映画嫌い (285)

2008年7月2日
 
帰国しましたぁ。どこに行っていたのかは秘密だ。
それで、自宅のある札幌に戻ったんだけど、いやぁ、札幌の街の中、やけに警官が多いねぇ。もうすぐ開催される洞爺湖でのサミットの関係で警備しているんだろうねぇ。サミットが行なわれるのは、洞爺湖の湖畔の丘の上にある「ウィンザー・ホテル・洞爺」なんだけれど、噂によると、集まった各国の首脳たちはそのホテルには宿泊しないで、札幌にあるホテルに宿泊するらしいのだ。高速道路を突っ走っても札幌と洞爺湖では2時間くらいかかるよなぁ、素直に洞爺湖に泊まればいいのにねぇ。札幌と洞爺湖の間の移動時の警備だって大変だろ。
いくら札幌だって、そのような国家元首級の重要人物を受け入れられるホテルはそれほど数がないだろう。まさか「アパ・ホテル」、「パコ」や、「東横・イン・すすきの」に泊まるわけもないだろから、きっと、某札幌Gホテル(仮名)なんかに泊まるんだろうなぁ。
 
千歳空港にも警官がやけ多くて、私は空港で2度も手荷物検査されちゃったものなぁ。善良な市民にしか見えない私なのに、なんなんだぁ?
札幌でも中心部では何度も警官を見かける。全国の警察からの応援を受けているんだろう、札幌の中心部で見かける警官の制服には「静岡県警」または「広島県警察」と書かれているのが多い。静岡と広島の県警の皆さんの担当が札幌の中心部なんだろうねぇ。

これは札幌の中心部からちょっと離れた地区の歩道で見かけた広島県警のおふたりさん。背後から撮影しちゃいました。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/police1.jpg
これは、札幌の地下鉄「大通」駅の改札機の付近に立っていた静岡県警の人。そ〜っと背後から近づいて撮影しちゃいました。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/police2.jpg
それにしても、この警官、スキだらけなのだ。そ〜っと背後から近づいていて、その気になれば鈍器のようなもので後頭部を殴って、拳銃を奪うことぐらい簡単にできそうなのだ。そ〜いう気にはならない私だから良かったものの、こんな警備じゃ心配だよなぁ。
 
土地勘があまりないような、そのような警官が警備してもいいものかねぇ。観光客が警官に道を聞いているのを見かけたんだけど、警官はちゃんと答えられていなかったものなぁ。それに、万が一、テロなどの事件や事故があって、「テロリストはパセオからアピアを通ってアスティの方向に逃げました!」と警官に教えても、パセオとか、アピアとか、アスティ45とか知らないだろうしなぁ。
 
昨日の夕方は、私の自宅のある南区澄川の市道を、めちゃくちゃ多くの警察車両が通行していた。パトカーとか、金網の張ってあるバスとかだ。それらも全部が他県からの車両で、福岡県警、佐賀県警、長崎県警などの九州からの車両の見本市のような光景だった。九州からのフェリーで到着したばかりで、札幌中心部に向かって走っていたのかな?

それでも、現状では、札幌市内はそれほどピリピリしているわけではない。単に街中で警官を見かける回数が多いだけで、いつもの平和な街のままだ。何年か前に、サッカーのワールド・カップで、イングランド対アルゼンチンの試合が札幌であった時のほうが警備が厳しかったような気がする。あの時にも全国各地の警察からの応援が札幌に来ていて、夜のすすきのを、十数名の群馬県警の警官たちが列を作って行進していたもの。あの様子を見かけて「戒厳令」という3文字を想像しちゃったのは私だけであるまい。今回のサミットの当日にも、あの時のようになっちゃうのかな?
 
ちなみに・・・。(この続きは、ヒミツの日記に記述。相互リンクしている皆さんにしか見られません。見られない人は残念でしたぁ!)
 
  
おぉ〜っと、映画の話をするのを忘れておった。無念。
 
 
映画「ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発」
http://www.cinemacafe.net/official/guilala/
 
 

 
 

 
 
 

映画嫌い (284)

2008年6月24日
 
本日のクソ映画は2008年の米国映画「カンフー・パンダ (Kung Fu Panda)」だ。「シュレック」などでお馴染みのドリームワークス(DreamWorks)のCGアニメの新作である。タイトルでわかるように、パンダがカンフーで活躍する内容なんだけれど、ストーリーが果てしなく退屈でつまらないし、ぜんぜん笑えないのだ。しょせん、くだらない子供向けアニメなんだけれど、あまりにもつまらないので、子供でも途中で見ているのがつらくなってくるだろうな。この映画は日本では7月26日から劇場公開されるらしい。
 
ヒスイ城では門外不出の秘伝書「龍の巻物」が守り伝えられてきた。「龍の巻物」には最強の「龍の戦士」になれる奥義が記されているのである。それを狙って悪の戦士のタイ・ラン(ユキヒョウ)が向かってくるという。ウーグウェイ導師(カメ)が救世主となる「龍の戦士」の候補を選び、タイ・ランの手から「龍の巻物」が守ろうとする。ウーグウェイ導師が選んだ候補とは、シーフー老師(レッサーパンダ)の愛弟子たち(サル、トラ、ヘビ、ツル、カマキリ)ではなく、パンダのポーだった。ポーはカンフー・オタクであるが、運動オンチでドジでメタボ。カンフーの達人を夢見るポーは「龍の巻物」を守ることができるのか?
 
 
冴えない会話、面白みが皆無なカンフー・シーン、あぁ、見ているのがホントつらい。擬人化された動物たちの姿には飽き飽きしてくる。ドジでノロマなポーが食いしん坊で、食べる為には特殊能力とも言えるようなものを発揮するものだから、老師が食べ物で釣ってポーを鍛えるという、そ〜いうありきたりのストーリーがアホらしい。
あのさぁ、アニメって実写とは違って、現実ではできない事でもできちゃう世界なんでしょ? だから、アニメってそのような非現実的な世界を表現する創造力が試させる場なのに、何なの、この貧弱な創造力は? パンダやトラなどの動物を擬人化させてカンフーやらせるだけじゃ、全然、創造力が感じられないんだよ。 バッカぢゃねえの?
 
 
映画「カンフー・パンダ」
http://www.kf-panda.jp

 

 
中国ではこの映画は6月20日から公開されているようだ。
ところが、この映画にクレームをつける奴らが中国にいたんだよなぁ。四川省の奴らが「カンフーパンダを排除せよ」と要求する運動をやっちゃった。それで、四川省の映画館では、この映画は上映中止になっているのである。
クレームをつけた四川省の奴の中のひとりが、自称・芸術家(芸術家としての実績はあまりないようだ)の趙半狄(ジャオ・バンディー)という男だ。彼が言うには、
「カンフーパンダは中国の国宝とカンフーを盗み、中国で儲けようとしている」
だってさ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080621-00000019-rcdc-cn
http://www.kotono8.com/2008/06/22zhaobandi.html
さすがチベットを侵略した国だよなぁ。そのバカな論理には笑っちゃうねぇ。趙半狄は自分が手がけているパンダを素材とした「芸術」が売れないから嫉妬してるんだろうねぇ。随分と見苦しい男だな。
ディズニーのキャラや日本のアニメのキャラを盗んで作ったインチキな遊園地に客を集めて儲けようとしていた中国なのに、お前ら中国人がそんな事でクレームを付けんなよ。中国では日本のアニメやドラマの海賊版があふれかえっているくせに、あまりにも身勝手な言い分だ。日本の地名や企業の名前を勝手に中国で商標登録してニセモノを販売して儲けているくせになぁ。これがワガママ&ゴーマンのセコい中国人たちの体質なんだよなぁ。こ〜いう奴らがほとんどだから、私は中国人が大嫌いなのである。私は経験上、中国人と韓国人は絶対に信用しない。
中国の黄くん、私の著作物の権利侵害に対する謝罪と賠償をしろ!
韓国のミンスーくん、カネかえせ!
 

