の表現である文学、絵画、音楽などの芸術も禁止され、その所持も禁止されて、徹底的に芸術作品は破壊され、焼かれた。ペットを飼うことも感情的な行動だとして禁止だ。そのような体制に反抗する一部の人々はレジスタンス化して地下に潜ったが、警察の容赦ない追跡で厳罰に処されるのだった。
主人公のプレストンは、警察の捜査官である。彼は「クレリック」と呼ばれる聖職者の身分を持つ上級捜査官で、武装した突入部隊を指揮して、感情違反者の摘発と逮捕を行なっている。冷徹に任務を遂行する彼は、容疑者の家に突入し、芸術作品を押収・破壊し、抵抗する容疑者を次々に射殺していく。感情のない彼は、冷酷な殺人マシーンなのであった。
ところが、ある日、プレストンは自分に注射しようとしたプロジウムのアンプルを落として割ってしまい、彼はプロジウムを投与しないまま仕事に出かけてしまうのだった。彼に感情が生まれ始めた。その時に逮捕した感情違反者の女性が彼に訴えた「感情もない人生の意味は何?」という言葉が彼の心に突き刺さる。彼はその後もプロジウムを投与しないで過ごし、自分の職務と管理社会の体制に疑問を感じてくる。そして、レジスタンスに協力して、体制転覆を計画するに至るのだが・・・。
これもつまらないなぁ〜。ディストピアものって、どうしてこんなにつまらないものばかりなのだろうか? せっかく独自の未来像ってものを創造してみても、その発想がとてつもなく貧困でこの程度なんだよなぁ。こんな貧困な映画に付き合わされるのは迷惑ってものだ。音楽を禁止しているってのは、スティックスの「ドモ・アリガット、ミスター・ロボット!」のバカ・ストーリーの世界にも通じるアホらしさだ。
この映画の中には、「ガン・カタ」っていう名前の、銃を持ってカンフーのように戦う未来の武道が出てきて、主人公はその達人ってことになっているんだけど、その武道がアホらしいのなんの。銃を持っているんだから、相手がパンチやキックをしてくる前に撃てばいいじゃん。モンティ・パイソンのコントの「新鮮なバナナを振りかざして襲ってくる相手から身を守る護身術」ってのを思い出してしまった。
ってことで、この映画のデス度は星4個。
★★★★☆
映画「リベリオン」
http://www.amuse-s-e.co.jp/rebellion/
http://us.imdb.com/title/tt0238380/
スティックス「ドモ・アリガット、ミスター・ロボット!」
http://homepage1.nifty.com/non_suke/favor/mr_robot.html
http://www.jc-i.jp/mr.htm
モンティ・パイソン「新鮮なバナナを振りかざして・・・」
http://python-airways.cside.com/sketch/04-fruit.htm
映画嫌い (120)
2006年12月9日今回のデス映画は2005年の英国映画「名犬ラッシー (Lassie)」である。1960年代に一世風靡した名作テレビ・ドラマ・シリーズ「名犬ラッシー」の映画化である。子供向けのクリスマス映画ってなところだ。そろそろ日本でも劇場公開されるのかな?
舞台となっている時代は第二次世界大戦の開戦の少々前くらい、つまり1930年代の半ばじゃなかろうか?
イングランドのヨークに住む小学生のジョーは、ラッシーと名付けた犬を飼っていた。毎日、学校の校門の前で、ジョーが授業を終えて出てくるのを待っている利口な犬であった。
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ジョーの家は父と母との3人暮らしで、父は炭坑で働いていたが、急にその炭坑が閉山となってしまい失業してしまう。
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借金もある貧乏な家庭なので生活に困り、父は出稼ぎに出ることとなり、更にはラッシーをほしがっていた金持ちの家にラッシーを売ってしまうことになる。ジョーはひどく悲しむのであった。
金持ちのその家からラッシーは何度となく脱走してジョーの元に戻るが、渋々、ラッシーをその家へ返しに行く。その後、その金持ちの家は、スコットランドの最北部へ転居するのであった。勿論、ラッシーを連れてである。
ところが、今度はスコットランドのその家からラッシーが脱走した。500マイル(1マイルは1.6km)も離れたヨークのジョーの家を目指して、ラッシーは南へ南へと走る。スコットランドの高地、湖畔を走り抜け、グラスゴーの市内では保健所に捕まりそうになり、出逢いと別れを経験しながら、ラッシーは自分の体がボロボロになりながらも南を目指した。
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季節は冬となり、雪の降る中、クリスマス・イヴの夜にやっとラッシーはヨークのジョーの家の前にたどり着き、ラッシーは雪の中に倒れて冷たくなっていく。その時、ジョーの一家は家を留守にしていて、近所の教会で、ジョーと母親、そして出稼ぎから戻ってきた父、近所の人々が集まり、賛美歌を歌ってクリスマスを祝っていたのだった。そしてラッシーは・・・。
テレビ・ドラマ版の「名犬ラッシー」は私が子供の頃に見ていたハズなんだけど、ドラマの内容にもテーマソングにも全く記憶がないのだ。宇宙人に誘拐されてその部分の記憶を消されてしまったのではないだろうか? いや、単に動物もののドラマが大嫌いだったからマジメに見ていなかっただけか。「名犬ラッシー」のタイトルだけを覚えている程度だ。だから、テレビ版との違いはわからない。同時期にテレビで放送されていた「タイムトンネル」とか「サンダーバード」なんかはよく覚えているんだけどね。
