映画嫌い (398)

2009年3月17日 映画
本日のクソ映画は2008年の米国映画「ワルキューレ (Valkyrie)」である。実話の映画化だ。この映画は今週の週末から日本で劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないこと。

第二次世界大戦下のドイツ軍。シュタウフェンベルク大佐は北アフリカ戦線で連合軍の空爆を受け、左目と右手首から先を失ってしまった。このまま戦争が続くと祖国ドイツは滅んでしまう・・・と彼はナチス政権に絶望していた。そして彼は、ヒトラー暗殺を企むベック参謀総長、トレスコウ将軍ら軍の幹部たちが集まっている秘密組織に加わることになる。シュタウフェンベルク大佐の主張は、ヒトラーを暗殺するだけで終わってもダメだという事だ。そして、彼は「ワルキューレ作戦」の改訂版を立案し、自ら中心人物となって仲間たちと着々と準備を進めていく。ヒトラーと共にヒムラーも暗殺し、邪魔となるSSの動きを予備軍を操って抑え、政権を奪取するというクーデター計画だ。新政権の体制や、連合軍との停戦の交渉も考慮されていた。
そして、1944年7月20日、シュタウフェンベルク大佐は自ら作戦を指揮してヒトラー暗殺を決行しようと、時限爆弾入りのカバンを作戦本部に持ち込む。ヒトラーの近くで爆弾が爆発したが・・・。

ちょっとは期待していた映画だったので、実際に見るとガッカリ感しか残らなかった。単に時系列に作戦の準備と決行、その結末を見せているだけじゃないか。トム・クルーズ演ずるシュタウフェンベルク大佐を重視しすぎてそれを中心にもってきているものだから、その他の人物の葛藤が見えてこない。特に、フロム将軍の件はもっとつっこんだものにするべきじゃないか。ナチスの恐怖政治に反逆するという事態の重大さとその恐怖感も十分に表現されているとは言えないなぁ。その結果、味わい深さもなく、かなり物足りない印象しか残らなかったもの。トム・クルーズが演じているから、なんだか「ミッション・インポッシブル」の作戦失敗版に見えてしまったのは私だけであるまい。

それで、毎度毎度のあの疑問だ。なんでドイツ人同士がすべて英語で会話しているんだ? ヒトラーのラジオ演説までも英語だ。ドイツ語が一度も話されていないんだよなぁ。

映画「ワルキューレ」
http://valkyrie-movie.net/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (397)

2009年3月16日 映画
本日のクソ映画は2008年の米国映画「ティース (Teeth)」である。「歯」という意味だ。確かに歯に関する映画ではあるが・・・。
 
不純異性交遊反対団体に参加している女子高生のドーンが主人公だ。同じ高校にトビーという名前の男が転校してきて、彼もその団体のプラトニック思想に共鳴し、ドーンとトビーは仲良くなる。しかし、ある時、トビーは無理矢理とドーンを押し倒してきたのだ。そしてトビーは嫌がるドーンにチン●を挿入してきたところ、トビーのチン●が噛み切られてしまう。ドーンの●●コには歯があったのだ! 股間血まみれになったトビーは事態に驚いてその場から逃げたが、その近くで死体となって発見されることに・・・。ドーンはその時に初めて、自分の●●コに歯がある事を知る。
ドーンはネット検索して、世界中の伝説の中に登場している「ヴァギナ・デンタタ」という●●コに歯がある魔物の事を知り、あわてて匿名で婦人科医に行って診てもらうが、触診で●●コに指を挿入してきた医師の指を噛み切ってしまい、ドーンは逃げて帰ってきたのだった。ドーンは事態を相談しようとした同級生のビルとファックして、そのチン●をも噛み切ってしまう。
そこでドーンは考えた。その魔物の力を使って、対立している憎きバカ兄・ブラッドを懲らしめようと。そして、ブラッドを誘惑して近親ファックに持ち込み、噛み切られたブラッドのチン●は飼い犬に食べられてしまった。ドーンの魔性の女としての人生がこのようにして始まったのだ。おしまい。
 
く、くだらない・・・。
ナニに歯があるというだけの安易な設定でストーリーが膨らむわけもなく、そのアイディアだけで無理矢理と1本の映画をデッチ上げてしまったというチープな内容だ。模型だろうけど、ちぎれたチン●をちゃんと見せているんだから、模型でもCGでもいいから、歯のある●●コをちゃんと見せなさいね。
それにしても、ドーンに魅力がないのが痛いなぁ。この娘にだったら喰いちぎられてもいい・・・と思うような魅力的な女優さんを使うべきだったろうにぃ。トビーという男の顔もイヤだなぁ。まるでアマチュア時代のジミー・ペイジじゃないか。
ちなみに、ブラッドのちぎれたチン●はピアス付きだ。どうでもいいか。

邦題を付けるのなら、「ヴァギナ・デンタタ 数奇な人生」ってなところかな?

映画「ティース」
http://curse.jp/horror-movie/20081116003814.html
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (396)

2009年3月15日 映画

本日のクソ映画は2007年の英独米合作映画「ラスト・キング・オブ・スコットランド (The Last King of Scotland)」である。
 
スコットランド人のニコラス・ガリガンは地元のスコットランドの医大を卒業した。彼は医師としての人生を始めるにあたり、どこか他の国で修行をしようと考えた。そして、地球儀をぐるぐると回し、指を差して止まった場所はアフリカのウガンダだった。さっそくニコラスは、ウガンダのイナカの村の診療所に勤務しているメリット医師の元に助手として赴任する。ちょうどその頃、ウガンダでは、軍部のクーデターにより大統領が失脚し、アミン将軍が実権を握って大統領になったのだった。
赴任まもないニコラスは、近隣までやってきたアミン大統領のケガの治療をしたことで、アミンからの厚い信頼を得る。そしてニコラスは大統領官邸に招待され、大統領の主治医に任命されるのだった。大統領の側近としてのニコラスの生活が始まった。ところが、前政権支持者のテロが続発し、それに対抗してアミンは粛正を始めたのだ。独裁者となったアミンは大量虐殺をして、恐怖政治を行なう。権力の魅力に負け、堕ちて行くニコラスも、そんなアミンの姿に疑問を持ちはじめ、ちょうどその頃、アミンの第三夫人・ケイとニコラスは不適切な関係になり、ケイは妊娠してしまうのだ。ニコラス、危うし。ニコラスは薬物での大統領暗殺に成功するのか?
 
ヒトラー、ポル・ポト、スターリン、毛沢東と並び、最悪の独裁者として知られるあのアミン大統領を、側近の医師・ニコラスの視点から見せた映画・・・、ひとことで言えば、そ~いう事が売りなんだろうけど、なんだかすごく企画倒れな感じがする。あくまでもニコラスをストーリーの主役に持ってきているので、ウガンダの暗黒時代を証言するというような歴史的価値もなく、政権の内幕やアミンの意外な一面を見せているわけでもないからだ。だから、かなり物足りない。アミンと言えば人肉を食べるという事でも国際的に非難を受けていた人物だったわけだが、人肉のシーンとか、それに関して言及するシーンすらどこにもないのである。後半ではアミンを毒殺しようとしてバレちゃったニコラスの逃亡劇になっちゃうし、なんだか焦点がボケちゃっているんだよなぁ。高い志しを持ってウガンダまでやってきたはずのニコラスなのに、診療所のメリット医師の妻に手に出そうとしたり、大統領夫人とファックしたり・・・と、彼のブレた性格の表現も手ぬるい。

ニコラスを演じているのがジェイムズ・マカヴォイだ。最近では映画「ウォンテッド」で主演をしていた。「ナルニア国物語」にも出ていたっけ。この役者がニコラスを演じても、なんだか存在感が薄いし、医師としての知性も感じられないのである。もっと深みのある役者を使うべきだったな。そのキャスティング・ミスでこの映画はかなりレベル・ダウンしちゃっているぞ。それに、着替えシーンでチン●を見せるんぢゃない!

