映画嫌い (436)

2009年6月19日 映画

本日のクソ映画は2006年の米国映画「インランド・エンパイア (Inland Empire)」である。デヴィッド・リンチ監督の究極の支離滅裂映画である。わけのわからん映画だ。それも3時間もある。長い。頭がクラクラしてきたのは私だけであるまい。
 
女優のニッキーに映画の主演の仕事が入ってきた。男優のデヴォンと演じる不倫の映画で、タイトルは「On Night in Blue Tomorrows」だ。セリフの読み合わせの時、監督のキングズリーはこんな事を言う。実は、この映画はかつて別タイトルで映画化されようとしていたが、主演の2人が殺されてしまった為に制作が頓挫してしまったというイワク付きのものなんだ・・・と。
 
とにかく長い。3時間。それも始めの1時間は上記のようなストーリーがかろうじてあるんだけれど、その後の2時間は支離滅裂でろくなストーリーなんてありゃしない。キチガイの頭の中ってこ~なってんのかねぇ?と思うような、脈絡も何もないコマ切れな映像のオンパレードなのだ。上記のストーリーの続きなんてまるでない。撮影中の映画がどうなったのか・・・など、一切の結末もない。ストーリーが収束していないのだ。いや、ストーリー自体がないじゃないか。見ている側としては、メインとなるストーリーをその中から見つけ出し、頭の中で余分なノイズを排除し、ストーリーの伏線を楽しもうとするであろうが、この映画においては、メインのストーリーも伏線もない。全体がノイズなのだ。MTVが放送していたロック・ビデオの中の訳のわからん無意味なストーリー仕立てのあれを20本ぶんくらい持ってきて、それをツギハギにして、ますます訳のわからんものにしちゃった・・・ってな感じである。いったいこの映画って何を言いたいの? 何を見せたかったの? 見せたいのはキチガイの頭の中? この支離滅裂の手法、サイケとかアヴァン・ギャルド、ダダと言えるほどの前衛的な芸術性もないし、何らかの暗喩とか象徴になっているわけでもない。いったいなんなんだろうねぇ? 私にはさっぱりわからんよ。お手上げ状態だ。映画として成立してねぇんじゃないのぉ? 単に奇をてらった・・・ってな事にしか見えてこないんだもの。脈絡もなく突然とシーンが変わって、ウサギの着グルミの一家のシーンが出てきたり、冬のポーランドの路上のシーンになったり、何なのそれ? やたらと顔のどアップが映し出され、その顔じゃなくて背景にピントがあっているというピンボケ、何の意図があっての事なの? 安物のデジタル・ビデオ・カメラで撮影したらしく、手ブレも満載だ。路上に座って黒人男といちゃつくアジアンな女性が、こりゃまた脈絡もないセリフを喋り続け、もう、完全にイっちゃってるぞ。そのアジアン女性、どこかで見た事が・・・と思ったら、なんと裕木奈江じゃん、懐かしィ・・・っていうか、日本人から見るとますますマッドネス度が向上しちゃって見えてしまうなぁ。主演のニッキーの役の女優さんは米国版・室井滋ってな感じにも見えてしまうのは私だけであるまい。
とにかく、支離滅裂な脚本、ダサい演出、ダイコン演技、セコい特撮、ちゃちなセット、・・・と4拍子も5拍子も揃った究極の大駄作がコレだ。この3時間にあなたは耐えられるか? 私には無理。頭がクラクラしてきた。
 
映画「インランド・エンパイア」
http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/inland_empire/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (435)

2009年6月18日 映画

本日のクソ映画は2007年の米国映画「アイ・ノウ・フー・キルド・ミー (I Know Who Killed Me)」である。
 
オーブリィは女子高生。彼女の住む街では、若い女性が誘拐され、その後に片腕・片脚を切断された死体となって発見されるという事件が連続発生していた。オーブリィの同級生も被害者になってしまった。FBIが捜査に乗り出したが、犯人に関する何の手がかりもない。
次に狙われたのはオーブリィだった。オーブリィはある夜に行方不明になってしまい、その2週間後、片腕・片脚を切断された状態で山中の路肩に倒れているのが発見された。まだ生きているぞ。病院に運ばれて手当てを受けるオーブリィの変わり果てた姿に両親は絶句だ。
ところが、意識を取り戻したオーブリィは、自分は「オーブリィではない」と言い張るのだ。自分は「ダコタ・モスという名前のストリッパー」だと言う。両親もFBIも困ってしまうが、DNAも一致しているんだから、彼女はショックから一時的な精神障害に陥っているのだろう。自称・ダコタは義手と義足を装着してリハビリを受けた後、退院してオーブリィの家に戻る。しかし・・・。
 
途中まで見ていて、そのオチがわかっちゃった。実はオーブリィとダコタは生き別れになっていた一卵生双生児なのである。だからDNAも一致して当然だ。その上、このふたり、日本語では何と言うのか知らないが、「スティグマティック・ツインズ (stigmatic twins)」というやつなのである。双子の一方がケガをしてしまうと、もう一方も同じ時刻に同じ位置をケガしちゃうというアレである。それを安易にオチにしちゃっているのだ。つまり、誘拐されて拉致監禁されているオーブリィがイカレた犯人に手を切断されると、同じ時刻に別の場所にいるダコタも同じ位置で手がちょちょ切れる。同じく足も・・・ってな具合だ。そして、わけもわからんまま手足がなくなってぶっ倒れたダコタが発見されて病院に運ばれたという次第だ。そのような事情を知ったダコタがオーブリィを救出しに行くストーリーになるのも見え見えだ。このストーリー、ちょいと安易すぎないかぁ?
勿論、スティグマティック・ツインズだなんていうのは、オカルト系の都市伝説で、それに似た事例もあるが、「偶然」でしかないのだ。もし、あなたのまわりに双子がいたら、くすぐってみて実験しようぜ。

ってことで、
本日の提言:
「双子をみかけたらくすぐれ!」
 
映画「アイ・ノウ・フー・キルド・ミー」
http://tos-label.at.webry.info/200903/article_34.html
 
 

 
ちなみに、この映画は毎年の最低映画を表彰する「ラジー賞」の9部門にノミネートされ、この映画で一人二役の主演をしたリンジー・ローハンが最低女優賞を2個も獲得するに至っている。ったくもぉ、最低!
http://www.anapnet.com/ent/15805
 

 
 

映画嫌い (434)