 

映画嫌い (283)

2008年6月19日
 
本日のクソ映画は2008年の邦画「クライマーズ・ハイ」だ。横山秀夫の同名小説の映画化である。1985年、御巣鷹山の日航機墜落事故の時に、地元紙の記者として取材に奔走した実体験が書き上げられたのがその小説だった。それを映画化しっちゃったらこんなのになっちゃったわけだ。以前にNHKでドラマ化されて放送されたそうであるが、これはそれとは別ものである。この映画は7月5日から劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないように。

1985年8月12日の夕刻、群馬県の御巣鷹山に日本航空123便、ジャンボ機が墜落した。死者520人の大惨事だ。主人公は前橋市の北関東新聞社の記者の悠木だ。悠木は社長の指示により、墜落事故の報道の責任者となる。そして・・・。
 
 
こりゃないだろ。2時間25分くらいもある長い映画なんだけれど、もぅ、多くを詰め込み過ぎなのだ。詰め込んじゃっているから、ひとつひとつが中途半端になっちゃって、全体的にも散漫になっている。そ〜いう初歩的なミスをやっちゃっている悲惨なクソ映画がコレなのだ。前述のクソ映画「伝染歌」を監督していた原田眞人がこの映画の監督だもの、こ〜なっちゃうのは想像がつくよな。こんなシロートな奴に監督なんかやらせるなよ。大惨事、非常事態というシリアスさが表現されていないし、新聞社内の軋轢とか、地方紙と全国紙との取材競争のようなものを見せているんだけど、どれもが映画の内容としては空振りなのである。表現、描写に緻密さがなく、中途半端で、めちゃくちゃ大雑把なのだ。随分とザツに作られちゃっているよなぁ。記者たちの心理ドラマとしても深みが全くないぞ。22年後(現在)の悠木の姿も並行して描かれているんだけど、そんなの邪魔以外の何ものでもない。ったくもぉ、しょ〜もない映画だなぁ。こんな映画になっちゃって、原作者もめちゃくちゃ困惑しているんじゃないかな? いや、原田眞人を監督にして映画化する事を認めちゃったんだから、原作者の自業自得か。
墜落していく飛行機の中で犠牲者たちが書き遺した家族へのメモ書き。それが悲しく心に沈む、それだけになっちゃっている映画なのが情けない。
ってことで、あの事故は悲惨だったけれど、こんな映画は無視しようぜ。
 
 
邦画「クライマーズ・ハイ」
http://climbershigh.gyao.jp/
 
 

 
あの墜落事故は私も忘れられないなぁ。悲惨な事故だったねぇ。
墜落事故の数日後、テレビのニュース番組を見ていたら、遺体が次々に運び込まれてきている安置所の前から生放送の中継が行なわれていたんだけど、その時、マイクを握って現状をレポートしている記者の横に小学生と思われるガキどもがいっぱい集まってきて、テレビカメラに向かってふざけあって、Vサインとか出していたんだよなぁ。いくら子供といっても、そんな事は許されるわけがないだろ。あのガキども、今でも生きていたら30才を超えていることだろうが、ろくなオトナになっていないに違いない。
  
私の叔父が危うくあの日航機123便に乗ることになりそうだったのだ。2週間前にその便に予約を入れていた。当日の夕刻にリムジンバスに乗って空港に向かったところ、予定より早く空港に着いちゃった。急ぐ必要のある移動じゃなかったから、空港で缶ビールでも飲んで時間をつぶそうと思ったそうなんだけど、売店に行ってみると、自分の好きな銘柄の缶ビールが品切れになっていた。仕方ないから、ビールはあきらめて、向こうの空港に着いたら飲もうと決めて、空港の日航のカウンターに行って、それより1つ前の121便に空席があったから予約変更してもらったと言う。それで123便に乗らずに助かったのだ。叔父はその時に自分の一生の「運」を使い果たしたと思い、それ以降、競馬もパチンコもしなくなったんだよなぁ。
そんな話をビールを飲みながら私にしていた叔父も、3年前に亡くなっている。
 
私も仕事で東京に行ったり、海外に行ったりと、飛行機に乗る機会がかなり多い。早く空港に着いて、早い便に予約変更するたびに、あの叔父の事を思い出す。叔父の場合は予約変更をして助かったのだが、逆に予約変更したばっかりに墜落する運命にある飛行機に乗っちゃうというパターンだってありえるだろう。予約変更して乗り込んだ飛行機が墜落していく最中に、「しまったぁ〜!」と後悔しても遅いのが恐いな。空港という場所には人生の岐路がいろいろとあるんだなぁ。
 
以前にここに詳細を書いたけれど、9年前に羽田空港から千歳空港へ向かう飛行機に乗ろうとして、早めに羽田空港に着いちゃったから、事前に予約していた便より2つ前の便に変更してもらって乗り込んだところ、その便がハイジャックされちゃったという経験が私にはあるのだ。犯人がフライト・シミュレーターのマニアで、機長を殺して、自分で操縦桿を握ってレインボーブリッジの下をくぐろうとして、副操縦士が犯人を取り押さえるのがあと10秒遅かったら墜落していた・・・というあの事件である。操縦桿を犯人の手に渡すまいと命がけで守った機長の行動・勇気には敬服する。その機長が殺されてしまったことは、とっても残念な事だ。機長、そして副操縦士のおかげで、墜落しなかったのは不幸中の幸いだった。機長のご冥福を祈る。
あのハイジャック事件があったのは1999年7月23日だ。私は「1999年の7の月」事件と呼んでいる。
 

 
 

映画嫌い (282)

2008年6月18日
 
本日のクソ映画は2006年のフランス映画「バグズ・ワールド (La Citadelle Assiegee)」だ。実写版の本物の蟻の生態の接写映像を元に、擬人化してストーリーをでっちあげた失笑のバカ映画である。今月の28日から日本でも劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないように。
 
アフリカの草原には「オオキノコシロアリ」の巨大な巣が点在している。それぞれの1つの蟻塚では、1匹の女王蟻を中心にして、数百万匹の蟻が城と化した巣の中で役割分担をして生きている。徹底した管理社会の要塞都市ができあがっているのだった。しかし、あるひとつの巣に危機が訪れた。自然災害によって巣に大きな損傷が発生してしまい、更には、放浪する狂暴な蟻「サスライアリ」の大軍が迫っているのだった。サスライアリは大蛇すら食い尽くす攻撃的な肉食蟻だ。対照的な生態のシロアリ軍とサスライアリ軍との戦争が始まる・・・。
 
面白くない映画だねぇ。蟻の生態はシュールなほど機械的なんだよなぁ。だから、そんな蟻をファンシーに擬人化してストーリーにしちゃっても、さっぱり訴えるものが感じ取れないし、感情移入もできないのだ。だから何なんだ?ってな領域を出ていないわけ。蟻の生態に興味ない人がこんなの見てもしょうがないだろ。昆虫好きな子供がこの映画を見ても飽きてくるんじゃないかなぁ?
ってことで、こんな映画は無視しようぜ。
 
 
映画「バグズ・ワールド」
http://www.cinemacafe.net/official/bugsworld/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (281)

2008年6月17日
 
本日のトホホ映画は2007年の米国映画「告発のとき (In the Valley of Elah)」だ。実話を元に作られた映画らしい。主演がトミー・リー・ジョーンズで、毎度毎度のあの表情での演技を見せている映画である。今月の28日から日本でも劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないように。
 
トミー・リー・ジョーンズ演じる初老の男、ハンクが主人公である。彼の息子のマイクは軍人で、イラクに派遣されていた。2004年11月、イラクから帰還した息子が失踪したとハンクに連絡がきた。ハンクは元・軍人警官で、捜査のプロだ。彼は基地のある町に単身で乗り込み、息子の消息を探ろうとする。ところが、息子は焼死体で発見されてしまうのだった。ハンクは地元の女性刑事と共に犯人と真相を追う。ハンクは軍を出し抜いて犯人に迫るのだが・・・。
 
 
ストーリーとしては良くできているほうだと思う。事の真実を求め、それに向き合おうとするハンクの父親としての姿はけなげだ。息子の壊れた携帯電話に保存されていた動画が修復されるにつれて、事件の手がかりが得られ、イラクでの息子の変貌ぶりが見えてくる仕掛けになっていて、このへんの出来もまずまずだ。
しかし、それを戦争というテーマに結びつけちゃおうとしているのがダメだなぁ。戦争という異常かつ狂気の環境下で若い軍人たちが精神的に蝕まれていく・・・、そのような、戦争が人間の心にあたえる深い傷というものをこの映画は見せておいて、その意味での反戦というテーマに持って来ているわけであるが、この映画じゃ、なんだか説得力が弱いのだ。妙に輪郭がボケちゃっているような気がしてならない。もうちょっとどうにかできなかったのかねぇ?と思えてしまい、とても残念だなぁ。
 
