映画嫌い (378)
2009年2月22日 映画
本日のカス映画は2007年の米国映画「ラスト・ミムジー (The Last Mimzy)」である。子供を主役にしたインチキ・ファンファジー映画である。日本での劇場公開は中止になっちゃったようだ。こんな映画じゃ、見て感動する人っていないだろうねぇ。
小学生の兄・ノア、幼児の妹・エマ、両親の計4人は海岸の別荘にやってきた。そこの海辺で、ノアとエマは不思議な箱を見つけるのだった。箱の中からは、緑色の半透明の板、空中で回転する石、ウサギのぬいぐるみ、他、不思議な物が。エマはウサギのぬいぐるみを抱くと、そのぬいぐるはエマに「ミムジー」と名乗るが、そのほかには何も喋らなかった。その後、板や石の作用で、ノアとエマは超能力を身につける。ふたりは箱の事を秘密にしていたが、ノアの通う小学校の教師がノアの驚くべき才能を見つけるのだった。
ある夜、ノアが自宅の部屋で、箱の中から出てきた青い物体に緑色の板を近づけてみたところ、青い物体が激しく光りだし、その作用で辺り一帯が停電になってしまった。国家安全保障局はテロの疑いで捜査を始め、停電の原因となったのがノアの住んでいる家である事を突き止める。そして、ノアの一家は国家安全保障局に拘束されてしまうのだ。
国家安全保障局は箱の中からでてきた物を科学的に調査する。ぬいぐるみ・ミムジーには現在の最先端の科学でも作ることのできない超ナノ・テクノロジーのチップが使われており、分子の大きさのレベルで「インテル」のロゴが刻まれていた。
ミムジーは未来からやってきたのか?
ノアとエマの運命は?
こ~いう「オトナはわかっちゃくれない」型のインチキ・ファンファジー、いいかげんにやめなさいね。
こんなヘナチョコなストーリーじゃ、オトナが見ても面白くないし、子供が見ても退屈だろう。いったいど~いう人に見せるつもりでこの映画を作ったんだい? 後半はノアとエマが超能力を使って国家安全保障局から脱走し、未来人を救おうとする・・・って、もう、バカバカしいったらありゃしない。これで未来は救われた・・・って、おいおい、そんなので感動できるかよ?
エンド・ロールに流れる曲の、そのボソボソしたヘタクソなボーカル、どこかで聴いたことがあるような・・・と思っていたら、元・ピンク・フロイド(Pink Floyd)のロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)だ。曲調は毎度毎度のあの感じなんだけど、歌詞がいつものような屈折をしていないぞ。こんな映画に曲を提供しちゃうってのも彼らしくないよねぇ。リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)と同じように、還暦過ぎて性格が変わっちゃったのだろうか? 当時、まさかのピンク・フロイドの一度だけの再結成ライブ(Live 8 のことだよ)をやっちゃっているしなぁ。クール・ポコの「なぁ~にぃ! やっちまったなぁ!」のフレーズを思い出すのは私だけであるまい。
ところで、この映画の中の小学校のシーンで、ノアの教師が着ている服に、ピンク・フロイドの「狂気 (The Dark Side Of The Moon)」のジャケットがプリントされているのだ。プリズムに光りが当たって分光しているアレである。それって、タイアップって事なのかねぇ?
映画「ラスト・ミムジー」
http://www.generalworks.com/databank/movie/title3/mimzy.html
小学生の兄・ノア、幼児の妹・エマ、両親の計4人は海岸の別荘にやってきた。そこの海辺で、ノアとエマは不思議な箱を見つけるのだった。箱の中からは、緑色の半透明の板、空中で回転する石、ウサギのぬいぐるみ、他、不思議な物が。エマはウサギのぬいぐるみを抱くと、そのぬいぐるはエマに「ミムジー」と名乗るが、そのほかには何も喋らなかった。その後、板や石の作用で、ノアとエマは超能力を身につける。ふたりは箱の事を秘密にしていたが、ノアの通う小学校の教師がノアの驚くべき才能を見つけるのだった。
ある夜、ノアが自宅の部屋で、箱の中から出てきた青い物体に緑色の板を近づけてみたところ、青い物体が激しく光りだし、その作用で辺り一帯が停電になってしまった。国家安全保障局はテロの疑いで捜査を始め、停電の原因となったのがノアの住んでいる家である事を突き止める。そして、ノアの一家は国家安全保障局に拘束されてしまうのだ。
国家安全保障局は箱の中からでてきた物を科学的に調査する。ぬいぐるみ・ミムジーには現在の最先端の科学でも作ることのできない超ナノ・テクノロジーのチップが使われており、分子の大きさのレベルで「インテル」のロゴが刻まれていた。
ミムジーは未来からやってきたのか?
ノアとエマの運命は?
こ~いう「オトナはわかっちゃくれない」型のインチキ・ファンファジー、いいかげんにやめなさいね。
こんなヘナチョコなストーリーじゃ、オトナが見ても面白くないし、子供が見ても退屈だろう。いったいど~いう人に見せるつもりでこの映画を作ったんだい? 後半はノアとエマが超能力を使って国家安全保障局から脱走し、未来人を救おうとする・・・って、もう、バカバカしいったらありゃしない。これで未来は救われた・・・って、おいおい、そんなので感動できるかよ?
エンド・ロールに流れる曲の、そのボソボソしたヘタクソなボーカル、どこかで聴いたことがあるような・・・と思っていたら、元・ピンク・フロイド(Pink Floyd)のロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)だ。曲調は毎度毎度のあの感じなんだけど、歌詞がいつものような屈折をしていないぞ。こんな映画に曲を提供しちゃうってのも彼らしくないよねぇ。リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)と同じように、還暦過ぎて性格が変わっちゃったのだろうか? 当時、まさかのピンク・フロイドの一度だけの再結成ライブ(Live 8 のことだよ)をやっちゃっているしなぁ。クール・ポコの「なぁ~にぃ! やっちまったなぁ!」のフレーズを思い出すのは私だけであるまい。
ところで、この映画の中の小学校のシーンで、ノアの教師が着ている服に、ピンク・フロイドの「狂気 (The Dark Side Of The Moon)」のジャケットがプリントされているのだ。プリズムに光りが当たって分光しているアレである。それって、タイアップって事なのかねぇ?
映画「ラスト・ミムジー」
http://www.generalworks.com/databank/movie/title3/mimzy.html
映画嫌い (377)
2009年2月21日 映画本日のカス映画は2008年の米国映画「新・宇宙戦争 (The War Of The Worlds 2 - The Next Wave)」である。H.G.ウェルズのSF小説「宇宙戦争 (The War Of The Worlds)」は今までに何度か映画化されており、数年前にはトム・クルーズ主演で映画化されている。その続編「2」を勝手につくっちゃいましたぁ映画がコレなのである。勿論、トム・クルーズは出てこない。それに、全然「続編」になっていない。パチものの域を出ていない、どうしょ~もない出来になっちゃっているのだ。
主人公は元・軍人のジョージ。彼は一人息子のアレックスと街はずれのボロ家で細々と暮らしていた。あの火星人襲来事件から2年後が過ぎたある時、火星人による襲来が再開したのである。火星人の母艦が時空を瞬間移動してやってくるのだ。そして、ジョージの目の前でアレックスは火星人の3本足のクモ型ロボットに吸い込まれてしまう。悲しむジョージは何とかアレックスを救助しようと、クモ型ロボットに自ら吸い込まれる。そして、ロボットは火星へ。
ロボットの内部に捕われた人間たちと一緒にジョージはロボットから抜け出したところ、そこには地球の街並をコピーしたようなそっくりな無人の街があった。
一方、地球の生き残りの軍隊は撃沈したロボットのテクノロジーを研究し、それを応用した最新式の戦闘機を開発。火星からの無数の飛来物を撃ち破り、母船が通ってきた時空の穴に入って火星へ。
ジョージはアレックスを見つけて助けられるのか?