さて、この映画であるが・・・、スコットランドの最北部からヨークへ戻ってくるってのは、日本で言えば、青森県の八戸から神奈川県の厚木へ帰るってなスケールのものだな。で、ひとことで言っちゃえば、この映画は犬版の「母をたずねて3000里」だ。最後に教会で瀕死の犬が・・・ってなシーンでは、「フランダースの犬」も入ってるのかよ?と思ってしまったもの。でも、しょせんは子供向けの映画だから、ラストは、世の中こんなうまくいくハズがない!ってなハッピーエンドになっちゃっている。失笑である。感動も何もない。嫌悪感さえする。今でも私は動物もののドラマが大嫌いだ。
途中で、ラッシーがスコットランドのどこかの湖を通りかかるシーンがあるんだけれど、その時に湖の水面に黒くて巨大な影が現われて、波がたってボートが大きく揺れるのである。このシーンにだけ笑ってしまった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/Lassie4.jpg
これって、スコットランドにあるネス湖のネッシーのつもりなんだろうねぇ。まさかラッシーの映画にネッシーが出てくるとは思わなかったなぁ。ラッシーとネッシー、名前は似ているけどね。
最近の日本では、若者・子供はネス湖の名前もネッシーの名前も知らないそうだから、日本でこの映画が劇場公開されても、このシーンの意味がわからない人が多いんだろうなぁ・・・。
ってことで、この映画のデス度は星3個。
★★★☆☆
映画「名犬ラッシー」
http://us.imdb.com/title/tt0431213/
http://lassie.goo.ne.jp/index_f.html
ネス湖
http://homepage2.nifty.com/nanba/Photo_ness.htm
ジョーの母親の役の女性、どこかで見た事があるような・・・と思って2日間が過ぎた。あの顔の丸い輪郭、薄い眉毛、どこで見たんだっけなぁ・・・。すると、トイレで放尿している時に気がついたのだった。以前にここに書いた映画「CODE46」でヒロインのマリアという女性の役をやっていたネエちゃんだ。近未来SMをやっちゃっていたあの女性だ。こ〜いう役のオファーまで来てたんだねぇ。しみるなぁ・・・。
ところで、ネス湖には私は5度ほど行ったことがある。ひんやりとした雰囲気の湖で、北海道にある支笏湖に雰囲気がよく似ている。まわりに何もない所なので、一日中、湖をボーっと見ているだけしかない。そ〜いう、かなりリラックスできる場所なのだ。私は一度もネッシーを見かけたことはない。ネッシーなんて信じちゃいないしな。
ある日の夕方、私がネス湖で宿泊しているホテルのバーで本場のスコッチを飲んでいたところ、現地の爺さん3人がバーにやってきて飲みだした。私は片耳をダンボにして彼らの会話を聴いてみたんだけれど、訛りがすごい英語で、何を言っているのかさっぱりわからなかった。ゲール語が入っている英語なんだろうか? その会話の中に何度も「バイステ」という語が登場していたので、バーのカウンターの中にいる兄ちゃんに「バイステって何?」って英語きいてみたら、その無愛想な兄ちゃんはひとこと「ビースト」と答えた。ほぇ〜!「ビースト(beast)」を「バイステ」と発音しちゃうのかぁ、そんな発音の英語なら絶対に聴いてもわけがわからんだろうなぁ。
現地では「ネッシー」とは呼ばず、「バイステ(獣)」と呼んでいるらしい。
初めてネス湖に行った時、私は現地のみやげ屋でネッシーの写真のデカいポスターを買ってきた。そのポスターは、今でも私の自室の壁に貼ってある。その後、その写真を撮影した本人が、あの写真は捏造だったと認めたやつなんだけどね。
その有名なネッシーの捏造写真がこれ。
http://rerundata.hypermart.net/ura/inri2039/img5/nessie1.jpg
映画嫌い (119)
2006年12月8日今回のデス映画は2006年の邦画「椿山課長の七日間」である。浅田次郎の同名小説の映画化である。主演は西田敏行と伊東美咲で、その他には、志田未来、須賀健太なども出演している。
デパートに勤務する椿山課長は大忙しのバーゲン中に倒れてしまい、突然死したのだった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/tsubaki1.jpg
死後4日目に椿山課長が目を覚ましたその場所とは、天国と地獄の中間に位置する「中陰役所」だった。そこに集まった新人の死者に対して、ガイドのお姉さんの説明が始まる。
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突然死だった椿山課長は、何の準備もしないままにこっちの世界へ来てしまったことをガイドさんに訴え、元の世界に戻ることはできないのかと質問したところ、希望者は初七日までの期限付きで元の世界に「逆送」できるが、それには戻る理由を審査してパスしなければならないと言うのであった。そして、「逆送」を希望した72人の中、厳しい審査をパスしたのは、椿山課長、少年の雄一、ヤクザの親分の武田の3名だけだった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/tsubaki3.jpg
孤児で養子となっていた雄一は、本当の両親がどこの誰なのか知らずに死んだので、両親を探し出したいと言う。
ヤクザの武田は刺されて死んだのだが、自分の死が原因でヤクザの抗争が激化しちゃうのをくい止めて、自分の子分たちにヤクザから足を洗わせたいと言う。
そして、椿山課長は、重大な事実を知らずに死んでしまったので、それが理由で審査をパスしたと説明される。
そして、3人は元の姿とまるっきり違う人間に変えられて、元の世界へ戻されるのだった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/tsubaki4.jpg
自分の正体の暴露と復讐は禁止されている。期限の初七日までの残り時間はあと3日間だ。
元の自分と違う姿で、雄一、武田は目的を達成できるのか?