 
映画「告発のとき」
http://www.kokuhatsu.jp/
http://www.imdb.com/title/tt0478134/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (280)

2008年6月9日
 
本日のクソ映画は2008年の米国映画「インディ・ジョーンズ - クリスタル・スカルの王国 (Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull)」だ。「インディ・ジョーンズ」シリーズの4作目で、前作から19年も経過しちゃっているんだねぇ。相変わらずのあのテーマ曲での登場だ。で、今回は「クリスタル・スカル」だもの、前述の「水晶ドクロ」のことじゃないか、うわぁ〜、インチキ臭い! この映画は今週の週末から日本でも劇場公開されるようだ。今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないように。
 
主人公は以前の「インディ・ジョーンズ」シリーズと同じく、考古学者のヘンリー・ジョーンズ・ジュニア博士で、舞台は反共産主義政策として赤狩りの真っ最中の1957年。
超科学的軍事品を手にする目的で、ソ連のKGBから派遣された女スパイのイリーナ・スパルコ上級調査官と武装した手下たちがに米国に潜入していた。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/CrystalSkull1.jpg
イリーナらはジョーンズ博士を拉致した上で、ネヴァダ州にある米軍基地に侵入した。そして、倉庫の中からある物を盗もうとする。そのある物とは、1947年にニューメキシコ州のロズウェルで米軍が回収した物で、その回収調査作業にはかつてジョーンズ博士も参加していたのだった。(あのぉ、それって、1947年にロズウェルに墜落したと言われているUFOから回収された宇宙人の死体で、そのネヴァダ州の米軍基地って「エリア51」のことかぁ? 随分とオカルト・マニアに媚びたシチュエイションだよなぁ) ジョーンズ博士は倉庫の中でそれを探すのを手伝わされるのだが、スキを見て逃げ出す。そして、ソ連人たちに追われながら広大な米軍基地内を逃亡し、ジョーンズ博士が辿り着いたのは核実験用に作られた架空の村だった。無人の家が並び、家の中や庭には多数のマネキン人形が。その時、運悪く、核実験が始まろうとしていた。核爆発の寸前に、ジョーンズ博士は近くの家の中にあった冷蔵庫の中に隠れる。核爆発でその家も冷蔵庫も吹き飛ばされてしまうが、ジョーンズ博士は奇跡的に助かったのだった。以上が本編にあまり関係のない23分もの長い前座的なストーリー。
 
そして本編が始まる。青年・マット・ウィリアムズがジョーンズ博士の元へ助けを求めてやってきた。ペルーに調査に行った考古学者のオックスレイが誘拐されたと言う。オックスレイはジョーンズ博士の旧友だ。マットと彼の母・マリオンはオックスレイに扶養されていたのだった。オックスレイを探しに行ったマリオンも行方不明になっている。半年前にマリオンの元に送られてきたオックスレイからの手紙には「アカトアでクリスタル・スカルを見つけた」と書いてあったらしい。アカトアとは、アマゾン流域にある伝説上の黄金郷だ。そこで、ジョーンズ博士とマットは、オックスレイからの手紙をヒントにして、オックスレイとマリオンを探し出す旅に出る。アマゾン奥地のジャングルでオックスレイとマリオンを拉致していたのは、あのイリーナ・スパルコとその手下だった。イリーナは不思議なパワーを持ったクリスタル・スカルを既に手に入れていた。そして、イリーナもアカトアを狙っていたのだ。
ジョーンズ博士とマットは、オックスレイとマリオンを見つけて取り戻し、クリスタル・スカルを手に入れて、アカトアを見つけることができるのか?
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/CrystalSkull2.jpg
 
 
今までの「インディ・ジョーンズ」シリーズのように、マンガ的なベタな冒険活劇になっているんだけど、それをどう評価するかだろうなぁ。世の中、そんなにうまく行くかよ?ってな子供騙しのようなデキスギなこの手のドタバタなストーリーには私は嫌悪感があるなぁ。その上に、無駄なコミカルなシーンが嘘っぽさを増幅しちゃってイヤだよなぁ。いくらエンタものとしてやっていても、もうちょっとシリアスさを出してほしいものだ。真面目にやれよ、真面目にぃ・・・と思うのは私だけであるまい。救出したマリオンってのがジョーンズ博士のかつての内縁の妻で、マットの父親は実はジョーンズ博士だった!ってなベタな人間関係にも拒否感を覚えるよなぁ。ジャングルの中のカー・チェイスでマットも活躍しちゃって、マットを主人公にして「インディ・ジョーンズ」シリーズの次作を作れそうな感じで終わっちゃっているのもイヤだよなぁ。本当に次作のそれを狙っているんじゃないのかぁ? シルヴェスタ・スタローンも引退したことだし、同様に60歳を越えているハリソン・フォードも、これ以上、ジョーンズ博士を演じるのには無理があるだろう。次作はマットがヘンリー・ジョーンズ3世として活躍する新シリーズだな、きっと。
 
で、この映画の中に出てきている「水晶ドクロ」は、脳の部分にも空洞があって、それは骨が水晶でできている宇宙人の頭蓋骨だ・・・ってことにされちゃっていている。前述のルアバンタン遺跡でのアンナの発見って言われているアレより嘘っぽいぞ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/CrystalSkull3.jpg
結局のところ、それは他の惑星からやってきた異星人ではなく、未知の異次元からやってきたことになっちゃっているのだが、最後のほうにデカいUFOが地中から出てきて失笑だ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/CrystalSkull4.jpg
まるで「プレデター・2」のラストシーンだな。
宇宙人だとか、異次元人だとか、そんなアホらしいものをストーリーに入れるなよなぁ。ったくもぉ〜!
 
 
映画「インディ・ジョーンズ - クリスタル・スカルの王国」
http://www.indianajones.jp/top.html
 
 

 
それにしても、毎度毎度、なんでタイトルを原題の通りに「インディアナ・ジョーンズ」にしないで邦題を「インディ・ジョーンズ」にしちゃうわけ? 「インディアナ」って名ぢゃダメなのは何の理由なんだぁ?
 
ちなみに、「インディ・ジョーンズ」3作目でショーン・コネリーが演じた父親・ヘンリー・ジョーンズが出ていたけれど、この映画は父親が亡くなった後のストーリーになっていて、父親は机の上に置かれた写真で登場している。
 

オーパーツ嫌い

2008年6月8日
 
「オーパーツ (OOPARTS)」と呼ばれているものがある。オーパーツとは「Out-Of-Place Artifacts」の略語で、その時代にはありえない技術で作られた不思議な物の事である。
たとえば、トルコで16世紀に作られた「ピリ・レイスの地図」には、当時にはまだ発見されていなかった南極大陸が描かれているという。
http://www.nazotoki.com/map_img/syousai1.jpg
イラクのバクダットに近くにある2000年前の遺跡からは数多くの小型の壷が出土しており、酸を入れると化学反応で電流が発生する「電池」だという。
http://panasonic.co.jp/mbi/forest/01/img/oldest_img.gif
1961年に米国カリフォルニアで発見された通称「コソ加工物」は50万年前に作られた点火プラグだという。
http://2.csx.jp/~smx/x-89.gif
インドのデリーにある「クトゥブ・ミナール」と呼ばれている鉄柱は、千年以上も前からそこにあるのに全く錆びていないのだ。現代の最先端の技術をもってしてもそのような錆びない鉄は作れないという。
http://chaichai.campur.com/image904/delhi01/ironpillar001.jpg
それらのオーパーツを元に「古代には今より進んだ超科学技術をもった文明が存在していたのだ」と言う「超古代文明」説を唱える人が多い。アトランティスやムーなどの失われた大陸に進んだ科学があったと言う人もいる。また、科学的に進んだ宇宙人が太古の地球にやってきていて、宇宙人らから教えてもらった技術によって作られたと主張する「宇宙考古学」なる説を唱える人までもいる。ピラミッドやナスカの地上絵も宇宙人の技術で作られたとか、このようなオーパーツの存在をきっかけにして、オカルト話にのめり込んでいる人が実に多いのだ。
 