はい、誰でも想像できる通り、ジョージはアレックスを見つけてちゃんと地球に戻ってくる。その手の、ど~しょうもないチープなストーリーなのだ。その荒唐無稽なハチャメチャさは失笑ものである。ボヤき役で登場する軍人のピートって男が邪魔でしょうがない。ラストシーンでは、更なる火星人の襲来を予感させて、それでプッツリと終わっているのもありきたりだ。それにさぁ、火星人のロボットは出てくるものの、火星人そのものの姿なんか一度も見せてくれないんだものなぁ。タコみたいな火星人、見せてほしかったのは私だけであるまい。
非科学的なシーンも多数ある。例えば、火星にいる戦闘機と地球の基地とで無線で通信しているのだが、通常の地球上同士での無線通信のような即答の会話をしちゃっているのだ。電波の速度は光の速度と同じ(どちらも電磁波の一種だ)く秒速30万キロメートルである。火星で喋った声が電波に乗って地球で受信できるのに、いったい何分かかるのか、その時差ってものをこの映画の関係者は誰も知らなかったのかぁ?
ってことで、こんな映画は無視しような。
映画「新・宇宙戦争」
http://posren.livedoor.com/detail-134300.html
映画嫌い (376)
2009年2月20日 映画本日のカス映画は2007年の米国映画「オニオン・ムービー (The Onion Movie)」である。コメディ映画だ。架空の放送局の架空のニュース番組「オニオン・ニュース」が報道する1つ1つのニュースがコント、ジョークになっている。その昔の映画「ケンタッキー・フライド・ムービー」を思い出させる形式だ。
う~ん、ギャグのアイディアが面白いとは言えないなぁ。この映画のジョークのブラックさってすごく中途半端だなぁ。
最新のパソコン「ベイツ4000」を買った男が次々にバージョン・アップ版の「ベイツ5000」、「ベイツ6000」、「ベイツ7000」、「ベイツ8000」、「ベイツ9000」・・・が出るものだから怒り狂ってベイツ社を訪問し、社長のギル・ベイツに斧を投げつけて殺すとか、そ~いうので面白いかぁ? ギル・ベイツってビル・ゲイツのパロディで、マイクロソフト社の懲りないバージョン・アップ三昧の状況を皮肉っているのだろうけど、それでは笑えないのだ。私自身もマイクロソフト社は大嫌いで、ウィンドウズが「バグだらけのデバイス・ドライバー」と言われているのに賛同しているんだけど、それでも笑えない。更なる創意工夫ってものが必要じゃないのかねぇ?(ちなみに、筆者が使用しているのはMac と UNIXワークステーションだ)
本人役で出演しているのがスティーヴン・セガールだ。疑似カンフー映画に出演している自分自身のパロディだな。太古から東洋に伝わる秘伝の拳法を習得して悪と戦う男を主人公にした架空の映画の宣伝として登場している。その拳法とは、相手の股間をグーでパンチする、それだけである。映画のタイトルが「コックパンチャー (Cock Puncher)」って、ズバリそのものだ。敵が女性だったり、ニューハーフだったらど~すんだよぉ?
映画「オニオン・ムービー」
http://www.imdb.com/title/tt0392878/
「オニオン」のおバカ・ニュース・サイトはここ(ただし英文)
http://www.theonion.com/content/index
映画嫌い (375)
2009年2月17日 映画
本日のカス映画は2008年の英国映画「スラムドッグ$ミリオネア (Slumdog Millionaire)」である。英国映画ではあるけれど、舞台はインドのムンバイ(旧・ボンベイ)で、主人公をはじめ登場人物が全員インド人、撮影スタッフのほとんどもインド人。ってことで、英国の映画会社の資本で作られたインド映画ってなところだろう。この映画は日本では今年の4月に劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の方は以下を読まないこと。
タイトルにある「スラムドッグ」とは「スラムの負け犬」ってな意味だな。そして、「ミリオネア」ってのは、「クイズ・ミリオネア」のことだ。日本ではフジテレビで放送されていた、司会のみのもんたの「ファイナル・アンサー?」っていうのでお馴染みだったアレだ。あの番組の元となっているのは英国でテレビ放送されていた「WHO WANTS TO BE A MILLIONAIRE?」というクイズ番組で、その番組のフォーマット(形式)をフジテレビが買い取って、同じフォーマットでフジテレビが制作していたのである。その手の、海外のテレビ番組を日本の放送局がフォーマット買いするパターンは多い。「クイズ100人にききました」なんかもそれだ。「ミリオネア」は日本の他にも十数ヵ国の放送局がフォーマット買いしていて、各国で独自に制作されたものが放送されている。ナイジェリアでも放送されているらしい。司会者が「ファイナル・アンサー?」って言うのも同じ。4択で、ライフラインとかあるのも全く同じ。番組のセットもほぼ同じ。元番組の英国版「ミリオネア」そっくりそのまま作るってのがフォーマット売買の契約の中にあるようだ。この映画の中に出てくるインド版「ミリオネア」も日本で放送されていたやつとルールもスタジオのセットも同じだから、日本人が見ても違和感がない。違う点は、インド版は週に1度の番組ではなくて、生放送で、時間切れになった場合は翌日に続きをやるってな事かな?