椿山課長が知らずに死んだ重大な事実とはいったい何なのか?
つまらなかった。邦画によくあるコメディ&ヒューマニズムという失敗のパターンをまたしてもやらかしてしまっている。笑いもなければ感動もない。なんでこんな映画ばかり日本では作ってしまうのだろう?
しかし、単につまらないって事だけではこの映画はすまされないぞ。この映画ように死後の世界ってのを肯定するのは大問題だ。いくらこの映画がフィクションだと言っても、死後の世界をそのように美化したビジュアル・イメージで見せるのはダメだろ。某テレビ番組で自称・霊能者が前世がどうのとか言って、来世ってのがあって、生まれかわりがあるとする為に、日本の中学生・高校学生の7割以上が生まれかわりを信じちゃっているのが現実なのだ。死んでも生まれかわれる、死はリセット・スイッチだと思い込んで、それで自殺する未成年者の数は相当数あるのが現実だ。未成年者の自殺者があとをたたない昨今、この映画や、あのインチキ霊能者番組はこのような現実にどのように責任を取れるというのだろうか?
ってことで、この映画のデス度は星5個。
★★★★★
邦画「椿山課長の七日間」
http://www.tsubakiyama.jp/
映画嫌い (118)
2006年12月7日本日のデス映画は2006年の米国映画「ディパーテッド (The Departed)」である。2002年の香港映画「インファナル・アフェア」のリメイク版である。主演がディカプリオで、その他にはマット・デイモン、ジャック・ニコルソンらが出演していた。日本では2007年の正月映画なのかな?
舞台は米国のマサチューセッツ州のボストンだ。主人公のビリーは警察学校を卒業し、州警察の面接を受けて採用となった。彼の任務はボストンのギャングのボスであるフランク・コステロの組織に潜入して捜査し、その情報を州警察に流すことだ。身元がバレないように、彼には前科が付けられ、半年前に警察から追放されたことに経歴を偽造された。ビリーはチンピラとなって街で暴れ、それに目をかけたフランクから組織に迎えられ、うまいこと潜入に成功したのだった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/Departed1.jpg
ビリーが潜入捜査官であることは、彼の直属の上司であるクィーナン部長とその補佐のディグナムの2人しか知らない。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/Departed2.jpg
一方、ビリーと同じ時期に州警察にエリートとして採用されたサリヴァンという男がいた。サリヴァンはフランクの逮捕とその組織の壊滅を目的とする特別捜査班に配属されたのだが、実はサリヴァンはフランクの組織の一味で、フランクに警察の捜査情報を漏らす悪徳警官なのだった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/Departed3.jpg
組織の中に警察のネズミが入り込んでいると知ったフランクはそれが誰なのか調査を始める。
また、一方の州警察では、捜査情報が組織に漏れていると判明し、警察内部にいる裏切者を探し出そうとする。その調査責任者になんとサリヴァンが任命されるのだった。
ビリーとサリヴァンは互いに面識もなく、ビリーはサリヴァンが組織の男だとは知らず、サリヴァンは組織に潜入している捜査官がビリーであることも知らない。
サリヴァンは捜査官が誰なのかを調べ出してフランクに教えようとするが、クィーナン部長から捜査上の極秘事項だとして誰が捜査官なのか教えるわけにいかないと言われる。
ビリーが捜査官であることがサリヴァンによって暴かれ、ビリーは組織に抹殺されるのか?
それより先に、州警察内部の裏切者がサリヴァンであることをビリーは突き止めて、それを証明することができるのか?
ビリーとサリヴァン、この勝負、どちらが勝ちか?
元となった香港映画を見ていないから、それとどのように違うのかは知らないが、こっちの映画はかなり間延びした地味で退屈な映画である。ストーリーにしまりがないまま、2時間20分弱もの長時間をだらだらとやっているだけだ。ストーリー自体がたいして面白くないし、興味を持てるような内容ではないから、見るのがつらくなってくる。誰もうかばれない結末もつまらないよなぁ。フランクの非人間的な悪者ぶりの表現が不足しているものだから、彼自身についても、彼の組織についても、かなり薄っぺらにしか見えない。そして、ビリーとサリヴァンの対比も表現不足のままあっけなく終わってしまっているのがつまらないなぁ。ビリーとサリヴァンの一騎討ちにもっと重みを置くべきだったろうになぁ。それに、クィーナン部長、ディグナム、女医さんなどの他の登場人物の表現もかなり不足しているから、すごく密度が薄くて他人事のようにしか見えないのも、この映画がつまらない一因だろう。誰の人間性も全く見えてこないんだもの、すっごくヘタな脚本だよなぁ。
それにしてもつまらないのが、あの女医さんだ。ラストでそれなりの役割をすべきであろうに、何もしないままってのはないだろ。ビリーと寝るし、サリヴァンと同棲するのに、乳首さえ見せないってのも何だかなぁ。っていうか、もっと魅力的な女優さんを使えなかったんかい?