一方、アミン大統領を演じているのがフォレスト・ウィッテカーだ。この人に独裁者をやらせたのは一種の驚きである。この人、それまでに様々な映画に脇役、チョイ役で出演していたでしょ。そのほとんどが、ちょっと気の弱い、モジモジする系の黒人さんってなイメージだったよねぇ。どの映画だったか忘れたけど、上手くその能力を発揮できなくて汗だくになって焦る超能力者ってな役もやっていたっけ。最近では映画「ヴァンテージ・ポイント」で、ビデオ撮影をする観光客を演じていたなぁ。そ~いう万年脇役ってな彼が、真逆の、大きな身ぶりで熱弁するアミンを演じているんだもの、すっごく意外なのだ。更に意外な事に、彼がその役にハマっちゃっていて、それなりの存在感を出している。へぇ~、このような役もこなせる役者さんだったんだねぇ・・・と驚きだなぁ。残念ながら、顔は本物のアミンには似ていないんだけど。ちなみに、彼はこの役でアカデミー賞を受賞しているらしい。

あまり登場シーンはないが、診療所のメリット医師の妻を演じているのがジリアン・アンダーソンだ。そう、「X・ファイル」でスカリー役だった人だ。だから、いきなり銃を構えて「モルダーぁ!」と叫びそうな錯覚に陥るのは私だけであるまい。


映画「ラスト・キング・オブ・スコットランド」
http://movies.foxjapan.com/lastking/
ジェイムズ・マカヴォイ
http://www.imdb.com/name/nm0564215/mediaindex
フォレスト・ウィッテカー
http://www.imdb.com/name/nm0001845/mediaindex
ジリアン・アンダーソン
http://www.imdb.com/name/nm0000096/mediaindex
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (395)

2009年3月14日 映画
本日のクソ映画は2004年の米国映画「セックス依存症の女たち (Naked and Sexual)」である。あの「アルバトロス・フィルム」が販売しているやつだ。毎度毎度のアルバトロスの失笑映画・・・とちょっとだけ期待しちゃう自分が恐いなぁ。
 
ストーリーは略。だって、これ、完全にポルノ映画ぢゃないか。叔母の遺産、遺言をめぐる甥とその妹の対立というストーリー仕立てにはなっているけれど、そんなストーリーとは無関係に、90分の中にファック・シーンが7回もある。単にファック・シーンを見せたいだけの、無理矢理と取って付けたストーリーという、ポルノ映画の王道だな。それぞれのファック・シーンの長さが10分以上ある。すなわち、映画全体の8~9割が裸の男女が絡み合ってエッチな事をやっている、そ~いう内容なのである。日本で発売されている製品だから、当然、見せちゃいけない部分にはボカシが入っている。出演している4人の女優さんにはさっぱり魅力がなく、そんな女性たちが脱いでファックしているのを見せられても何も感じるがないなぁ。各ファック・シーンで男女の組み合わせが変わるるだけで、ファック・シーンの内容はどれも同じようなもの。だから、すごく退屈なのだ。飽きてきちゃう。ファック・シーンになったら早送りボタンを押してしまったぞ。
ヘンテコなのが、それぞれのファック・シーンが、まるでフェイド・アウトなのだ。ファック・シーンの最後に男優が射精しているシーンがない。射精しているのを見せてダメだとか、何らかの規制があるの? 体液を見せていないのは勿論、男優が陰茎を痙攣させてイっている顔の表情すら見せていない尻切れトンボなのである。なんぢゃこれ?なのだ。

アルバトロスがポルノを出しているとは知らなかったなぁ。アルバトロスが販売する製品って、ポルノ作品までこんなしょうもない内容なんだねぇ。タイトルに反して「セックス依存症」の人なんか誰も出てこないしなぁ。ってことで、アルバトロスのポルノなんか無視しようぜ。


映画「セックス依存症の女たち」
http://www.albatros-film.com/title.phtml?route=&titleid=762
 
 

 
訂正:
7回のファック・シーンの中の1回は女性同士、つまりレズでした。
 

 
 

映画嫌い (394)

2009年3月13日 映画
本日のクソ映画は2008年の米国映画「フロスト × ニクソン (Frost/Nixon)」である。元・米国大統領のニクソンの完全失脚の原因となった伝説のテレビ番組を映画化したものだ。実話である。この映画は日本では今月の28日から劇場公開されるらしい。
 
1977年の米国。リチャード・ニクソンはその3年前の1974年に「ウォーターゲート事件」の引責によって米国大統領を辞任したが、その後も政界への復帰を目論んでいた。そんな時、あるテレビ番組からニクソンにインタビュー出演の依頼があり、その番組の司会者であるデヴィッド・フロストとスリリングな出演交渉が行なわれる。
そして、ニクソンを迎えての番組が始まった。番組はインタビューするフロストとそれに答えるニクソンの心理戦と化す。言葉の一騎討ちのトーク・バトルだ。その中、フロストの予想外の追求の言葉に、ニクソンは遂に自分の罪を認めてしまったのだ。これでニクソンの政界への復帰の道は完全に断たれ、フロストは時代の寵児となるのだった。おしまい。
 
あのぉ、ニクソンが全然似ていないんだけどぉ。それだけでこの映画は、リアリティもなく、ブチ壊しになっている。これって一種の再現フィルムなんだから、もっと似てる役者を使うとか、メイクとかCGを駆使して、そっくりに作ってほしかったなぁ・・・と思うのは私だけであるまい。
 
映画「フロスト × ニクソン」
http://www.frost-nixon.jp/
 
 

 
原題「Frost/Nixon」ってのを見ると、スラッシュ小説(アメリカ版やおい小説)のタイトルのように思うのは私だけであるまい。その並びで、どっちが女役なのかもわかっちゃう・・・。スラッシュ小説って何?ってな人は過去ログを見てちょ。
邦題の「フロスト × ニクソン」ってのも「やおい」の表記方法だよねぇ。あの2人が肛門性交する姿をちょっとだけ想像しちゃうのは私だけであるまい。
 
 

 
 

映画嫌い (393)

2009年3月12日 映画

本日のクソ映画は2001年の米国映画「186 感染大陸 (Ever Since The World Ended)」である。8年も前の映画を今頃になってその邦題でDVDとして日本で発売するってのは、邦画「感染列島」への便乗かぁ?
 
新種のコレラが大発生して人類が壊滅状態になり、それから12年後が過ぎた。生き残った人類はサンフランシスコとその近郊の186名のみ。キャルとジョシュのふたりは人類の記録としてのドキュメンタリー映画を作ることにした。生き延びた人たちに、今、何を考えて、何をしているのかをインタビューをしてそれを撮影するのだ。そして完成した映画がこれである。おしまい。
 
なぜに186人だけが生き延びられたのか、その後にウィルスはどうなったのか・・・などの一切の説明もなく、ひたすらどうでもいいようなインタビューのシーンが続く。これと言えるストーリーもない。後半に郊外へ探検に行くシーンがあるが、それにもほとんど何も意味がない。だから中味がカラッポなのだ。退屈で、退屈で、何度も眠ってしまいそうになった。こんな退屈な映画が今までにあっただろうか? もしも実際に人類壊滅状態となったら・・・という仮想事態のシミュレーションとしては赤点・失格、企画倒れなのだ。何も考えさせられるものもなく、何を言いたいのか、何を見せたいのかも不明だ。見えてきたのは制作者の発想の貧困さだけである。
 
映画「186 感染大陸」
http://www.twanet.jp/shousai/89_186.htm
 
 

 
このDVDを販売しているのは「トランスワールドアソシエイツ」っていう名前の会社だ。この会社の販売している映画ってのも、どぉしょぉ~もないものばかりでねぇ。あの「アルバトロス・フィルム」のくだらない映画には「苦笑」という若干のポジティヴ感があり、それに追従している「インターフィルム」の映画には「バカバカしさ」というポイントがあったわけであるが、第三勢力としてこの手の映画を出している「トランスワールドアソシエイツ」には虚しさしかないなぁ。ホント、カラッポなんだよ。こ~いう映画に日本語字幕を付けたり、日本語吹替えの音声を付けている皆さん、あんたら、虚しくならんのか?
 