2009年6月17日 映画
本日のクソ映画は2007年のブルガリア映画「メトロポリス 2035 (Nightmare City 2035)」である。
 
西暦2035年の近未来。人民は頭部にチップを埋め込まれ、国家による徹底的な管理体制の支配下にあった。国家は衛星経由でチップにニセのデータを送信して人民の視覚と脳細胞をコントロールし、廃虚となっている都市を繁栄しているきらびやかなメトロポリスに見せかけ、真実を隠蔽し、人民の自由をも奪っていたのである。
主人公は警官のマクダウェル。彼は国家の治安維持の為に働いていたが、真実を知る反政府グループとの接点を持った為に、廃虚である都市の現実の姿を知ることになり、反政府グループの女性リーダー・カイラに協力する事になった。カイラの作戦は、コンピュータ・ウィルスを衛星経由で送り込み、国家の送信しているニセのデータを排除し、人民に真実を知らせようとするものだ。コンピュータへのアクセスの為のパスワードのヒントを得たマクダウェルとカイラは・・・。

日本でこの映画のDVDの販売をしているのが、お馴染みのクソ映画専門会社「アルバトロス・フィルム」である。アルバトロスはブルガリア映画にまで手を伸ばしていたのかぁ・・・と、見る前から失笑である。実際に見てみたところ、このチープさ、さすがアルバトロスの買い付けた映画だなぁ・・・ってなデキソコナイ映画だった。毎度ながら、アルバトロス、やってくれるじゃん。
近未来の管理社会という設定も、その支配から人民を解放するというストーリーも古すぎだものなぁ。私はブルガリアの映画界ってものについてほとんど知識がないんだけど、こんなチープな映画で興行収入が得られるようなお国柄なんだろうか? 主演のマクダウェルがブルース・ウィリスのパチもんみたいなのが笑えるし、カイラが美女なのかオッペケペーなのかその微妙さにも笑えるねぇ。未来感を見せる為の無理矢理っぽいCGと実写の合成のヘタクソさ、撮影セットの安っぽいさもすごいよなぁ。ブルガリアといえば、冷戦時代に社会主義国という名の元の管理社会だったわけであるが、この映画はそのような過去の体制に関する批判もなければ、思想的なものも何もない。インチキくさい未来像に失笑させられるだけのバカ映画だったのさ。

映画「メトロポリス 2035」
http://www.albatros-film.com/title.phtml?route=&titleid=596
 
 

 
 

 
 

無重力嫌い

2009年6月16日 日常

本日、6月16日。
616 と書いて、「無重力」と読むそうだ。苦しい読み方だ。インテリジェンスがまるでない・・・と思うのは私だけであるまい。
で、本日は「無重力の日」なんだそうだ。
おぃおぃ、それって何の為の日なんだよ? 何をしろって言うのだ? 何を祝うんだ? 何かもらえるんか? 
・・・と疑問が一挙に256個も頭の中に浮かんできたじゃないか。
質問しに世界中のどこだろうと訪問してみるから(北朝鮮ならびに紛争地域は除外)、制定責任者の氏名と住所を公開しろよな。
 
 

 
 

 
 

 
【Q】レジ袋の廃止は効果があるのか?
【A】No。優先順位が違っているぞ。
昨年あたりから「エコ」の名のもとに大手のスーパーマーケットが一斉に「レジ袋の有料化」を断行している。使い捨てのレジ袋は反エコの象徴にされちゃっているのだ。レジ袋を製造する過程で排出される二酸化炭素がダメなんだと言う。しかし、その理論は実におかしいのだ。
数値で示そう。レジ袋1枚の製造時に排出される二酸化炭素は約6グラムである。これに対し、肉や魚のパックに使われているトレイ、これを1枚の製造時に排出される二酸化炭素は約8グラムである。レジ袋よりトレイのほうが多いのである。それに、トレイのほうが断然に消費量が多い。平均的な買い物を統計処理したところ、レジ袋1枚の中にトレイ付きの商品が約3.3枚入っている計算になるそうだ。この場合の、レジ袋1枚とトレイ3.3枚の合計の二酸化炭素排出量は、
6+8×3.3=32.4
で、32.4グラムとなる。すなわち、全体量である32.4グラムの中におけるレジ袋の割合は約19%でしかない。他の約81%がトレイによるものだ。だから、レジ袋を全廃するより、トレイを全廃するほうが約4倍以上の二酸化炭素排出量の低減効果になるのである。この数字を見ると、レジ袋じゃなくてトレイを優先的に廃止すべきだとわかるだろう。
実は、もっと優先的に廃止すべきものがあるのだ。それはスーパーマーケットにおける駐車場である。全ての駐車場を廃止して、車での来店を禁止すべきである。例えば、リッター15kmの燃費の車に乗って1kmの距離を買い物にやってきたとしよう。この車が往復2kmの走行で排出する二酸化炭素は314グラムである。レジ袋52.3枚分にも相当するのだ。地道にレジ袋の削減に協力するのアホらしくなるくらいトンデモない数値だ。
以上の事から、スーパーマーケットがやるべき事の優先順位は、
(1) まず、駐車場を廃止して車での来店を拒否する。
(2) トレイでの販売を全廃する。
(3) それでも余力があった場合にレジ袋を全廃する。
ってことである。
 
ちなみに、レジ袋の生産で排出された二酸化炭素の、日本での年間の合計は、2007年度で9万トン弱である。一方、同じく2007年度に日本国内で車が排出した二酸化炭素の総計は2億5000万トンだ。車に対して、レジ袋の排出量は0.036%でしかない。ノー・レジ袋、マイ・バッグでエコ気分になっても、マイ・カーを使っていちゃ意味がない。本物のエコをわかっている人はマイ・カーなんか絶対に持たないぞ。
 
ちなみに、レジ袋ってのは、石油精製の過程で残留したカスから作られている。レジ袋以外にそのカスの用途がないので、レジ袋に使われない場合は産業廃棄物として廃棄するしかないのだ。ゆえに、レジ袋ってのは「究極のリサイクル」とさえ言われている優れものなのである。
 
つづく
 

テレビ出演嫌い

2009年6月10日 音楽
 
本日もヒミツの日記のみ。
 
 

 
 

 