ってことで、この映画のデス度は星4個。
★★★★☆
映画「ディパーテッド」
http://us.imdb.com/title/tt0407887/
http://wwws.warnerbros.co.jp/thedeparted/
このちんたらした映画の進行に飽きてきてアクビが出てきた1時間15分くらいのシーンで、BGMとして流れてきたちんたらした音楽・・・、う〜ん、この曲どこかで聴いたことが・・・、と1秒だけ考えたところ判明。ピンク・フロイドの「Comfortably Numb」だ。歌と演奏はピンク・フロイドではなくて、誰かがカバーしているやつだ。この曲のちんたら具合が妙にこの映画のちんたらにマッチしているのがおかしいよなぁ。
ピンク・フロイド「Comfortably Numb」
http://www.youtube.com/watch?v=fh0dj_-B1Hs
昨年の7月2日のロンドンでの再結成ライブのちんたら映像でしたぁ。
映画嫌い (117)
2006年12月6日今回のデス映画は2006年の米国映画「プラダを着た悪魔 (The Devil Wears Prada)」である。
舞台はニュー・ヨーク。主人公はジャーナリスト志望のアンドレアだ。こんな個性的な顔立ちの女性である。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/prada1.jpg
目だけが異様にデカいマンガちっくな顔に笑っちゃう。この女性が悪魔ってことではない。彼女は有名ファッション誌「RUNWAY」を出版している会社の採用面接に合格して、編集長のミランダのアシスタントとなった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/prada2.jpg
ところが、このミランダがただものではなかったのだ。絶対君主制の女帝として君臨しているのである。ミランダは無理難題をアシスタントに言い渡し、絶対服従を命じるので、過去に何人ものアシスタントが辞めているのだった。アンドレアにも数々の命令が言い渡され、彼女は大忙しだ。ある時は、ミランダの子供(双子)がハリポタの続きの話しを読みたがっているので出筆中の原稿を入手するようにと不条理な命令されてしまい、アンドレアは原稿入手のために奔走する。また、ある時は、急にミランダが出席するパーティに同行するように指示され、その為に同棲している彼氏の誕生パーティにも行けず、それが原因で彼氏との仲も破綻する。
悪魔のような傲慢女・ミランダとアンドレアの関係の結末は・・・?
盛り上がりもなく、伏線もない。ストーリーとして全く面白みがないんだものなぁ。
主人公のアンドレアが魅力に乏しく、全く感情移入できないのが最大の欠点だ。それに、女帝ミランダは単なるイヤなオバチャンでしかなく、人間としての深みに欠けているのも痛いよなぁ。ミランダがたとえば、海原雄山のような、悪役であってもそれなりの人格者であれば、かなりストーリーに厚みが出たであろうに、こんなのじゃ薄くてぺらっぺらだ。極悪非道な鬼・悪魔としてミランダを描写するにもかなり手ぬるい感じが否めない。その女帝ぶりがセコいから、器の小さなワガママ・オバチャンにしか見えないんだもの。だから見ている側もイヤな気分にされちゃって、それで終わりだ。
結局、アンドレアもミランダの元から去ってそれが結末になっているのが情けない。訴訟社会の米国なんだから、パワー・ハラスメントとして訴えれば、アンドレアはかなりの金額を取得できただろうになぁ。多分、億円単位の金を取れるぞ。
で、結局、こんな映画、見てもしょうがないぞ・・・ってな内容だな、こりゃ。
ってことで、この映画のデス度は星4個。
★★★★☆
映画「プラダを着た悪魔」
http://us.imdb.com/title/tt0458352/
http://movies.foxjapan.com/devilwearsprada/
この映画の日本でのキャッチ・フレーズが
「恋に仕事にがんばるあなたの物語」
ってんだけど、これって、そ〜いう内容の映画なんかじゃないでしょ!
バッカぢゃないのぉ?
映画嫌い (116)
2006年12月5日本日のクズ映画は2006年の邦画「UDON」だ。これもコメディにもハートウォーミングにもなっておらんなぁ。すっごく中途半端な映画だ。
コメディアンを目指してニューヨークに渡った松井香助が、借金を抱えて故郷の香川に帰ってきた。香助の実家は製麺所で、彼の父親は黙々とうどんを打ち続ける頑固なオヤジだ。香助はアルバイトで地元のタウン情報誌「さぬき」の編集の仕事をすることになり、さぬきうどんのコラムの連載を企画する。するとそれが大ヒットして空前のうどんブームとなるのだった。小さな出版社の規模も大きくなり、うどんのイベントも成功するのだが、そのブームも長続きせず、結局はタウン情報誌「さぬき」は休刊し、出版社も閉鎖となってしまった。そんな時、香助の父親が急死してしまい、実家の製麺所も閉鎖の危機になってしまう。そこで香助は・・・。
前半は香助のタウン情報誌の記事でうどんブームになる話。そして、後半は実家の製麺店で亡き父の麺を再現しようとする話になっているんだけど、どちらも中途半端で盛り上がりがない。前半部分をカットして、製麺業の話だけにして、その内容をもっと濃くするとか、あるいは逆に後半部分をカットして、うどんブームの話だけにするとかしたほうが良かったんじゃないのぉ? なんだか話が薄いんだよなぁ。薄くてまずいダシで伸びたうどんを食べさせられているような錯覚に陥るもの。
前半のうどん屋訪問のシーンにおいても、香助のセンスがぜんぜん伝わってこない。彼はコメディアンを目指していたんだから、もっともっとユーモアのセンスがあっても良かったのではないかねぇ?