 
 

映画嫌い (392)

2009年3月11日 映画
本日のクソ映画は2008年の米国映画「ダイアナの選択 (The Life Before Her Eyes)」である。ローラ・カジシュキー著のベストセラー小説「春に葬られた光」の映画化だ。これがわけのわからんインチキ映画なのだ。事件がらみの映画なのに、社会派サスペンス映画やサイコ映画ってな内容にならず、不条理なオチをやっちゃっている。
この映画は今週の週末から日本で劇場公開されるらしい。今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないこと。
 
教師をしながら夫と娘と閑静な住宅街で平和に暮らすダイアナ。15年前、ダイアナが高校生の時、彼女はあの悲惨な事件に巻き込まれたのだった。クラスメイトのマイケルが高校でマシンガンを乱射し、無差別に多くの生徒と教師たちが殺害されてしまった事件だ。その時、ダイアナと親友のモーリーンは高校の女子トイレにいて、そこへマシンガンを持ったマイケルが現われて、「ふたりのうち、どちらかひとりを殺す。どっちにする?」と究極の選択を迫ってきたのだった・・・。
 
32才になっている現在のダイアナの生活と、高校生の時のダイアナとモーリーンの日常、そして乱射事件のシーンの3つをそれぞれにバタバタと交互に見せちゃっている。その芸のない見せ方がダメだ。あちこちで花を見せて、そのカラフルさが印象に残るけれど、そのような手法をこの映画でやっちゃう事にも必要性が感じられない。その色あいがすごくインチキっぽくて、この映画のインチキさを象徴しているような気もする。

高校生の時のダイアナとモーリーンのその学生生活のシーンには、何らトピックスもエピソードもなく、単にどこにでもいる仲良し高校生であるって事、それ以上のものを見せていない。それがダラダラとめちゃくちゃ退屈で、見ているのがつらくなってきちゃう。それらのシーンはすべてバッサリとカットしちゃっても問題ないだろう。それでこの映画の長さは半分以下に短縮できちゃうじゃないか。

一方の、現在のダイアナの生活の見せ方もダメだねぇ。あの事件のトラウマを背負ったままである事を見せるのは良いとしても、事件に無関係などぉ~でもいいような無駄なシーンが多すぎるのだ。夫の浮気疑惑とか、娘のプチ失踪とか、そんなの見せても時間の無駄なだけだ。ってことで、現在のダイアナのシーンも8割はカットできちゃうだろう。すなわち、この映画って、何も中味のないカラッポな映画になっちゃっているってことだ。

で、この映画のラストシーンは、ダイアナとモーリーンのどちらかが殺されてしまうという乱射事件のシーンに戻っている。そして結局、撃たれたのはダイアナだ。マシンガンの弾が数発、ダイアナの胸を貫通しちゃって、ダイアナがその場に倒れる。それでこの映画はプッツリと終わっているのだ。おいおい、殺されたのはダイアナのほうなん? 今まで、あんなにダラダラと現在のダイアナを見せておきながら、実はダイアナは事件で死んでいたんかい? ってことは、現在のダイアナって幽霊なのかねぇ? 映画「シックス・センス」とか、「パッセンジャーズ」のような幽霊オチ映画なのぉ? 現在のモーリーンを一切見せないで、殺されたのはモーリーンだったかのように想像させておいて、それでいて強引にサプライズを仕掛けたんだ。でも、こんなんじゃ、サプライズじゃなくてインチキだろ。こんなカラッポでインチキかつナンセンスな映画は無視しようぜ。

邦題の「ダイアナの選択」ってのもダメだねぇ。ダイアナは何も選択なんかしちゃいないぞ。小説版の邦題「春に葬られた光」ってのもアホらしいんだけど、それをわざわざ「ダイアナの選択」って改題するセンスもヘンだ。そ~いう邦題をひねり出す担当者もバカだが、それを認可しちゃってゴー・サインを出す上司や会社上層部もバカだね。

映画「ダイアナの選択」
http://www.cinemacafe.net/official/diana-sentaku
 
 

 
現在のダイアナを演じているのはユマ・サーマンだ。この人もヘンテコに微妙だなぁ・・・と思うのは私だけであるまい。
 

 
 

映画嫌い (391)

2009年3月10日 映画
本日のクソ映画は2007年の英米加合作映画「イースタン・プロミス (Eastern Promises)」である。ロンドンに暗躍するロシアン・マフィアの世界を描いた映画だ。映画「ヒストリー・オブ・バイオレンス」のデヴィッド・クローネンバーグ監督とヴィゴ・モーテンセンが再び組んだ作品らしいのだが、そもそも「ヒストリー・オブ・バイオレンス」なんてどぉ~しょうもないクソ映画だったじゃないか。だから何も期待する事もなく見てみると、案の定、これまたどぉ~しょうもないクソ映画になっちゃっている。この映画の日本での劇場公開がどうなっちゃったのか私は知らない。
 
英国のロンドン。アンナはロシア系英国人。病院のナースだ。その病院に行き倒れのロシア人の妊婦少女が運び込まれてきた。少女は出産直後に死亡し、ロシア語で書かれた少女の日記、そして赤ん坊が残された。少女の親戚を見つけて赤ん坊を渡そうと考えたアンナは、日記に挿まれたカードに書いてあった市内にあるロシア料理レストランを訪問してみた。ロシアン・マフィア系の店だ。少女は以前にその店で働いていたと判明する。店主であるロシアン・マフィアのボス、ボスの息子、息子をサポートする謎の運転手・ニコライ。彼らと知り合ったアンナはロシアン・マフィアの裏社会と関わってしまった。日記を渡せと言うニコライに対してアンナの叔父は反抗的な態度を示すと、その後に叔父は行方不明になってしまう。その頃、店主は自分の後継者に息子ではなく、ニコライを指名すると、ニコライは刺客に襲われ・・・。
 
わけのわからん映画なのだ。ストーリーが複雑だという意味ではないし、ロシアン・マフィアの生態が想像を越えているという意味でもない。何を見せたい映画なのか、焦点がボケボケでさっぱり見えてこないのだ。ひたすら無意味感しか感じ得ない。ストーリー的にも全然おもしろくなくて、ロシアン・マフィアの対立抗争という点でもバイオレンス感もダーク感も薄いのもダメだな。後継者闘争でもないし、日記をめぐるサスペンス・ミステリーでもない。最後のほうで明らかになるニコライの素性にも失笑だ。このようなバカバカしい映画に存在価値はないね。
ニコライがサウナで刺客に襲われるシーンがあるんだけど、そのシーンではニコライは全裸で、股間ブラブラで格闘しちゃっている。私の見たやつは無修正版だったので、前からも後からもモロ見えだ。他人の陰嚢や陰茎なんか見たくねぇぞ。そこまで見せて演技するヴィゴ・モーテンセン、あんたプロやな!
 