 
【Q】割り箸は悪なのか?
【A】NO。国産ならOKだ。
20年~30年くらい前には、中国や東南アジアの国々から日本は大量に割り箸を輸入し、大量消費していた事があった。金持ちの日本に売れば良い商売になるものだから、それらの国々では、カネのためにどんどん森林を伐採して割り箸を作っていた。だから、割り箸は森林伐採の元凶となるものとして自然保護団体から集中砲火をあびていたのだ。そのような状況は現在でも完全になくなったわけではなく、中国や東南アジアの国々から、森林伐採して作られた割り箸が入ってきている。勿論、そのような割り箸は使うべきではない。絶対にボイコットしよう。ちなみに、中国における森林伐採の中に占める割り箸の割合は、面積比で1%にも満たない。1%を多いと見るか、少ないと見るかは意見の分かれるところであるが、とりあえず中国産の割り箸は使わないようにしよう。有害な漂白材を使って白く見せているやつが多いんだもの。
一方、日本国内では、無理な森林伐採をしないで割り箸が作られているのだ。森林とういものは、木々がある程度成長してしまうと、お互いに伸びた枝と葉で日光を取り合うという現象が起きてしまい、充分な日光を得られずに木々が共倒れしてしまい、その連鎖の結果、森林が死んでしまう場合があるのだ。それを防止する為に、ある程度成長した木の一部の枝を切り落としたり、あるいは木を伐採して減らすという「間引き」という管理が必要になってくる。そのようにして、森林を守るための措置である「間引き」で伐採した木々を材木(「間伐材」と呼ばれる)として利用し、建材や家具の材料として使用した残りの部分の廃材を有効利用しているのが国産の割り箸である。森林保護から生まれたものであり、無理な伐採もしていないし、廃材の有効利用なんだから何の問題もない。そのような国産の割り箸はどんどん使おうじゃないか。使用後の割り箸は燃えるゴミとして火力発電に使われて、エネルギーに転換されるしな。
 
【Q】マイ箸はエコなのか?
【A】NO。
前述のように、国産の割り箸を使えば良いのだから、あえてマイ箸を使うメリットはない。逆に、マイ箸を洗うという行為によって、水資源を使ってしまう、お湯を使う場合は水を熱する為のエネルギーを使ってしまう、洗剤によって土壌・河川を汚してしまうなどのデメリットも。マイ箸を持ち歩くのはまやかし。マイ箸を使う人は、本当のエコをわかっちゃいない人である。(洗わないで何度も使うならOKだ)
 
つづく
 
 

ちなみに、私の親戚に、北海道で林業をやっている者がいて、間伐材で割り箸を作って出荷しているのである。勿論、漂白剤なんか使っちゃいない。近隣の飲食店に安価で卸している。材料として大量に間伐材が残っているんだけど、割り箸生産が本業じゃないので、そっちに労力を集中できず、ぢゃ、他人を雇って割り箸生産子会社を立ち上げよう!と思って、資金繰りをしようとしていたところ、銀行に「割り箸はエコぢゃない」と決めつけられて資金の融資を断られたのだ。どこの馬鹿銀行なのか知りたい方はメールで質問してくれ。担当者の所属と実名も教えてあげよう。

 
 
 
【Q】大平洋上の島国・ツバルが沈んでいるのは海面上昇が原因か?
【A】NO。
ツバルが沈んでいるのは事実。パラオも沈んでいる。ところが、それらは海面上昇が原因ではない。もしも海面上昇ってのがあるとしたら、ハワイだって、グアムだって、サイパンだって同様に沈んでいるだろ。ハワイが沈んで海岸線が変わっただなんて話は全くない。日本も沈んでいないし、日本の海岸線も変わっちゃいない。
では、ツバルが沈んでいるのはなぜか? それは地盤沈下なのである。ツバルの地盤には、昔に堆積したサンゴなどの石灰分が多く含まれており、それが溶け出した結果、地盤沈下を起こしているのだ。
地球温暖化は嘘。
温暖化によって極地の氷が溶けているってのも嘘。
極地の氷が溶ける事によって海面上昇するってのも嘘。
海面上昇によってツバルが沈んでいるってのも嘘。
嘘の上塗りだ。エコには嘘がいっぱい。
 
【Q】温暖化で氷が溶けた為に、シロクマは住む場所がなくなって絶滅しそうになっているのか?
【A】NO。
住む場所がなくなっているという現状はない。その上、昨年のシロクマの生存確認頭数は観測史上最多になっており、絶滅しそうにないのだ。
シロクマはエコのシンボル的な存在にされてしまっているが、それはクジラが動物愛護のシンボル的な存在にされてしまって、動物愛護団体のプロパガンダに利用されてしまっている現状に相似している。クジラが絶滅しそうだから捕鯨をやめよう!と主張している団体が米国やオーストラリアにあり、実際にはクジラの数はそのような団体が主張している数よりはるかに多く、絶滅だなんてありえないほどあふれている。しかし、「クジラが絶滅」と嘘情報を流し、それにより資金を集めることができているのである。動物愛護はカネになるのだ。それと同様に、エコもカネになる。シロクマをエコのシンボルにでっちあげて、絶滅しそうだと危機感を煽り、それで、エコを食いものにしている偽善的エコ団体が資金集めをしているのである。一般企業にしても、エコに協賛しているというと企業イメージが良いものだから、そのような偽善的エコ団体にホイホイと寄付しちゃったり、イベントに参加しちゃったり、・・・と、エコの現状はハチャメチャになっているのだ。
で、そのような団体や企業のニセ情報、資金、運動によって、なぜかシロクマが絶滅危惧種に指定されるに至っている。実際には、シロクマの数は増え過ぎており、シロクマが餌としているアザラシのほうの絶滅が心配されているのである。
 
つづく
 


【Q】温暖化により両極の氷が融けているか?
【A】NO。
エコを訴えるテレビ番組で、極地にある氷山が融けて崩れるビデオを放送する事がよくある。あれは温暖化によって融けているのではない。通常に春がきて、暖かくなったから融けているのである。極地にも四季があり、春になると氷山が融けるのは日常茶飯事だ。秋になって冬になるとまた氷る。テレビの映像に騙されないように。
ちなみに、50年も前からカナダには、春の氷山の崩れる様子を見に行く観光ツアーがある。

【Q】両極の氷が融けると海面が上昇するのか?
【A】NO。
両極のすべての氷が融けたとしても、海面は上昇しない。氷が融けて水になると、その体積は減少する。その上、両極の氷の体積のすべてを合計しても、全海洋の海水の体積に比べて著しく少ない。ゆえに海面に影響なし。
この事は家庭でも簡単に実験できる。コップに氷を入れて、それに水を注いでみよう。水はコップから溢れない程度にギリギリにしておく。そのまま常温の部屋で放置。その結果、氷は融けても、水はコップから溢れない。
 
つづく
 


世の中、「エコ」ブームだ。地球温暖化、環境破壊などをキーワードに、エコをしなきゃ非国民ってな風潮になりつつある。しかし、そのエコの理論、報道、情報、手法には嘘が実に多いのである。インチキなエコに群がって、それを食いものにしている企業もあれば、エコを看板にしちゃっているタレントもいるし、インチキなエコを煽動するマスコミにも問題が多い。そんな嘘にコロっとだまされないように、真実を示し、正しいエコのありかたを提言するのがこのコーナーである。
 