青年・ジャマール・マリクはテレビの生放送のクイズ番組「ミリオネア」に出場した。最後の問題まで正解を続けると、2千万ルピーの賞金を手にする事ができるのだ。そして、ジャマールは次々にクイズに正解していく。ところが、司会者はジャマールが正解を続ける事を不信に思うのだった。ムンバイのスラム街の出身で、学校にも通っておらず、教養もないはずのジャマールがなぜに正解を知っているのか? あと2問正解すると、最高金額2千万ルピーだ。その時にCMの時間となり、そのスキに司会者はジャマールに次の問題の答えが「B」である事をそ~っと教えるのだった。CMが終わり、番組の本番の続きが始まった。そして、1千万ルピーの問題が読まれる。ジャマールは司会者が教えた答えを信用せず、「D」をファイナル・アンサーに。「D」が正解だったのだ。あと1問だ。その時に時間切れとなり、その続きは翌日に・・・という事になる。
ジャマールの事が気にくわない司会者は、ジャマールを警察に突き出す。きっと何かの不正をやっているのだ!と。
警察に連れて行かれたジャマールは威圧的な尋問を受け、自分の生い立ちを語り出すのだった。超貧困のスラム街で生まれ、親をなくして、家もなく、兄・サリムとあらゆる事をして小金を稼いで喰いつなぎ、そんな兄とも対立して別の人生を歩んできた。密かに思いを寄せる幼馴染みの少女・ラティカとの生き別れ、そして再会。そんな今までの泥沼の人生の中でジャマールが偶然と知りえたささいな事が、偶然と「ミリオネア」でクイズの問題として出題されていたのだ。一切の不正はなかった。警察はジャマールを釈放する。
2千万ルピーの最終問題に挑戦するジャマールは・・・。
ジャマールが警察で語る自分の今までの人生というのがメインになっている映画なのだ。ジャマールの半生のダイジェストってな感じだな。確かに悲惨な幼少期ではある。しかし、それが「ミリオネア」とうまくリンクしていないのだ。ラティカとの恋話しを軸にしちゃっているし、結局はカネ(賞金)かよ?ってな印象しか残らず、何ら感動もないんだもの。クイズに正解するのは偶然って事にしてもデキスギ・ストーリーでシラケる。兄・サリムの最後の行動も謎だなぁ。
で、笑っちゃうのが、駅のホームでジャマールとラティカが再会するラストシーンの、その後だ。ここでストーリーが一通り終わっていて、エンドロールが・・・と思ったら、駅のホームでジャマールとラティカ、そして大勢のエキストラが突然と脈絡もなく踊り出す。インドのポップスをバックにして、まるでミュージカルの乗りのダンスだ。さすが、迷作映画「踊るマハラジャ」を産み出した国だ。訳もなく踊り出す「踊るマハラジャ」のあのバカバカしさをこっちの映画でもやっちゃったんだなぁ。これで「ミリオネア」の件も吹っ飛んでしまった・・・と思うのは私だけであるまい。
それにしても、ヘンなのは、インド人同士が英語で会話しているって事だよなぁ。テレビ番組「ミリオネア」の中でも会話は全部英語で、出題文や4つの選択肢の表示も全て英語だ。なぜか、幼少時のジャマールと兄・サリムは英語で会話していない。
ムンバイには私も何度か行ったことがある。繁華街から一本裏通りに行くと、もうそこは劣悪な環境のスラムになっていて、あの様子には驚いたものなぁ。フィリピンのマニラもすごかった。ナイロビ、イスラマバード、ホーチミン、香港なんかも同じようなスラムがあったし、上海、北京も同様だった。
映画「スラムドッグ$ミリオネア」
http://slumdog.gyao.jp/
フジテレビ「クイズ・ミリオネア」
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/quiz/
海外の「ミリオネア」オフィーシャル・サイト
http://www.millionairetv.com/
http://millionaire.itv.com/home.php
http://www.finalanswer.co.za/
http://www.millionairenigeria.com/
日本の放送局は「クイズ・ミリオネア」のような番組のフォーマットと放映権を正式に海外の放送局から買っているのだが、他の国では、無断でアイディアを盗用して同じような番組を作っている事は少なくない。米国や日本のテレビ番組が勝手に複製されているのだ。泥棒国家としてお馴染みの韓国では、日本のバラエティ番組のパクリがかなりある。韓国の放送局は盗用ではないと言い張っているが、我々日本人が見ると、あぁあの番組のパクリだなと一目瞭然でわかっちゃうんだよなぁ。「行列のできる法律相談所」のパクリ番組なんか、スタジオのセットまでそっくりじゃないか。台湾、香港には「なんでも鑑定団」そっくり番組があるんだけど、あれも無断盗用のようだ。
フランスのテレビでは、深夜に「裸の天気予報」ってのがあって、なぜかオール・ヌードのおねえさんが登場して、天気図の説明をしながら天気予報をやっているのだ。日本では絶対に見せていけない部分も、フランスでは規制がないからモロ出しである。あの番組をやっているのを見かけると、私の場合、あぁフランスに来たなぁ~という実感がする。時々、全裸のおにいさんに替わっている時があるのがイヤだな。
その番組はベルギーに輸出されて同じようなヌード天気予報の番組が放送されたが、非難と苦情が大量に放送局に寄せられて、すぐに番組は終了したようだ。あの番組を日本でもやっちゃう放送局ってないものかなぁ? 日本の放送局は自己規制、業界規制が多く、最近はそれが更に厳しくなっているから無理だろうなぁ。
タイトルにある「スラムドッグ」とは「スラムの負け犬」ってな意味だな。そして、「ミリオネア」ってのは、「クイズ・ミリオネア」のことだ。日本ではフジテレビで放送されていた、司会のみのもんたの「ファイナル・アンサー?」っていうのでお馴染みだったアレだ。あの番組の元となっているのは英国でテレビ放送されていた「WHO WANTS TO BE A MILLIONAIRE?」というクイズ番組で、その番組のフォーマット(形式)をフジテレビが買い取って、同じフォーマットでフジテレビが制作していたのである。その手の、海外のテレビ番組を日本の放送局がフォーマット買いするパターンは多い。「クイズ100人にききました」なんかもそれだ。「ミリオネア」は日本の他にも十数ヵ国の放送局がフォーマット買いしていて、各国で独自に制作されたものが放送されている。ナイジェリアでも放送されているらしい。司会者が「ファイナル・アンサー?」って言うのも同じ。4択で、ライフラインとかあるのも全く同じ。番組のセットもほぼ同じ。元番組の英国版「ミリオネア」そっくりそのまま作るってのがフォーマット売買の契約の中にあるようだ。この映画の中に出てくるインド版「ミリオネア」も日本で放送されていたやつとルールもスタジオのセットも同じだから、日本人が見ても違和感がない。違う点は、インド版は週に1度の番組ではなくて、生放送で、時間切れになった場合は翌日に続きをやるってな事かな?
青年・ジャマール・マリクはテレビの生放送のクイズ番組「ミリオネア」に出場した。最後の問題まで正解を続けると、2千万ルピーの賞金を手にする事ができるのだ。そして、ジャマールは次々にクイズに正解していく。ところが、司会者はジャマールが正解を続ける事を不信に思うのだった。ムンバイのスラム街の出身で、学校にも通っておらず、教養もないはずのジャマールがなぜに正解を知っているのか? あと2問正解すると、最高金額2千万ルピーだ。その時にCMの時間となり、そのスキに司会者はジャマールに次の問題の答えが「B」である事をそ~っと教えるのだった。CMが終わり、番組の本番の続きが始まった。そして、1千万ルピーの問題が読まれる。ジャマールは司会者が教えた答えを信用せず、「D」をファイナル・アンサーに。「D」が正解だったのだ。あと1問だ。その時に時間切れとなり、その続きは翌日に・・・という事になる。
ジャマールの事が気にくわない司会者は、ジャマールを警察に突き出す。きっと何かの不正をやっているのだ!と。
警察に連れて行かれたジャマールは威圧的な尋問を受け、自分の生い立ちを語り出すのだった。超貧困のスラム街で生まれ、親をなくして、家もなく、兄・サリムとあらゆる事をして小金を稼いで喰いつなぎ、そんな兄とも対立して別の人生を歩んできた。密かに思いを寄せる幼馴染みの少女・ラティカとの生き別れ、そして再会。そんな今までの泥沼の人生の中でジャマールが偶然と知りえたささいな事が、偶然と「ミリオネア」でクイズの問題として出題されていたのだ。一切の不正はなかった。警察はジャマールを釈放する。
2千万ルピーの最終問題に挑戦するジャマールは・・・。