映画「イースタン・プロミス」
http://eiga.com/movie/34221
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (390)

2009年3月9日 映画

本日のクソ映画は2008年の米国映画「マックス・ペイン (Max Payne)」である。タイトルは主人公の名前だ。同名のシューティング・ゲームの実写版映画化らしい。妻子を殺された警官がひとりで巨大企業に立ち向かって復讐をするという、ありきたりのストーリーの、どぉ~しょうもない映画だ。この映画は日本では今年の4月18日から劇場公開されるらしい。
 
マックス・ペインはニューヨーク市警の警官だ。ある日、マックスが仕事から帰ると、自宅で妻子が殺されていた。何者かが侵入したようだが、誰が何の目的で妻子を殺したのかわからない。警察組織の捜査に限界を感じていたマックスは、仕事が終わると個人的に手がかり求めて街に出るのだった。すると、マックスが接触した人物たちが次々と何者かの手によって殺害されていく。
そんなマックスを手助けしてくれるのはBBだ。マックスの父親もBBもかつて警官で、父親とBBは相棒だったのだ。BBは既に警察を退職し、現在は天下りして、巨大企業・エイサー製薬で警備担当の重役の地位にあった。マックスの妻もエイサー製薬で働いていたのだ。
そのエイサー製薬はヴァルキリーという名の新薬の研究をしていた。それを飲んだ兵士が無敵のスーパー戦士になるというドラッグで、副作用により激しい幻覚が現われる。
マックスの妻子が殺されてしまった事にエイサー製薬が関わっていると判明し、復讐心に燃えたマックスはエイサー製薬の本社ビルに乗り込むと、セキュリテー班と警官たちがマックスに発砲し、その場は銃撃戦となる。BBが警察に手を回し、マックスを始末しようとしていたのだ。マックスの妻子を殺したのもBBで、ヴァルキリーの件が公にならないように口封じされたのだ。マックスはビルの屋上までBBを追い詰めて・・・。
 
 
ありきたりの陰気な警官復讐劇だ。ショボいストーリーにトホホ・・・である。ひねりも盛り上がりも何もない。シンプルすぎ。親身になっているBBが実は黒幕であるという事もすぐに推測できちゃったし、最後にBBが死んじゃっても、製薬会社には何も影響もなく、副社長はのほほんとそのまま・・・ってのも想定内で、そのような想定内の事ばかりで退屈なのだ。こんなベタなありきたりの復讐劇を見せられてもなぁ。退屈すぎて、アホらしくなって、主人公のマックスへ共感すら感じられないもの。その上に、無理矢理と無駄なシーンをツギハギに入れて、ストーリーの進行を鈍くしちゃっているのもダメだ。例えば、冒頭の川に沈んでいくシーン、そんなの必要ないじゃないか。更には、シューティング・ゲームの実写版のくせに銃撃戦もたいしたことがないし、ヴァルキリーを飲んでスーパー戦士になったスキンヘッドの凶悪な敵もあっけなく横槍りで死んでしまう。そのすっごい腰くだけのヘナチョコさに失笑なのである。今どき、こんなセコいアクション・シーンを見せるなよ。マックス自身もヴァルキリーを飲んで、そして雄叫びをあげるシーンに、「お前、ハルクになるんかい?」とツッコミを入れたのは私だけであるまい。ヴァルキリーの副作用の幻覚を見せるシーンも鬱陶しいねぇ。そんなシーンなんかいらないだろうに、そ~いうので時間稼ぎして引っ張ってど~すんだよ? 無駄なシーンを省くと、1時間番組、すなわち実質44分のドラマに圧縮できちゃう、そんな薄いストーリーを見るのは時間の無駄だ。だから、こんな映画は無視しような。ゲームの映画化にろくなやつはないんだから。

主演のマックスを演じているのはマーク・ウォールバーグだ。「ハプニング」、「猿の惑星 (ティム・バートン版)」、「ザ・シューター 極大射程」、他、この人が主演している映画ってくらだないものばかりだね。なんでこの手のヘボ映画への出演を断わらないんだ?


映画「マックス・ペイン」
http://movies.foxjapan.com/maxpayne/
 
 

 
たとえば、一番始めに殺される赤いドレスのおねぇちゃん、アレ、わけがわからんよなぁ。なんでパーティ会場の奥までマックスが彼女を探して入り込んだのか、その理由が見あたらないし、なんでマックスは彼女を自宅にお持ち帰りしたのかもわからない。自宅に連れ込んだのにすぐに追い返しちゃうのもわけがわからないよなぁ。彼女がその帰路に殺されちゃって、その殺される理由ってのも見えてこないじゃないか。何だったのあれ?
 
マックスがそのおねぇちゃんを自宅に連れ込む寸前のシーンで、ヴァルキリーを使って幻覚を見ているチョイ役の女性、「ヒーローズ」のシーズン・3に出演していたよねぇ。役名はメネシスだったっけ、マット・パークマンの彼女になる、超高速で走る女性って役で。
シーズン・3の最終回で、その超高速走行のスピードが光速を超えて、アインシュタインの相対性理論によって時間を逆行するってストーリーをやっちゃっているけれど、あれはひどいねぇ。相対性理論にそんな超光速の理論なんかないってば。逆に、相対性理論では、光速を超えることができないって事が証明されているのになぁ。
 

 
 

映画嫌い (389)

2009年3月8日 映画

本日のクソ映画は2008年の米国映画「チェンジリング (Changeling)」である。クリント・イーストウッド監督、アンジェリーナ・ジョリー主演での実話の映画化だ。日本では現在劇場公開中のようである。
 
1928年のロサンゼルス。シングル・マザーのクリスティン・コリンズは電話交換手。仕事を終えて家に帰ってみると、9歳の息子・ウォルターがいない。警察に通報したが、誘拐なのか家出かわからないまま、行方不明の状態が続く。そして5か月後、警察から息子が発見されたとの連絡が。クリスティンは念願の再会を・・・。
しかし、警察が連れてきたのは、ウォルターとは全くの別人の見知らぬ少年だった。クリスティンは別人だと警察の担当者のディヴィスに抗議するが、ディヴィスはそれを知っているくせに全く聞き入れようとしない。息子が見つかっているのだから、これ以上の捜査の必要がないとディヴィスはクリスティンに言うのだ。
その事を知ってクリスティンに連絡を取ってきたのが、牧師のグスタフ・ブリグレだ。彼は警察の不正、汚職、脅迫を追求し、それを講演したりラジオで主張している人物だった。クリスティンはウォルターが受診していた歯科の診断書、小学校の担任の証言を証拠にして、ウォルターの捜査の再開を警察に求めようとするが、ディヴィスはクリスティンを育児放棄だと非難し、クリスティンを無理矢理と精神病院に入れてしまう。その精神病院には同様に警察に反抗した者が多数収容されており、医者は警察とグルなのだった。グスタフはクリスティンを救出しようと行動を起こす。マスコミや一般市民たちも警察の不正に対しての反対運動を開始した。
そんな時に、少年連続誘拐事件が明るみになり、誘拐された少年たちが大量に殺害されていた事が発覚し・・・。
 
 
これでロスの警察から不正が消えたのだ・・・ってな結末に持ってきちゃっているが、実際にはそうじゃないんだよなぁ。この事件は確かに警察の不正を暴くひとつのキッカケになったけど、この件はワン・オブ・ゼムでしかなかったのだ。結局のところ、クリスティンの元にウォルターが戻って来たわけでもなく、少年連続誘拐殺害事件で殺されたのかも明確にならず、クリスティンにとっては何ら解決になっていないじゃないか。
それと、実話のストーリーにツッコミを入れるのもヤボなんだが、あえてツッコむと、医師とグルになってあれほど不正をやっている警察が、一方の少年連続誘拐殺害事件ではちゃんとマジメに捜査しちゃっているという、そのアンバランスさだ。そのような矛盾の解消をこの映画では何もやっていないってのはなんなんだ?

ところで、あの正義の味方っぽく登場している牧師さん、ジョン・マルコヴィッチだったんだねぇ。ズラとヒゲで全然気がつかなかったよ。
 
映画「チェンジリング」
http://changeling.jp/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (388)

2009年3月7日 映画

本日のクソ映画は2008年の英国映画「GOUDATSU 強奪 (Daylight Robbery)」である。その邦題の付け方がスティーヴン・セガール主演の映画っぽいけれど、この映画はそれとは無関係で、ここのブログではお馴染みの「アルバトロス・フィルム」が発売している映画なのである。だから、そのどぉ~しょうもないチープさは予想できるだろう。勿論、日本では劇場公開されていない。いやぁ、ホント、これがめっちゃどぉ~しょうもないのだ。

2006年の英国のロンドン。ドイツで開催中のサッカーのワールドカップでロンドンも大盛り上がり。そんな時、銀行強盗を計画していた一味がその計画を実行したのだった。車で銀行に突入し、客らを人質にとり、金庫から奪った札束を事前に掘っておいたトンネルから運び出す。犯人たちもそのトンネルから逃げて、ドイツに向かうサポーターの群衆に紛れ、飛行機で高飛びという計画だ。ところが、銀行突入時にひとりが負傷したり、トンネルが崩壊したりで、その計画が微妙に狂い出す。銀行強盗は成功するのか??
 