後半の実家で製麺するストーリーも妙に軽くて、ド素人の香助がそれほど苦労することもなく、父の打った麺を再現してしまうのだ。うどんの製麺ってそんな簡単なものなのかねぇ?と思ってしまう。製麺の奥の深さが全然伝わってこないのである。
結局、この映画を見終えても、うどんに関する知識・ウンチクが身に着くわけでもなく、うどんに関する新たな発見もなく、うどんが食べたい気分にもならなかった。こりゃ失敗でしょ。ストーリー自体がとてつもなくつまらないんだもの。
ってことで、この映画のデス度は星4個。
★★★★☆
映画「UDON」
http://www.udon.vc/movie/
後半にチョイ役で森崎博之が出演していた・・・。って、北海道の人じゃないと森崎って誰なのか知らないだろう。北海道でもそれほど知名度があるわけではないが、この人である。
http://www.htb.co.jp/personality/morisaki.html
http://uhb.jp/an/profile/per_morisakih.html
北海道のローカルの深夜番組「水曜どうでしょう」が全国各地で再放送されて、全国的に知名度が上がり、今や全国放送にも登場しているローカル芸人・大泉洋、・・・の所属している札幌の5人組の劇団「チーム・ナックス」のリーダーが森崎である。
これから「UDON」を見る人は、映画の登場人物の中でこの顔にピンときたら、指さして笑ってあげよう。あの役、地元のエキストラにやらせてもよかっただろうにぃ、こ〜いう役者を雇ってやらせていたんだ。わざわざ北海道から四国に呼んでまでして。
チーム・ナックス
http://www.teamnacs.com/
映画嫌い (115)
2006年12月4日本日のクズ映画は1999年の邦画「のど自慢」だ。
テレビ番組「のど自慢」に出場しようとする面々の人間模様なんだけれど、コメディにもハートウォーミングにもなっておらんという毎度毎度の邦画のくだらないパターンの踏襲だ。この映画を見て「面白い!」と思う人がこの世の中にいるんだろうか?
主演が室井滋で、助演に尾藤イサオ、大友康平。チョイ役として竹中直人、桜金造、でんでん、九十九一、りりぃ(懐かしい!)、・・・などが出演。これらの出演陣から想像がつく雰囲気がそのまんまのつまらなさのオンパレード。面白くもなんともないぞ。こ〜いうコンセプトの映画を作り続けているから、邦画っていつまでたってもダメなのだ。
ってことで、この映画のデス度は星5個。
★★★★★
映画「のど自慢」
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=311
映画嫌い (114)
2006年12月3日今回のデス映画は1995年の米国映画「アドレナリン (Adrenalin)」である。1995年の制作当時から見た近未来である2007年が舞台となっている。2007年って来月じゃんか。
冒頭に長々と読み上げられている時代背景がこれだ。
「2007年、社会主義体制が崩壊して18年。東欧諸国は混乱を極めた。各国で暴動や紛争が頻発し、国家は弱体化。文明社会は瓦壊した。環境汚染と犯罪の多発により、経済も人々の心も荒廃した。・・・(長いので中略)・・・。ソ連崩壊で小さな病原体が漏れ出した。そしてそれは西側へ流れていった。猛毒性病原体だ。」
近未来が荒廃した社会になって治安が乱れているという、よくある「ディストピア」(ユートピアの反対語)ものである。この冒頭のシーンでは紛争の映像や死体の映像を見せておどろおどろしく時代背景を説明しているんだけれど、ストーリーの本論に入るとチープでズッコケる。かなりせこい映画なんだもの。
舞台は2007年の米国のボストン。主人公は女性の新入りの警官、デロンだ。
猛毒性病原体に感染して驚異的なパワーと凶暴性を持った男がいた。彼は人々を惨殺していく殺人鬼となり、それをデロンとその仲間の警官3人が追う。殺人鬼は廃虚となったアパートに逃げ込み、通気坑の中を伝って以前は刑務所だった坑道に入り込む。それを追うデロンたち。制限時刻までに彼を捕まえなければ、病原菌が世界中に蔓延して、人類は滅亡してしまう・・・。
この映画も、いわゆる映画「エイリアン」の亜流である。エイリアンを感染した殺人鬼に置き換えて、宇宙船の中ってのを廃虚の通気坑と刑務所に置き換えただけの内容だ。以前にここに書いた洞窟の中の地底人の映画「ザ・ディセント」に相似していて、緊迫感が全くない劣化コピーってな感じになっている。かなり退屈である。かなり安っぽい。防護服で武装した当局の男たちの全員がすぐに殺されてしまう事態なのに、なぜなんだか、主人公だけが殺されずに・・・っていうのがいかにも三流映画のストーリーだ。アドレナリンの分泌が低下しちゃいそうでイヤだな。あぁアホらしい。
ってことで、この映画のデス度は星5個。
★★★★★
映画「アドレナリン」
http://www.generalworks.com/databank/movie/title1/adren.html
http://us.imdb.com/title/tt0115471/
映画嫌い (113)
2006年12月2日今回のデス映画は2004年の米国映画「パパラッチ (Paparazzi)」である。
主人公は俳優のボー・ララミーだ。彼は郊外の新居で、妻のアビー、息子のザックと3人で平穏に暮らしていた。ところが、彼が主演した新作アクション映画が大ヒットして、彼はトップ・スターとなり、パパラッチに追い回されるようになる。そして、無断でザックを撮影していたパパラッチのレックスという男の挑発に乗ってしまい、彼はレックスを殴ってしまう。レックスはボーに対して謝罪と莫大な和解金を要求するが、それをボーが拒否すると、レックスは様々な卑劣な攻撃をしてくるのだった・・・。
つまらないのなんの。結末は予想通りだ。卑劣なパパラッチに勇敢に立ち向かう父親の家族愛ってなところか、あぁつまらない。米国映画のつまらなさの見本のような内容だ。頽廃しているよなぁ。だから私は米国が大嫌いなのである。
ってことで、この映画のデス度は星4個。
★★★★☆
映画「パパラッチ」
http://www.paparazzi-movie.jp/
この映画の製作はメル・ギブソンである。彼自身は出演はしていない。っていうか、このパパラッチ騒動ってのはメル・ギブソン本人の体験が元になっていて、彼によるパパラッチ批判なんだよなぁ。
映画嫌い (112)
2006年10月25日今回のデス映画は今年の米国映画「スネーク・フライト (Snakes on a Plane)」である。そろそろ日本でも劇場公開されちゃっているんだろうなぁ。こんなしょ〜もない腰くだけ映画なんか劇場公開するんぢゃない!