ジャマールが警察で語る自分の今までの人生というのがメインになっている映画なのだ。ジャマールの半生のダイジェストってな感じだな。確かに悲惨な幼少期ではある。しかし、それが「ミリオネア」とうまくリンクしていないのだ。ラティカとの恋話しを軸にしちゃっているし、結局はカネ(賞金)かよ?ってな印象しか残らず、何ら感動もないんだもの。クイズに正解するのは偶然って事にしてもデキスギ・ストーリーでシラケる。兄・サリムの最後の行動も謎だなぁ。
で、笑っちゃうのが、駅のホームでジャマールとラティカが再会するラストシーンの、その後だ。ここでストーリーが一通り終わっていて、エンドロールが・・・と思ったら、駅のホームでジャマールとラティカ、そして大勢のエキストラが突然と脈絡もなく踊り出す。インドのポップスをバックにして、まるでミュージカルの乗りのダンスだ。さすが、迷作映画「踊るマハラジャ」を産み出した国だ。訳もなく踊り出す「踊るマハラジャ」のあのバカバカしさをこっちの映画でもやっちゃったんだなぁ。これで「ミリオネア」の件も吹っ飛んでしまった・・・と思うのは私だけであるまい。
それにしても、ヘンなのは、インド人同士が英語で会話しているって事だよなぁ。テレビ番組「ミリオネア」の中でも会話は全部英語で、出題文や4つの選択肢の表示も全て英語だ。なぜか、幼少時のジャマールと兄・サリムは英語で会話していない。
ムンバイには私も何度か行ったことがある。繁華街から一本裏通りに行くと、もうそこは劣悪な環境のスラムになっていて、あの様子には驚いたものなぁ。フィリピンのマニラもすごかった。ナイロビ、イスラマバード、ホーチミン、香港なんかも同じようなスラムがあったし、上海、北京も同様だった。
映画「スラムドッグ$ミリオネア」
http://slumdog.gyao.jp/
フジテレビ「クイズ・ミリオネア」
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/quiz/
海外の「ミリオネア」オフィーシャル・サイト
http://www.millionairetv.com/
http://millionaire.itv.com/home.php
http://www.finalanswer.co.za/
http://www.millionairenigeria.com/
日本の放送局は「クイズ・ミリオネア」のような番組のフォーマットと放映権を正式に海外の放送局から買っているのだが、他の国では、無断でアイディアを盗用して同じような番組を作っている事は少なくない。米国や日本のテレビ番組が勝手に複製されているのだ。泥棒国家としてお馴染みの韓国では、日本のバラエティ番組のパクリがかなりある。韓国の放送局は盗用ではないと言い張っているが、我々日本人が見ると、あぁあの番組のパクリだなと一目瞭然でわかっちゃうんだよなぁ。「行列のできる法律相談所」のパクリ番組なんか、スタジオのセットまでそっくりじゃないか。台湾、香港には「なんでも鑑定団」そっくり番組があるんだけど、あれも無断盗用のようだ。
フランスのテレビでは、深夜に「裸の天気予報」ってのがあって、なぜかオール・ヌードのおねえさんが登場して、天気図の説明をしながら天気予報をやっているのだ。日本では絶対に見せていけない部分も、フランスでは規制がないからモロ出しである。あの番組をやっているのを見かけると、私の場合、あぁフランスに来たなぁ~という実感がする。時々、全裸のおにいさんに替わっている時があるのがイヤだな。
その番組はベルギーに輸出されて同じようなヌード天気予報の番組が放送されたが、非難と苦情が大量に放送局に寄せられて、すぐに番組は終了したようだ。あの番組を日本でもやっちゃう放送局ってないものかなぁ? 日本の放送局は自己規制、業界規制が多く、最近はそれが更に厳しくなっているから無理だろうなぁ。
映画嫌い (374)
2009年2月16日 映画本日のカス映画は2008年の米国映画「ディザスター・ムービー おバカは地球を救う (Disaster Movie)」である。タイトルでわかる通り、コメディ映画だ。
ストーリーは略。だって、ろくなストーリーもなく、最近の映画のチープなパロディが次々に登場するだけの、ど~しょ~もない映画なんだもの。あれぢゃ笑えないよぉ。タイトルに反して「ディザスター」感もない。ただただ顰蹙(ヒンシュクと読もう)なだけだ。
登場する映画のパロディは、「ウォンテッド」(ぜんぜん似てないから、始め、何のパロディなのか気がつかなかったよぉ)、「ジュノ」(このオーバーアクションの妊婦さん、鬱陶しいなぁ)、「セックス・アンド・ザ・シティ」(4人のドレスの女性の中のひとりが明らかにオカマだ)、「魔法にかけられて」(あのバカ姫とバカ王子がマンホールから登場だ)、「アイアンマン」(登場時間13秒だけ。強風で飛んできた牛の下敷きになって終わり)、「インクレディブル・ハルク」(変身して巨大化するとズボンも破れて全裸になっちゃうってなパターン)、「スピード・レーサー」(車のトランクの中に、弟とチンパンジー、それにマイケル・ジャクソンが乗っている)、「ベオウルフ」(ゲイの雰囲気で全裸で登場だ)、「紀元前1万年」、「クローバーフィールド」、「ハンコック」、「ジャンパー」、「ヘルボーイ」、「バットマン」、「ナイト・ミュージアム」、「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」、「カンフー・パンダ」、・・・。
「魔法にかけられて」のバカ姫のパロディを演じているニコール・パーカー(Nicole Parker)っていう女優さんが、バカになりきって力ずくの演技をしているんだが、それがなんだか虚しく見えてくるのは私だけであるまい。
映画「ディザスター・ムービー おバカは地球を救う」
http://www.disaster-movie.jp/
映画嫌い (373)
2009年2月15日 映画
本日のクソ映画は2006年の米国映画「ダーウィン・アワード (The Darwin Awards)」である。
ウェンディー・ノースカット著の同名の本の映画化である。英語の原本を私は当時に米国人の友人から「面白い本がある」と譲り受けて読んだことがある。おバカな死に方をした奴らの、その死亡例をたくさん紹介しているのがその本だった。
例えば、2000年、ヒューストンの青年が「ロシアン・ルーレットをやるぞ」と急に言い出した。それだけでも十分にバカであるが、その行為に使った拳銃は、リボルバー式ではなく、なんとカートリッヂ式のセミオートマチック。勿論、一発目で即死。
1999年のバージニア州で、20メートルある橋の上からバンジージャンプをした青年が地面に激突して死亡。彼は地面と橋の距離より短いゴムひもを用意していたのだが、彼はゴムひもというものが引っ張れば伸びるという事を忘れていたのだ。
1999年9月、イスラエルで3人のテロリストが乗った車が爆発して全員が死亡。車に積まれていた爆弾が爆発したのだ。その時のイスラエルでは夏時間が標準時間に移行した時期で、テロリストは誤って夏時間で時限爆弾の爆発時刻をセットしていた為に、予定より1時間早く、爆弾の移送中に爆発しちゃったのだ。
そのようなおバカな死に方を「ダーウィン賞」としてノミネートしているのがその本だ。その後、2001年に日本語に翻訳されて「ダーウィン賞!」のタイトルで講談社から出ていたけど、翻訳があまり上手くなくて、原本の面白みが十分に伝わってこなかったのが残念。
なぜに「ダーウィン賞」という名前なのかと言うと・・・、「ダーウィン」とは、進化論のあのダーウィンのことである。マヌケな行動を取る奴らの遺伝子を、彼らの死によって人類から排除し、人類の進化に貢献したという事で彼らを「表彰」しているのである。
で、その映画化であるが、これがちっとも面白くないのである。原本とはまるっきりの別ものだ。映画「ジャッカス」のような、おバカなシーンを次々と見せているわけはでない。元・警官でプロファイリングの才能を持つ主人公・バロウズが、保険会社に協力して、保険会社が無駄な死亡保険金の支払いをしないように、死亡事故における本当の原因やその状況を解明しながら全米を回る。それをドキュメンタリーとして撮影するカメラマン・・・というストーリーのコメディ仕立てになっているのだ。これが、さっぱり笑えないのである。「ダーウィン賞」の面白みが全然伝わってこない。「ダーウィン賞」とは関係のないドタバタも多く、コメディとしての笑いのレベルが低すぎるぞ。もっと「ダーウィン賞」のネタをたくさん見せるべきだろう。ってことで、「ダーウィン賞」の本が好きだった人もこの映画は無視しような。