 
【Q】地球は温暖化しているのか?
【A】YES。但し微少。
ここ数年、気温の上昇が記録されている地域があるが、それは都市部およびその近郊でのみの事である。例えば、東京やその近郊の埼玉県、神奈川県などでは気温上昇が確認されているけれど、一方では三宅島などの遠隔地では気温上昇がほとんどない。世界各国の状況も同じようなもので、気温上昇は都市部とその近郊のみである。地球規模の実際の気温の上昇はこの50年間に平均で約0.6度であり、これは、氷河期と温暖期を繰り返している地球の標準的な気温変動の範囲内である。
 
 
【Q】温暖化の原因は二酸化炭素による温室効果か?
【A】NO。
温室効果はまだ仮説であって、科学的に立証されているわけではない。もしも、温室効果というものがあるのであれば、気温上昇は地球上のいたるところでも同じ規模で観測されるはずであるのに、実際には、前述のように、気温上昇が観測されるのは都市部とその周辺のみである。ゆえに、温室効果という仮説には否定的な科学者が多く、二酸化炭素の排出によって地球が温暖化しているとは認められていないのである。
ちなみに、都市部とその周辺での気温上昇は「ヒート・アイランド現象」であることが実証されている。「ヒート・アイランド現象」についてはここでは説明しないので、各自で調べよう。
 
つづく
 

映画嫌い (433)

2009年6月5日 映画
本日のクソ映画は2008年のベルギー映画「その男ヴァン・ダム (JCVD)」である。筋肉系俳優のジャン=クロード・ヴァン・ダムが自分自身を演じている自虐風味のある映画だ。日本では今年の正月映画として劇場公開されていたようだ。正月にこんな映画を見てもしょうがないだろうにぃ。
 
その男はジャン=クロード・ヴァン・ダム、48歳。ベルギー出身で、1990年代にハリウッド映画で成功したマッチョなアクション俳優だ。ところが大作映画に出演する機会もなく、その格闘派スタイルも21世紀になって時代遅れになってしまい、出演依頼があった映画の主役をスティーヴン・セガールに取られてしまった。かつてジョン・ウー監督の映画で主演もしたが、あの映画はジョン・ウーを有名にしただけで終わってしまい、彼はジョン・ウーに捨てられてしまったのだ。私生活では離婚をして、娘の親権を元妻に取られ、莫大な慰謝料まで支払わなければならない判決が出た。そして、小切手が不渡りになり、クレジット・カードも使えない状態に落ちぶれていたのだ。その年齢だから、そろそろアクションもきつい。アクション俳優として潮時か・・・。
そんなどん底の彼がベルギーに帰ってきた。ベルギーで彼を知らない者はいない。すでに過去の人ながら、ハリウッドで最も成功したベルギー人なのであるから。彼は空港でタクシーに乗り、故郷の町へ向かい、途中で郵便局に立ち寄ろうとする。そして、彼が郵便局に入った直後に銃声が。その郵便局で強盗事件が発生したのだ。犯人は客らを人質にして立てこもり、一方、郵便局を警察の特殊部隊が包囲する。ヴァン・ダムは郵便局強盗をするほどまで落ちぶれたのか・・・?
 
全然おもしろくないよぉ。自虐ネタにしてもブラック度が低いし、旬を過ぎたアクション俳優のダサさの表現も手ぬるい。郵便局強盗のストーリーも全然ダメ。中身が薄いし、だから何なんなんだ?ってな域を出ていない。
 
ヴァン・ダム、しばらく見ていなかったけど、ホント、フケたねぇ。なんだかフランスのイナカ町の家具屋のオヤジみたいな風貌になっちゃっている。ちなみに、彼の私生活を見せていながらも、プリンセス・天功の事についての言及は一切ない。
 
10年くらい前、私はドイツのフランクフルト空港のトランジットで、彼を見かけたことある。有名俳優がいるぞ!って人々が彼の回りに集まっていて、サイン責め、一緒に写真撮影責めにあっていたのだ。彼は気さくにそれに応じていた。私は彼が主演していた「ユニヴァーサル・ソルジャー」とかを見た事はあったけれど、ファンではなかったから、サインをもらうわけでもなく、一緒に写真におさまるわけでもなく、単に握手だけしてきた。ちょっと意外だったのは、彼、小さいのだ。映画で見た感じでは190cmよりやや低いくらいの・・・ってな長身男。実際には、私とほぼ同じ身長なんだもの。175cmくらいしかないぞ。第一印象は「ちっちぇ~!」だった。
 
映画「その男ヴァン・ダム」
http://vandamme.asmik-ace.co.jp/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (432)

2009年6月4日 映画
本日のクソ映画は2008年の米国映画「ターミネーター・プラネット (Solar Vengeance)」である。
 
終身刑の囚人たちが送り込まれる流刑星・ネクロシス第六惑星。女性型ターミネーターに連行されて、新たな囚人・ウエストがやってきた。その惑星を独裁支配しているのが所長であるギャロウェイだ。囚人たちは背中に電極プレートを埋め込まれ、感覚や感情をコントロールされている。ウエストがその惑星にやってきた真の目的は、ギャロウェイへの復讐をする事だった。ウエストを守り、味方となって行動するのが女性型ターミネーターだ。ウエストは新入りとして監獄に迎え入れられたが・・・。
 
チープ! あまりにもチープで情けない。チープなストーリー、チープな特撮・CG・視覚効果、チープな音楽、チープな俳優、・・・と、どれを取ってもツッコミどころ満載。あまりにもツッコミどころが多すぎて、いったいどこからツッコんでよいのやら・・・?ってな手の付けられない状態だ。
最もチープに感じるのが、女性型ターミネーターを演じている女優さんだろうなぁ。髪を赤くした中国のイナカのダサいおばちゃんってなオッペケペーなんだもの。演技なんかまるでできていない。その上、なぜか脈絡もなく脱いでファックしちゃう。そぉ~いう裸体は見たくないなぁ。石を投げたくなる気分になったのは私だけであるまい。ターミネーターのくせに、ろくな戦闘シーンもなく、武器は「スター・ウォーズ」に出てきたような光る剣だ。
映画にもいろいろあるけれど、ここまでチープな映画があるとは、下には下があるもんなんだねぇ。
 
映画「ターミネーター・プラネット」
http://www.transformer.co.jp/products/TMSS_125.html
 
 