銀行強盗の作戦にインテリジェンスのカケラもないんだもの、全然、ストーリーがおもしろくない。強盗のくせにだらだらしちゃって、テキパキと作業していないから、あんなのが強盗だってのがウソっぽいのだ。飛行機の搭乗時刻というタイムリミットがあるのに、無駄な会話や動作がテンコ盛りで、その行動に緻密さが全くないし、緊迫感もまるでない。事前に各自の役割の分担がちゃんと決められていないようだねぇ。リハーサルとか、シミュレーションすらやってないんだろうな。指揮命令系統もちゃんとしていない上に、危機管理もなっていないぞ。部隊編成についてはまるでシロートだ。全くリアリティがない。これのどこがいったい「強奪」なんだぁ?ってな感じだ。邦題を「底抜けアホ強盗」にしたほうが良かったんじゃいの? そのだらだら感が映画そのものをだらだらしたものにしちゃっているなぁ。その上、各自の個性の表現も手ぬるいのも問題だ。
問題は銀行強盗側だけじゃなくて銀行を包囲した警察側にもある。あんな杜撰な対応しちゃって、お前らそれでもプロか?ってな警察なのだ。これを本物の英国の警察(スコットランド・ヤード)が見たら激怒するだろうねぇ。
で、結局、銀行強盗たちは飛行機に乗ってドイツに向かうが、捕まってしまう。サプライズ的な結末にもなっていないねぇ。ホント、くだらない映画だなぁ。
 
映画「GOUDATSU 強奪」
http://www.albatros-film.com/title.phtml?route=&titleid=756
 
 

 
 

 


映画嫌い (387)

2009年3月6日 映画

本日のアホ映画は2008年の日本のアニメ「つみきのいえ (La Maison en Petits Cubes)」である。約12分の短編アニメだ。最近、アカデミー賞を取ったとかで話題になっているらしい。確かこのアニメのDVDのサンプル盤が我が家にあったはずだ・・・と思い出し、廃棄予定DVDを突っ込んでいた段ボール箱の中をゴソゴソと探し、それの未開封のやつを発掘した。へぇ、これがアカデミー賞ものなのぉ?
 
海面上昇によって海に沈む村で一人暮らしをしている老人。更なる海面上昇が起こり、そのたびに、老人は自分の家の上にレンガとコンクリートで新たな部屋を作り、その部屋に移り住むのだった。何度も何度も上に部屋を作り続け、今となっては、その家は海底からそびえ建つ塔のようになっており、最上階のみが海面の上に出ている状態だ。
ある朝、老人が目覚めると、更なる海面上昇で床上浸水の状態になっていた。そこで、今回もまた上に部屋を作り、彼はそこへ引っ越す準備をする。その時、彼が愛用しているパイプを、水没している下の階に落としてしまった。老人は酸素ボンベと潜水服を着用し、そのパイプを取りに下の階に潜っていく。部屋を1つ下に降りて行くたびに、老人はかつてその部屋で暮らしていた頃の自分の姿を見るのだった。部屋の中には、妻が寝ていたベッド、子供たちと家族写真を撮ったソファー、・・・。そして海底にはかつて庭の木のあった場所が。あの木は自分が子供から青年に育つのを見守っていた。最下部の部屋には、妻と新婚生活を送っていた頃に使っていたワイングラスが・・・。
 
夢精映画である。ぢゃなかった、無声映画である。セリフがひとつもなく、だから字幕も一切なく、坦々とシーンが進むアニメだ。セリフ無用で、人種や言語に関係なく人間の持っているノスタルジアってものを刺激する作品になっているものの、途中の下へ下へと潜っている老人を見ていると、私は一種の不安感を覚えるのだった。その不安感ってのは、これだけノスタルジアを煽っておいて、それでいったいどんな終わり方をするの?って事だ。説得力のある何らかの終わり方をしてくれるのか、意表をつくオチがあるのか・・・? 納得のいくラストシーンを見たいよなぁ。
で、最後まで見て、不安的中のビンゴ! こんな終わり方で納得できるかよ?ってなものになっちゃっている。オチも何もない。感動すらない。何なんだよこれ? こんなのでアカデミー賞を取れちゃうんだ。

ってことで、この映画は各自のクリエイティヴィティを試す為の課題用アニメになるだろうなぁ。途中まで見て、自分ならばどのような結末のストーリーにするか?ってことだ。私の納得できる結末を考えられた人には私が賞をあげよう。どんどん応募してくれたまえ。

ところで、このアニメっていったい何を言いたいわけ? 

 
短編アニメ「つみきのいえ」
http://www.robot.co.jp/tsumiki/
 
 

 
このDVD、元の段ボール箱の中に戻して廃棄予定だ。箱の中には他に未開封のDVDが300枚くらい入っているから、ほしい人は取りにおいで。どうせ捨てる予定ものだから、タダで進呈しよう。ただし、洋画のほぼ全ては欧米製で日本語の字幕のないやつだから、英語力のない人はダメ。それに、欧米のリージョン・コードのDVDでも再生できるタイプのDVDプレイヤーが必要。
 

 
 

映画嫌い (386)

2009年3月3日 映画

本日のクズ映画は2009年の邦画「ヤッターマン」である。
 
アニメの実写化だから、原作アニメの熱烈なファンからの容赦のない厳しい批判の目にさらされることであろう。全編がアニメのキャラのコスプレ大会になっちゃって、そのキャスティングにかかっている部分は大きい。ところが今回のこれ、ドロンジョ役の深田恭子にすごく期待していたのだが、実際に見てみると、これにはガッカリなのだ。当初にドロンジョ役の候補として名前が上がっていた西川史子や沢口靖子よりはマシだろうけれど、なんだかすっきりとマッチしてないなぁ。インリンとか、ほしのあきにやらせたほうが良かったんじゃないかなぁ。

ボヤッキー役は、大泉滉の亡き今となっては、生瀬勝久でもまあまあか。大泉滉は11年も前に逝っているから、皆、彼のことをもう忘れちゃっているだろうなぁ。いいキャラだったなぁ。
説明しよう。大泉滉ってこの人なのである。
http://d.hatena.ne.jp/images/keyword/42390.jpg

でも、トンズラ-役にケンドー・コバヤシってのは納得できない。
私だったら、この人をキャスティングするだろうなぁ。
http://www.ohmura.ne.jp/
結構、リアルにトンズラ-顔をしていると思うのは私だけであるまい。
 
映画「ヤッターマン」
http://www.yatterman-movie.com/
http://www.doronbow.com/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (385)

2009年3月2日 映画

本日のクズ映画は2007年の韓国映画「黒い家」である。
 
主人公のチョン・ジュノは独身男。彼女のミナは看護婦。ジュノは転職して保険会社の社員になった。そして、保険金の不正な請求を調査する査定員となったのだ。
ある時、イナカの街に住む男、パク・チュンペから「保険料の支払いをしたいのでジュノに集金に来てほしい」と、ジュノの名前を出しての指定があった。ジュノは集金の担当ではないが、パクの家を訪問する。すると、その家で、ジュノはパクの子供が自分の部屋で首を吊っているのを発見する。ジュノが第一発見者だ。子供は自殺したのか? その子供はパクの再婚した妻・シン・イファの連れ子で、その家は貧乏であるのに、なぜか毎月高額の保険料を払って、家族3人全員が保険に入っていたのである。パクはさっそく保険金の請求をしてきたが、ジュノはパクの様子に不信感を持つ。パクが保険金を目当に妻の連れ子を殺したのでは?と思い、警察の担当者と面談するが、パクが殺したという証拠がない。パクは毎日のように保険会社にやってきては、ジュノに保険金を払えと言う。ジュノの自宅の留守電には大量の無言電話が。ジュノはパクの過去の保険の状況を調べてみると、以前にパクは自分の親指を失ってしまった事で保険金を受け取っていたと判明。かなり怪しい人物だ。しかし、警察は自殺であると結論し、多額の保険金がパクに支払われるのだった。ジュノはパクの調査をして、パクの子供の頃の様子などを知り、パクが人の死を何とも思わないイカレた「サイコパス」だと疑いだす。そうであれば、このままでは、パクの妻までも殺される!と思い、ジュノはパクの妻に接近する。すると、ジュノや彼女のミナの身に次々と危険な事が起こり・・・。
 