バロウズと一緒に行動をする保険会社の女性を演じているのがウィノナ・ライダーだけど、この人、魅力が全然なくなっちゃったなぁ。ヘビメタ・バンドのメタリカが出演しているから、ヘビメタ・ファンだけ見ると良い。ケーブルテレビ「ディスカバリー・チャンネル」の人気番組「怪しい伝説 (Myth Busters)」でお馴染みのアダム、ジェイミーのコンビが揃ってチョイ役で出ていたりもする。
映画「ダーウィン・アワード」
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/20126/
ウェンディー・ノースカット著の同名の本の映画化である。英語の原本を私は当時に米国人の友人から「面白い本がある」と譲り受けて読んだことがある。おバカな死に方をした奴らの、その死亡例をたくさん紹介しているのがその本だった。
例えば、2000年、ヒューストンの青年が「ロシアン・ルーレットをやるぞ」と急に言い出した。それだけでも十分にバカであるが、その行為に使った拳銃は、リボルバー式ではなく、なんとカートリッヂ式のセミオートマチック。勿論、一発目で即死。
1999年のバージニア州で、20メートルある橋の上からバンジージャンプをした青年が地面に激突して死亡。彼は地面と橋の距離より短いゴムひもを用意していたのだが、彼はゴムひもというものが引っ張れば伸びるという事を忘れていたのだ。
1999年9月、イスラエルで3人のテロリストが乗った車が爆発して全員が死亡。車に積まれていた爆弾が爆発したのだ。その時のイスラエルでは夏時間が標準時間に移行した時期で、テロリストは誤って夏時間で時限爆弾の爆発時刻をセットしていた為に、予定より1時間早く、爆弾の移送中に爆発しちゃったのだ。
そのようなおバカな死に方を「ダーウィン賞」としてノミネートしているのがその本だ。その後、2001年に日本語に翻訳されて「ダーウィン賞!」のタイトルで講談社から出ていたけど、翻訳があまり上手くなくて、原本の面白みが十分に伝わってこなかったのが残念。
なぜに「ダーウィン賞」という名前なのかと言うと・・・、「ダーウィン」とは、進化論のあのダーウィンのことである。マヌケな行動を取る奴らの遺伝子を、彼らの死によって人類から排除し、人類の進化に貢献したという事で彼らを「表彰」しているのである。
で、その映画化であるが、これがちっとも面白くないのである。原本とはまるっきりの別ものだ。映画「ジャッカス」のような、おバカなシーンを次々と見せているわけはでない。元・警官でプロファイリングの才能を持つ主人公・バロウズが、保険会社に協力して、保険会社が無駄な死亡保険金の支払いをしないように、死亡事故における本当の原因やその状況を解明しながら全米を回る。それをドキュメンタリーとして撮影するカメラマン・・・というストーリーのコメディ仕立てになっているのだ。これが、さっぱり笑えないのである。「ダーウィン賞」の面白みが全然伝わってこない。「ダーウィン賞」とは関係のないドタバタも多く、コメディとしての笑いのレベルが低すぎるぞ。もっと「ダーウィン賞」のネタをたくさん見せるべきだろう。ってことで、「ダーウィン賞」の本が好きだった人もこの映画は無視しような。
バロウズと一緒に行動をする保険会社の女性を演じているのがウィノナ・ライダーだけど、この人、魅力が全然なくなっちゃったなぁ。ヘビメタ・バンドのメタリカが出演しているから、ヘビメタ・ファンだけ見ると良い。ケーブルテレビ「ディスカバリー・チャンネル」の人気番組「怪しい伝説 (Myth Busters)」でお馴染みのアダム、ジェイミーのコンビが揃ってチョイ役で出ていたりもする。
映画「ダーウィン・アワード」
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/20126/
映画嫌い (372)
2009年2月14日 映画本日のクソ映画は2006年のデンマーク映画「ルルの冒険 黄金の魂 (De Fortabte Sjaeles)」である。
主人公のルルは13歳の少女。デンマークの海沿いのイナカ町に一家で引っ越してきた。その日の夜、新しい家のクローゼットの中から、青く光る小さな球体が出てきて、それが小学生の弟・シルヴェスタの体内に入り込む。シルヴェスタの体内には1873年に死んだへルマンという男の霊が入り込んでしまったのだ。へルマンは「対悪魔戦闘結社」のメンバーだったとルルに言い、なぜにシルヴェスタのカラダに入り込んだのか自分にもわからず、死者の国に帰りたいと言う。町から近いモンク島からは死者たちの助けを求める声が聞こえてくる。ルルはモンク島に行くとへルマンを死者の国に帰してあげるヒントがあるのではないかと思い、シルヴェスタ(へルマン)と近所に住む少年・オリヴァーと3人でボートに乗ってモンク島に渡るのだった。島には悪魔の化身・ネクロマンサーがいて、へルマンが隠した魔法の書「ロッジ・ブック」を渡せと言い・・・。
昨年に映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤」ってのが公開されたでしょ。鎧を着用した白熊さんが戦う映画。マスコミは何かと話題にして騒いでいた映画だったけれど、全然おもしろくなくて、あれを見た人もあんな映画の事はもう忘れちゃっただろうねぇ。この映画のDVDのパッケージが、その「ライラの冒険」のDVDのパッケージにそっくり。その上に邦題まで似せている。
ってことで、この映画は「ライラの冒険」に便乗したパチものである。お子ちゃま向けファンタジーってな共通点はあるものの、その他には共通している事項はなく、かなり苦しまぎれの便乗パチものに見えてしまうぞ。
幼稚なストーリーのつまらなさは言うまでもない。ルルの主人公としての存在感がなくて、へルマン、つまり弟・シルヴェスタのほうが主人公っぽく見えてくるのがダメだねぇ。
最も痛いのは、ルルがそんなに可愛くないってことだろう。私はデンマークの映画界ってのはほとんど知らないんだけど、子役にはこんな女の子しかいなかったのかねぇ?
ってなことで、こんな映画に見る価値なし。悪魔が子供に負けてるんぢゃない。
映画「ルルの冒険 黄金の魂」
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=9329
http://www.fortabtesjaele.dk
映画嫌い (371)
2009年2月13日 映画本日のクソ映画は2004年の英国映画「ショーン・オブ・ザ・デッド (Shaun Of The Dead)」である。そのタイトル「○○○・オブ・ザ・デッド」ってので想像がついちゃう通り、これもゾンビ映画である。それも英国らしいスタイルのコメディ映画だ。
家電店の店員のショーンが主人公。なぜかその町にはゾンビが現われ、ゾンビに襲われた人もゾンビになり、その数が増えていく。そこで、ショーンは最近にふられた元・彼女のリズ、友人のエド、母親らを連れて逃げることにしたが・・・。
ショーンとエドのおバカなやりとりや表情を笑ってあげるというナンセンス・コメディになっている。でも、これじゃ笑えないのだ。ゾンビからの逃亡劇の結果、最終的にはショーンとリズしか生き残れず、エドもゾンビになってしまうんだけど、ショーンとゾンビになったエドが一緒にテレビゲームをしているってのがラスト・シーンで、そのシーンからエンド・ロールにかけて流れる曲がクィーンの「You’re My Best Friend」だ。そ~いうので笑えってのは無理だぞ。
映画「ショーン・オブ・ザ・デッド」
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id321099/
映画嫌い (370)
2009年2月12日 映画本日のクソ映画は2008年の米国映画「パッセンジャーズ (Passengers)」である。この映画は来月の7日から日本で劇場公開されるようだ。ドンデン返し映画である。今後、この映画を見る予定の方は、以下を読まないように。
主人公は精神カウンセラーのクレア・サマーズ。航空機の墜落事故で生き残った5人の心のケアを彼女が担当することになった。事故原因は機長の人為的ミスであると発表されていたが、生存者の中のひとりは飛行中に爆発があったとクレアに言う。更には生存者が失踪したり、航空会社の者が生存者を尾行している様子があり、本当の事故原因を揉み消そうとしている航空会社の陰謀があるのではないか?とクレアは疑うのだった。
カウンセリングにやってこない生存者・エリックの家を訪問したところ、エリックは妙にクレアに言い寄ってくる。
事故の真相とは・・・?