ところが、そのようなオーパーツは、後世にデッチあげられたニセもの、強引な誤った解釈で勘違いされているものばかりなのである。
「ピリ・レイスの地図」はベスト・セラーになったグラハム・ハンコック著「神々の指紋」でも冒頭で大々的に取り上げられているネタであるが、南極大陸だと言われている海岸線は、実は縮尺を誤って描かれた為に大幅に歪んでしまった南アメリカ大陸の海岸線なのである。
バクダットの2000年前の「電池」とされる物は、あのようにアスファルトで密閉された壷ならば空気中からの酸素が供給されないので、化学反応がすぐに止まってしまい、電池としての実用性が全くない。電池だとする解釈が間違っているのである。
「コソ加工物」は1920年代に作られた米国製の点火プラグを使ってデッチあげられた捏造品で、その点火プラグの製作会社まで判明している。
インドの錆びない鉄柱は「練鉄」と呼ばれる種類の鉄で、これは錆びにくいのは当たり前で、その製作技術は昔から知られている。製作されてから何百年も経過しているのに全く錆びない日本刀だって世の中にたくさんあるじゃないか。日本刀も宇宙人の技術で作られたって言うのかよ? (ちなみに、インドのそれは、良く見ると錆びてやんの。錆びていないだなんて嘘さ)
 
オーパーツの代表的な物が「水晶ドクロ」と呼ばれているやつだ。
http://www.nazotoki.com/crystal_skull_img/hedges_skull1.jpg
水晶を研摩加工して頭蓋骨の形に作られた物である。これのように水晶の塊を研摩して頭蓋骨の形にする事は現代の先端の加工技術でも不可能だと言う。未知の高度な技術で太古にこのような物が作られた・・・と言われているが、これも実にあやしい品なのである。

その水晶ドクロは、英国人の探検家・ヘッジスが1927年にユカタン半島にある英国領ホンジュラス(現・ベリーズ)のルアバンタン遺跡を発掘調査していた時に、ヘッジスに同行していた養女のアンナが祭壇の近くで発見したものだとされている。マヤ文明の驚異の技術力!ってなことにされちゃっているのである。
ヘッジスがルアバンタン遺跡の発掘に参加していたのは本当のことで、それを裏付ける記録も残っている。ところが、記録によると、ヘッジスはドクロが発見されたとされている1927年の前年の1926年に英国に帰国しちゃっているのだ。また、発掘に養女のアンナが同行していたという記録が何もない。当時にヘッジスと一緒に発掘を行なっていたブラウン女史は、数多くの発掘時の写真を残しているけれど、その中にはドクロの写真もなければ、アンナの写真も一枚もないのだ。地道に発掘するオヤジたちの写真ばかりで、世紀の大発見であるドクロの写真も、それを発見したアンナの写真も一枚もないのは不自然である。だから、アンナもドクロもそこには存在していなかったという解釈が最も適しているだろう。また、発掘に同行していたガン博士が1931年に「マヤの歴史」という本を出版して、発掘の成果やエピソードを記述しているのだが、その著書の中にもアンナの事もドクロの事も一切書かれていない。アンナがルアバンタン遺跡で発掘したという第三者の証言がひとつもないのである。
ヘッジス自身も英国に帰国した後に本を出版したり、新聞に連載を書いているが、その中にもドクロの事は全く書かれていないのだ。1954年になって出版されたヘッジスの自伝書(これってホラ吹き大会のような内容なんだよな)の中では、ドクロの出所は「わけあって言えない」としか書かれていない。
また、マヤ文明の研究の第一人者として有名なハモンド博士は、自分の著書の中でこんな事を書いている。
「なぜ私がこの本の中で水晶ドクロの事に触れないのかというと、あれはマヤ文明とは何ら関係のないものだからだ。(中略)アンナがルアバンタンにいたという証拠は何もない。」
 
調査の結果、実はそのドクロはルアバンタン遺跡におけるアンナの発見ではない事が判明している。1944年にロンドンの美術商・バーニィから400ポンドでヘッジスが買ったものなのである。その売買記録がロンドンの美術館に今でも残っているのだ。このドクロが初めて文献に登場したのが1936年の人類学雑誌で、その記事の中にはヘッジスの名前もアンナのの名前も無く、所有者はバーニィになっている。バーニィの話によると、バーニィがそれを手に入れる前の持ち主は英国の美術品コレクターであって、ヘッジスでもアンナでもない。それ以前の持ち主はバーニィにもわからないそうだ。
バーニィからヘッジスが買ったという事を、アンナ自身も否定しなかった。「借金のカタにドクロを貸していたら、売られそうになったので買い戻した」と、苦し紛れの言い訳をしている。勿論、アンナのその言葉を裏付ける証拠は何もない。
以上から、水晶ドクロはアンナがルアバンタン遺跡で発見したものではないと考えられるのである。
 
水晶を研摩してドクロを作るというのは、確かに高度な技術が必要とされるらしい。しかし、現在の先端技術でも無理だという物ではないのだ。古代の超技術だとかいう怪しげな説も無用である。今から100年前の技術でも十分に製作可能なのである。同様な水晶ドクロは世界中に十数個が存在しているのが確認されていて、大英博物館やパリの人類学博物館にも置いてある。面白いことに、米国のワシントンにある水晶専門店にも同様の品が置いてあって、その品については製作者も製作時期もちゃんと判明しているのだ。ブラジルのある家族が1995年に半年かけて磨いて作ったものだと。
 
その後、コレクター向けのレプリカとして、ある程度の量の水晶ドクロが製作され、インターネット通販で買えるようにさえなった。勿論、本物の水晶を研摩して作られたものだ。私は東京の某デパートの展示即売会で売られている水晶ドクロの現物を見たことがあるぞ。価格が4万円弱で、高すぎるので私は買わなかったが。
インターネット通販やデパートで買えるオーパーツ! かなり情けないマヌケなオーパーツだな。
 
ってことで、オーパーツと聞けばインチキだと思え。
 
 
 

 
ここでも売ってます。
http://www.rakuten.co.jp/arch/429541/521649/447396/
 

 
 
 

映画嫌い (279)

2008年6月4日
 
本日のクソ映画は2008年の米国映画「ラスベガスをぶっつぶせ」だ。原題は「21」で、これはトランプ・ゲームの「ブラックジャック」のカードのことだな。ベン・メズリック著の小説「Bringing Down The House」を映画化したのがこれだ。その小説は私も以前に英語の原版で読んだことがある。実話を元にした小説だ。かつて著者が大学生だった時に自らが経験したラスベガスでの大儲けの物語りである。主人公のベン・キャンベルってのがベン・メズリック本人の事だ。映画では現在の物語に改変されているなぁ。
日本では現在劇場公開中だったかな。ってことで、今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないように。
 
主人公は米国のボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生、ベン・キャンベルだ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/21_1.jpg
MITは米国の科学技術系の最高峰の大学である。成績優秀な彼は、MIT卒業後にハーヴァード大学医学部に入学することが決まったのだが、その学費もなく、奨学金の競争倍率も高く、バイトの収入も少ない。学費と生活費を見積ってみると、今後、30万ドルが必要だ。ベンは途方にくれていた。
そんな時、MITの数学の教授、ミッキー・ローザがベンに声をかけてきた。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/21_2.jpg
教授はベンの数学的な才能を認め、教授自身が運営している秘密のチームへ招待したのだった。そのチームにはすでに4人の成績優秀な学生がいて、教授の指導の元、トランプ・ゲームの「ブラックジャック」での必勝法を研究していた。イカサマではなく、合法的に勝つ方法だ。一切のハイテク機器を使わずに、トランプのカードをカウントし、出てきたカードを記憶する。そして「確率変動」の理論を応用だ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/21_3.jpg
数学的に秀才なベンはすぐにその手法を習得し、教授ら一行とラスベガスに行って大儲けしてくるのだった。
その後も休日になると彼らはボストンとラスベガスを往復し、偽名を使い、変装をしてブラックジャックをする。教授らは大儲けだ。メンバーたちは儲けた金で高価な買い物をして、贅沢な生活を楽しむ。ベンの学費もすぐに稼げそうだ。
ところが、カジノを監視カメラでチェックしているセキュリティ担当者が、ベンが勝ち続けていることに気が付き、監視カメラでその動作を詳細にチェックしだしたのだ。何かをやっているはずだ、仲間がいるはずだ・・・と。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/21_4.jpg
一方、チームのメンバーたちの間では仲間割れが発生し、教授から見放されたビルは自滅していく。そして・・・。
 