テーマは「サイコパス」だ。保険金殺人を行なうサイコパスなパクがジュノに危険なストーカーまがいの行為をして、それに彼女まで巻き込まれて・・・ってな感じに見せているが、私には早々とパクの妻のほうがサイコパスだという事を見抜けちゃったぞ。死んだと思われた妻が実は生きていて、再度、ジュノを襲ってくる・・・ってのも想定内で、すごくストーリーが安っぽい。まるで日本のテレビのチープな2時間ドラマってな感じなのだ。ジュノの役を船越英一郎にやらせて、パクが温水洋一、パクの妻に松嶋奈々子ってなキャスティングでやれちゃいそうだなぁ・・・と思うのは私だけであるまい。で、調べてみたところ、この映画は邦画のリメイク映画らしいのだ。なぁ~るほどぉ~、元は日本ものだったんだ。私は日本のオリジナル版のほうは見ていないので、この映画とどのように違いがあるのか知らないのだが、それってリメイクする価値のある物だったのかねぇ? それがどうも疑問に残るんだなぁ。
ひとつだけ、これは韓国人向けだと思う点は、保険金の不正の問題を扱っているって事かな。韓国って保険金の不正が酷いんだよ。保険金目当に、事故に見せかけて平気で自分の指を切り落とす輩が多いのなんの。偽装の交通事故もめちゃくちゃ多い。そのような事情があるから、日本や米国の大手の保険会社はほとんど韓国に進出していないのだ。今までに私が何度も書いているように、ホント、韓国って酷い国なんだよねぇ。ジュノのような保険会社の査定員にワイロを渡して買収すると、簡単に保険金がおりるそうだ。
 
映画「黒い家」
http://www.cinemacafe.net/official/kuroiie/
 
 

 
ちなみに、この映画、今月の14日に WOWOW で放送されるらしい。韓国リメイク版と日本のオリジナル版の両方が。
 

 
 

映画嫌い (384)

2009年3月1日 映画
本日のクズ映画は2008年の米国映画「メタルマン (Metal Man)」である。悪を倒す正義のヒーローってな事なんだけど、これが呆れるほどチープでねぇ・・・。
 
主人公のカイルはブレイク博士の研究の助手をしていた。着用ロボット型のパワードスーツをカイルが着て実験をしている最中に、その技術を手に入れようとする悪者・セバスチャンの手下がやってきて、ブレイク博士は殺されてしまう。更にはカイルの両親まで殺され、カイルはセバスチャンを成敗することにした。セバスチャンは、カイルが想いを寄せていた娘・ジュリーを誘拐し・・・。
 
うへぇ~、せこ~い! これほどせこい映画ってのも珍しい。ストーリー、プロットがめちゃくちゃチープなだけではない。CGも特撮もチープすぎる。セットも滅茶苦茶チープで、更には役者は見ているこっちのほうが恥ずかしくなってくるほどのダイコンだ。それに、カメラ・ワークも、その構図も、編集もシロウトがやっちゃったみたいなレベルなのだ。音声も滅茶苦茶で、これ、多分、マイクを役者の近くに1本だけ立てて、それで音声録音したんだろうなぁ。まるでホームビデオなんだよ。同じシーンなのに音質がコロコロ変わっちゃったり、妙にセリフの声が遠かったりするし、カメラのアングルが変わると違うノイズが音声に入ってきたり・・・と、もぅ、悲惨なほどど~しょ~うもない。野外のシーンでは、撮影しているカメラの影が写っていたり、室内のシーンでは、メタルマンのメタリックなボディにこちら側にいるスタッフの姿やカメラや照明が写り込んでいる・・・という低レベルなのだ。まるで中学生の仲間がホームビデオで撮影して編集したような、そ~いう感じになっちゃっている。勿論、そんな調子だから、メタルマンの戦闘シーンに緊迫感も何もない。メタルマンの武器は腕力だけってのもせこいなぁ。エンドロールには空を飛ぶメタルマンの姿がちょっとだけ出ているけれど、本編ではメタルマンの飛ぶシーンなんかありゃしない。飛ぶどころか、車を運転して移動してるじゃん。で、そのメタルマンの姿、それって昨年の映画「アイアンマン」のパクリだな。
ってな事で、この映画は「アイアンマン」に便乗した中学生が、思いつきのストーリーをホームビデオで撮影して、区民会館で貸してくれるビデオ編集室を使って編集したパチものってなところだ。ほんと、こりゃひどいねぇ。
 
映画「メタルマン」
http://d.hatena.ne.jp/shochan627/20081226
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (383)

2009年2月27日 映画

本日のクズ映画は2008年の米英合作映画「ブーリン家の姉妹 (The Other Boleyn Girl)」である。日本では昨年の10月に劇場公開されていた。16世紀のイングランド国王・ヘンリー8世の2番目の妻となるアン・ブーリンの物語を、アンの妹であるメアリーとの関係を軸に映像化したものだ。
 
新興貴族のブーリン卿には3人の子供がいた。長女のアン、次女のメアリー、そして末っ子は男のジョージだ。ブーリン卿は商人のケアリー家から縁談をもちかけられ、長女のアンではなく、次女のメアリーを嫁に出した。ちょうどその頃、国王ヘンリー8世の王妃キャサリンが死産してしまい、世継ぎがいない事をヘンリー8世は悩んでいたので、ブーリン卿はアンをヘンリー8世に差し出し、自分の地位の向上を計ろうとしていた。ところが、ヘンリー8世はアンではなくメアリーを気に入ってしまう。メアリーが結婚したばかりである事を知りながら、ヘンリー8世はメアリーとアンを王宮に招き、王妃の世話係として住まわせ、メアリーを愛人にしてしまうのだった。そしてメアリーはヘンリー8世の子供を身籠り、やがて男の子を出産したが、その頃にはヘンリー8世の心はアンに傾いていたのだ。メアリーは赤ん坊を抱いて王宮から出てしまう。赤ん坊は私生児として育てられた。
野心家であるアンはヘンリー8世からの度重なる求愛に「じらし」た態度を取り、王妃との離婚を迫るのであった。その企てに成功し、ヘンリー8世は王妃を追放して離婚。アンは正式に王妃の座に付く。これで男の子が生まれれば万々歳。しかし、アンが産んだ子供は女の子だった。非常にあせるアンは自滅していく。ヘンリー8世の元には新たな愛人・ジェーン・シーモアが。
(中略)
反逆罪として有罪になったアンの死刑が執行されるのだった。おしまい。
 
ヘンリー8世は現在の本国のイギリス人にとっても人気の高い国王だ。学芸の奨励をし、政治的にも様々な民主的な改革を行ない、その治世で国力も増した。しかし、その私生活は波乱万丈で、生涯に6人の妻を迎えている。最初の妻であるキャサリン(6人の妻の中、3人の名前が同じくキャサリンだったので、混同しないように、最初の妻は一般的に「アラゴンのキャサリン」と呼ばれている)の離婚に対しては、教儀で離婚を禁止しているローマ法皇と対立し、その後にローマ法皇と絶縁してイングランド独自のキリスト教教会が設立されるに至っている。それが現在でも続いている英国・国教会の始まりである。そのような、英国の歴史のターニング・ポイントにいたのがアン・ブーリンだ。だから、アンの物語は今までに何度か映画化されており、「1000日のアン」ってなよくできた映画もあったのだ。1000日とは、アンが王妃になってから処刑されるまでの日数である。

さて、この映画であるが、史実とは認められていない寓話が付加されちゃっていて、それで誤解される部分もあるだろうが、そのへんは事実を元にしたフィクション映画のそれだと割り切って見ても、ヘンリー8世の威厳のなさ、国王としての存在の重みのなさは興醒めだ。その結果、映画自体がすごくこじんまりしちゃっている。地位と富の欲望が渦巻く王宮、英国版「大奥」的ないやらしさの表現も不足して、なんだか軽いのである。ローマ法皇と対立なんかわずかにセリフの中に出てくるだけなのも軽過ぎである。そんなんじゃ、アンとの再婚騒動の事態の重大さが伝わってこないんだよ。
それで、後にヘンリー8世が崩御すると、アンが産んだ娘・エリザベスが王位について、それが偉大な女王・エリザベス1世になるのだが、映画「エリザベス」の前座映画としてもこっちの映画は弱すぎるなぁ。
で、今どきなんでまたヘンリー8世ものの映画を作ったの?と疑問に思ったんだけど、もしかして、それは、ヘンリー8世の即位500年記念に便乗しちゃったって事?