もう一度、警告しておく。この映画を見る予定の方は、以下を絶対に読まないように。
クレアを演じているのはアン・ハサウェイだ。映画「プラダを着た悪魔」で主人公だったお姉さんだ。最近では映画「ゲット・スマート!」に整形美女捜査官99号として出演していた。目がデカい。その上、タレてる。そのマンガちっくな顔立ちが妙に気になるのは私だけであるまい。美人だとは思わないが、もうちょっとどうにか手を加えたら、スッゲェ~絶世の美女になるんじゃないか?と思いながら私は彼女の顔を見てしまうんだなぁ。同じ事を私は仲間由紀恵を見て感じてしまう。美人になりきれなかった微妙感に同じ臭いがするよねぇ。おしぃなぁ。
そんな事はどうでもいいか。
事故原因を隠蔽しようとしている航空会社、真実を掴もうとするクレアというシチュエイションのサスペンス映画のようにストーリーが進行しているものの、最後にドンデン返しが用意されているのだ。そのドンデン返しをどう評価するかだろうなぁ。私はこの結末には全然納得がいかなかったぞ。多くの疑問が残る。未解決のままの事象もあるし、矛盾を感じるシーンもいくつもある。同じようなドンデン返しでサプライズをやった映画には「シックス・センス」があるけど、アレはアレでストーリーに自己矛盾がない。でも、こっちの映画は、結末を知った後でストーリーを思い起こして考えると、あちこちにホコロビがあるんだよねぇ。だから、すっごく作りがザツに感じちゃう。
もったいぶらないで、そのドンデン返しを暴露しておくことにしよう。
生存者とされていた5人は、実はあの航空機事故で全員が死亡していたのだ。あの事故に生存者なんかいなかったのである。クレアが会っていた5人は皆、幽霊だった。
その上、クレアもあの便の搭乗者のひとりだった。クレア自身もあの事故で死んでいて、幽霊になっていたのである。この人も、あの人も、み~んな幽霊・・・ってなわけ。
ね、「シックス・センス」っぽいでしょ?
でも、このストーリーには納得がいかないなぁ。
映画「パッセンジャーズ」
http://www.passengers.jp/
アン・ハサウェイ (Anne Hathaway)
http://www.imdb.com/name/nm0004266/
映画嫌い (369)
2009年2月10日 映画本日のクソ映画は2008年の米国・英国合作映画「リボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで (Revolutionary Road)」である。この映画は、現在、日本で劇場公開中のようだ。
1950年代の米国のイナカ町の住宅地、リボリューショナリー通りの一戸建ての家にフランク・ウィーラーとその妻のエイプリルは暮らしていた。子供は2人。ふたりの夫婦関係はあまり上手くいっていない。口論多し。そこで、エイプリルはフランスのパリへの移住をフランクに提案する。エイプリルは新たな地で新たな夫婦生活を始めようと思い、それにフランクも同意する。そこで、フランクは今の勤務先を辞める準備をしていたが、そんな時に取引先の社長からフランクの仕事の才能を絶賛されて、好条件での引き抜きを打診される。また、エイプリルが妊娠している事がわかり、パリへの移住が不可能な状況になってしまった。この事で夫婦間に更なる深い溝が。ふたりの夫婦生活の危機の結末とは・・・。
どうしょうもないクソ映画である。フランクにもエイプリルにも人間としての魅力がなく、そんなふたりが激しく口論をするのを長々と見せられても、醜悪で気分を害されるだけだ。ふたりともそれぞれに浮気しているくせに何なんだよなぁ? こんなバカで醜い夫婦の関係なんか見せられてもしょうがないじゃないか。こいつらが別れようが、死んでしまおうが、ど~でもいいように見えてしまい、ストーリーに興味を持てないまま、バカな結末を迎えてしまっているんだもの。何を言いたい映画なのか、何を見せたい映画なのか、さっぱりわからない。無駄なシーンも多過ぎだ。中味がカラッポの痴話喧嘩ムービーだな。いったいこのストーリーのどこが「燃え尽きるまで」なんだぁ? 内容にマッチしていないくだらない邦題をつけるんぢゃない、ボケ!
劇中のフランクにとエイプリルの役だけでなく、それを演じている俳優にも私は魅力を全く感じないんだよなぁ。フランクを演じているのがディカプリオだ。あれしかできない役者なのに、世の中、なんでこいつを評価するんだ?
ってことで、こんな無意味でくだらない映画を見るのは時間の無駄。絶対に無視しような。あまりにもくだらなくて、見ていると腹が立ってくるぞ。
映画「リボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」
http://www.r-road.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD13632/index.html
映画嫌い (368)
2009年2月8日 映画本日のクソ映画は2007年の米国映画「ザ・ムーン (In The Shadow Of The Moon)」である。米国のアポロ計画の月面着陸をドキュメント映画にしたものだ。この映画は、先月の後半に日本で劇場公開され、既に劇場公開は終了したらしい。
1960年代初頭に米・ソによる宇宙開発競争が激化する。ケネディ大統領は1960年代のうちに人類の月面着陸を実現すると演説で宣言し、アポロ計画が始まった。そして、1969年7月、アポロ11号は人類初の月面着陸に成功。空軍のパイロットの中から選ばれた宇宙飛行士たちは当時の状況、実際の月面着陸の様子を回想してインタビューに答える。
こりゃ、失敗映画だね。月面に行った宇宙飛行士たちの回想インタビューをツギハギにしてドキュメンタリーの進行をしているが、その話しの内容に大した重みがないのが痛いなぁ。まるでケーブルテレビの「デスカバリー・チャンネル」で放送されている番組みたいになっちゃっている・・・と思ったら、実際に「デスカバリー・チャンネル」がこの映画の制作に関わっているようだ。内容が浅すぎ薄すぎだ。全体的にさらりと流しちゃったなぁ・・・ってな感じだ。この映画で私が初めて知った事実は1つもなかったもの。米・ソの宇宙開発競争の件や、宇宙飛行士の訓練の件や、失敗したアポロ計画の件(アポロ1号と13号)は、一応は触れられているけれど、あっさりと軽くやっちゃっている。アポロ2号から7号までは無人だったとか、20号まで予定されていたアポロ計画が17号で打切りになった件には全く触れられていない。映画の一番最後には、ちょっとだけ、「月面着陸捏造論」への否定も宇宙飛行士たちは喋っているが、それもあっさりしすぎていて、あれでは捏造論を明解に論破するには弱すぎるぞ。
未公開にされていたNASAの蔵出し映像(元のフィルムは劣化しないように40年間も冷凍保存されていたようだ)や、当時のテレビでの報道を見せてくれているのは興味深いんだが、それも消化不良になっていて、もっと月面の様子の映像を見せてくれよぉ!と思えてしまうなぁ。
で、問題なのは、アポロ11号の他、12号以降のものの映像がごちゃまぜ状態になっていて、インタビューにも15号とか16号の飛行士が答えていたりして、アポロ11号との区別がつかないごちゃごちゃした状態になっている事だ。整理整頓がヘタなドキュメント映画だねぇ。12号以降の件は無視して、アポロ11号の件のみに的を絞って作ったほうが絶対に良かっただろうになぁ。
映画「ザ・ムーン」
http://themoon.asmik-ace.co.jp/
ちなみに、NASAは1958年に設立され、昨年はNASA創立50周年だった。
映画嫌い (367)
2009年2月7日 映画
本日のクソ映画はの2008年の米国映画「マンマ・ミーア! (Mamma Mia!)」である。全編がアバの曲で歌われている同名のブロードウェイ・ミュージカルの映画化だ。この映画は、現在、日本で劇場公開中のようだ。
母のドナとその娘のソフィーは、ギリシアの小島の丘の上でホテルを経営して暮らしていた。20歳になったソフィーは島の青年と結婚することになり、ドナに内緒で結婚式に父親を呼ぼうと思ったのだ。ソフィーはドナの20年前の日記を盗み見して、自分の父親の可能性がある3人の男の事を知り、その男たちに招待の手紙を送る。すると、その3人が本当に島にやってきたからさあ大変。自分のかつての恋人が3人も目の前に現われてドナはチョー・ビックリの大混乱。
どうなる結婚式?