 
 

 
 

 
今回は正確には「ラーメン」ではない。中華麺の一種である「刀削麺」だ。
 
久々にショッピング・モール「アリオ札幌」に行ってきた。2年ぶりくらいだな。2005年10月のオープン以来、3度しか行く機会がなく、今回は4度目だ。だって、場所的にとても不便なんだもの。
昼飯時に行ったので、アリオ札幌の中にあるどこかのお店でランチしようと店舗の前を散策してみた。そうだ、以前にここに来た時、ラーメン店「五丈原」の支店を見かけたぞ・・・と思い出し、記憶を辿ってその場所に行ってみた。ところが五丈原がない。ありゃぁ~、五丈原はここを撤退しちゃったんだ。五丈原があったその場で営業していたのが「紅燈籠」という中華料理屋だ。店名は「ホンタンロン」と読むらしい。札幌にいくつか支店のある中華屋だ。街中の狸小路にもあるし、ススキノにもある。白石にもあったなぁ・・・と思いながら、今回はその店に入ってみた。
 
メニューの中に「刀削麺」ってのがあったので、それを注文してみた。「麻辣あんかけ」味、「坦々」味など5種類の味付けがあり、私は「麻辣あんかけ」味を指定した。780円である。
刀削麺を作っている店ってのは珍しい。紅燈籠のこの支店と白石にある支店以外で、札幌で刀削麺を出す店を私は知らないもの。
私は以前に中国で、本場の刀削麺を食べて、その麺の作り方も見せてもらったことがある。水で小麦粉を溶いて、粘土の固まりのようなハンドボールくらいの大きさの塊を作り、それを片手に持って、その表面をもう一方の手に持った金属板で勢いよく薄く削っていくのである。リズムに乗せて勢いよく、ピュッ、ピュッ、と削った麺を飛ばし、それが沸騰した湯の入っている鍋に直接と入る。そして茹で上がったのが刀削麺だ。字のごとく、「刀で削った麺」である。2~3メートル先にある鍋に百発百中で飛ばすという名人芸を持った麺職人もいるようだ。中国のメン飛ばし職人、恐るべし! 削った麺は長さも太さもバラバラで、一本10センチもない短いその麺の表面は非常にデコボコしていている。太い部分もあり、細い部分もあり、不規則にガタガタのその「不揃い」さが食感にバリエイションを与えているのである。作り方の大道芸的な様子が面白いだけではなく、その作り方からくる独特の粗さが良い方向に出ているのだ。麺自体の味は、ウドンと言うよりは、厚めの水餃子の皮ってな感じで、イタリアのラザニアにも近いような気がする。
 
それで、出てきた刀削麺、これは私が中国で体験した刀削麺に非常に近い。本場の刀削麺だ。「麻辣あんかけ」味のそれは、ラ-油で辛くしたあんかけで、あんかけヤキソバの上に乗っているような、野菜、キノコ、肉の類の具のバリエイションは良いし、ボリュ-もある。しかし、それほど辛くはなくて、ラ-油以外の辛味がない。味が軽いのである。もうちょっとコクを出して、味に個性と重みがほしいなぁ。麺はよくできているだけに、その点がちょっとだけ残念だ。
今回の評価は75点。合格。普通のラーメンに飽きてきたら、時にはこのような違った文化の麺を食べてみるのも良かろう。次回は「坦々」味のやつを試してみたいと思う。
 
紅燈籠
http://www.ario-sapporo.jp/floor/detail/index.php?serial=010340
http://www.welcome.city.sapporo.jp/food/chinese/index01.html
紅燈籠のヴィジッティング・カード
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/hontanlon.gif
アリオ札幌
http://www.ario-sapporo.jp/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (431)

2009年6月2日 映画
 
本日のクソ映画は2009年の米国映画「ターミネーター 4 (Terminator Salvation)」である。スカイネットによる核攻撃で「審判の日」に人類社会が崩壊した後の、スカイネットと抵抗軍の戦闘が激化する2018年の物語りだ。
この映画は今月の13日から劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の人とスカイネット関係者は以下を読まないこと。
 
スカイネットは戦闘用の金属骨格の人間型ロボットT-600シリーズを開発した。その後継機種として準備中のT-800では、人間との区別のつかないように、人工皮膚で金属骨格をコーティングする技術を完成させようとしていたのだ。そして、スカイネットは人工皮膚の実験の為に、多数の人間を生け捕りにして、スカイネットの基地に運ぶ。捕われた人間の中には青年・カイル・リースがいた。彼こそ、抵抗軍を指揮するジョン・コナーの父親だ。
ジョンはカイルを救出しにスカイネットの基地に侵入した。そして、T-600が襲ってくる中、ジョンはカイルを探し出して、捕われていた人々を解放し、施設を破壊する。逃げ遅れてしまったジョンを襲うT-600。最新型のT-800も登場だ。危うくやられそうになったジョンを助けにやってきたのは、抵抗軍から追われていたマーカス・ライトという男だ。マーカスは「審判の日」以前の2003年に犯罪者として死刑になった男で、その死体の提供を受けた科学者によって改造して作られていた「人間と機械のハイブリット」なのだった。マーカスはジョンを助けられるのか・・・?
 
以前の3作と比べて随分と傾向の違う内容になっているので、それに違和感があるのは私だけであるまい。ヘンテコに地味だねぇ。「1」や「2」でちょっとだけ見せていた、スカイネットと抵抗軍の未来の廃虚での戦闘シーンとはイメージが違っているなぁ。
今回、おっさんになっているジョンを救う役ってのが、シュワルツェネガー知事ではなくて、ハイブリット男のマーカスになっているわけだけど、この映画でのマーカスの存在意義って中途半端だよねぇ。マーカスなんてのがいなくても、ジョンが自力でスカイネットの基地を脱出することにしちゃえばストーリーは成立するでしょ。だから、マーカスの存在がすごく無駄かつ邪魔に見えてしまうんだよなぁ。この映画はマーカスの死刑が執行される様子から始まり、映画の前半では、マーカスがスカイネットからの攻撃を受けながら逃亡生活をしている姿を延々と見せているわけで、その間にカイルとの出会いなんかもあるものの、めちゃくちゃ退屈なのだ。そ~いうのを見せられちゃってもなぁ。ハイブリット男のマーカスなんかいらなくねぇ?と思うのは私だけであるまい。ジョンを救って抵抗軍の力になる事が自分にとっての使命だと認識するまでのマーカスの葛藤を見せたりして、そ~いうのって邪魔だよなぁ。ジョンの存在感も薄くなっちゃっているしねぇ。そして、カイルを救出する為にジョンがスカイネットの基地に侵入するあたりからの最後の25分くらいで、ストーリーは急発進しているんだもの。ジョンを襲う新型のT-800の役として全裸のシュワルツェネガー知事が登場するまでは退屈だよぉ。これって原作・脚本に問題ありだな。監督にも大いに問題ありだ。
 