ちなみに、アンを演じているのがナタリー・ポートマンである。意外にもこの時代の衣装が似合っているので笑っちゃった。以前に映画「レオン」の中でマドンナのモノマネをやっていた頃とはまるで別人だねぇ。
 
映画「ブーリン家の姉妹」
http://www.boleyn.jp/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (382)

2009年2月26日 映画

本日のクズ映画は2006年の米国映画「スウィーニー・トッド (Sweeney Todd)」である。私はこの映画を公開当時には見なかったんだけど、先日、仕事で米国に行ったら、深夜のケーブル・テレビで放送されているのを偶然と見かけちゃった。それが全然おもしろくなかったんだよねぇ・・・って事で、ここに書いちゃえ。
 
19世紀のイギリスのロンドン。元・理髪師のベンジャミン・バーカーが15年振りにロンドンに帰ってきた。15年前、ベンジャミンの美人妻・ルーシーを横取りしようとしていたターピン判事の策略によって、ベンジャミンは無実の罪をきせられて投獄され、その後に船乗りになっていたのだ。ルーシーは毒を飲み、当時に赤ん坊だった娘・ジョアナは養子としてターピン判事に引き取られていた。ベンジャミンは名前をスウィーニー・トッドに変えて、以前に自分の理髪店があったフリート・ストリートの同じ場所で理髪師としての仕事を再開する。ロンドンで一番まずいパイ屋「ミセス・ラベットの店」の2階だ。事情を知っているミセス・ラベットの協力で、スウィーニーはターピン判事への復讐の機会を狙い・・・。
 
ミュージカルの映画化なので、ミュージカル仕掛けの歌のシーンが何度も何度も登場して鬱陶しい。歌い出すと、途端にドッとシラケるなぁ。なんで映画にミュージカルが必要なのかねぇ? 歌う必要性なんか何もないじゃん。歌の歌詞で心理説明をしないで、プロの役者、プロの監督なら演技で表現しろよなぁ。ねぇねぇ、ジョニー・デップのファンの皆さん、彼が歌って何か楽しい? それを見て何か嬉しい? 私なんか歌のシーンになるとそのシーンを飛ばしたくなっちゃって、残念ながらテレビ放送で見ていたやつだから早送りできなくてねぇ、これがビデオやDVDで見ているやつだったら、絶対にリモコンで早送りしちゃっただろうなぁ。
復讐劇としても単調すぎて、ストーリーが全然おもしろくないなぁ。インテリジェンスもサプライズもないんだもの。あのラスト・シーンも想定内だよなぁ。剃毛カミソリでぶった切って復讐するってのは「必殺!仕置人」の応用みたいだ。そのスプラッター度も低いし、殺された人たちがミンチにされてミート・パイの食材になっちゃうってのもデス度が低い。だから、すっごく中途半端なのだ。アンソニーの件は無視しようっと。
 
映画「スウィーニー・トッド」
http://wwws.warnerbros.co.jp/sweeneytodd/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (381)

2009年2月25日 映画

本日のクズ映画は2008年の米国映画「オーストラリア (Australia)」である。日本では今週の週末から劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないこと。この映画も長いんだよなぁ。2時間30分以上もあるんだもの。ふぅ、疲れた。
 
イギリスのアッシュリー卿はオーストラリアに牧場を作ったが、それを売却する予定だった。しかし、アッシュリー卿はなかなかイギリスに帰ってこない。そこで、1939年9月、イギリスに残っていた妻のサラ・アッシュリーもオーストラリアに行く事となり、オーストラリア北部の港町・ダーウィンに到着した。カウボーイのジョン・ドローヴァーのガイドで9000km奥地にあるアッシュリー卿の牧場を目指す。ところが、オーストラリア北部の牧牛業を独占している有力者・カーニーの手下によってアッシュリー卿は殺されてしまっていたのだ。カーニーの仕業だという証拠はない。サラは牧場の売却をやめて、牧場の再建をすることにした。そして、牧場の1500頭の牛をダーウィン港に運んで軍隊に売却し、それで牧場を再建する資金を得ることにしたのだ。先住民族との混血の少年・ナラ、そしてドローヴァーらの協力で、ダーウィンまでの9000kmの牛追いを行ない、その途中でもカーニーの手下が邪魔をしてくるが、なんとか1500頭の牛の納入に成功。そして、サラとドローヴァーはラブラブな関係になるのだった。
しかし、その後にサラ、ナラ、ドローヴァーの3人はそれぞれの思いで別れ別れになってしまい、そんな時に太平洋戦争が勃発して、ダーウィンも日本帝国軍のゼロ戦によって激しく空爆を受け・・・。
 
もぅ、いろいろと詰め込みすぎだ。サイテー!である。そのいろいろな事もそれぞれに薄いものだから、散漫すぎて見ているのがアホらしくなってくる。前半は牧場同士の抗争ってな感じの西部劇っぽいし、冒険劇の要素もプラスしちゃったデキソコナイのハーレクイン・ロマンスってな趣きもある。オーストラリア版の牛追い祭りかよ?ってな感じにも見えてくるよねぇ。後半は戦争パニック映画になっちゃっていて、それにサラとドローヴァーのラブ・ストーリー、ナラの救出劇を絡めているんだもの、こんな映画につかみどころなんてありゃしない。妨害されながらも1500頭の牛をダーウィンに運ぶのに成功して、それでめでたしめでたしな前半部だけでやめておいたほうが良かったのにねぇ。その後のストーリーが取って付けたように見えてしまったのは私だけであるまい。
ラストシーンは、ナラが祖父に連れられて部族の世界に戻ってしまうってやつで、こ~なっちゃうと、もぉ~、見ている側の脳味噌がパッパラパーになっちゃいそうだ。全編をナラのナレーションによるナラの視点からの回想録のように見せているのもダメだなぁ。
 
サラを演じているのがニコール・キッドマンで、ドローヴァーを演じているのがヒュー・ジャックマンだ。だから、このふたりが並んでいるシーンを見ると、「ライラの冒険」の悪役女と「X・メン」のミュータントが共演しているように見えてしまうよなぁ。
 
映画「オーストラリア」
http://movies.foxjapan.com/australia/ 
 

 
 

 
 

映画嫌い (380)

2009年2月24日 映画

本日のクズ映画は1994年の米国映画「ショーシャンクの空に (The Shawshank Redemption)」である。スティーヴン・キングの小説の映画化だ。この映画も長いんだよなぁ。2時間20分くらいもある。先日、私は仕事で米国に行ってきたんだけど、その時にこの映画がケーブルテレビで放送されていて、それを宿泊していたホテルで見たのである。
 