どうするドナ母さん? マンマ・ミーア!(おやまぁ母さんったら!)
ノーテンキすぎるなぁ。コテコテのミュージカルだから、意味も脈絡もなく突然と歌って踊っちゃう。いつどこで事前の打ち合わせをやったのか、皆の踊りが一体化しちゃっう。そ~いう、ミュージカルのバカバカしさ、非現実さ、事態のシリアスさの欠除、生活感のなさ、それらが映画という産業廃棄物に寄生しちゃって恐ろしいほどの悪臭になっちゃっている。ストーリーの薄さを歌と踊りでごまかしている典型的なパターンだ。こんなストーリーのいったいどこが面白いのかね? どの男が父親なのか特定できずに3人も結婚式に呼ぶなよ。ソフィー、20歳にもなって、そんなガキみたい事をするんじゃない。事前にDNA検査して父親を特定しておけよな。
主演のドナを演じているのはメリル・ストリープだ。彼女は今までに、映画「大いなる陰謀」など、シリアスなおばちゃん役ばかりやっていたので、この映画での歌って踊ってコミカルに演じる姿は凄く意外だ。奇を衒って彼女がキャスティングされちゃったとしか見えてこないのだ。この役に彼女を起用したのは失敗に思えるのは私だけであるまい。脇役で登場しているドナの2人の姉妹の方が印象に残るんだよねぇ。
映画「マンマ・ミーア!」
http://www.mamma-mia-movie.jp/
母のドナとその娘のソフィーは、ギリシアの小島の丘の上でホテルを経営して暮らしていた。20歳になったソフィーは島の青年と結婚することになり、ドナに内緒で結婚式に父親を呼ぼうと思ったのだ。ソフィーはドナの20年前の日記を盗み見して、自分の父親の可能性がある3人の男の事を知り、その男たちに招待の手紙を送る。すると、その3人が本当に島にやってきたからさあ大変。自分のかつての恋人が3人も目の前に現われてドナはチョー・ビックリの大混乱。
どうなる結婚式?
どうするドナ母さん? マンマ・ミーア!(おやまぁ母さんったら!)
ノーテンキすぎるなぁ。コテコテのミュージカルだから、意味も脈絡もなく突然と歌って踊っちゃう。いつどこで事前の打ち合わせをやったのか、皆の踊りが一体化しちゃっう。そ~いう、ミュージカルのバカバカしさ、非現実さ、事態のシリアスさの欠除、生活感のなさ、それらが映画という産業廃棄物に寄生しちゃって恐ろしいほどの悪臭になっちゃっている。ストーリーの薄さを歌と踊りでごまかしている典型的なパターンだ。こんなストーリーのいったいどこが面白いのかね? どの男が父親なのか特定できずに3人も結婚式に呼ぶなよ。ソフィー、20歳にもなって、そんなガキみたい事をするんじゃない。事前にDNA検査して父親を特定しておけよな。
主演のドナを演じているのはメリル・ストリープだ。彼女は今までに、映画「大いなる陰謀」など、シリアスなおばちゃん役ばかりやっていたので、この映画での歌って踊ってコミカルに演じる姿は凄く意外だ。奇を衒って彼女がキャスティングされちゃったとしか見えてこないのだ。この役に彼女を起用したのは失敗に思えるのは私だけであるまい。脇役で登場しているドナの2人の姉妹の方が印象に残るんだよねぇ。
映画「マンマ・ミーア!」
http://www.mamma-mia-movie.jp/
映画嫌い (366)
2009年2月6日 映画本日のクソ映画はウィル・スミスが主演の2008年の米国映画「7つの贈り物 (Seven Pounds)」である。この映画もそろそろ日本で劇場公開されるんじゃなかったっけ? 今後、この映画を見る予定の方は、以下を読まないように。
主人公のベン・トーマスは、人物の名前をリストにしたメモ書きを持っていた。ベンはIRS(内国歳入庁、日本における税務署のような存在の米国の国家機関)の身分証を持ち、IRSのコンピュータを使ってそれらの人物の個人情報をプリントアウトし、その当人にIRSの職員として接触する。そして、ベンはその人物が善人であるか確認する。彼の目的は未納の税金の督促ではなかった。彼にはある「計画」があったのだ。
ベンが接触した人物の中に、エミリー・ポーサという女性がいた。彼女は心臓が悪く、心臓移植を受けなければならないほどだ。ベンはそんな彼女と恋に落ちる。
(中略)
ベンは遂に計画を実行すべき時が来たと判断し、計画の協力者である親友のミシェルに電話で連絡する。ベンは宿泊しているモーテルの部屋に戻り、浴槽の中に氷を入れ、911(日本における119番)に電話し、自分が自殺することを告げ、その浴槽の中で死んでいく。
ミシェルは移植コーディネーターだった。ミシェルの采配によって、ベンの遺体の各部はベンの書いていたリストに名前のあった人物に移植された。心臓はエミリーに。リストに名前のあった盲目の男・エズラにはベンの角膜が。おしまい。
あのリストは何だったのか、「計画」とは何なのか、それらがラスト・シーンで明らかになる仕組みでこの映画が作られているものだから、ラストのそのシーンまで、意味不明の謎だらけのシーンが延々と続いてしまっている。だから、単なるエミリーとのラブ・ストーリーでしかないように見えてしまい、それがとても退屈なのだ。そして、最後の15分でいきなりとストーリーが急発進し、その「計画」とはベンが自分のカラダを移植用に提供する相手の選定およびその実行である事が明らかになる。
しかし、なぜにベンが自殺して自分のカラダを提供しようという気になったのか、その理由、原因、心理が見えてこないのがダメだ。ベンの運転ミスによる交通事故でベンの家族や追突した相手の車の人、計7人が死亡したというシーンを何度か断片的に見せているけれど、その事件とあの「計画」との関連が明確になっていないじゃないか。事故で家族を亡くした悲しみと責任を感じての自殺か? 移植ドナーとなっての社会貢献? 懺悔のつもり? 重要なポイントなのに、説明不足でなんだかスッキリしないねぇ。
米国の移植医療の観点から見てもこのストーリーは非現実的で穴だらけだ。
移植するには拒絶反応を起こさないように適合性の厳密な事前チェックが必要なはずなのに、どうやってベンは自分の心臓がエミリーに適合すると事前にわかったんだ? いくらIRSのコンピュータのデータベースでも、移植適合タイプなどの個人データは持っていないだろう。
それに、ベンの心臓がエミリーに適合するものだともしもわかっていたとしても、現在の米国の移植コーディネイトのシステムでは、ベンの心臓が必ずしもエミリーに移植されるわけでもない。移植待ちの人のデータは移植コーディネイト用の専用コンピュータで管理され、ドナーが現われた場合は、最も適合している移植先をコンピュータが判断するのが常だ。ミシェルのような専門のコーディネーターがいたとしても、そのような人物の意志や采配で移植先を指示したり、変更したりできないのだ。ベン本人の生前の意志、希望が遺書のようなもので残っていたとしても、移植先の決定権は本人にはないのだよ。もしもこの映画のような移植先の選定が実際にできたとしたら、米国は臓器売買天国になっちゃうぞ。また、現実には、移植を受けた人はドナーの情報には一切タッチできず、ドナーがどこの誰だったのか知る由がないのだが、この映画のラストシーン(エミリーがエズラを訪問する)はそれに反しているじゃないか。だから、この映画の結末には「ありえねぇ~!」としか感想をもてなかったなぁ。