 
私もMITへの留学経験があるMITの出身者である。私も「ベン・メズリックっていう名前の先人がラスベガスで大儲けした」という伝説は留学中に聞いたことがある。その手法は「カウンティング」と呼ばれているもので、私もその手法の詳細をその時に教えてもらって知っている。いかにカードをちゃんと記憶するかにかかっている手法なので、ゴロあわせで数字を覚えることができて、ソロバン的な暗算が得意な我々日本人にとっては、非常にフレンドリーな手法なのだ。ただし、この映画の中ではその手法を部分的にばっさりとカットしちゃっていて、全てをちゃんと見せていないものだから、いったいどんな手法でブラックジャックに勝っているのかさっぱり見えてこないのだ。だから、それで面白さは半減しちゃっている。ちゃんと手法を見せちゃうと、マネする奴が出てくるだろうから、仕方ないんだけどね。このやり方は現在でも違法ではないが、ラスベガスのカジノでは監視カメラにてチェックされているのだ。カウンティングが発覚すると、マッチョな警備員に連れて行かれて、裏の部屋でボコボコにされるらしい。映画「レインマン」の中でも、カウンティングがバレるシーンがあったよなぁ。今では、カウンティング発見用にコンピュータを使い、監視カメラの画像を自動解析するという人工知能を応用したハイテクなシステムが稼動しているカジノも多いようだ。
 
で、そのように、この映画では肝心のカウンティングの手法を見せていないのと、カジノでのインテリジェンスのあるゲーム進行を見せていないものだから、見ていてもいまひとつ面白みがないのである。チームとセキュリティとの知恵比べにすらなっていない。最後にちょっとしたサプライズのドンデン返し的なものを見せてお茶を濁しているにすぎない映画なのだ。スッキリしない映画だねぇ。
ってことで、私はこの映画にガッカリだ。
 
 
映画「ラスベガスをぶっつぶせ」
http://www.sonypictures.jp/movies/21/
 
 
 

 
教授の役を演じているのが、お馴染みのケヴィン・スペイシーだ。最近、ますます髪の毛が少なくなってきているなぁ。彼はこの映画のプロデューサーでもある。
 
この映画、本当にMITでロケをやっているねぇ。校内の見慣れた風景があちこちに登場している。映画の中で見られるのよりは、実際にはもっとボロなんだけどさ。
 
ちなみに、室蘭工業大学も、武蔵野工業大学も「MIT」なんだそうだ。
 

 
 
 

訃報嫌い

2008年6月2日
 
う〜ん、今年はドラマーの厄年なんだろうかぁ?
前述のジョン・ラトジー(元・ラッシュ)、ブライアン・デヴィソン(元・ザ・ナイス)に続いて、今度は、ウガンダ・トラまでも・・・。
合掌。
http://fu-hou.com/1919
http://yakitoriugachan05.hp.infoseek.co.jp/
 
 

 
 

 
 

映画嫌い (278)

2008年6月1日
 
本日のクソ映画は2008年の米国映画「アクロス・ザ・ユニバース (Across The Universe)」だ。日本では今年の8月9日から劇場公開されるらしい。ってことで、今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないように。
 
ろくなストーリーもない、いわゆる「わけのわからない映画」の類なのがコレである。タイトルの「アクロス・ザ・ユニバース」ってのは、ビートルズのあの曲である。ビートルズの曲がカバーされいるやつが全編で流れている映画なのだ。それが困った事に、MTVが放送しているようなわけのわからないプロモーション・ビデオを、全編ビートルズのカバー曲で寄せ集めて1つの映画にデッチあげちゃっているような作風なのである。ミュージカル風になったり、サイケになったり、ライヴ風になったり・・・と、かなり散漫な寄せ集めである。曲と曲の間にストーリーをぶち込んで、そのストーリーの延長線上に次の曲の歌詞を乗せるというスタイルでやっちゃっているものだから、ちゃんとストーリーがつながっていなくて、断片的すぎて、つかみどころもなく、何が何なのか、何を言いたいのか、何を見せたい映画なのか、さっぱりわからないのである。1曲終わるごとにドッとシラケるぞ。そんなのを2時間以上に渡って見せられちゃうんだもの、たまったもんじゃない。ビートルズのファンは世界中にたくさんいるけれど、誰が見てもこの映画にはシラケっぱなしだろうな。この映画に感動したとか、感銘を受けたとか、楽しめたという人が地球上にひとりもいないんじゃないのぉ?
 
登場人物の名前が、ビートルズの曲のタイトルや、歌詞の中に登場する名前だったりするのがワザトくさくて失笑だ。主人公は英国のリヴァプールからやってきた男で、名前がジュードだものイヤだなぁ。そのほかに、ルーシー、セディ、プルーデンス、ジョジョ、ドクター・ロバート、・・・と、ビートルズまみれだ。
セリフの中にも、「when I’m sixty-four」とか、ビートルズの曲のタイトルがいくつも登場してくる。プルーデンスという名前の女性が風呂場の窓から入ってくるシーンがあって、その時のセリフが「she came in through the bathroom window」だもの、私はイスからずり落ちたぞ。おぃおぃ、「she came in through the bathroom window」って言いたいがためだけに、何の脈絡もなく、プルーデンスを風呂場の窓から入るシーンを撮影しちゃったんかい?
 
この映画を見て、何とか意味がわかる部分を抽出すると、こんなストーリーなのだ。
ベトナム戦争時のアメリカが舞台である。英国のリヴァプールからやってきた青年、ジュードが主人公だ。彼は父親を探しにアメリカのブリンストン大学にやってきた。第二次世界大戦中に英国に派兵されてきたアメリカ兵がジュードの父親なのだ。しかし、父親はジュードが生まれる前にイギリスから去ったまま、二度と戻ることがなかった。ブリンストン大学で父親はすぐに見つかる(おいおい)。
ジュードはその大学で、学生のマックスと、その妹であるルーシーと知り合い、親しくなる。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/acrosstheuniv1.jpg
大学が夏休みの期間、マックスはニューヨークで生活してみようと考え、ジュードもそれに同行した。そして、ニューヨークで共同生活アパートに部屋を借りた。そのアパートのオーナーが歌手志望の女性、セディだ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/acrosstheuniv2.jpg
マックスを追いかけてルーシーもニューヨークにやってきた。そして、ルーシーはジュードとデキてしまうのだった。
ベトナム戦争が泥沼化する中、ジュート、マックス、ルーシーは反戦平和運動に参加し、活動家のドクター・ロバートと出逢う。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/acrosstheuniv3.jpg
そんな時に、マックスに徴兵を命令する召集令状が送られてきた。一方、反戦平和運動の活動が暴動と化し、逮捕されたジュートは英国に強制送還されてしまう。
その後しばらくして、ジュードは再度、ニューヨークにやってきた。タクシーの運転手になっていたマックスが空港まで迎えに来ていた。そして、マックスのタクシーに乗って、街中にあるビルに向かう。そのビルの屋上では、プロとしてデビューしたセディがシークレット・ライブを行なっていたのだ。(これって、明らかに、ビートルズ映画「レット・イット・ビー」の屋上ライブのシーンのパロディだよなぁ、曲も「ドント・レット・ミー・ダウン」だもの)
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/acrosstheuniv4.jpg
そのライブ現場に警官たちがやってきてライブは中断させられしまう。皆が去った屋上のステージで、ジュートは「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」を歌う。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/acrosstheuniv5.jpg
そしてジュートは、その場に現われたルーシーと再会するのだった。おしまい。
 
 
く、くだらない・・・。全世界のビートルズ・ファンもシラケっぱなしだろう。はじめにビートルズ・ソングありき!で作られたんだろうけれど、こんな映画に何の意味があると言うのだ? そのほかにも、意味のないプロモーション・ビデオ風のシーンがいっぱいだ。頭がクラクラしてくる。ビートルズの原曲は一曲も使わずに、全てがカバーされたバージョンが使われているんだけど、そのアレンジのチープさにもうなだれてしまうものなぁ。
 