主人公はFBIのエージェント、フリンである。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/snakesonaplane1.jpg
フリンを演じているのはチワワ犬である。おーっと違った、お馴染みのサミュエル・L・ジャクソンである。
ハワイ在住のショーンは、オフロード・バイクでハワイの山の中を走っていたところ、偶然にもギャングのキムが検事を撲殺する現場を目撃した。キムの手下がショーンの口封じの刺客となって、ショーンの自宅に侵入してきたところを、キムを捜査しているフリンに助けられる。そして、ショーンはキムの悪事をロスの裁判所で証言することとなり、護衛のフリンと一緒にハワイからロスへと飛ぶ民間機(ボーイング747 ジャンボ機)へ乗り込む。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/snakesonaplane2.jpg
それを察知していたキムは、大量の毒ヘビを刺客として機内へ送り込んでいたのだった。
その航空機は深夜にハワイを離陸した。雷の鳴る嵐の中、ロスへ向けて飛ぶ。すると、機内の貨物室の中で、大量の毒ヘビが入った箱が時限発火装置で吹き飛んで、その中にいたヘビたちがあふれ出てくるのだった。そして、床下から、天井から、毒ヘビたちが人間を襲い、機内は大パニックに。ヘビは機内の電気系統にも障害を与え、コックピットの機長と副操縦士を襲い、操縦不可能な状態に。果たして彼らは無事にロスに到着できるのか・・・?
アホらしい!
ヘビかよ!
航空機パニック映画ってのは多くあるけれど、それに生物パニック風味をプラスするとこんなバカ映画になっちゃうのだ。まだこれを見ていない人にも、そのバカさは容易に想像がつくだろう。飛行機が揺れて、酸素吸入マスクが天井から落ちてくるのと同時に、大量のヘビが天井からバサッと落ちてくるシーンには、飲んでいたコーラを噴き出してしまった。
刺客にヘビを使うという発想がそもそもバカである。そんな信頼性が低すぎる刺客を使うとは、非現実的ってのを通り越して、脳天気である。「の〜てんき」ってのは本当は「能天気」って書くのが正しいのだけど、「脳」という字を使っちゃうものなぁ。大量のヘビが入った箱を、それも自動発火装置付きのやつを一般貨物に偽装して貨物室に持ち込む手段ってのがあるのならば、ヘビなんか入れずに爆薬を入れておいて航空機を空中分解させたほうが確実だろうになぁ。
あのように人間に襲いかかるヘビってのも非現実的だよなぁ。ヘビはそんなに攻撃的な生き物じゃないし、あんなふうに人間を食いちぎったりしないだろ。猛毒のヘビに噛まれた後も数時間も生きている人間ってのも非現実的だよなぁ。
ジャンボ機なのに乗客の数が妙に少ないってのも気になる。500人乗れるジャンボ機に、せいぜい30人くらいの客しか搭乗していないように見えてしまっているんだもの。すっごい赤字の航空会社なのかねぇ?
客席の中にペットの犬を持ち込んでいる客がいるってのもヘンだ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/snakesonaplane3.jpg
米国では連邦航空局の規定により、機内への一切のペットの持ち込みが禁じられており、それに違反する航空機は絶対に米国で離着陸できない。ペットは荷物として貨物コンテナに預けなきゃならん事を知らないのかね?