で、問題なのは、この「4」が前作の「3」からうまくつながった続編には見えてこないってことだろう。「3」におけるジョンが、いったいどうやったら「4」のジョンになれるわけ? まるで別人なんだもの。制作サイドから漏れてきた話によると、「3」は「なかった事にしてほしい」ってさ。いや、いまさら「なかった事」ってのはないだろ。
米国でシーズン2までがテレビ・ドラマとして放送されていた「ターミネーター:サラ・コナー・クロニクル」の続きのストーリーとしても成立していないような気もする。「サラ・コナー・クロニクル」にはカイルの兄(ジョンの叔父)のデレク・リースってのが出ていたけど、「4」ではデレクの件など無視だもの。それに、「サラ・コナー・クロニクル」で登場しているカイルは2008年の現状ではまだ幼児だったのに、それから10年後の世界である2018年の「4」ではカイルの年齢設定が合ってないのでは? ちなみに、デレクはシーズン2の終わりのほうで、あっけなく死んでしまっている。
 
更なる続きの「5」、「6」が制作されるらしいが、「4」の続きって面白そうに思えないんだよなぁ。「5」では、ジョンとカイル、それとマーカスがスカイネットの基地に侵入し、カイルをタイムマシンに乗せて過去に送り出すまでのストーリーになっちゃうのだろうか?
その後にスカイネットは「2」に登場していた液体金属ボディのT-1000を作っちゃうのだろうけど、液体金属だなんて、テクノロジーが急に進み過ぎていないかぁ? もしかして「2」も「なかった事にしてほしい」ってか?
 
 
映画「ターミネーター 4」
http://www.sonypictures.jp/movies/terminatorsalvation/
 
 

 
追記:
この映画は結局は米国で商業的に大失敗し、製作会社が倒産するに至っちゃいましたとさ。続編の「5」を同じ監督で撮影する予定も吹っ飛んじゃった。こんな映画を作っているようじゃ、それは当たり前だろうねぇ。
 

 
 

映画嫌い (430)

2009年6月1日 映画
 
本日のクソ映画は2007年のカナダ映画「アライブ (While She Was Out)」である。
 
主人公は主婦のデラだ。米国の郊外の新興住宅地で、夫と2人の子供との4人暮らしをしている。デラは片付けられない女だ。クリスマスのその日も家の中がちらかっていて、仕事から帰ってきた口うるさい夫に激怒されて殴られてしまう。
夜になって、デラはひとり、雨の中、車に乗ってショッピング・モールに買い物に出た。クリスマス・プレゼント用の包装紙を買いに。ところが、クリスマス・シーズンなので買い出しに来ている人が多く、ショッピング・モールの駐車場も満杯である。駐車できるスペースを見つけようと、駐車場の中を行ったり来たり。そんな時に、2台ぶんの車のスペースのレーンのド真ん中ににデンと駐車しているマナーの悪い車をデラは発見した。その近くにデラは駐車できるスペースを見つけたが、マナーの悪いあの車にムカついたので、「2つの駐車スペースを占領するとは何て勝手な奴なんだ?」とメモ書きした紙をデラはその車のワイパーにはさみ、そしてモールの中に買い物に行くのだった。
デラが買い物を終えて、自分の車に戻ってみると、あの車の持ち主とその仲間の不良男たち、計4人が待ち伏せしていて、デラにからんでくる。その場を目撃した警備員が不良らを静止させようとしたところ、リーダー格の男は持っていた拳銃で警備員を射殺してしまった。デラは逃げる、逃げる。4人は執拗にデラを追ってくる。車から工具箱を持って森の中に逃げたデラは、工具箱の中の物を使って反撃に出ようとするが・・・。
 
夜の森の暗闇の中、雨に濡れながら不条理に追われるデラが反撃に出て、ひとり、もうひとり・・・と敵を撃退していくというストーリーだ。随分と前置きの長いストーリーではあるが、ストーリー自体はシンプルだ。
で、この映画には衝撃のドンデン返しがあるとの前評判だったので、期待して見ていたのだが、シンプルにデラは反撃に成功して、敵がひとりづつ次々と死んでしまい、最後にひとり残ったリーダー格の男には手こずったが、結局のところは、奴の拳銃を奪って反撃に成功しちゃうのである。おぃおぃ、いったいどこに衝撃のドンデン返しがあるんだぁ?と思いながら見続けていると、最後の最後にそれっぽいシーンがあって笑っちゃったぞ。身も心もボロボロになったデラがずぶ濡れで家に帰ると、夫がまたまた口うるさい小言を言ってきたので、デラは敵から奪い取った拳銃の銃口を夫に向けて、それでプッツリと映画が終わっているのである。夫をも殺しちゃたんか? それが衝撃のドンデン返しかよ? 夫殺しかよ、クリスマスに。
ちなみに、デラを演じているのがキム・ベイシンガーで、彼女はエグゼクティヴ・プロデューサーとしてこの映画の制作にも関与しているのである。なんでこんな映画の制作に関与しちゃって、自ら主演しちゃったんだろうねぇ?
 
映画「アライブ」
http://mp.edita.jp/happinet/arv/

 

 
 

 
 

生ゴミ嫌い

2009年5月31日 日常

昨日は5月30日ってことで、「530」で、「ゴミ・ゼロの日」なのであった。そのイベントの1つとして、札幌の中心部を流れる豊平川の河川敷のゴミ拾いをするボランティアの募集があり、この私もインチキくさいひとりの善良な札幌市民として、そのボランティアに参加してきたのである。河川敷でひたすらゴミを拾っていく。ただそれだけだ。なんて言うんだったっけ、あの、ゴミをはさむ道具。それでゴミをつまんで次々とゴミ箱に捨てる。ロンドンのテムズ川、パリのセーヌ川、ローマのティベル川に対する札幌の川は豊平川なんだもの、大切にしなきゃねぇ。集まったボランティアは300人くらいだ。
ちなみに、北海道の方言では、「ゴミを捨てる」と言うのを「ゴミを投げる」とも言う。「捨てる」とも言うが、「投げる」と言うほうが一般的じゃなかろうか。北海道人に「そのゴミ、投げて」と言われても、決して、その人に向かってそのゴミを投げつけてはいけない。そのゴミを捨ててくれという依頼の意味なのであるから、ゴミ箱に投入すること。
 