 
使用されているビートルズ・ソングは順にコレだ。
girl
helter skelter
hold me tight
all my loving
I wanna hold your hand
with a little help from my friends
it won’t be long
I’ve just seen a face
let it be
come together
why don’t we do it in the road
if I feel
I want you
dear Prudence
I am the walrus
being for the benefit of Mr.Kite
because
something
oh darling
strawberry fields forever
revolution
while my guitar gentley weeps
across the universe
happiness is a warm gun
a day in the life
blackbird
hey Jude
don’t let me down
all you need is love
lucy in the sky with diamonds
flying

 

 

映画「アクロス・ザ・ユニバース」
http://across-the-universe.jp/
 
 
 

 
どうして映画のタイトルを「アクロス・ザ・ユニバース」にしちゃったのだろう?と思ってしまう。ビートルズの曲を映画のタイトルにするのなら、他にもまだ選択肢があっただろうになぁ。主人公がジュードだから、そのまんま「ヘイ・ジュード」ってタイトルにするのもベタだろうけれど。
 
次回は、コレのレッド・ツェッペリン版でも作って、タイトルを「トランプルド・アンダー・フット」にしちゃうのはいかがだろうか?
 

 
 

訃報嫌い

2008年5月31日
 
カナダのプログレ・ハード・ロック・バンド、ラッシュ(Rush)の初代ドラマー(ファースト・アルバムのみに参加して体調不良で脱退)のジョン・ラトジーがお亡くなりになりました。
彼の脱退後にはニール・ピアート(日本ではなぜかニール・パートと呼ばれているが、発音はパートじゃなくてピアートだよ)が加入して、その後にバンドに人気が出てきただけに、ジョン・ラトジーはちょっと影の薄い人だったわけ。
ご冥福を祈ります。55歳。死因は発表されていないけれど、かねてから健康問題があったらしい。
http://www.2nn.jp/mnewsplus/1210747978/
 
 
イギリスで1960年代後半に活躍していたバンド、ザ・ナイスのドラマー、ブライアン・デヴィソンもお亡くなりになっていました。
彼の場合も影の薄い不運なドラマーで、ザ・ナイスの時にはキース・エマーソンにバンドを去られて解散し、その後に結成したレフジーの時はパトリック・モラーツに去られて解散・・・と、悲しい過去がありましたなぁ。合掌。
http://fu-hou.com/1864
 
ザ・ナイスの動画をこちらで見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=45pIvr4gJD4
http://www.youtube.com/watch?v=JrCBWzhlCVM
 
 

最近の活動嫌い

2008年5月24日
 
 
本日もヒミツの日記に記述。
相互リンクしている皆さんにしか見られません。
見られない人は残念でしたぁ!
 
 

映画嫌い (277)

2008年5月23日
 
本日のクソ映画は2007年の米国映画「奇跡のシンフォニー (August Rush)」だ。日本では来月の21日から劇場公開されるらしい。ってことで、今後、この映画を見る予定の人は以下を読まないこと。
 
天才的な音楽の素質を持った少年、エヴァンが主人公である。エヴァンは両親の顔を知らず、施設で育っていた。エヴァンは自分の心の中に聞こえてくるメロディが、まだ見ぬ両親とつながっていると信じているのだった。
ある夜、エヴァンは不思議な音に誘われて施設を抜け出し、そして、ニューヨークのマンハッタンに辿り着いた。街角でライブ・パフォーマンスをやっている子供たちの元締めとエヴァンは出会い、元締めはエヴァンの音楽の才能を見抜くのだった。エヴァンは街角でギター演奏を始めた。両親へ思いが届くようにと。そして・・・。
 
 
バカバカしいぞ。ありえない。ホラ吹き男爵のホラ話の域を出ていない。絵本の原作として出版社に持ち込んだもののボツにされて出版に至らなかったトホホな三流おとぎ話ってなストーリーだ。親子の絆をそんな「奇跡」と「音楽」で演出してもしょうがないだろ。あまりにも現実味がないものだから、「奇跡」じゃなくて、それは創作された「嘘話」でしかないとつくづく感じてしまうのだ。ストーリーに矛盾点も多いしなぁ。そんなチープな「嘘話」に感動できるはずもなく、シラケっぱなしで映画はフェイド・アウトしちゃっている。「音楽」をそんなに美化するなよなぁ。
私は昨年にこの映画を見て、ホント、映画ってくだらないカルチャーだねぇ・・・と再認識。この映画を見た後、私は映画ってものを全く見る気になれなくて、2ヶ月間、映画を1本も見なかったんだもの。
 
「元締め」の役を演じているのが、あのロビン・ウィリアムズである。この人の出ている映画だから、毎度毎度のあの種の映画だと臭いでわかっちゃうよねぇ。まさにその通りだったわけだ。
 
 
映画「奇跡のシンフォニー」
http://www.kiseki-symphony.com/
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id329926/
 
 

 
 

 
 
 
 
本日もヒミツの日記に記述。
相互リンクしている皆さんにしか見られません。
見られない人は残念でしたぁ!
 
 

最近の活動嫌い

2008年5月11日
 
本日もヒミツの日記に記述。
相互リンクしている皆さんにしか見られません。
見られない人は残念でしたぁ!
 
 

映画嫌い (276)

2008年5月7日
 
本日のクソ映画は「アイ・アム・レジェンド 特別版 (I am Legend - Special Features)」、通称「衝撃の別エンディング版」である。2枚組のDVDとして売られているやつのオマケとして、メイキング・シーンと一緒に収録されているやつだ。いくらオマケでもこれは酷いぞ。これのいったいどこが「衝撃の」なんだ?と思っちゃう、めちゃくちゃバカな内容なのだ。
 
劇場公開されていた「アイ・アム・レジェンド」については以前にここに書いたので、そっちのストーリーは改めてここで書かない。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/iamlegend1.jpg
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くだらない映画だったから、あまり私の記憶には残っていないのだ。だから、劇場公開版との細かなシーンの違いは私にはわからない。決定的に違うのが結末で、それに向けて、途中のストーリーの一部も違っていた。
 
途中でどのように違うかと言うと、劇場公開版では、主人公のロバート・ネビル中佐が自宅地下の実験室で治療薬の人体実験を行なったところ、その実験が失敗で、女性の感染者が死んじゃっていたけれど、特別版のほうでは死なずに、若干の薬の効果が現われて、そのまま生きているのだ。
 
そして、自宅が感染者たちから襲撃されるラストシーンとなる。地下の実験室にロバート・ネビル中佐、生存者である女性と子供(名前を忘れちゃった)の計3人が逃げ込んだけれど、ドアを破って感染者たちが実験室にまで突入してくる。これは劇場公開版でも特別版でも同じだ。
 
劇場公開版では感染者のリーダー的な男が体当たりしてきて、結局はネビル中佐は死亡。生存者の女性と子供の2人はすきを見て逃げ出し、免疫を持っていたネビル中佐の血液サンプルを持って旅をして、生存者の集まっている砦にたどり着く。それで終わりだった。
 
一方、特別版では、地下の実験室に突入してきた感染者たちにネビル中佐が人体実験中の女性感染者の姿を見せるのだ。そしてネビル中佐は治療の可能性がある事を感染者たちにに向かって主張する。すると、感染者のリーダー的な男の合図で感染者たちの攻撃が一斉におさまる。リーダーは治りかけているその女性感染者をお姫さまダッコして、感染者たちは静かにその場を去るのだった。そして、3人は車に乗ってニュー・ヨークから出て、それでおしまい。
 
劇場公開版もくだらなかったけれど、特別版はそれ以上にくだらないねぇ。さすが、ボツになったバージョンである。こんな恥ずかしい映画は劇場公開できないだろう。攻撃的で、知性がなく本能だけで生きているかのように見せていた感染者たちが、特別版の最後ではなんでああなっちゃうわけ? あれだけニュー・ヨークにいる事にこだわりを持っていたネビル中佐がなんでニュー・ヨークを出るわけ?
ってなことで、劇場公開版は見る価値のないクズ映画だったけれど、特別版はそれ以上に酷い、もぅ、ど〜しょ〜もないイカレた映画なのだ。こんなの絶対に見るんじゃないよ。
 