それに、航空機もの映画では毎度お馴染みの、誰も操縦できる者がいなくなってシロートが操縦して空港に着陸させるパターンも登場だ。アホらしくて危うく脱糞しそうになった。プレステのポータブルで遊んでいた奴がゲーム感覚で操縦して着陸させちゃうんだもの、バカな映画だよなぁ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/snakesonaplane4.jpg
実際のジャンボ機の機体構造を無視したシーンの連続もアホらしい。
ってことで、以下に、ジャンボ機に関する予備知識を書きながら、そのヘンテコなシーンにツッコミを入れておくことにしよう。
以下、現在、作文中。しばらくお待ちくださいませ。
映画「スネーク・フライト」
http://us.imdb.com/title/tt0417148/
http://www.movie-eye.com/snake/
この映画の音楽担当は、元・イエスのギタリスト(在籍期間は1983年〜1996年)、トレヴァー・ラビンである。通称「イエスをダメにした男」だ。
彼はイエスを脱退した後、映画音楽を主な活動の場としており、「シックス・ディ」、「60セカンズ」、「コン・エアー」、「ナショナル・トレジャー」、「アルマゲドン」、「エクソシスト・ザ・ビギニング」、「ツィスター」など、多くの映画音楽を担当しているんだけど・・・・、トレヴァーよ、仕事を選べよな!
トレヴァー・ラビン
http://us.imdb.com/name/nm0704909/
http://cinematicroom.com/composer/0000074/
http://trevorrabin.net/
映画嫌い (111)
2006年10月24日今回のデス映画は1980年のイタリア映画「ビヨンド (The Beyond)」である。典型的なイタリアン・バカ・ホラー映画である。
1927年、ルイジアナ州のあるホテル。36号室に長期滞在している画家のシュワイクのところに数名の町人がやってきて、彼をリンチにする。そして彼はそのホテルの地下に連れて行かれ、壁に磔にされ、壁に塗り込められるのだった。
それから54年後の1981年、叔父の遺産としてそのホテルの権利をリザが取得した。長い間、そのホテルは閉鎖されていたので、リザは修繕・改装して営業を再開しようとする。ところが、修繕・改装に関わった人間が次々に怪死していくのだった。そのホテルには・・・。
スプラッターなバカ・ホラーである。単にグロい怪死を見せたいだけなサドな映画にしか見えなかった。あちこちでストーリーが破綻しているのはこの手のホラーではお馴染みだから、ストーリーにツッコミを入れるのは虚しくなる。ポルノ映画にろくなストーリーがないのと同様であろう。ろくなストーリーがなくても裸のねぇちゃんがエッチな行為をするとポルノになるのと同様に、ろくなストーリーがなくても血が噴き出して目玉が飛び出すとホラーになっちゃうのだ。
脈絡もなく最後の10分が突然とゾンビもの映画になっちゃうその強引さ、さすがイタリアンだよなぁ〜。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/beyond.jpg
70年代のイタリアン・プログレッシヴ・ロックのものすごく強引なアレンジを思い出さずにはいられない。クエラ・ヴェッキア・ロッカンダ、ロヴェスチオ・デラ・メダリャ、イル・バレット・ディ・ブロンゾ、などのイタリアのプログレ・バンドの名前が頭の中をよぎるのは私だけであるまい。いや、私だけか。
ってことで、この映画のデス度は星4個。
★★★★☆
イタリア映画なのに、なんで舞台が米国のルイジアナ州なんだろうねぇ?
映画「ビヨンド」
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=19469
映画嫌い (110)
2006年10月17日今回のデス映画は1998年のフランス・スペイン・ドイツの合作映画「ドン・ジュアン (Don Juan)」である。
原作はモリエールの文芸作品だ。17世紀のスペインの伝説の男、ドン・ジュアンの物語りである。「女好き・女ったらし」という意味で使われている「ドン・ファン」という名前の元となった男がこのドン・ジュアンだ。映画の中の会話で使われている言語はフランス語だった。
主人公のドン・ジュアン・テオリノは自由気ままな生活をする地方貴族である。
ドン・ジュアンは修道院にいた修道女・エルヴィールを誘惑して妻にした。ところが、ドン・ジュアンは根っからの女好きで、次々に浮気をする。彼にとっては浮気はライフワークのようなものなのだ。その上、彼は無神論者で信仰心が全くない。神を侮辱し、偽善者として世渡りをしている。
彼の召し使いのスガナレルは信仰心が厚い。浮気ばかりして、神を冒涜・愚弄する言動を繰り返す傲慢なドン・ジュアンに対して、スガナレルは強い反感を持っており、時には主人であるドン・ジュアンに戒めの言葉をあびせる。しかし、給料のためだとドン・ジュアンの言う事をきいてしまうのであった。
デカい体格の中年おやじ、ドン・ジュアンを演じているのは安岡力也である。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/donjuan1.jpg
いや違った、ジェフ・ダウンズ(ロック・バンド「エイジア」のキーボードの人)である。いや、これも違ったか。ジャック・ウェベールという俳優らしい。
妻のエルヴィールを演じているのは日本でも人気のある女優さん、エマニュエル・ベアールである。きれいな人だね。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/donjuan2.jpg