それにしても、豊平川の河川敷、いろんなゴミが出てくるもんだねぇ。
コーヒー缶とかペットボトルなどは当然だ。
使用済みの花火のカスとか、タバコの吸い殻なんかも勿論多い。
アイス・キャンディの串とか外袋も多いねぇ。
トウモロコシの食べカスの芯も発見。トウモロコシは大通公園で食えよ。
毛ガニの殻なんかもあったなぁ。誰かここで毛ガニを食べたんか? こんな所で毛ガニなんか食べるなよなぁ。食べたら殻は持ち帰れよなぁ。
死んでまもないヒキガエルの死骸までも発見。この手の大きなカエルって久々に見たなぁ。
私の担当した地区では見つからなかったんだが、上流の方では生まれたばかりと思われる5つ子の犬のピンク色の死骸が見つかったそうである。ノラ犬がその場で産んで逃亡したのか、あるいは誰かが飼い犬が出産したのを捨てたのか? 犬畜生が嫌いな私でもかわいそうに思えたなぁ。
 
河川敷の芝生の上で私が見つけたのが、使用済みのピンク色のコ●ドームだ。まだ新しいぞ。先端部分には男の体液が入っているのをしっかり確認できちゃうという状態の、新鮮な使用済みコン●ームである。体液の中でまだ生きているんぢゃなかろうか? 昨晩、ここで性行為しちゃったんだろうか? こんな場所でよくもできちゃうものだなぁ。ここに連れ込んで、避妊までして・・・とは、随分と計画的で大胆な行為だ。すぐ近くにラブホあるんだから、ラブホでやれよ、ラブホで。なんて言うんだったっけ、あの、ゴミをはさむ道具。それで私は恐る恐るそれの根元のほうをつまんで、体液が漏れてこぼれないように慎重に運んで、係りの人が持っている移動式のゴミ箱に投入するのだった。
豊平川の河川敷で性行為するのはやめましょう。
 
 
豊平川
http://www.welcome.city.sapporo.jp/feature/05_05/toyohiragawa-1.html

 

 
 

 
 

映画嫌い (429)

2009年5月30日 映画
 
本日のクソ映画は2009年の米国映画「スター・トレック (Star Treck)」である。後にUSSエンタープライズ号の艦長となるジム・カークの、その誕生秘話、スポックとの出会いと対立、艦長となるまでの若き日の戦いを見せているマニア向けの映画だ。
この映画は日本では昨日から劇場公開されているようだ。今後、この映画を見る予定の地球人とバルカン人は以下を読まないこと。
 
宇宙暦2233.04年、宇宙連邦艦隊USSケルヴィン号はロミュラン星人の巨大宇宙船からの激しい攻撃を受けた。敵艦に停戦交渉に向かったラボー艦長は殺されてしまい、臨時代行で艦長となったジョージ・カークは、乗組員全員に救命シャトル船での脱出を指示する。自動操縦機能が作動しなくなったケルヴィン号にジョージはひとりで残り、敵艦に向かって操縦し、体当たりをして自爆する。ジョージの妻は脱出する救命シャトル船の中で出産。生まれた男の子はジムと名付けられ、無事に地球に帰還した。その男こそ、のちのUSSエンタープライズ号艦長、ジェームズ・タイペリアス・カークである。

一方、バルカン星から地球に赴任している大使と地球人女性の間に生まれたのがスポックだ。ハーフである事でイジメにあう少年スポックは、バルカン人として論理的に生きる事を選択し、成績優秀な青年へと成長した。スポックは宇宙連邦艦隊へ入隊し、沈着冷静な指揮官となったのだった。

その頃、元・ケルヴィン号の乗組員で、今は宇宙連邦艦隊の艦長待遇であるパイクは、やんちゃな青年となったジムの才能に着目し、ジムを宇宙連邦艦隊へスカウトする。ジムは士官学校で訓練を受ける事になり、同期で親友となったのが研修医のレナード・マッコイだ。また、同期には言語学者で黒人女性のウフーラも。
そして、それから3年が経過した。

ある時、宇宙連邦艦隊がバルカン星からの救難信号を受信した。25年前にケルヴィン号を襲撃したロミュラン星人の巨大宇宙船がバルカン星の上空に現われたのだ。完成したばかりのUSSエンタープライズ号はバルカン星を救いに飛び立つ。艦長はパイク、副官にスポック。そして、新人の日本人・スールー、ナマリのひどい英語を話すロシア人・チェコフのふたりも操縦士として乗船した。ウフーラ通信士、マッコイ医師もエンタープライズ号に配属されたが、カークはその時には謹慎中(テストでズルをしちゃった)の身だったので配属されなかったのだ。そこで、マッコイは医師としての特権を使い、護送する患者という名目でカークをエンタープライズ号に乗せる。エンタープライズ号はワープしてバルカン星の近くに到着したが、敵艦はブラックホールを発生させる爆弾をバルカン星に投下し、バルカン星はブラックホールの中に吸い込まれて消滅してしまう。
(中略)
カークは臨時代行で艦長となり、スポックと共に敵艦に乗り込んで破壊し、敵を全滅させる。これで地球も救われた。地球に帰還したカークはその功績で授勲し、パイク艦長が総督に昇進したのに代わって、エンタープライズ号の正式な艦長にカークは任命される。そして、エンタープライズ号は宇宙探査の旅へ飛び立つのだった。おしまい。
 
 
カーク、スポック、それにマッコイ、スールー(日本語テレビ版での名前はカトウ)、チェコフ、ウフーラ、スコット、・・・と、テレビ・ドラマのシリーズのお馴染みのレギュラーのクルーたちが梁山泊のごとく集まってくるというストーリーなので、「スター・トレック」ファンにはウケるんじゃないだろうか? しかし、「宇宙大作戦」のタイトルで日本でテレビ放送されていたあのシリーズに深入りしていなかった私としては、この映画はなんだかピンとこないんだよなぁ。ストーリーとして面白いものではないし、こじつけ臭いんだもの。エンタープライズ号を追放されたカークが氷の惑星に不時着し、その惑星で129年後からタイムスリップした老いたスポックと偶然と対面するだなんて、そんな事はありえないだろう。それこそ天文学的数字を分母とする確率だ。それにさぁ、この映画におけるカークが、うまく後のテレビ・ドラマ・シリーズでのカークにつながって見えないんだもの。いったいどうやったら、このカークがあのカークになっちゃうわけ?ってな感じだ。顔が全然違っているという事は大目に見てあげて無視しよう。しかし、気質というか性格がまるで別人なんだよなぁ。
 
スポックを演じているのはザッカリー・クイントという俳優さんで、テレビ・ドラマ「ヒーローズ」で悪役のサイラーを演じていた人だね。私は「24」は全く見ていないんだけど、「24」のシーズン3にも出ていたようだ。この人、レナード・ニモイの演じていた初代のスポックには全然似ていないが、いい芝居してるねぇ。バルカン人のメイクでスポックをやらせるには適任だと思うぞ。これを見ていると、主人公をカークにしないで、スポックにしたほうが良かったんぢゃなかろうか?と思えてしまう。
老いたレナード・ニモイが老いたスポック役で登場してくるのは友情出演ってなところかな?
 