 

 
 

 
 
 

マクドナルド嫌い

2008年5月6日
 
アメリカのマクドナルドでは、ドリンクのサイズが大きくて、Lサイズはバケツみたいな大きさなのである。そんなサイズのドリンクをガブ飲みしながらデカいハンバーガーをムシャムシャ食べているメタボな米国人の姿を見ると、なるほど肥満の国の元凶がこのような店なんだなぁと実感するのである。ホント、街中にはデブのおっさん、おばちゃんがあふれているものなぁ。特大に肥満してはち切れそうな子供も多くて、そんなのを見るとすごく悲しい気分になるよ。子供をあんなに肥満させちゃうのは虐待だろ。
 
で、アメリカのマクドナルドのほとんどの店舗では、ドリンクを注文すると店内では飲み放題だ。1ドル安いSサイズを注文して、何度でもオカワリをもらえばいいのに、ほとんどの人はLサイズを注文する。
「どうして?」
と私が現地の仕事仲間に質問したところ、
「店を出る時、いっぱい入れて持って帰れるから」
なんだそうだ。な〜るほど。
 
ちなみに、アメリカのマクドナルドでは、全部の店がそうではないけれど、ドリンクを注文してもその時にサイズを聞いてこない場合が多い。また、サイズを指定しないと、一番大きいサイズのドリンクが出てくることがよくある。あまりたくさん飲めない場合は、ちゃんと小さいサイズを指定して注文しなければならないのだ。今後、アメリカでマクドナルドを利用する予定がある人は要注意である。
 
 
 
 

マクドナルド嫌い

2008年5月5日
 
私は今までに90カ国以上に行ったことがあるんだけど、どこの国でも見かけるのが「マクドナルド」だ。欧米の各国は勿論のこと、中国にも、ロシアにも、インドにも、ウズベキスタンにも、ニカラグアにも、エルサドバドルにもマクドナルドはあった。「セブンイレブン」も海外でよく見かるけど、その国によって、売っている物も、店の雰囲気も異なっている。でも、マクドナルドは、どこへ行っても同じメニューで、同じ味なのだ。徹底した管理体制があるんだろうな。

マクドナルドでは、世界共通の「チーズ・バーガー」や「ビッグ・マック」のような基本メニューがあって、米国で食べた「ビッグ・マック」も、イタリアで食べた「ビッグ・マック」も全く同じ味である。どこの国でも味は同じだ。それらの世界共通の基本メニューの他に、各国・各地の独自のメニューがあり、その国の食文化の影響があって面白いのだ。だから、マクドナルドのハンバーガーの味が嫌いな私でも、現地でマクドナルドに行ってメニューを見てくるという趣味がある。
日本の「テリヤキ・バーガー」は日本独自のメニューだ。「月見バーガー」なんかも日本だけのメニューである。ウーロン茶がメニューにあるのも日本のマクドナルドだけで、意外にも中国のマクドナルドには、お茶の系統のドリンクはなかった。世界で一番ビールを飲むチェコでは、マクドナルドにもビールがあったなぁ。
ニュージーランドではキューイフルーツ入りのハンバーガーを見かけた。キューイという鳥がニュージランドのシンボルであるからであろう。それとは別に、赤カブをサンドした「キューイ・バーガー」ってのもあったけれど、どうして赤カブなんだろうか? 
コロッケの発祥地であるオランダには「コロッケ・バーガー」があったし、韓国には「カルビ・バーガー」があった。でも「キムチ・バーガー」はなかったような・・・。
マレーシアには「レンダン・バーガー」というのがって、牛肉にチリソースの味付けが辛くて、あれはなかなかおいしい。
アメリカのマクドナルドでは、店によってピザがある。しかし、ピザの本場、イタリアのマクドナルドにはピザはない。
 
インドのチーズバーガーには、本当にチーズしか入っていなくて、牛肉が入ってないのだ。ヒンズー教の宗教上の理由で牛肉が食べられない人が多いからなんだろうね。チキンは食べて良いのでチキン系のバーガーがよく売れていたようだったな。
ユダヤ教でもいろいろと食材にはうるさくて、イスラエルのマクドナルドでは、そのような宗教上の規制をパスした食材しか使っていないらしい。私はイスラエルでマクドナルドの店内を観察したことがあるけれど、これと言っておもしろそうなメニューがなかったから、結局はそこで何も食べなかった。

それと、現地で見かけて驚いたことがるんだけれど、日本だけだと思っていた「テリヤキ・バーガー」が、タイ、シンガポールのマクドナルドでも売られていたのだ。ただし、名前は「サムライ・バーガー」である。こんなヘンテコな名前を付けたのは誰だぁ?
 
マクドナルドの期間限定品というのはオーストラリアにもあって、「トリプル・チーズ・バーガー」という、チーズ、肉、チーズ、肉、チーズ、肉の、合計、肉の三段重ねのハンバーガーがあった。見ただけで胸焼けしそうである。オーストラリア人って極端に野菜を食べなくて、肉ばかり食べるから、結構、評判が良かったようである。1個300円くらいだったかな。
 
日本でも昨年あたりから売られている「メガ・マック・バーガー」だけれど、あれを13年くらい前に初めて見かけたのはデンマークだった。あの時はすごい名前だと思ったなぁ。肉・肉・肉・肉の合計4枚重ねでしょ。あんた、そんなに肉ばかり食べてど〜すんの?ってな感じで、食べている客の様子を観察しちゃったもの。1個350円くらいだったかな。
 
どこの国のマクドナルドでも、ハンバーガー1個の販売価格は150円くらいである。だから、物価の高い先進国では、マクドナルドは庶民の手軽な食事なんだけど、物価の安い国の人にとっては、敷居の高い店になっちゃう。物価が日本の十分の一であるインドでも1個150円だ。もし、日本で、あのバーガー1個が10倍の1500円だったら買うかなぁ? 
物価がすごく安い国、エルサルバトルでは、マクドナルドは高級店に属しており、「ちびまる子ちゃん」の花輪くんの家みたいな洋館風の建物が店舗で、店内にはゆったりとしたクラッシック音楽が流れ、客層はスーツを着たビジネスマンが中心だったものなぁ。
 
スイスのユニオン銀行が3年に一度発表している経済レポートでは、マクドナルドの「ビッグ・マック」を基準にして、各国の経済事情を評価している。マクドナルドって、どこの国にもあって、値段もだいたいどこの国でも一緒だから、この評価方法ってのは的を得ていると思う。そのレポートでは、都市別に、ビッグ・マック1個を買うために、どのくらいの労働時間が必要なのか計算をしているのである。
東京は9分で、香港と並んで世界最短であった。東京は物価が高く、それにつれて所得も高水準なので、容易に買えるわけである。
ニューヨークは12分、モスクワは74分、世界平均は36分だ。世界最長はナイロビの178分となっていた。
こうして見ると、物価が高いながらも、日本って凄く豊かなんだよね。
 
 

 
マクドナルドのホームページはここ。国を選んで、好きな国のマクドナルド情報が見られる。ただし英語版。
http://www.mcdonalds.com/
 
日本のマクドナルドのホームページはここ。
http://www.mcdonalds.co.jp/

世界のマクドナルドを比較検討、研究するツワモノが多く、参考となるホームページも数多くある。
http://www.nagoyanet.ne.jp/mcdonald’s/
http://homepage3.nifty.com/dkxwin/McDonald/index.htm
http://members.aol.com/budapestc/mac.htm
http://www.spacia.co.jp/rubadub/2001/mac.htm
 

 
 
 

映画嫌い (275)

2008年5月4日
 
本日のクソ映画は「紀元前1万年 (10,000 BC)」である。タイトルの通り、紀元前1万年を舞台にした物語だ。現在、日本でも劇場公開中だな。今後、この映画を見る予定の人は、以下を読まないように。
 