ドン・ジュアンはスガナレルを連れて旅に出た。新たな女を求めての旅だ。ドン・ジュアンは行く先々で女性たちをたぶらかす。妻のエルヴィールを捨てて修道院に戻してしまったドン・ジュアンを、仇討ちをしようとするエルヴィールの兄弟たちの騎士団が追う。
ある時、ドン・ジュアンとスガナレルは船に乗ったところ、悪天候の為にその船が転覆し、ある漁村に漂着したのだった。ドン・ジュアンはさっそくその村で、二人の娘、マチュリーヌとシャルロットに甘い言葉を囁く。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/donjuan3.jpg
マチュリーヌを演じているのは美少女として日本でも人気の高いペネロペ・クルスである。シャルロット演じているのは西村知美である。いや、違った、アリアドナ・ヒルという女優さんらしい。
マチュリーヌも、シャルロットも、その気になっちゃって、それぞれがドン・ジュアンに恋心を持ってしまうのだが、ドン・ジュアンは「ちょっと用事があるので」と馬に乗って出かけて、その村に帰ることはなかった。な〜んだ、マチュリーヌもシャルロットもチョイ役だったんだ。ドン・ジュアンの旅先でのトンデモ浮気の一例としての出演だったんだね。
ある時、ドン・ジュアンとスガナレルは石像を運搬している一行に出会う。その石像とは、以前にドン・ジュアンが殺した貴族の像だった。生前のあの男にそっくりで、かなり大きな像である。ドン・ジュアンはそれを「死人の高望みだ」とバカにし、その像に向かって冗談で「一緒に夕食でも」と言って自宅の屋敷に招待するのだった。すると、その一行は本当にドン・ジュアンの屋敷にやって来ちゃった。
後日、ドン・ジュアンは、石像の設置作業中の、あの貴族の屋敷を訪問する。そして、組立て用の足場に登って頭部の位置まで行くと、彼はその足場から転落し、あっけなく死んでしまうのだった。
職を失ったスガナレルは路傍で物乞いをする身となり、「俺の給料・・・」と呟いて天を仰ぐのだった・・・。おしまい。
モリエールの原作本を読んだことがないので、この映画が原作に忠実に作ってあるのか、かなりアレンジしてあるのかは不明であるが、めちゃくちゃつまらない映画だなぁ。つかみどころのないこのストーリー、いったいなんなんだろうねぇ? まるで素手でウナギを捕まえようとしている感覚だ。
まず、恋多きオヤジ、ドン・ジュアンが、女性に対して何を求めているのかがサッパリわからん。ラヴ・シーンもファック・シーンもありゃしない。漁村でのマチュリーヌとシャルロットへの手の出し方を見る限り、女性のカラダを目当てにしたものではないだろう。女性に甘い言葉を囁く自分の姿に酔いたいのか、あるいは、その言葉に頬を赤らめる女性の表情を見て自己満足に浸りたいのか、その程度にしか見えないのである。ドン・ジュアンの恋心ってそんな偏向したプラトニックなものだったのかねぇ? そんな事の為に旅に出て、そんな事の為に騎士団から命を狙われるのかよ? そんなものだから、かなりチグハグで軟弱に見えてしまうし、かつ、物足りなさを感じてしまう。もっともっと色恋事としてエロエロな内容にしたほうが良かったんぢゃいのぉ?と思うのは私だけであるまい。あちこちに精液が飛び散るような豪快なシーンがあっても良かったんぢゃないのぉ?
それにさぁ、あんな野暮ったいオヤジのドン・ジュアンが、なんでそんなに女性にモテちゃうのか?ってのもワケがわからない。甘い言葉を囁くのはドン・ジュアンの勝手なんだけれど、なんで女性たちがそんなドン・ジュアンになびいてしまうんだろうか? ドン・ジュアンが全然魅力的に見えないので、その点がかなり不条理に見えてしまうのだ。
ドン・ジュアンとスガナレルの腐れ縁のデコボコ・コンビの表現もかなり中途半端である。無神論者のドン・ジュアンと信仰深いスガナレルの対比のツッコミが手ぬるいのだ。二人の関係をもっとコミカルに表現できたであろうに、それも全くなっておらん。ドン・ジュアンが死んだ後、乞食になってしまったスガナレルってのも、そこだけが妙に現実すぎて不条理に感じてしまう。え?これで終わりかよ?ってな終わり方の映画だもなぁ。この映画の主人公をドン・ジュアンにしないで、スガナレルの視点にして、もっともっとツッコミを入れたものにしたほうが良かったのでは?と思うのは私だけであるまい。
ドン・ジュアンのあっけない死ってのもかなり不条理だ。石像の頭部の位置まで足場を登って行ったけれど、そこで足を滑らせた転落ではない。まるで急に何らかの発作が起きたかのように、右手を自分の首にあてて、
「目に見えぬ炎が。耐えられぬ。体中が激しく燃えるようだ。」
とワケのわからない事を言いながら、ふらふらして、それで転落なのである。いったい彼の身に何が起きたのかが見えてこないのだ。神を冒涜していた事にバチがあたったのか、彼が殺した貴族の霊が祟って起きた怪奇現象なのか、何らかの持病(糖尿病っぽいかな?)があってその発作だったのか、さっぱりわからない。彼の死の意味がまるで見えてこないんだもの。だから、この映画は全くつかみどころのないまま終わってしまっているのだ。
ってことで、この映画のデス度も星5個。
★★★★★
映画「ドン・ジュアン」
http://us.imdb.com/title/tt0123808/
http://members3.jcom.home.ne.jp/borm/data16/020014.htm
モリエール「ドン・ジュアン」
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/7/3251230.html
安岡力也
http://www.nagarapro.co.jp/rikiya/rikiya_index.htm
ジェフ・ダウンズ
http://www.geoffdownes.com/
西村知美
http://www.tororin.com/
ちなみに、私も無神論者だ。放蕩の趣味もある。しかし、浮気癖はないぞ。