監督のJ.J.エイブラムズによると、このメンバーでの続編の撮影も決定しているようだ。今後が心配なのは私だけであるまい。
また、J.J.エイブラムズは「次の映画は日本を舞台にした映画を日本で撮影したい」とも言っているそうだけど、それってまさか「スター・トレック」の続編ってことではないでしょうねぇ? 別の映画の事なんでしょうねぇ? 日本を舞台にした「スター・トレック」は見たくないなぁ。
 
映画「スター・トレック」
http://www.startrekmovie.com/intl/jp/
http://www.imdb.com/title/tt0796366/

 

 
ところで、毎度毎度の疑問が今回も再燃だ。ロミュラン星人同士も、バルカン人同士も、会話はすべて英語だ。英語って全宇宙で共通の公用語なのかぁ?
バルカン人同士が英語で話すのは論理的ではありません、艦長。
 

 
 

再発CD嫌い

2009年5月29日 音楽
 
本日もヒミツの日記のみ。
 
 

 
 

 
 


中島梓(本名今岡純代、56歳)が死去した。栗本薫の別名で「グイン・サーガ」シリーズを書いていた事でも知られている女流作家だ。その昔、テレビのクイズ番組「ヒントでピント」に女性チームのキャプテンとしてレギュラー出演していた事でもお馴染みだった。実は私は、この人とちょっとしたイベントで度々顔を合わせたことがあり、わずかながら面識があったのだ。
死人にムチ打つ気はないのだが、私はこの人が大嫌いだった。自意識過剰、自己中心的の極北で傲慢、知識人・文化人ヅラを前面に出し、自慢のためにはすぐにバレる嘘だってへっちゃら・・・ってな人だったからだ。話していると、毎度毎度、イヤ~に気分になる。何度か顔を合わせているうちに、こいつの近くで同じ空気を吸うのもイヤになってきたのは私だけであるまい。私のエンマ帳「私の軽蔑する10人の女性たち」において、辻本清美、柳美里らと共に、中島梓は常にワースト5にランク・インしており、そろそろ殿堂入りとなるハズだった。死者はランクにも殿堂にも入れないというルールを決めているので、松井やより(2002年死去)と同じく、この度、中島梓の名前はエンマ帳から消えることになったのだ。おめでとう。
 
彼女のそのイヤな性格は、彼女の書く小説やコラムの中にも度々表われていた。代表的なそれを墓碑名としてここに記しておくことにしよう。2002年9月、小泉首相(当時)が北朝鮮を訪問し、北朝鮮が日本人拉致を認めた事に対して、彼女が自身のホームページに書いていた文章がコレだ。
 

蓮池さんは『拉致された人』としてのたぐいまれな悲劇的な運命を20年以上も生きてくることができたわけで、それは『平凡に大学を卒業して平凡に就職して平凡にサラリーマン』になることにくらべてそんなに悲劇的なことでしょうか。
(中略)
拉致された人々は、その場で銃殺されたのではないかぎり、たとえ数年でも生きていたのであるかぎり『人生のすべてを奪いとられた』わけではない。
(中略)
平庸なありきたりの人生のコースを歩むよりも多くのものを得ることができたはずだと思う。

 
暴論である。ツッコミどころ満載で、ツッコむのもバカらしくなってくる。平凡にサラリーマンになるよりは、拉致されて、数年後に銃殺されても、そっちのほうがマシなんだとさ。こ~いう文章を書く奴とは絶対に信頼関係を築けないよな。人として最低である。
この文章の件をツッコむ週刊誌に対して、彼女はこんな弁明までしている。
 

試練にあって人間は強くなれるという希望を表明したかった。

 
ひぇ~! 言い訳にすらなっていない。論理が破綻している。拉致被害にあった皆さんや、その家族の皆さんは、なんでこんな奴に「希望を表明」してもらわにゃならんのだ?
ったくもぉ、最低の人間である。中島梓、お願いだから地獄に落ちてくれ。
 
 
中島梓、死去
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20090528012.html

 

 
 

 
 

映画嫌い (428)

2009年5月27日 映画
 
本日のクソ映画は1977年の米国映画「ザ・カー (The Car)」である。
 
米国の荒野にあるイナカの村。ナンバープレートを付けていない謎の黒い車が突然と現われて村びとたちを襲う。サイクリングしていた男女に体当たりをして殺し、ヒッチハイクをしていた青年に突進して殺し、警察の署長をもひき殺す。
主人公は警官のウェイドだ。彼はキラー・カーを捕まえるために作戦をたてて、警官たちを総動員して追いつめようとする。あの車には誰も乗っていないという目撃者もいる。キラー・カーは誰が何の目的で?
 
う~ん、不条理型の連続殺人事件の映画と見せておきながらも、結局のところ、キラー・カーを悪霊の仕業にしちゃっているオカルト映画なんだもの、随分とセコいストーリーだよなぁ。キラー・カーを追い込んでダイナマイトで爆破ってのもセコい。ラストシーンでの、爆破されたキラー・カーの炎が悪霊の形になるシーンのアホらしさには、私はイスからズリ落ちてしまったぞ。悪霊の仕業にしちゃうと殺人の動機も何も説明の必要がなくなるし、車が消えてなくなったり、どこからともなく出現するという状況の科学的な説明も不要になっちゃうもの、ボロい商売だよなぁ。
この映画の1970年代という時代を感じさせるプチ・レトロ感のあるダサさにも失笑だ。そのいい加減なストーリーも70年代っぽいよなぁ。ストーリーに関係のない無駄なシーンも多過ぎるし、スカスカな内容にあきれるばかりなのは私だけであるまい。
で、悪霊は車を爆破されただけで退散したんだろうか? 悪霊のくせにそれでおしまいかよ? 根性のない悪霊だなぁ。
 
映画「ザ・カー」
http://www.imdb.com/title/tt0075809/
http://eiga.com/movie/44741

 

 
 

 
 

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