主人公は銀行員のアンディ・デュフレーン。1947年、アンディは無実を主張したが、彼は殺人犯として終身刑の判決を受けた。妻に離婚を迫られ、妻とその愛人を射殺したことにされてしまったのだ。そして、アンディはショーシャンク刑務所に入れられてしまう。
刑務所の中で、アンディはレッドという名の黒人の囚人と親しくなる。レッドはタバコなど刑務所の外の物を何でも仕入れてくる便利屋だ。アンディはレッドに小型ハンマーとリタ・ヘイワース(当時の人気女優)のポスターを注文し、それらを入手するのだった。鉱物オタクのアンディは石を削ってチェスの駒を作成しようとしていた。
一方、アンディの元・銀行員としての経歴とその能力が監守に認められ、監守たちの節税対策や確定申告の為の書類の作成をアンディは手助けする。遂には、ノートン所長の裏金の経理をまかせられ、裏金のロンダリングの手助けをするに至る。アンディの書類操作によって架空の人物の銀行口座を作り、その口座に所長の裏金を隠す手法だ。
アンディが刑務所に入って19年が過ぎた1966年、トミーという名の新入り囚人がやってきた。トミーはアンディの妻とその愛人を殺した真犯人を知っていたのだ。トミーが以前に入っていた刑務所にいた囚人のひとりが、その事件で自分が殺した事をトミーに自慢話ししていたのだった。それを知ったアンディは再審請求をしたいとノートン所長に言うが、裏金の件がアンディによって外にバレてしまうと怖れたノートン所長は再審請求を潰し、その上、トミーを誘き出して殺してしまう。アンディはノートン所長に脅され、独房に入れられてしまうのだった。
そして、アンディの反撃が始まる・・・。
 
テンポが悪くて、長くて退屈・・・なだけじゃないのだ。途中でその後のストーリーが想定内になっちゃって、やはり、その通りのオチで終わっちゃっているというこのつまらなさ、サイテー!である。アンディがリタ・ヘイワースのポスターで隠した壁にハンマーで穴を開けて脱獄をしようとしている事など、私は早々と見抜けたし、架空の人物の名義の銀行口座の裏金をアンディがその架空人物になりきって横取りする事もわかっちゃった。こんなの誰でもわかっちゃうんじゃいのぉ?ってな感じだな。原作のアイディアとインテリジェンスの不足と、脚本の悪さの相互作用でこんな映画になっちゃったんだろうねぇ。アンディが刑務所の放送室を占拠して「フィガロの結婚」を放送するシーンの、アンディの心理も見えてこないしなぁ。真犯人がどうなったのか、それについても全く見せていないのも欠陥だよねぇ。キャスティングも悪くて、レッドを演じているのがモーガン・フリーマンだもの、それだけでこの映画がつまらないものになっている。モーガン・フリーマンをナレーターにしちゃって、レッドの回想録ってな手法で見せているのもダメだ。主演もあの俳優がマッチしているようには見えないなぁ。
ってことで、こんな映画は絶対に見ないように。
 
映画「ショーシャンクの空に」
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD10855/index.html
 
 

 
ちなみに、スティーヴン・キングの原作本の小説の原題は「Lita Hayworth and Shawshank Redemption」となっていて、リタ・ヘイワースの名前が入ったタイトルだ。私は原作本を読んだ事がないのでわからないのだけど、原作本でも時代に合わせて、ポスターはリタ・ヘイワースからマリリン・モンロー、更にはラクエル・ウェルチと貼り変えられているのかな?
それにしても、スティーヴン・キング作としては、このストーリーと背景は異色だねぇ。
 

 
 

映画嫌い (379)

2009年2月23日 映画

本日のクズ映画は2008年の米国映画「バーン・アフター・リーディング (Burn After Reading)」である。ジョージ・クルーニィ、ジョン・マルコヴィッチ、ブラッド・ピットなどの有名俳優が共演しているってことで話題になっていたコメディ映画だ。日本では今年のゴールデンウィーク映画として4月の後半から劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の方は以下を読まないこと。
 
主な登場人物は以下の6人。

(1) オズボーン・コックス (ジョン・マルコヴィッチ)
CIAの本部に勤務していたが、左遷されそうになったので辞職してしまう。CIAでの経験を自伝書のような本にしたいと考え、その準備を始めた。
 
(2) ケイティ
オズボーンの妻で、職業は医師。実は、オズボーンとの離婚を考えている。現在、不倫中。

(3) ハリー・ファーラー (ジョージ・クルーニィ)
財務省の連邦保安官。ケイティの不倫相手。一方では、出会い系サイトで次々と相手を変えてファックしまくり。妻は人気作家で、講演活動などで全米を周っているので、ほとんど家を留守にしている。だから、ハリーもやり放題。

(4) リンダ
フィットネス・クラブの女性職員。美容整形を受けようと考えている。しかし、カネがない。最近、出会い系サイトに登録した。
 
(5) チャド (ブラッド・ピット)
フィットネス・クラブのインストラクターで、リンダの同僚。

(6) テッド
フィットネス・クラブのマネージャー。リンダ、チャドの良き上司。
 
以上の6人の人間関係が絡み合って、それぞれに悲惨な結末へ向かうというコメディである。
オズボーンとの離婚を考えているケイティは、弁護士にそれを相談したところ、離婚時の財産分与などの条件でケイティが有利になるようにと、オズボーンのパソコンの中のファイルを内緒でコピーして押さえておく事をアドバイスされる。そこで、オズボーンが留守にしている間に、ケイティは密かにオズボーンのパソコンのハードディスクの内容をCD-ROMにコピーする。ところが、弁護士の秘書がそのCD-ROMをフィットネス・クラブの更衣室のロッカーの中に置き忘れてしまったのだ。
フィットネス・クラブのチャドとリンダは、忘れ物のそのCD-ROMをパソコンにセットして、データを見てみたところ、「これはCIAの極秘ファイルだ!」と驚き、それが「カネになる!」と思い込む。リンダもこれで美容整形を受けられると期待する。チャドはデータの内容を解析し、そのデータの持ち主がオズボーンである事を突き止め、オズボーンにカネを要求して接触するが、激怒したオズボーンにチャドは殴られてしまい、カネを得られなかった。そこで、チャドとリンダは作戦を変更し、CD-ROMをロシア大使館に持ち込む。しかし、大した情報ではないとロシア大使館にも買い取りを拒否されてしまう。そんな時に、出会い系サイトでリンダとハリーが知り合い、デートとファックを繰り返す。一方、ロシア大使館の内部にいたCIAのスパイがCD-ROMの件を知り、CIAはオズボーンやリンダ、チャド、ハリーらの徹底的な調査を始めるのだった。
チャドはオズボーンの家に侵入した。オズボーンのパソコンからもっとすごいデータを盗んでロシア大使館に売る事を計画したのだ。ところが、その家にやって来たのはケイティの不倫相手であるハリーだ。チャドの姿に驚いたハリーは、銃でチャドの頭を撃ち抜き、その死体を海に捨てる。
チャドがいなくなった事を心配するリンダは職場の上司のテッドに相談し、今度はテッドがオズボーンの家に侵入する。しかし、オズボーンに見つかってしまい、テッドは撃たれ、家の外に逃げたが、追いかけてきたオズボーンに殴打されて死亡。オズボーンはその場で張っていたCIAに撃たれて植物人間に。
リンダはハリーにチャドの失踪の件を相談したところ、ハリーは自分が殺した男の事だとピンときて、リンダがCIAか何かのエージェントではないかと思い込み、その場から逃走し、国外逃亡。リンダは事態の情報収集をしていたCIAに拘束され・・・。
 
 
ストーリーが幼稚で面白みがないし、つかみどころもないなぁ。どの登場人物にも深みがないのだ。いくらコメディ映画でも、これはないだろ。主人公がオズボーンなのか、ハリーなのか、リンダなのか、それすら見えてこない。その上、全然、笑えないのだ。どのシーンで笑えと言うのかね。ブラッド・ピットを途中で射殺されてしまう完全な脇役に持ってきているのが愛嬌ってな感じだな。
ストーリーの要所を演技では見せないで、CIAの職員が上司に報告するという形でセリフで説明しているのがダメだ。チャドの死体が海に捨てられるシーンや、ハリーが国外逃亡しようとするシーン、オズボーンが植物人間になったシーンなどはない。CIAの職員がそう言っているだけなのだ。そ~いう省略の仕方をするなよなぁ。
こんなくだらない映画で今年のゴールデンウィークの時間を無駄にしちゃダメだぞ。
 
 
映画「バーン・アフター・リーディング」
http://burn.gyao.jp/
 
 

 
 

 
 

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