ベンのあの自殺の仕方もダメだな。カラダを浴槽で氷漬けにするのは臓器の低温保存という観点からは良いけれど、あのように猛毒を持ったクラゲを浴槽に入れて、刺されて死ぬってのはいただけない。クラゲの毒は神経毒なんだから、刺された場所によっては、臓器に著しいダメージを与える事になっちゃうもの。最悪の場合、心臓が移植に使えなくなる場合もある。助けに来た救急隊の人が浴槽の中にいるクラゲの存在に気が付かないで刺されちゃう危険性もあるしなぁ。
ってことで、こんなアホなストーリーは素直に納得できんぞ。
映画「7つの贈り物」
http://www.sonypictures.jp/movies/sevenpounds/
映画嫌い (365)
2009年2月5日 映画本日のクソ映画は2008年の米国映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (The Curious Case of Benjamin Button)」である。この映画は明後日から日本で劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の方は、以下を読まないように。
1918年、第一次世界大戦が終結した日に、その赤ん坊(男)がルイジアナ州のニューオリンズに生まれた。母は出産時に死亡。父は老人のようなシワくちゃな赤ん坊の姿に驚き、その子を老人ホームの前に捨ててしまう。そして、その子は老人ホームで住み込みで働いている黒人夫婦に育てられることになる。彼はベンジャミンと名付けられた。ベンジャミンのカラダは老人そのものの状態で、年をとると逆にカラダが若返っていくという特異な状況にあったのだ。
ある時、老人ホームで暮らす老女の家族が面会にやってきた。そして、老女の孫であるディジーという娘とベンジャミンが出会うのだった。老人であるベンジャミンと幼女であるディジーの間にはその後に愛情が芽生える。
17歳になったベンジャミンはホームを出て、船員として働き始める。一方のディジーはバレリーナを目指してニューヨークへ。時を経て、別々の人生を歩んでいたふたりが再会し、愛し合い、子供(娘)ができるが、年々年老いて行くディジーに対して、年々若くなって今や青年の姿になっているベンジャミンは、その後の人生について悲観的になってしまい、遂にはベンジャミンは家を出るのだった。
(中略)
老いたディジーはベンジャミンと再会したが、その時にはベンジャミンは子供の姿になっており、彼はディジーに関する記憶の一切を失っていた。年齢が更に逆行し、2003年、遂にはベンジャミンは赤ん坊に。そして、その赤ん坊はディジーに抱かたまま静かに息を引き取るのだった。おしまい。
ベンジャミンの一生をディジーとの関係を軸にしてなぞった映画だ。長い。2時間45分くらいもある。疲れる。病院のベッドの上で老衰で死期が近くなっているディジーの依頼で、娘がベンジャミンが記していた日記を読むという手法でストーリーの進行をやっちゃっているのは、あまりにもありきたりすぎだ。ディジーとの件とは関わりのない、ベンジャミンが船乗りとして第2次世界大戦の海上戦に遭遇した事件とか、実の父との再会とか、実の父の死、養母の死なども見せていて、そのようなシーンは必要ないとは言わないが、それらもなんだか見せ方がありきたりすぎるのがイヤだな。時代背景を演出する為に、フロリダの海でヨットに乗っている時にロケットがドッカーンと飛び立つシーン(近くにヒューストンがあるものねぇ)があったり、テレビでビートルズが「ツイスト&シャウト」を演奏しているシーンがあったりするんだけど、それもありきたりすぎ。あのロケットは時期的にアポロじゃないな。ジェミニかな?
凄くヘンなのは、黒人の登場人物に対して人種差別が全くないって事だ。戦前の米国では人種差別など当たり前で、その状況は1960年代末までも継続していたじゃないか。私も人種差別なんてのは猛反対だけど、人種差別というものがあった史実にフタをしちゃうのはいかがなものか?
で、最もダメなのが、なんでベンジャミンとディジーのふたりが互いに惹かれたのか、その心理がさっぱり見えてこないって事なんだよねぇ。老人の姿だったベンジャミンが、ブラッド・ピット演じるあのような美青年になるから、それで見ている者も騙されてしまうんだろうが、若くなった姿がオードリー・春日のようになっちゃっていたら、あのようなストーリーは成立しそうにない・・・と思うのは私だけであるまい。トゥース!
雷に7回撃たれた事にいては話したっけ?(この映画を見ていない人にはその意味がわからんだろうなぁ)
映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
http://wwws.warnerbros.co.jp/benjaminbutton/
映画嫌い (364)
2009年1月15日 映画本日のクソ映画は2001年の米国映画「ダミー (Dummy)」である。そのタイトルから、サスペンス映画か?と思って見てみたところ、つまらないラブ・コメ映画だった。ここで言う「ダミー」とは、「腹話術の人形」のことなんだもの。
主人公のスティーヴンは腹話術をやっているテレビ番組を見て、それに魅了されてしまった。そして、さっそく自分も腹話術をやってみようと、腹話術の人形を買い、勤務していた会社も辞めてしまったのだ。
幼馴染みの女性・ファンゴラが万引きしてきた教則本を読んでスティーヴンは独学で腹話術の勉強を始め、腹話術の講習会にも参加してワザを身に付けようと努力する。そんな時、スティーヴンはハローワークに勤務している相談員のロレーナと出逢い、スティーヴンはロレーナに恋をしてしまう。その恋の行方は・・・?
スティーヴンの腹話術師としてのサクセス・ストーリーでもなく、人形に邪悪な霊が乗り移ったりもしない。人形がスティーヴンをサポートするわけでもない。だから、腹話術というものの必要性がこの映画には感じられないのである。痛い事に、ロレーナにも魅力が感じられないし、スティーヴンを応援したい気分にもなれなかった。だって、主役としてのスティーヴンに存在感がなくて弱すぎなんだもの。スティーヴンが飄々としすぎちゃっているから、彼の心理が見えてこないんだよねぇ。それがこの映画をつまらなくしちゃっている最大の原因だろう。
姉のハイジ、両親、姉の元彼のマイケル、そしてファンゴラと、超個性的な人物でスティーヴンの周りを固めて、それで軽い笑いを取っている手法にも疑問は残る。確かにファンゴラとハイジのその個性的なキャラは面白いのだが、それがかえってスティーヴンの存在を薄くしちゃっているのだ。
途中でスティーヴンは人形を返品して腹話術を辞めちゃうのだが、その後にまた腹話術をやるようになる心境とかそのキッカケのような肝心なものを見せていないのもダメだな。
ちなみに、「腹話術」のことを英語では「ヴェントリロキズム (ventriloquism)」と言う。試験には出てこない英単語なので(多分)、この英単語を覚える必要はない。
映画「ダミー」
http://www.eigaseikatu.com/title/7704/