ヤガル族は山岳の狩猟民族だ。マナクと呼ばれているデカいマンモスのような形の狂暴な動物を狩って、それを食料にしていた。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc1.jpg
しかし、マナクがしばらく現われないために、ヤガル族は貧困飢餓状態になる。
主人公はヤガル族の青年戦士、デリだ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc2.jpg
彼はエバレットという娘と恋仲になる。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc3.jpg
巫女の預言によると、エバレットはヤガル族の救世主で、彼女の婿はヤガル族のリーダーとなるらしい。
雪が降ってきたある日の夜、ヤガル族は馬に乗ってやってきた異民族からの襲撃を受ける。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc4.jpg
そして、エバレットら数人が連れ去られてしまったのだ。エバレットらを救出する為に、デリ、ティクティク、カレン、バクの4人の戦士が雪山を越えて異民族を追う旅に出るのだった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc5.jpg
  
途中の戦闘でカレン、バクも捕らえられてしまうが、デリ、ティクティクは追跡を続ける。デリとティクティクは異民族に襲撃された村を見つけて、その村の住民である黒人のナク族と出逢い、ナク族はデリらの協力者となる。ナク族にも奴らに拉致された者が多くいた。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc6.jpg
そして、ナク族の呼びかけでトゥクトゥク族、クーラ族、ホダ族、小人族などの周辺民族も仲間に加わり、デリらは大人数の部隊となって異民族を追うのだった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc7.jpg
異民族は帆船に乗って河を下って逃げる。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc8.jpg
河の地理に詳しい部族「河の民」の情報により、デリら一行は河を下らず、砂漠を横断して異民族の行き先を目指す。そして、砂漠を迷いながらやっと到着した敵の村は・・・・、それは村ではなく国家だった。巨大なピラミッドを建設中だ。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc9.jpg
皇帝が神として統治し、捕まえてきた人々を奴隷としているのだった。敵の数があまりにも多過ぎる事にデリは唖然とする。
 
(中略)
 
奴隷たちが暴動を起こし、労働力として酷使させられていたマナクも暴れ出す。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc10.jpg
そして、デリら戦士が立ち上がり、次々に敵を倒していく。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc11.jpg
皇帝はエバレットを人質にするが、デリの投げた矢が皇帝を一撃で倒し、エバレットを救出する。そして奴隷たちは解放された。ところが、敵の矢がエバレットに当たり、それでエバレットは死んでしまうのだった。
http://okurahoma777.hp.infoseek.co.jp/10kbc12.jpg
その頃、ヤガル族の村では、巫女が最後の祈祷を行ない、巫女は死んでしまう。巫女の祈祷によりエバレットは生き返るのだった。(あのなぁ)
 
戦いが終わり、各部族は自分たちの村に救出した人々を連れて帰る。ナク族と別れる時、デリはナク族から植物の種を受取るのだった。そして、デリらもヤガル族の村に戻った。その後、デリとエバレットはヤガル族の指導者となり、ナク族からもらった種で農耕が始まり、その村は富むのであった。めでたし、めでたし。
 
 
ほ〜ら、つまらないでしょ? 救世主の運命を背負った戦士の冒険、そして人々は解放される・・・ってな、ありがちの内容だ。救世主と言っても、デリが超能力とか魔法を使うってことではないので、そのようなエセ・ファンタジーにならずにストーリーが進んでいるんだけれど、最後のほうでエバレットが生き返っちゃうってのにはズッコケだ。なんでそうなっちゃうんだよぉ? これでこのストーリーがブチ壊しになっている。
 
それに、紀元前1万年っていう時代を無視したかのように、帆船が出てくるし、初めて鉄器を使ったヒッタイトより数千年前の時代であるのに鉄製の武器とか、ナイフとかあるしぃ、もぅ、歴史がハチャメチャだな。それにあのピラミッドはないだろ。おもいっきりコケちゃったじゃないか。ピラミッドが出てきたあたりから、ストーリーがいきなり別方向へ暴走しちゃっているんだよなぁ。どうせなら、ピラミッドの上空にUFOを飛ばして、皇帝をプレデターにしちゃえば良かったのでは?
 
それと、毎度毎度の疑問だけれど、なんで紀元前1万年なのに、ヤガル族は現代の米国語で会話しているんだろう? 英語の起源であるラテン語すらまだこの世には存在していない時代なのになぁ。
 
 
映画「紀元前1万年」
http://wwws.warnerbros.co.jp/10000bc/
 
 

 
ちなみに、これは紀元前1万年ってことになっているけれど、キリスト教のファンダメンタル系の教義では、地球は46億年前にできたのではなく、紀元前5508年(紀元前4009年説もあり)に神によって天地創造されたことになっているのだ。人間は猿から進化したのではなく、その時に神によって創造された・・・とされている。キリスト教国の米国では、国民の約半数がそれが真実だと思っていて、進化論を否定しているのである。バカバカしいんだけれど、それが米国の現状だ。天地創造よりはるかに昔を舞台にしているこの映画を見た米国人って、いったいどのようにコレを評価して、どのように教義との両立をさせているんだろうね?
 

 
 
 

映画嫌い (274)

2008年5月3日
 
本日の映画は2007年の邦画「夕凪の街 桜の国」である。前半が昭和33年の物語「夕凪の街」、後半が平成19年の物語「桜の国」という2部構成になっている映画である。共に舞台は広島だ。
 
原爆投下から13年目の昭和33年夏の広島市。復興するその街の片隅で26才のOLの平野皆実とその母は暮らしていた。皆実の父と妹は原爆で死亡し、皆実も原爆で心と体に深い傷を持っていたのだった。皆実は生き延びている自分を責め、同じ職場に勤務している打越との間も恋愛に発展しないままだった。そんな時に皆実は体調を崩して病床に。皆実の弟の旭が見舞いに広島にやってきた。旭は戦時中に茨城県水戸の親戚の家に疎開していて、戦後もそのまま水戸で暮らし、親戚の養子になって石川の姓になっていたのだった。そして、打越と旭の前で、皆実は静かに息をひきとる。
 
それから49年後の平成19年夏、28才のOL、石川七波が主人公だ。彼女の父が、平野皆実の弟の石川旭だ。旭と七波、そして七波の弟の3人家族は東京で暮らしていた。
七波は最近の父の不信な行動に気が付く。電話代が数万円にもなっていた。いったいどこに電話をかけているのか? ある日の夜、父は密かに家を抜け出す。それに気が付いた七波は父を尾行する。駅前で七波は偶然にもかつての同級生、利根東子と出会い、一緒に尾行することになった。父は深夜長距離バスに乗って広島へ向かうのだった。七波と東子は同じバスに隠れて乗り込む。父の広島行きの目的とは・・・。
 
 
原爆によって人生を狂わされた人々の悲劇は今さら言うまでもない。あのような悲劇は二度とあってはならない。それは誰でも思うことであろう。平凡な生活の中に深く残っている原爆の傷痕、はかない命、そのような観点では、前半は良くできていると思う。
ところが・・・なのである。後半は、死んだ皆実の弟である旭の秘密の行動を尾行するその娘をストーリーにしているものの、なんでそんなストーリーをわざわざ付加しているのか、さっぱりその理由も目的も理解できないのだ。無理矢理と現在の日本に連動させたかっただけの取って付けたストーリーにしか見えてこないのだ。こりゃ大失敗だな。意味ありげに見せている旭の広島訪問の旅は、結局は、姉の50周忌の墓参りとお世話になった人々への挨拶の旅だったわけで、それは当人にしてみれば重要な事であろうが、旭はそれを家族の目を盗んでナイショにして行なう必然性がないじゃないか。七波の尾行に気付いていながらも、その時に七波に毅然とした態度で説明できないで、事後に説明している旭の姿にも疑問を感じる。そしてそれを桜にこじつける。いったい何を言いたいんだよ?
私には理解できていない悲しみや苦しみが原爆の被害に実際にあわれた人々にあるのだろう。私は原爆がもたらした悲劇は否定しない。しかし、私はこの映画の後半は否定する。桜でごまかすな。原爆の悲劇をエセ・ヒューマニズムな商売に利用するんじゃない!

私の親戚も、広島ではないが、長崎で被爆して亡くなっている。
 
 
映画「夕凪の街 桜の国」
http://www.yunagi-sakura.jp/
  
 

 
後半で石川旭を演じているのは堺正章だ。
石川七波を演じているのが田中麗奈だ。出たな猫娘!と思うのは私だけであるまい。
 

 
 

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